木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
『常磐道あおり運転殴打事件』は、2019年8月10日朝、常磐自動車道上り線で起こりました。
あおり運転をしたとされる当時44歳の宮崎文夫は、あおり運転によって被害者の25歳男性の車を停止させ、彼に複数回の殴打を行い一週間の負傷を負わせました。
宮崎文夫は、被害者の車を数キロメートルにわたって付け回し、幅寄せや割り込み、急な減速などを行い、執拗なあおり運転を仕掛けました。
そして、被害者の進路を妨害して停車させ、「殺してやる」などと叫びながら、高速道路上で車から降りて被害男性の車に歩み寄りました。
その後、無理やり窓を開けさせ、被害者男性の頭部を拳で5発殴打したのです。
この事件は、被害者の車にドライブレコーダーがついており、録画されていたものが証拠となり、宮崎文夫は危険運転致死傷罪や暴行罪で摘発されました。2020年10月2日、懲役2年6月・保護観察付き執行猶予4年の判決が出ています。
また、宮崎文夫が載っていた車は、試乗車の返却期限が既に過ぎている、BMWのディーラーから貸し出されたSUVタイプの試乗車だったことも話題となりました。
そして、この事件の際、宮崎文夫が運転する車に、同乗していたのが喜本奈津子です。
喜本奈津子は、事件時、宮崎文夫に続き車を降り、ガラケーを使い暴行の様子を撮影していたことから「ガラケー女」と呼ばれています。
帽子を被りサングラスも着けている、いで立ちで、暴行の様子を撮影している姿は異様で、ワイドショーやニュース番組でも放送され、大きな話題となりました。
もちろん、あおり運転を行った宮崎文夫に対して批判は集中しましたが、「ガラケー女」に対しても、非難があがりました。
喜本奈津子は、結婚願望があり、出会い系サイトで相手を探していたようです。そんな中で、宮崎文夫と出会ったとみられ、2019年の初め頃より交際するようになったと言われています。
喜本奈津子は、まわりの人間には「今付き合っている彼氏が金持ち」だと話していたという証言もあります。
交際が始まると、喜本奈津子は宮崎文夫の経営する不動産会社の仕事を手伝うようになり、実家から大阪市内のマンションへと引っ越しています。
宮崎文夫は、親族が所有するマンションを受け継いで、不動産の管理や賃貸業、不動産コンサルティングなどをしていたようです。
喜本奈津子は、宮崎文夫に対して絶対服従していたとされています。
宮崎文夫に横暴な振る舞いをされたとしても、喜本奈津子は文句も言わず従っていたようで、その様子を目撃した人が証言しています。
元々、宮崎文夫は横暴な態度で、トラブルも多く起こしていました。マンション住民用の駐輪場スペースに自分の車を2台置きたいがために、住民の自転車を勝手に移動して路上に放置するなど、やりたい放題だったようです。
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『常磐道あおり運転殴打事件』で、顔、名前共に大きく報道された喜本奈津子ですが、事件後どうしているのでしょうか。
詳しく見ていこうと思います。
喜本奈津子も逮捕されましたが、(詳しくは後述します)釈放後、事件前まで拠点としていた東京都品川区のアパートを2019年9月に引き払っています。
また、実家にも戻っていないことが分かっています。
ここまで大きく報道され、顔・名前共に世間に知れ渡ってしまったため、喜本奈津子を知る人が住んでいる場所にはいられなくなったのでしょう。
また、仕事を探すにも、探しにくいと考えられます。
2020年1月には、身元引受人が神奈川の住居を手配し、そこに身を寄せていることが週刊文春により突き止められています。
週刊文春の記者が、身元引受人を通して喜本奈津子に取材を申し込んだそうですが、断られたそうです。
ひっそりと暮らしたいというのが本音ではないでしょうか。
週刊文春の取材に対して、身元引受人は、喜本奈津子が仕事をしていると語っています。ただ、どういった仕事をしているのかは不明です。
宮崎文夫と行動を共にしていた喜本奈津子も、逮捕されています。喜本奈津子に下された判決はどういったものだったのでしょうか。
喜本奈津子は、逃げ続けていた宮崎文夫を匿っていたとして、犯人蔵匿(はんにんぞうとく)・隠避の疑いで逮捕されました。
『常磐道あおり運転殴打事件』にて、指名手配されたのは宮崎文夫のみでしたが、喜本奈津子も逃亡生活を共に送っていたのです。
2人は、一時、東京都品川区のアパートに潜伏し、その後、になると、自宅マンションのある大阪市東住吉区に戻っています。
そして、2019年8月18日自宅マンション付近で宮崎文夫と一緒にいるところを犯人蔵匿・隠避の疑いで逮捕されました。
宮崎文夫は、身柄を確保される際、『喜本さーん喜本さーん!てをつないで!』と叫んでいたそうです。
喜本奈津子は、犯人隠避罪で略式起訴され、30万円の罰金が言い渡されています。そして釈放されています。
略式起訴とは、検察官が裁判所に対し、正式な裁判手続によることなく、書面での審理のみで罰金もしくは科料の刑罰を言い渡す特別な裁判手続を求めることです。
被疑事実を全て認め、罰金刑が言い渡される場合にのみ採用されます。
喜本奈津子は、宮崎文夫と出会い、大阪へと引っ越していましたが、それまではどこで暮らしていたのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
喜本奈津子の実家は、神奈川県川崎市にあります。
喜本奈津子は、事件の数年前までは、母親と2人でこの実家において生活をしていました。
2016年に母親が施設に入所した後も、宮崎文夫と出会うまではこの実家で1人暮らしをしており、宮崎文夫との交際が始まり大阪に引っ越しました。
喜本奈津子の実家住所は明かになっていないものの、一部週刊誌は突き止めており、周辺の住人に取材を行っています。
その取材から、事件が起こる少し前の2019年5月か6月頃、喜本奈津子は宮崎文夫とこの実家を訪れていおり、近所の人たちに目撃されていたことが分かりました。
実家前に軽トラックを停めて、ふたりで大型の冷蔵庫を運び入れようとしていたそうです。差の際、宮崎文夫が喜本奈津子に命令口調で指示を出している姿が目撃されています。
続いては、喜本奈津子が宮崎文夫と出会うまで、どういった仕事をしていたのかを詳しく見ていこうと思います。
喜本奈津子は、高校卒業後に地元で就職をし、デパートの販売員をしたり病院の食堂で働いていたようです。
長く続かない仕事もあったそうですが、意欲的に仕事をしているようだったという証言もあります。
事件を起こす前は、東京の大手AV機器メーカーに勤務していたそうです。
こちらは、10年以上勤めていたとされるが、体調不良を理由に2019年2月に退職していますが、宮崎文夫と交際が始まり、大阪に引っ越すために退職したとも考えられます。
『常磐道あおり運転殴打事件』を起こす前からも問題行動の多かったとされる宮崎文夫を交際し、共に行動していた喜本奈津子の生い立ちはどんなものだったのでしょうか。
喜本奈津子の実家は、パン・菓子店を営んでいました。喜本奈津子は、長女として生まれ、妹が一人いました。
父親は亭主関白タイプだったと、近所に住む人が話しています。
喜本奈津子の父親は、亭主関白で、厳格であったため、父親に抑圧される母親を見て喜本奈津子は育ったと考えられます。
喜本奈津子については、「真面目であり曲がったことが嫌いなタイプだった」と小中学校の同級生に証言されています。優等生でもあったとのことですが、「とっつきにくい印象」や、中学生の頃は子供に暴言を吐いていたという証言も出ています。
高校は、地元の県立高校に進学したとされていますが、学校名は明らかになっていません。
神奈川県立の高校は130校以上あり、川崎市内の公立校だけでも19校あることから、特定は困難です。
しかし、喜本奈津子の高校の卒業アルバムの写真が出回っているため、地元の方にはすぐに分かるかもしれません。
続いては、喜本奈津子が母親を虐待していたという噂について詳しく見ていこうと思います。
2000年代末頃に、喜本奈津子の父親がすい臓がんで死去しています。そして、その後には、母親が軽度の認知症を発症したようで、そこから親子関係が大きく変わっていったと考えられます。
父親が亡くなり、少しずつバランスが崩れていったのでしょう。
喜本奈津子は、認知症を患う母親と度々大声で喧嘩するようになります。そして、母親を家から閉め出すことが度々あったようです。
閉め出された母親は近所のスーパーのベンチに閉店時間を過ぎてもずっと座り続けるため、警察を呼ばれ、パトカーで帰宅することもあったそうです。
また別の日は、近所の人が見かねて家に泊めたこともあり、1度や2度では無いようです。
逆に、喜本奈津子が家の鍵を紛失した時は、逆に母親が鍵を開けず、喜本奈津子が閉め出されることもあったそうです。
喜本奈津子は知人には「仕事でイライラして母親に当たってしまう」と語っていたそうです。
耐えられなくなったのか、母親は結局施設に入所することになり、喜本奈津子は一人で実家で暮らすことになりました。
親子だからこそ、言いたいことをぶつけてしまい、喧嘩をしてしまう事がありますが、喜本奈津子と母親は距離をとることを選んだようです。
親子の関係を見守っていた近所の人たちは、まさかこのような事件で、喜本奈津子の名前を聞くことになるとは思わなかったと取材に答えています。
世間に大きなインパクトを与えた『常磐道あおり運転殴打事件』と「ガラケー女」ですが、この事件とまったく関係のない女性が、「ガラケー女」としてSNSを中心に拡散される事件が起きます。
度々、事件とは関係のない人物が、犯人として個人情報をネット上に晒される事件が起きますが、『常磐道あおり運転殴打事件』でも、起きてしまいました。
詳しく見ていきましょう。
『常磐道あおり運転殴打事件』に関して、宮崎文夫はすぐに特定され、個人情報がどんどんと拡散されていきました。
そして、「ガラケー女」もネット上で特定しようとする動きが活発化し、ある一人の女性が特定され、まとめサイトなどで本名や顔写真、職場などが書き込まれました。
しかし、この女性は事件に全く関係のない人物だったのです。
この女性が「ガラケー女」として特定されてしまった要因は、ガラケー女の服装とSNS上にアップしていた彼女の服装が似ていた事と、関係のない宮崎文夫が彼女をフォローしていたためだったのです。
彼女がいくら否定したところで「認めろ」「自首しろ」などたくさんの連絡があり、その数、不審な着信は300件、メッセージは1000件を超えていたそうです。
被害にあった女性は、会社経営者だったため、自身の会社のHPにデマである事を掲示し、記者会見を開き事実無根であることを訴え、中傷投稿した人物に対し、損害賠償請求や刑事告訴をすると明らかにしました。
実際にまとめサイトなどには損害賠償を請求し、ユーチューバーや愛知県の元豊田市議などは名誉毀損で賠償命令がおりています。
ネット上で彼女を攻め立てた多くの人は一般の人たちで「ネットの情報をうのみにして正義感と怒りが高まってしまった。」と多くの人が語っています。
2019年8月10日朝に起こった『常磐道あおり運転殴打事件』で、あおり運転を行った宮崎文夫が被害者を殴りつけている様子をガラケーで撮影し、話題となった「ガラケー女」こと喜本奈津子についてご紹介してきました。
宮崎文夫との出会いで、喜本奈津子の人生も大きく変わり、犯人隠避罪で逮捕され、略式起訴されました。今は、神奈川で仕事をし、暮らしているようです。
このあおり運転殴打事件がきっかけで、あおり運転を「妨害運転」と規定して厳罰化した改正道路交通法が施行されました。ハンドルを握ると人が変わるという言葉を耳にすることがありますが、今後、このようなあおり運転が減ることを切に願います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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2019年に常磐自動車道で起きたあおり運転の事件をみなさん覚えていらっしゃるでしょうか。
ワイドショーなどでも大きく取り上げられ、このような悪質な「あおり運転」が大きく注目されるきっかけとなった事件です。
その事件に関わっていた喜本奈津子について、今回は詳しく見ていこうと思います。最後までお付き合いくださいね。