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    船戸雄大の生い立ちや現在(2021)は?目黒女児虐待事件の概要とは?

    2018年に起きた目黒女児虐待事件の犯人で女児の父親の船戸雄大は、懲役13年の刑が下され現在(2021)も服役中です。女児に対するひどい虐待の内容とは?船戸雄大被告の生い立ちや実家・出身大学から、事件に至るまでの経緯や事件の裁判についても紹介します。

    目黒女児虐待事件の概要

    みなさんは、2018年に発覚した目黒女児虐待事件を覚えているでしょうか?虐待の内容がすさまじく見るに堪えないニュースでした。まずは、目黒女児虐待事件がどんな事件だったのかについてご紹介します。

    両親から虐待されて5歳の女児が亡くなる

    船戸雄大(ふなとゆうだい)が犯人となった目黒女児虐待事件とは、2018年に東京都目黒区で発覚した女児虐待事件です。被害者となった女児は当時5歳。虐待をしていたとされる船戸雄大は、被害者女児とは血縁関係はなく、女児の母親の再婚相手でした。

     

     

     

    息子が生まれてから虐待が始まる

    船戸雄大の虐待は、被害者女児の母親との間に弟が誕生した頃から始まります。女児はもともと母親の出身地である神奈川県に住んでいおり、母親は2016年に船戸雄大と再婚。2018年1月に船戸雄大の仕事の都合で東京都目黒区へと引っ越しました。

     

    船戸雄大の被害者女児への虐待が明らかとなったのは、弟の誕生から3カ月が経過した2016年12月25日。

     

    女児が裸足でパジャマ姿のまま家の外にいるところを近所の人が目撃し、香川県西部子ども相談センター(児童相談所)に通報され女児に対する虐待が認知されることになりました。女児は香川県西部子ども相談センターでは、2度保護されています。

    2018年3月3日女児が死亡・船戸雄大を逮捕

    船戸雄大が逮捕されることになったのは2018年3月3日。その前日、女児は船戸雄大の119番通報により病院に救急搬送されましたが、その当日の夜に搬送された病院で命を引き取りました。

    女児に対する虐待の動機やきっかけは?

    船戸雄大が女児を虐待するに至るまでにはどんな理由やきっかけがあったのでしょう。船戸雄大が女児の母親と結婚し、女児の弟が生まれ、虐待に発展するまでの経緯についてご紹介します。

    しつけがエスカレート

    船戸雄大の女児への虐待が発生したのは女児を厳しくしつけようとしたからといいます。それは、女児の母親は躾(しつけ)に疎く、子育てをしていこうという覚悟が見えなかったからのようです。

     

    確かに女児の母親は社会経験がほとんどなく、人間関係に対する常識も欠けていたといいますが、だからといって虐待につながるまで躾をすることは決して許されるこではありません。

     

    とくに船戸雄大が気になったのは女児の体型のことで、ダイエットをさせようという気持ちが歪んだ方向に行ったといわれています。

    実子ではなく可愛くなかった

    女児の母親との再婚が決まると、船戸雄大は女児をとても可愛がっていました。母親と3人で旅行に行ったり、プレゼントもしていたといいます。しかし、その反面、理想の子供に育てたいという思いも強かったようです。

     

    そんな矢先、船戸雄大の実の息子である女児の弟が誕生します。すると、とたんに他人の子供である女児が可愛くなく思え、裁判では「大嫌いだった」とまで話していました。

     

    理想の家族を作ろうとしていた

    船戸雄大は、女児の母親との結婚を自分の母親に反対されていました。その理由は、女児の母親には離婚歴があるから。そのため、女児の父親も誰だかわからないことから、女児の母親と結婚したら縁を切るとまでいわれていました。

     

    そのため、自分の母親を見返すために理想の家族を作ろうと頑張りすぎていたようです。女児への虐待がしつけとしてエスカレートしたのも、自分の母親に見捨てられたくなかったからなのでしょう。

    女児に対する酷すぎる虐待の内容

    船戸雄大の女児に対する虐待は残虐極まりないものでした。そのあまりにもかわいそうな虐待の内容についてご紹介します。

    過剰な食事制限

    船戸雄大の代表的な虐待は、過剰な食事制限でした。船戸雄大は女児の外見を気にしてかダイエットと称し、過剰な食事制限をしていました。

     

    それは、1日に1食だけの日もあるという成長期にはあまりにも少なすぎる食事量。女児はみるみる痩せていき、船戸雄大が逮捕に至った時の女児の体重は12kgで、臓器が正常な5歳児よりも5分の1ほどの大きさで委縮していたといいます。

     

     

    しつけと称した暴言や暴力

    さらに、船戸雄大は女児に4時起きをするように命令し、1人暗い部屋でひらがなの練習をさせていたといいます。しかし、勉強ができなかった時や、お風呂場で騒いでしまった時には、躾と称して水シャワーをさせたり、べランダに立たせたりしていたようです。

     

    こうした虐待は、東京に来る前の香川県に住んでいたときにも行われていて、蹴るや叩くなどの暴行が2日に1度行われていたといいます。

     

    監禁状態で家に一人置き去り

    また、東京に引っ越してきてからは、自分の実の子供である女児の弟と女児の母親を連れて3人ででかけ、女児だけを置き去りにして出かけることも多かったといいます。そのため、女児は数カ月間もの間監禁状態にあり、怪我をしても病院にもつれていかなかったという船戸雄大。女児は亡くなった時、古い傷やできたばかりの傷を含めて170カ所以上の傷跡やアザがあったといいます。

    目黒女児虐待事件の裁判と船戸雄大の現在(2021)

    目を覆いたくなるような目黒女児虐待事件。この事件では船戸雄大と女児の母親の船戸優里にはどのような判決が下っているのでしょうか。確定した判決と、その後の2人についてみていきましょう。

    懲役13年の判決

    保護責任者遺棄致死などの罪により船戸雄大に科せられた刑は懲役13年。さらに母親である船戸優里については懲役8年の刑が下りました。

     

    妻の船戸優里は夫である船戸雄大からのDVにより精神的にコントロールされていたということで、船戸雄大も船戸優里が「自分から洗脳されていた」と認めています。船戸優里は、船戸雄大から毎日のように罵声を浴びせられ、女児が何かできないのは母親である自分のせいだと洗脳されていたようです。

    現在も服役中

    船戸雄大は現在も服役中です。懲役13年という刑について世間の反応は"「こんだけの虐待して殺しても13年で出てこれるとかちょろいぜ」 って思うに決まってんだろ。"というコメントや、"。私にはこの刑期の妥当さが理解できませんでした...。"など、刑が軽すぎるという声が殺到しています。

     

    妻の船戸優里とは離婚

    女児の母親である船戸優里は、この事件が起きたことについて「船戸雄大から心理的に支配されて暴行を止めることができなかった」と話しています。

     

    船戸優里と船戸雄大は事件後の2019年4月に離婚。息子の親権は母親の船戸優里にあるといい、出所したら「みんなの助けをもらって息子を育てていきたい」と話しています。

    船戸雄大の生い立ちや実家について

    女児について信じがたい行為をしていた船戸雄大。どんな家庭で生まれ、どのように育ってきたのでしょう。船戸雄大の生い立ちについてみていきましょう。

    北海道出身で幼少期は明るかった

    船戸雄大の生まれは北海道札幌市。バスケが得意で明るい性格だったといいますまた、誰もがうらやむヒーロー的な存在で、プロになれると思わせるほどバスケが上手で、その腕前はほかの生徒にも教えてあげるほど。体育先生よりも上手だと評判だったそうです。

    帝京大学卒業

    高校を卒業後は帝京大学を卒業し、大手ケーブルテレビ会社へと就職したという船戸雄大。当時の船戸雄大を知る人たちの話では、悪い噂は一切なかったようです。

     

    会社では冗談を言ったりして場を盛り上げるムードメーカーで忙しく残業をしてもイライラする様子もなく、いつも優しくおだやかで女性社員にも人気であったといいます。でも、その後は仕事を転々として、キャバクラで働いていた時に、後に妻となる船戸優里に出会ったようです。

    実家についての情報はなし

    船戸雄大の家族については、実家が北海道であること以外詳しくことは公になっていません。しかし、船戸雄大は幼い頃に父親から虐待を受けていたという情報があります。

     

    船戸雄大は父親からの虐待によって頭の骨が変形してしまったのだとか。しかし、外では明るくリーダー的な存在であり、まとめ役であったといいます。

    香川では冷凍食品会社に就職

    キャバクラの黒服をしていた時に船戸優里と出会った船戸雄大ですが、結婚が決まると香川の冷凍食品会社に就職したといいます。当時はまじめに働いて家族を養おうと思っていたようで、さらに、自転車に乗れない女児と一緒に練習をしてあげるなど、近所では"できるパパ""優しいパパ"などといわれていたようです。

     

     

    現在も服役中の船戸雄大

    まだ幼い女児にまともに食事を与えず、さらには暴力行為を繰り返していた船戸雄大。虐待内容は目を覆いたくなるような内容で、決して許されることではありません。

     

    結婚した当初にはきちんと就職し、女児の面倒もみて可愛がっていたという船戸雄大。突如として何かが外れてしまったのかもしれませんが、許されないことをしたということを自覚し、償いながら生きて行ってほしいものです。

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