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佐田正樹(バッドボーイズ)の現在(2019)は?福岡時代が凄かった!

元暴走族総長のお笑い芸人バッドボーイズの佐田正樹さん。今では考えられない福岡時代の武勇伝エピソードを沢山ご紹介していきます。そして、現在の佐田正樹さんはどのような活動をしているのか?嫁との馴れ初めや子供は?タトゥーや愛車など気になる内容も徹底調査しました

佐田正樹(バッドボーイズ)の現在(2019)は?武勇伝が凄い!

元暴走族総長のお笑い芸人・バッドボーイズの佐田正樹さん。中学・高校時代はかなり荒れていたようで、今では考えられない武勇伝エピソードが沢山あります。

 

そこで、昔の武勇伝や現在の活動について、嫁との馴れ初めなど、佐田正樹さんについて詳しく調査しましたのでご紹介します。

 

最後までお付き合いくださいね。

佐田正樹のプロフィール

本名(ふりがな):佐田正樹(さた まさき)

所属事務所:よしもとクリエイティブ・エージェンシー

生年月日:1978年9月13日

現在年齢:41歳

出身地:福岡県糟屋郡篠栗町

血液型:A型

身長:173cm

体重:67kg

活動内容:お笑い芸人

所属グループ:バッドボーイズ

家族構成:配偶者

いじめられっ子の過去

元暴走族総長だった佐田正樹さんは、子どものころはいじめられっ子だったそうです。小学校2年の頃、いじめられていたことを知った父親は、佐田正樹さんの髪型を角刈りにしてしまいます。

 

そして、ビーバップハイスクールのビデオを「これを見て強くなれ」を渡し、柔道も習わせ始めました。いじめられないように強くなるようにしたかったんですね。

 

そしてその成果が現れ、小学校3年生の頃にはいじめっ子たちを懲らしめるまでになったんだそうです。その後、佐田正樹さんは、柔道の地区大会で優勝するまでの腕前に成長しました。

特技はバイクのコール

佐田正樹さんの特技は、バイクを空ぶかししてリズムをつけるバイクのコールなんだそうです。元暴走族で培った技術でしょうね。番組で披露したこともあります。

 

住民からすれば、騒音にしかならないものですが、コールが上手い人は一目置かれるんだそうです。

佐田正樹の現在は芸人を引退?

2004年と2006年にはM-1グランプリで準決勝進出を果たしていたり、漫才の実力も評価されているバッドボーイズですが、最近はあまりテレビでは見る機会が減ってきてるように感じますが、現在も芸人を続けているのでしょうか。

「佐田工務店」を設立

佐田正樹さんは、DIY関係の番組にも出演していたり、「佐田工務店」を立ち上げ棟梁としても活動しています。また、DIYのワークショップやDIYの本も出版しており、本格的に活動されています。

佐田正樹さんの実家は塗装屋、お隣さんは大工と、子どもの頃からDIYが身近だったようです。

芸人の他に俳優としても活動中

佐田正樹さんは、現在も芸人の活動続けており、相方の大溝清人さんが脚本を書き、佐田正樹さんが一人舞台に立つ「ひとり芝居」がとても人気があります。2019年夏には第3弾が開催されました。

 

俳優としても活動しており最近では、『組織からリストラされた元ヤクザが、アルバイト先を探し、ハンバーガーショップで働くようになるが、敵対していた組織の元メンバーたちが、店の向かいに新しいハンバーガーショップをオープンさせる。』というストーリーの「リ・リ・リストラ~仁義ある戦い・ハンバーガー代理戦争」の舞台に出演していました。

 

また、2019年お正月に放送された芸能人格付け大予選会にも出演されていました。

自伝小説「デメキン」が映画化

佐田正樹さんが、2009年に出版した自伝小説である「デメキン」が、2017年に伊藤健太郎さん主演で、映画化されました。

 

佐田正樹さんのいじめられっ子だった少年時代から、不良デビューする中学時代、そして暴走族の総長として過ごした青春時代を描いた自伝です。

 

また、「デメキン」は、秋田書店〈ヤングチャンピオンコミックス〉にて漫画化もされています。作画は、ゆうはじめさんです、23巻まで現在発売されています。

佐田正樹の福岡ヤンキー時代が凄い?!

現在は落ち着いて、芸人として活躍中の佐田正樹さんですが、中高時代にかなり荒れていたようです。そこで、ヤンキーで暴れまわっていた頃の佐田正樹さんのエピソードを見ていこうと思います。

佐田正樹は元暴走族の総長

佐田正樹さんは、高校時代に福岡最大の暴走族「幻影」の総長でした。そして、福岡県内にあったいくつかの暴走族が集結する福岡連合の二代目総長でもあったそうです。

 

つまり、福岡県の暴走族のトップをはっていたことになりますね。暴走行為によって逮捕され、留置場を経て、少年鑑別所行きとなったこともあります。

入学当初に先輩を殴り停学

佐田正樹さんが進学した福岡第一高等学校は、当時、かなり荒れている学校だったんだそうです。

 

佐田正樹さんは、中学時代からもやんちゃをしており、先輩から入学早々に目をつけられていました。佐田正樹さんは、先輩に舐められまいとガンを飛ばしたことで、トイレに呼び出され5~6人でボコボコにされたので、その後モップで先輩を殴り停学となりました。

先輩との全面戦争

入学早々、先輩をモップで殴ったことがきっかけで、1年生の間では佐田正樹さんがリーダー格になり、盛り上がりましたが、2年生は舐められたままでは気が済まず、1年生と2年生の全面戦争に発展してしまいました。

 

教師の制止が入らないよう体育館の全てのカギを締め30対30程のケンカだったそうです。その結果は、1年生が勝利し、佐田正樹さんの名前が校内に知れ渡る事となりました。

修学旅行当日に逮捕されていた

こちらは佐田正樹さんが「すべらない話」でも話していたエピソードなのですが、佐田正樹さんは、小学校の修学旅行の時は、腕の骨を折っていて皆の迷惑になるからという理由で、中学校の時は、当日40度の熱が出てしまったという理由で、修学旅行に行くことが出来ていませんでした。

 

ですので、高校の修学旅行をとても楽しみにしていたそうです。

 

しかし、高校の修学旅行当日、朝5時に母親に起こされて目を覚ますと、ベッドの周りを警察官に囲まれていました。警察に度重なる迷惑行為を行ったとして、逮捕状が出ており、逮捕されてしまい、修学旅行に行けなかったんだそうです。

 

佐田正樹さんは今まで一度も修学旅行に行ったことがないという事です。

佐田正樹の嫁は誰?子供はいるの?

佐田正樹さんは現在結婚されていますが、お相手はどんな方なのでしょうか。また、交際にいたったきっかけは何だったのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。

2007年に番組で公開プロポーズ

佐田正樹さんは、2007年1月にテレビ番組の放送中に公開プロポーズしており、交際相手の恭子さんは承諾し、その後、二人は2007年4月15日に入籍しました。

佐田正樹の嫁は同級生

佐田正樹さんの嫁の恭子さんは、高校の同級生でした。佐田正樹さんが恭子さんに一目ぼれしたことから交際のきっかけだったんだそうです。恭子さんも当時、不良だったとのこと。

 

その後、11年間の交際を経ての結婚でした。芸人の下積み時代も一緒に支えてくれた存在だったそうです。

 

 

現在子供はいない

お二人の間に子どもはいらっしゃらないようですが、今後生まれた場合は、両親のDNAを引き継いで相当やんちゃになる可能性がありそうですね。

佐田正樹のタトゥーは?愛車は何?

続いては、佐田正樹さんのこだわりについて見ていこうと思います。車には相当のこだわりをもっているようです。ご紹介します。

佐田正樹のタトゥー

佐田正樹さんは、中学の頃には既に相当荒れていたようで、仲間と閉店した時計店のショーウインドーを割って入り、時計を盗み、質屋に持って行くなどの事件を起こしています。この際は、主犯格ではないということで逮捕を免れたそうです。

 

そんな佐田正樹さんは、中2の時に左肩に昇り竜の刺青を若気の至りで入れたと話しています。メディアでは、見せないようにされているようです。

愛車は日産ローレル

佐田正樹さんは、旧車が好きで、愛車はローレルSGXです。この車、1976年に発売されたものなんです。

 

以前は1972年~1977年に日産から発売されたKHC130ローレルに乗っていたそうで、ローレルにこだわりぬいていらっしゃるようです。

 

暴走族時代に車やバイクをいじっていたりと、昔から車やバイクが好きだったそうです。特に旧車が好きで、以前乗っていた日産ローレルC130型も、探しまわり、値切りに値切った後に借金してまで購入したんだそうです。

バッドボーイズの結成秘話とは?

逮捕されるほどの不良だった佐田正樹さんが芸人になったきっかけはなんだったのでしょうか。また、バッドボーイズはどうやって結成されたのでしょうか。見ていこうと思います。

芸人を目指すきっかけ小学校の文集

佐田正樹さんは、進路に悩んでいる時、小学校の文集を読み直し、お笑いがしたいことに気がついたそうです。

 

高校の先生に俳優か歌手になりたいと相談すると、歌手ってガラではないし、俳優はセリフを覚えないといけないから、大溝清人とお笑いをやるればいいじゃないかと勧められたことが、漫才師を目指すきっかけでした。

 

相方の大溝清人さんも同じ高校・福岡連合二代目連絡隊長を務めていた不良でした。

相方の清人の結成理由が泣ける

合い方の大溝清人さんがお笑いを目指した理由は、芸人にもともとなりたかったのだそうです。しかし、もう一つの理由に、TVに出演すれば2歳に生き別れになった母親が気付いてくれるかもしれない。そうすれば、会えるかもしれないという期待があったんだそうです。

 

そして、漫才師としてテレビに出演するようになり、実際に番組の企画で母親と再会を果たしました。

幻のメンバー「ひかるS」

バッドボーイズは結成当初は実は3人でした。しかし、メンバーの一人「ひかるS」がボクサーになりたいという理由で脱退し、二人組みとなりました。

パンクブーブーの黒瀬純は、ご近所さん

「M-1グランプリ2009」パンクブーブーのツッコミ担当の黒瀬純さんと佐田正樹さんは、実家が徒歩3分とご近所で、昔から交流があったそうです。

 

佐田正樹さんが黒瀬純さんの弟を泣かしてしまった時に兄として現れ、佐田正樹さんに土下座で謝らせたというエピソードがあります。佐田正樹さん小学校6年生、黒瀬純さん中学3年生のときのことなんだそうです。

 

黒瀬純さんも高校生の時は、暴走族で副総長だったそうで、近隣に住んでいた人はバイクの騒音に悩まされていた事でしょうね。

佐田正樹の武勇伝は凄かった!現在も芸人として活動中

バッドボーイズ・佐田正樹さんについて、ご紹介してきましたが、いじめられっこだったとは思えない、かなりやんちゃな学生時代を過ごされていました。高校時代は手に負えない程の荒れぶりでしたね。

 

現在は、芸人として俳優として活躍されています。また、少年院に慰問に行かれたり、法務省による『第69回社会を明るくする運動「立ち直りフェスティバル」』が開催され、バッドボーイズの二人は『社会を明るくする運動』アンバサダーに就任し、1年間PRイベントの出演、広報・啓蒙活動に参加しています。

 

ますますの、今後の活躍にも期待したいですね。

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