ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
和泉元彌は、1995年に、父・和泉元秀が倒れると、親子で出演を予定していた狂言ライブを即座に宗家襲名披露公演とし、和泉流二十世宗家を名乗りました。
しかし、この公演が宗家襲名披露として後見人を立てるなどの手続きがなく能楽宗家会の了承も得ずに行われていたことが発覚し、問題となりました。
和泉流職分会などにおいて和泉元彌を宗家とは認められていません。
宗家について、揉めていた和泉元彌と和泉流職分会ですが、和泉流職分会が公演のドタキャンや遅刻、協会の批判などで「狂言の伝統と秩序を乱している」として、能楽協会に和泉元彌の除名を申請しました。
裁判にまで発展したこの騒動ですが、1審・2審とも「協会内では原告は宗家と認められていない」と指摘、退会命令も適法と判断され、最高裁は原告の請求を棄却したため、2002年に能楽協会から退会処分を受けました。
これにより、和泉元彌は能楽協会関連の舞台に立てなくなりました。現在の和泉元彌の活動舞台は、株式会社和泉宗家の主催する自主公演のみとなっていて、公演数も以前より減少しています。
2008年春頃から妻・羽野晶紀のテレビ露出が増えたことから、和泉元彌もテレビ出演するようになり、タレント活動を再開しています。
また、近年は、チョコレートプラネットの長田庄平が和泉元彌のモノマネをしており、和泉元彌本人を知らなかった年代にも、知られるようになりました。
2人は、2018年12月に放送された「金曜★ロンドンハーツ」4時間SP内のコーナー「年末ドッキリスター大賞」にて、初共演を果たしました。和泉元彌は、「そろりそろり」の手の形や姿勢などを、直接指導しました。
和泉元彌と言えば、ダブルブッキング事件と言われるくらい大きな話題となったこの騒動。続いては、ワイドショーにも取り上げられたダブルブッキング事件について詳しく見ていこうと思います。
一番最初にダブルブッキングとして大きく報道されたのは、2002年2月でした。
長野で公演をしていたものの、途中で早退をしました。なぜならば、その夜に東京でソルトレイクオリンピック関連の番組に出演するためだったのです。
ヘリコプターで移動したとされていて、“ダブルブッキング”として連日ワイドショーなどで大きく報道されました。
2002年7月27日には、岐阜県可児市と新宿コマ劇場での公演が重なりました。
9時10分に岐阜県可児市の文化創造センターでの公演が終了、そのあと、12時30分から東京新宿コマ劇場公演『天翔ける獅子ー義経と弁慶』開演というスケジュールでした。
この時は、ヘリコプターで名古屋空港へ行き、さらに小型ジェット機で羽田空港へ移動しました。
この際、和泉元彌を追いかけるマスコミの車やオートバイが30台以上あったとの事です。
2002年9月14日には、岡山県内での2公演と長野県の公演も重なりました。
この時も、ビジネスジェットなどを使い、850キロの距離を移動して、3つの公演に間に合わせました。
ダブルブッキングが起きた2002年は、和泉元彌にとって多忙を極める時期でした。
1998年に放送された「ネスカフェゴールドブレンド」のテレビCMに出演し、知名度があがると、2000年の紅白歌合戦の白組司会に抜擢され、2001年には大河ドラマ『北条時宗』で主演を務めていました。
人気もうなぎのぼりで、2002年は1年で204公演も組まれていました。
当時、スケジュール管理は母親の和泉節子が行っていました。
母親の和泉節子は、和泉元彌がタレント活動を始めるまでは、狂言の舞台などのスケジュール管理などは行っていたかもしれませんが、芸能活動に関しては素人で、多忙になった和泉元彌のスケジュールを管理しきれなくなっていたと考えられます。
この幾多のダブルブッキングはそういった背景で起こりました。
最近は、チョコレートプラネットの長田庄平が和泉元彌のモノマネをしていることで、メディアに出演する事もありますが、ほぼメディアでは姿を見ることが無くなっている和泉元彌は、現在なにをしているのでしょうか。
詳しく見ていこうと思います。
スポーツや音楽、演劇に力を入れている大学、尚美学園大学・総合政策学部の客員教授を務めていました。講義では狂言について教えていたようです。
TRFのSAMも同大学の客員教授を務めていたことがあります。
2021年10月には、妖怪と人間が手を組み悪い妖怪と戦う原作ゲームの設定を時代劇にアレンジした、舞台版「あやかしむすび」の語り部として声の出演&ホログラム出演をしています。
ダブルブッキングなどトラブルを起こしたことから、能楽協会の公演には未だ出演出来ていません。
しかし、独自開催の公演やメディアへの出演などでの収入があり、妻の羽野晶紀もテレビに出演するなどしていることから定期的な収入は得ているものと考えられます。
続いては、和泉元彌の家族について見ていこうと思います。
和泉元彌の父親は亡くなっています。母親は和泉節子であり、現在は79歳です。
宗家襲名で、和泉流職分会が、この継承に反対をし、揉めに揉めた際、和泉節子は歯に衣着せぬ発言で物議を醸し、“セッチー”と呼ばれワイドショー等で取り上げられていました。
嫁はタレントの羽野晶紀です。関西でタレント活動を始め、その後、女優としてたくさんの作品に出演しています。明るいキャラクターで、共演者からとても可愛がられる性格との評判です。
和泉元彌とは、1998年の舞台『ロミオとジュリエット』で知り合い、交際に発展、2002年に結婚しました。
現在も、関西テレビや東海テレビのバラエティ番組でレギュラー出演しています。
2002年に娘の采明(あやめ)さんが誕生しています。
長女は、2006年2月26日に国立能楽堂で初舞台を踏んでおり、現在は19歳になっています。2021年12月に行われた舞台にも出演していました。
2004年7月26日に息子・元聖(もときよ)君が誕生しています。現在、17歳となっていると考えられ、イケメンといわれています。
2008年に初舞台を踏んでおり、和泉元彌の後継者として、期待されています。
続いては、狂言以外の和泉元彌の活動について見ていこうと思います。
2001年のNHK大河ドラマ『北条時宗』で主演を務め、鎌倉幕府第8代執権・北条時宗を演じました。
北条時宗の候補には中井貴一、木村拓哉、竹野内豊などが上がっていた中で、抜擢され、一躍知名度をあげました。
大河ドラマ『北条時宗』は鎌倉時代中期を舞台とした作品で、鎌倉時代中期を舞台にした作品は、後にも先にもこの作品のみとなっています。
平均視聴率は18.5%、最高視聴率は21.2%でした。
2005年には、記者会見で『プロレスに挑戦したい』と語り、2005年11月に横浜アリーナでのハッスルマニアでプロレスデビューを果たしました。
「ダブルブッキングでも遅刻でもござらん 開場前からずっと上で待っておったのじゃ」と叫びながらヘリコプターの爆音とともに登場し、応援団として、『セッチー鬼瓦軍団』も登場しました。
対戦相手は、元WWE所属レスラー・鈴木健想で、193cm、120kgの大型レスラーでした。圧倒的不利な状況に、和泉元彌のコーチのレスラーが援護し始め、2対1での試合となり、これに反発した鈴木健想の妻が、リングへ乱入し、粉を和泉元彌向けて投げつけますが、それが鈴木健想の顔にかかってしまいます。
目が見えない状態になった鈴木健想に、和泉元彌は、「空中元彌チョップ」を連発して勝利をあげるという試合内容でした。
タレントとしても活動し、一時期は、売れっ子だった狂言師の和泉元彌について、ご紹介してきました。
大河ドラマの主演に抜擢され、一躍有名となり、人気が出た和泉元彌は、スケジュール管理ができず“ダブルブッキング事件”を起こし、徐々にタレントとしての仕事は減っていきました。
また、和泉流職分会が和泉元彌を継承者と認めず、数々のトラブルなどを理由に能楽協会から除名されてしまい、現在は、株式会社和泉宗家の主催する自主公演のみとなっています。
しかし、離婚はしておらず、子供たちも狂言の道に進み、幸せな家庭を築いているようです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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