記事ID144473のサムネイル画像

【東名あおり運転事故】石橋和歩の現在(2019)は?彼女や親は?

2017年6月に死傷者4名を出した東名あおり運転事故。2018年12月に、被告の石橋和歩に懲役18年の判決が下りました。判決で全く反省の色を見せなかった石橋の現在は?また、事故当時同乗していた彼女の名前や現在は?事件の概要と共に石橋の現在に迫ります。

東名あおり運転事故の石橋和歩とは

2017年6月に東名高速道路にて痛ましい事故が起きました。死傷者4名を出した有名な東名あおり運転事故、その加害者となったのが石橋和歩です。この記事では東名あおり運転事故の詳細と、石橋和歩被告の生い立ちや現在の状況について迫ってみます。

東名あおり運転事故・事件の概要

痛ましい東名あおり運転事故は東名高速道路にて2017年6月に発生しました。この事故、いや、事件をきっかけに「あおり運転」という言葉が広く世間に知れ渡ることになったと言っても過言ではないと思います。その事件の概要はどのようなものだったのでしょうか。

萩山さんは中井パーキングエリアで石橋に注意

この事件で被害者となり、帰らぬ人となったのは萩山嘉久さん、萩山友香さんの夫婦でした。

萩山さん一家はこの日、東京ディズニーランドやお台場で家族旅行を楽しんだ後、静岡の自宅へ帰る途中でした。萩山さん一家は事故が起きる少し手前にある中井パーキングエリア(PA)で休憩をしました。

休憩を終え、中井パーキングエリアから出ようとする際、駐車スペースからはみ出して入り口を塞ぐように止まっていた乗用車に、ワゴン車の後部座席にいた萩山嘉久さん(45)が「邪魔だボケ」と注意しました。そして悪夢はここから始まってしまいました。

東名高速で萩山さんにあおり運転を繰り返す

石橋和歩被告はこの日、箱根などを観光して帰る途中でしたが、萩山嘉久さんの言葉に「カチンときた」という石橋和歩被告は萩山夫妻の運転する車両が高速道路へ出たのを見計らい、後ろから追いかけます。

最高速度118キロで萩山夫妻の運転する車両を追跡、追い越した後、前で進路を妨害したり、進路に割り込んでは減速する妨害運転を約700メートルにわたり、4度繰り返したそうです。

萩山さんに因縁をつける

ついには石橋和歩被告は高速道路の中央分離帯側の追い越し車線上で萩山夫妻の車両の前に強引に割り込んで停車、萩山夫妻は車も被告の車両に進路を塞がれ停止させられました。

石橋和歩被告は同乗の女性とともに車を降りて萩山さん一家の車に近づきました。そして車の窓やドアを強く叩いたり揺すったりしながら「喧嘩を売っているのか」などと因縁をつけ、恫喝を行いました。

そしてついに萩山さんのワゴン車のドアを開け、後部座席に座っていた萩山さんの胸ぐらをつかみ車外へ引きずりだそうとしながら「調子乗るんじゃねーよ。高速道路にお前投げてやろうか」と怒鳴り散らしたそうです。

後続の大型トラックが追突

そこに後続のトラックが車をよけきれず突っ込んできてしまい、萩山さん一家の車に追突。車は衝撃で中央分離帯に沿って、13メートルも飛ばされました。

この衝突で車内にいた萩山嘉久さんは衝突の衝撃で外に投げ出されてしまい死亡、妻の文香さんも全身を強く打って死亡してしまいました。萩山嘉久さんの車内にいた二人の娘さんは軽症で済みました。

石原和歩の経歴

悲惨な事故の加害者になった石橋和歩被告。そんな石橋被告は今までどのような経歴を歩んできたのでしょうか。

生い立ち

石橋和歩被告は、石橋和歩被告は福岡県中間市扇ヶ浦で生まれ育ったそうです。福岡県中間市は博多市と北九州市の間に位置しており、旧炭鉱都市だったそうですが、いわゆる田舎の町なんだそうです。

家族構成は石橋和歩被告と両親、兄と弟の五人家族の家庭だったそうで、石橋和歩被告は男三人の次男として育てられました。

石橋被告の知人の評判によると、小さなころからガタイは大きかったけど大人しい子だったとのこと。全然しゃべらず、室でも1人でぼーっとしとることが多かったそうです。福岡北部は中高でグレる子も多い中、石橋被告は彼は髪も染めず、近所の学校に通っていたとのことです。

両親が離婚

その後高校まで進んだ石原和歩被告ですが、高校二年生の時に両親が離婚してしまいます。その両親の離婚の影響か、石原和歩被告はその後高校を中退することになります。物静かな性格だった石橋和歩被告を変えてしまったのは、いじめや両親の離婚が少なからず影響していると考えられます。

離婚した後母親と暮らしていたようですが、父親とは疎遠だったわけではなく、時々会っていたという話もあります。

いじめられていた

こんな事件を起こした石橋被告ですが、地元では強烈なイジメられっ子だったようです。普段の石橋被告は、口数の少ない大人しいタイプで自分の意見を主張しないので、仲間内でもイジられキャラだったとのことで、グループ内でイジメられ、その姿を写真に撮られ晒されていたそう。

そのため、東名あおり運転事故の加害者が石橋和歩被告だと知らされたとき、地元の知人は全く信じられなかったようです。

イジメられた経験のある人は、自分よりも弱そうな他者に対して高圧的な態度を取ってしまうことがあるとの分析があります。イジメによる被害者意識からくる恐怖心のため、何とか虚勢を張ろうと攻撃的な態度を取ってしまうことがあるそうです。

そして恥をかかされた経験を他の場所で発散させてしまうような行動をとってしまうことがあると言われているため、今回の事件もいじめられていた経験が少なからず影響している可能性があるとのこと。

建築作業員だった

石原和歩被告は高校中退していますが、その後については建築作業員として働いていたようです。建築作業員としての仕事は東名あおり運転死亡事故を引き起こすまで数年間続けていたようですが、一般的なコミュニケーションには特に問題はなかったようです。

しかしながら東名あおり運転死亡事故の後、石橋和歩被告は勤め先を解雇されてしまったようです。

あおり運転が過去にもあった!

石橋和歩被告は、東名あおり運転死亡事故の前にもあおり運転をしていたといいます。女性が車に乗っているときに10回以上もあおり運転などのトラブルを起こし、5回、警察沙汰になっていたとの証言があります。

石橋和歩の現在

このように東名あおり運転死亡事故というとても大きな事件を起こしてしまった石橋和歩被告ですが、現在はどうしているのでしょうか?

反省の色なし

石橋和歩被告の公判では、被告は淡々と証言するものの、感情を表に出すようなこともなく、遺族に対しては謝罪どころか顔を見ようともしなかったとのこと。そのため反省の色が全く感じられず、遺族もあきれていたそうです。

判決が言い渡される時、石橋和歩被告は座っている状態で途中から腕を組んで手を元の位置に戻す、これを4回繰り返しました。最初は腕を組み、足を広げている状態。三度目に腕を組んだ時にはさらに態度が悪くなり右足を揺すっていたと言われています。

記者に手紙

石橋和歩被告から産経新聞の記者に1通の手紙が届いたそうです。そこにはとても驚きの内容が書かれていました。便箋1枚に書かれた手紙は5行程度のものだったそうですが、その中には「俺と面会したいなら30万からやないと受付とらんけん」と金銭を要求する内容が書かれていたそうです。

取材については「人のことをネタにしている」との趣旨をしており、「タダで面会してもらうとか考え甘いばい」などと書かれていたそうです。

石橋和歩の親の現在

石橋和歩被告は離婚後母親と2人暮らしをしていました。事件発生当時、石橋和歩被告の母親は仕事に明け暮れており、普段石橋和歩被告とのコミュニケーションはほとんどとっていなかったもではないかともいわれています。

そして石橋和歩被告が逮捕され事件が大きく報道されるようになっていくにつれて、石橋和歩被告の母親はどうしようもない恐怖感で当初住んでいた家から逃亡してしまって行方が分からなくなっているとも言われています。

そして石橋和歩被告の父親は離婚前会社を経営しており、母親も父親の会社で従業員という立場で働いていたそうです。石橋和歩被告が事件を起こした際、マスコミ関係者は石橋和歩被告の父親が住んでいる自宅を特定して、取材に行ったそうです。

その際に父親は「息子は大人しい性格で、なぜ事件を起こしたのか全く分からない。被害者の家族にはただただ申し訳ない」と取材に応じています。

公判について

石橋和歩被告の公判ではどのような判決が下されたのでしょうか。判決に対する世間の反応なども併せて紹介します。

石橋に懲役18年が下る

横浜地裁は2018年12月14日裁判員裁判の判決で、最大の争点だった「危険運転致死傷罪の適用」を認定し、石橋被告に対し、懲役18年の判決を言い渡しました。しかし求刑は23年だったのに対し、5年の減刑になりました。なぜ減刑されたのかは法律の専門家でもわからないという意見があるようです。

また18年という刑期については世間では「短すぎるのではないか」という不満の声もかなり多くあがっているようです。

遺族は判決に感謝

被害者遺族として公判に参加した萩山嘉久さんの母である文子さんでしたが、判決を見届けた後弁護士を通じて書面でこんなコメントを出しました。

「量刑について全面的に納得できるものではありませんが、被告の行為が危険運転と認められたことはよかったと思います」「今回の裁判で自分の気持ちに一つの区切りをつけたいと思います。これから、あおり運転などの危険な運転が無くなってくれることを切に願います」

萩山友香さんの父親は以下のようなコメントを出しました。
「危険運転致死傷罪で認定して下さったことに感謝します。懲役18年については、色々な考え方もあると思いますが、ここに至るまで皆さまのご尽力によるものだと考えますので、私としては、そのまま受け止めたいと思います」

また、萩山嘉久さんの長女は以下のようなコメントを出したようです。
「私たちの気持ちを考慮してくれた判決で良かったです。ありがとうございます」

宮崎文夫との違い

2019年8月10日に、常盤自動車道であおり運転をした宮崎文夫容疑者。同じようなあおり運転ですが、常盤自動車道のあおり運転については被害者は暴行を受けたものの、死亡事故は起こしていません。

したがって宮崎文夫容疑者については「危険運転致死傷罪」は適用されません。しかし、「強要罪」として再逮捕されるという話もあり、実刑判決にはなると想定されています。

東名あおり運転事故の被害者

東名あおり運転死亡事故の被害者である、萩山嘉久さん、萩山友香さん夫妻はどのような人物だったのでしょうか。

静岡県在住

萩山さん一家は静岡県在住でした。この日は東京ディズニーランドやお台場で家族旅行を楽しんだ後、静岡の自宅へ帰る途中だったということです。

妻の文香さんが運転しており、助手席には長女、運転席の後ろには次女、助手席の後ろに嘉久さんが乗っていました。萩山嘉久さんは事故当時45歳、文香さんは事故当時39歳でした。長女は高一、次女は小学六年生でした。

被害者も批判された?

世間では萩山嘉久さんの行動にも問題があったのではないか、と批判も出ているようです。というのは、わざわざ後部座席から「邪魔だボケ」などと挑発してしまったことが事故が起きた原因であるという指摘をする人もいます。また、追い越し車線で停車に応じたことについても問題視する人がいるようです。

残された娘の現在

両親がなくなってしまい、娘二人が残されてしまう形になってしまいました。長女は高3、次女は中2になっていますが、事故の後は母親の両親と一緒に暮らしているそうです。

事故直後に長女は以下のように話していたそうです。

「事故のことは毎日思い出してしまいます。あのときは、煽り運転なんて概念はなかったので、道路で止まっているときに父が殺されてしまう。連れて行かれてしまう。と思って見ていたことが、すごくトラウマです。やめてと言っても、泣いてもやめてくれなかったことが本当に怖かったです」

石橋和歩の彼女について

石橋和歩被告には彼女がおり、事故当日も一緒に同情したそうです。石橋和歩被告の彼女はどのような人物だったのでしょうか。

名前は中尾美穂さん

石橋和歩被告の彼女の名前は「中尾美穂」さんという方だと言われています。事故当日も同乗していたとのこと。出身は愛知県名古屋市で事故当時年齢は22歳で職業は無職と言われています。

出身大学は福岡女学院大学の短期大学部だとのこと。大学卒業後名古屋へ来たとの噂です。石橋和歩被告とは3年以上交際していたようで、大学時代に知り合ったのではないかと言われています。

彼女の画像あり?

ネット上では彼女の画像はほとんど見られませんが、これが彼女ではないかという写真はあるようです。モザイクがかかっており、顔はわかりませんが、モザイクがかかっていても美人だとわかると噂されているようです。

結婚予定だった?

石橋和歩被告が被害者の娘たちへ向けた「謝罪文」には、「事故がなければ彼女と結婚する予定でした。彼女は体が弱く自分が支えたいと思っていたので事故の事はお許しください」と書かれていたそうです。まったく謝罪にはなっていませんが、彼女と結婚したいという意思はあったようです。

彼女の現在は?

彼女は法廷で証人として出廷しましたが、現在の状況は特定するのが難しく、情報が全くなく不明となっています。

東名あおり運転事故が与えた影響

東名あおり運転死亡事故が社会的に与えた影響はとても大きいものでした。この事件を受けて警察があおり運転に対しての摘発を強化することとなり、全国の警察で摘発件数が大きく増加しました。

また、ドライブレコーダーの普及も進み、あおり運転を証明するためにドライブレコーダーの映像が用いられることが増えました。この結果、宮崎文夫容疑者による常磐道におけるあおり運転の逮捕につながったといえるのではないでしょうか。

あおり運転の撲滅に向けて

この痛ましい事故を忘れず、事故を二度と起こさないように世の中がかわっていくことが被害者の遺族の望みなのではないでしょうか。車は鉄の凶器であり、簡単に人を殺めることができてしまいます。ハンドルを握る際には平常心を心掛け、お互い譲り合うようなドライビングを心掛けてほしいと思います。

関連記事

関連する記事

この記事に関する記事

アクセスランキング

最近アクセス数の多い人気の記事

TOPへ