木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
“暴走族(ぼうそうぞく)”という言葉は聞いたことがあっても、実際にどういったものなのか知らないという方もいるかもしれません。まずは、暴走族について解説していきます。では、暴走族とは何なのでしょうか。
共同危険型暴走族は、爆音を激しくとどろかせ、道路いっぱいに広がりながら車両を走られる集団です。また蛇行運転や信号無視など、危険であり迷惑な違反行為を繰り返しながら走行します。
違法競走型暴走族は一定区間での走行タイムなどを競います。そのことから、高い速度で峠道を走行するローリング族や、後輪を滑らせてカーブを走行するドリフト族が挙げられます。また、速いスピードで高速道路を周回する環状暴走族(ルーレット族)なども該当するでしょう。
他にもゼロヨン族や湾岸族などといった種類があり、公道をレース場のように使い集団で危険な行為を行う点が特徴です。
暴走族には“レディース”があります。レディースとは、女性のみの暴走族を指します。中には、中学校卒業後半年でレディースの総長になった女性もいるでしょう。
続いては、暴走族の歴史についてご紹介します。暴走族はいつ頃からあり、どの様な変遷を経てきたのでしょうか。
1950年代から1960年代にかけ、富裕層を中心として高価だったバイクを爆音を立て集団で乗り回す若者が出現しました。マフラーを外し爆音を立てることから、『カミナリ族』と呼ばれようになり、これが暴走族の前身となったのです。彼らは交通を妨害し疾走することから、交通事故も懸念されました。
しかし、当時は高度経済成長期にあったことから、社会が大きく変わっていくことにストレスを感じてのこととして、マスメディア等からは幾らか許容されていたのです。
1970年代になるとバイクも価格が安くなっていき、一般にも普及しました。そして“狂走族”と言われた不良少年たちに浸透していくと、暴行や恐喝をするようになっていきました。一般市民への暴行事件やグループ同士の抗争が社会問題となっています。
例えば1972年には、富山県富山市の城跡大通りから起こり、全国へと広がりを見せた騒動がありました。富山市において、暴走車を見学に訪れた野次馬がタクシーや消防車を蹴り車体をへこませました。それだけでなく、帰宅途中で自転車に乗っていた方が暴走車にはねられています。
1972年7月1日午後から警察は、富山市と高岡市では狂走サーキット族と野次馬の排除に動き200名以上を検挙しました。それから、暴走族騒ぎは金沢や岡山、高知に拡大していきました。これを契機として、“暴走族”という呼び方が広まっていき警察側も公文書に用いるようになっています。
東日本において1972年よりグループ化されるようになり、1974年には分かっているだけでも86件の抗争事件が起きています。この頃からグループの数が目に見えて増加していき、『東北連合』や『関東連合』、『武州連合』などといった連合体を結成する動きも出てきました。
1975年上半期においては、全国に571グループ、約2万3千人の暴走族が存在していました。そして、包丁や火炎瓶、ヌンチャク、木刀などを用いて武装するグループも出てきたのです。1975年に大きな組織が台頭してきたことで、小さな組織同士の争いは減り抗争の規模を拡大させていきます。
1977年の東京では、大井ふ頭や砧(きぬた)公園、表参道を大きな集結の地としていました。中でも表参道では、休日の日中に数千台ものバイクが集まったといいます。警察も交通規制をしたものの、解決できず1978年に道路交通法の改正へと繋がりました。
1980年代前後に、暴走族は最盛期を迎えました。警視庁が行った1980年11月の調査によると、全国で754グループ、人員にして38,902名の暴走族が確認されています。この数値は、1980年6月と比較すると10.8%も増加していることになるのです。
また低年齢化も進んでいて、15歳以下となるメンバーは1976年の47名から25倍の1208名となりました。当時の暴走族は髪にパンチパーマをあて剃り込みを入れ、革ジャンか特攻服を着るというスタイルで、“ツッパリ”と呼ばれるようになります。そして、音楽界でも“リーゼントロック”も流行しました。
当時の“管理教育”に反発する少年たちがいて、“ツッパリ”の音楽を好んだのです。また、ツッパリファッションを身に着けた“なめ猫”がブームとなり、免許証などのグッズも販売されヒットしました。
暴走族文化は若者の間で廃れていき、多くても十数名程度の小集団で適当に集まって散発的な暴走行為を行うケースが殆どとなっていきました。これまでの“ヤンキースタイル”は珍しくなり、大きな集団となることもなくなってきたのです。
そして、バイクのアクセルの音でリズムを刻むことを追い求めることや、“乗りたい”という欲求や走りに重きを置くなど暴走族も形態を変えていきました。1994年より警察は、“従来型”に対してローリング族あるいはゼロヨン族を、『非従来型』として統計を取るようになります。
その後1995年に、警察は従来型を『共同危険型暴走族』とし、非従来型の場合を『違法競走型暴走族』と呼ぶようになりました。
若かった暴走族のメンバーも、段々と年齢を重ねていきます。2008年には50歳代2人も含んだグループが検挙されていますし、暴走族の高年齢化が進んでいるのです。暴走族というと、若いイメージがあるかもしれません。しかし暴走族メンバーの平均年齢は年々上がり、2006年頃からは成人が過半数となっているでしょう。
暴走族は減少傾向にあります。2019年での暴走族のメンバー(構成員)は、最盛期の1/7程度となっています。グループ数も、最盛期の1/9にまで激減しているのです。今後も減少傾向が予想され、検挙される少年の割合は全体の50%を割っているでしょう。やはり、大人が暴走行為をしているケースが多いということです。
数々の暴走族チームが存在してきました。どういったチームがあったのか、知りたいという方もいるかもしれません。続いては、暴走族のチーム名一覧について掲載されているインターネットサイトをご紹介します。
『onigiriまとめ』というサイトに、『東京の暴走族・不良 『渋谷区 暴走族チーム名一覧』』というまとめがあります。“渋谷区といえば、連合、連盟が入り乱れの地区”としていて、この渋谷を拠点に活動していた暴走族を挙げています。例えば、『CRS連合 幡ヶ谷 ROUTE20』等が該当するでしょう。
『IQ JAPAN』というサイトに、『【暴走族文化考察】横文字を“縦文字”化したチーム8選【欧文を漢字に置き換えたチームたち】』というページがあります。『IQ JAPAN』は、旧車會やバイク、ヤンキーを専門としたWebマガジンです。英単語を漢字で表記した暴走族のチーム名が紹介されているでしょう。
例えば、阿李猫達(アーリーキャッツ)などが挙げられます。
暴走族のチームも組織ですので、役職があるのを知っているでしょうか。ここで、暴走族の役職について迫ってみたいと思います。
『IQ JAPAN』のYouTubeチャンネルに『暴走族の役職7つを徹底解説!総長,特攻隊長,親衛隊長,ケツ持ち,相談役…って何するの!?』という動画があります。この動画では、暴走族の7つの役割について解説しているのです。動画を見ると、暴走族の組織というものが分かるかもしれません。
暴走族のチームでトップに君臨するのが、総長です。総長は1つのチームを取り仕切る地位にいるボスです。全てのチームで行われていたわけではない可能性もありますが、じゃんけんにより総長が決められていたという話もあります。
また、総長はあまり誰もやりたがらない立ち位置でもあった模様です。チーム全体の責任を取り、捕まる可能性もあるのが総長です。
2つめは副総長です。チームの中で、総長の次に偉い人物でもあります。総長にもしものことがあった時に代行をするのが、副総長の役割です。
3つめの特攻隊長は、大勢で喧嘩をする際に真っ先に乗り込みます。特攻隊長には勇敢さも求められるのかもしれません。また暴走の際にチーム本体が止まらないように、交差点で他の車を止める役割なども果たすでしょう。
親衛隊長は、総長の護衛をすることがメインの役割です。不良から総長を守らなければいけないため、中途半端な人間には務まらないでしょう。強さはもちろんのこと、勇敢さなども求められるのかもしれません。
組織において、本部の他に各地域に支部が置かれている場合があります。大きな暴走族のチームでは、地方に支部があるケースもあるでしょう。その支部を統轄するのが、支部長であると考えられます。大きな組織になると各地に配置されているとされています。
本部総長をトップとして地方支部長など、ピラミッド型に組織が形成されているのです。
奇襲隊長は、抗争をする時に奇襲攻撃を仕掛けるという役割を持っています。”金属バット奇襲攻撃隊長”というものもあるでしょう。
暴走族の役職の7つめは、”ケツ持ち”です。これは暴走時に、警察に追われた時に本体を逃がすメンバーです。暴走の最後尾に位置していて、集団を守っています。また、7つの役職には含まれていませんが、“相談役”というポジションもあります。これは、暴走族OBが四輪車に乗り現役暴走族を応援する人員です。
時には、警察から本体を逃がすこともあるでしょう。
若い頃は暴走族に入りヤンチャとしていても、芸能人として活躍をしている人もいることを知っているでしょうか。ここで、暴走族から芸能人になった人についてご紹介します。
俳優として活躍している宇梶剛士は、有名暴走族・ブラックエンペラーの元総長です。高校時代にプロ野球選手を目指していた彼は、先輩の暴力を告発し野球部を退部しました。その後にブラックエンペラーに入っています。
お笑いコンビ・バッドボーイズの佐田正樹は、福岡最大勢力である暴走族・幻影の総長でした。幼い頃に『ビー・バップ・ハイスクール』に憧れ、それからリーゼントヘアがトレードマークとなっています。また彼は、警察に逮捕されることも度々ありました。
佐田正樹は、何と修学旅行に向かう朝に逮捕されたといいます。しかも彼を逮捕することは警察署の念願だったといい、逮捕となった時には署員たちに喜ばれたのでした。
お笑いコンビ・パンクブーブーの黒瀬純は、佐田正樹を謝らせたことがあるといいます。佐田正樹と黒瀬純は地元が一緒であり、黒瀬純の方が先輩でした。そして、黒瀬純の弟がいじめられたとして、佐田正樹に土下座をさせたのです。黒瀬純は、高校時代に”悪死魔”というチームの副総長をしていました。
アイドルとしてデビューし、“キョンキョン”の愛称で親しまれてきた小泉今日子。彼女はレディースのメンバーだったのです。小泉今日子は、地元・厚木の最大勢力であるレディースの総長でした。彼女はスター誕生のオーディションを受けました。
その際にボンタンのようなジーンズを穿いていき、他の出場者を威圧していたという伝説もあります。ボンタンとは、学生服であり昔の不良が穿いたような裾がダボダボとしているズボンです。
温厚そうな雰囲気のある、お笑いコンビ・キャイ~ンのウド鈴木。彼も暴走族に入っていました。ウド鈴木は、暴走族の特攻隊長をしていたとされます。大好きな、相方の天野ひろゆきがチーマーに呼び捨てにされたことに納得いかず、チーマーに説教をしたという伝説の持ち主です。
次に、有名な暴走族のチームをご紹介します。暴走族には、どういった有名なチームがあるのでしょうか。4つのチームを取り上げてみましょう。
暴走族の連合体である、関東連合の1つが『ブラックエンペラー』です。先述の通り、7代目総長は現在俳優として有名な宇梶剛士が務めていました。1970年代末には、メンバーが2,000名を超える大規模組織となっています。国内でもトップの暴走族と言えるでしょう。
怒羅権(どらごん)は1988年に結成され、首都圏を拠点としているチームです。ストリートギャングとも言われているでしょう。また、中国残留孤児2世が中心になって結成された点も特徴です。
スペクターは、CRS連合の一角としても有名な全国区の名門チームです。『CRS連合』とは、『Alley Cats』や『Route20』、『Specter』という3つのチームから取られた名称です。スペクターは、『CRS連合』を成す3つのチームの1つとなっています。
ジョーカーズは、全狂連(全日本狂走連盟)に名を連ねた東京の老舗チームです。カミナリ族からの流をくむ等、歴史のあるチームでもあります。
1960年代から歴史を刻んできた暴走族ですが、令和となった現在はどうなっているのでしょうか。続いては、暴走族の現在について迫ってみたいと思います。
現在は警察の取り締まりが厳しくなったことから、暴走族の数は減少しています。昭和53年の道路交通法改正により、共同危険行為等禁止規定が新設されました。そして昭和56年1月から共同危険行為等禁止違反に対する基礎点数が引き上げられ、1回の違反で運転免許が取消しとなることになりました。
昔と異なり、今では厳しい掟や規則のある集団に属することを嫌う若者が増えている模様です。さらに、暴走族がダサイ、格好悪いという印象が浸透してきたでしょう。そうした点でも、暴走族が減少している可能性があります。
現在はコロナ禍となり、外出自粛要請が出た頃に大阪や福岡で暴走行為による逮捕者が相次ぎました。逮捕者の暴走理由は、学校や仕事が休みになり暇だったからというものだったのです。外出を制限され、鬱憤も溜まっていたのかもしれません。
暴走族にも人気となっているバイクがあります。そうしたバイクを自分なりに改造し暴走を行うのです。では、暴走族にはどういったバイクが人気なのでしょうか。
暴走バイクのベースとしては、『ホンダ CBX400F』が人気となっています。“族車”のベースだけでなく旧車會、その他のライダーからも根強い人気があるでしょう。このバイクは、1981年から1983年までと、再販により1984年にホンダより発売されていました。2020年6月現在でも、高値での取引が行われています。
CBR400Fは、ホンダが1983年から1986年まで発売されていたネイキッドバイクです。回転数が高くなると急に音が甲高く変わるため、高回転域での音域の変化が楽しめるとされています。
『Z400FX』は、川崎重工業より1979年から1982年まで発売されていたネイキッドバイクです。長らく族車や旧車會で人気となっていることを説明してください。漫画『疾風伝説 特攻の拓』や『湘南爆走族』にも登場しているでしょう。
暴走族は1960年代の『カミナリ族』が始まりでした。そして、1970年代や1980年代と発展していきました。また多くのチーム名も誕生し、『ブラックエンペラー』や『スペクター』などが有名になっています。そして暴走族には役職も存在し、規律を重んじた組織でもあった模様です。
現在も活躍している、俳優の宇梶剛士なども暴走族に所属していたことで有名でしょう。減少傾向にある暴走族ですが、現在のコロナ禍にあり再び活動を行っているケースもあります。
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暴走族とは、道路交通法第68条の規定に違反する行為、そして道路での四輪や二輪の自動車もしくは原動機付自転車で暴走行為を行う集団のことを指します。著しく他人に迷惑を及ぼす行為を集団で行うか、行う恐れがある者のことでもあります。