風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
1960~1980年代にドラマや映画で活躍した個性派俳優・岸田森さんは、21歳の時に文学座付属演劇研究所に入り、1964年に同じ文学座の同期だった悠木千帆さん(後の樹木希林)と結婚しました。
しかし、結婚生活は長続きせず、1968年に離婚しました。離婚理由は、岸田さんの母親と悠木さんの折り合いが悪かったからだと言われています。
樹木希林さんは、1973年に内田裕也さんと再婚しました。
2人の出会いは、樹木希林さんがムッシュかまやつさんとドラマに出演した時、かまやつさんの友人だったロックミュージシャンの内田裕也さんが収録スタジオをたまたま訪れたからだそうです。
意気投合した二人は、出会いからわずか5カ月後に結婚しました。
樹木希林さんと離婚した岸田森さんは、バーのマダムと再婚しましたが再び離婚しています。
バーのマダムとの結婚期間は不明ですが、あまり長続きしなかったように思います。
2度目の離婚後、岸田森さんは女優の三田和代さんと交際を始め、事実婚状態が続きました。
2人の交際のきっかけは、岸田森さんが1977年の映画「歌麿 夢と知りせば」で、三田さんと夫婦役で共演したからだそうです。
岸田さんが亡くなるまで事実婚は続き、岸田さんの葬儀では三田さんが喪主を務め、遺影を持って挨拶しています。
岸田森さんは1982年に43歳の若さで亡くなっています。
岸田さんの死因はなんだったのか、また岸田さんの交友関係のことを調べてみました。
岸田森さんの死因は、食道がんです。
まだまだこれからの活躍が期待できる43歳で亡くなりました。
岸田さんの早すぎる死は、ファンだけでなく俳優仲間からも惜しまれたそうです。
岸田森さんは、酒豪でヘビースモーカーだったそうです。
飲酒と喫煙は食道がんリスクが高いと言われており、岸田さんが生活習慣を改めなかったことで病気が悪化し、若くして亡くなったと思われます。
岸田さんは、もともと酒に弱かったらしいですが、きっかけは分かりませんが、いつの間にか朝から酒を飲むほど酒好きになっていったらしいです。
六本木でバーを経営していたこともあり、岸田さんが学生野球ファンだったことから岡田彰布さんや松本匡史さんなど当時の東京六大学野球などの選手が、映画評論家の田山力哉さんに連れられて時折店を訪れていたそうです。
岸田森さんの葬儀では、彼を弟のように可愛がり、映画「子連れ狼」シリーズなどで共演した若山富三郎さんが弔辞を述べました。
若山さんは弔辞で「こんなことになるんだったら、お前を殴ってでも、絶好してででも、酒を辞めさせるべきだった」と後悔の言葉を残してます。
水谷豊さんは、テレビドラマ「傷だらけの天使」で岸田森さんと共演したことがありました。
水谷さんは、最初は岸田さんに対し「怖いひとだなぁ」という印象を持っていたのですが、実際の岸田さんはとても優しくお茶目な人柄で次第に親睦を深めていったそうです。
水谷さんが俳優としての将来に不安を感じて悩んだ時も、岸田さんから「大切なのは誰と何をやるか。豊は豊のままでいい」とアドバイスをもらい、その言葉が水谷さんが俳優人生を続けるうえでの大きな支えになったらしいです。
それだけに岸田さんが亡くなった後、大きなショックを受けた水谷さんは仕事に向かう気力がなくなり、2年ぐらい仕事ができなかったそうです。
それどころか「俳優を辞めよう」とまで思ったとテレビのトーク番組で語っています。
岸田森さんは、1960年の21歳の時、文学座付属演劇研究所に入った新劇の俳優でしたが、1966年に文学座を辞め、映画やテレビドラマに精力的に出演しました。
独特の雰囲気と色気で存在感を示した岸田さんの出演作品を調べてみました。
岸田森さんは、テレビドラマに出だした頃は、そんなにアクが強くなかったようです。
時代劇に出演したときも、少し面長ですが生真面目な二枚目って顔立ちでした。
岸田森さんの、どこか冷めたようなニヒルでクールな雰囲気漂う画像です。
岸田さんの身長は169cmとそんなに高くはないんですが、演じた役柄のイメージから長身と思われがちでした。
岸田さんは高身長のイメージからか、ロングコートが良く似合っていました。
岸田森さんは、演技に対して非常にストイックで、どんな小さな役柄でも手を抜くことはなかったそうです。
いつも「ワンシーンで映画を変えてしまうような役者になりたい」と語っていました。
それだけに、映像の中での岸田さんは存在感たっぷりで、岸田さんが出ているだけで画面がギュッと引き締まるようにも感じさせられます。
どんな役柄でも真摯に取り組む岸田さんは、主役を演じることはほとんどありませんでしたが、いつしか超個性派俳優として知られるようになり、カルトな人気を博すようになりました。
「呪いの館 血を吸う眼」(71年)では、目をぎょろつかせて和製ドラキュラになりきり、死に様の壮絶さもあいまって強烈な印象を残し、岸田さんの代表作の一つとも言われています。
岸田森さんが円谷プロとの初仕事となったのが、特撮テレビドラマ「怪奇大作戦」(1968~1969年 TBS系)。
現代社会に発生する警察の捜査では解決不可能な怪奇事件を、SRI(Science Research institute 科学捜査研究所)が独自に開発したマシンを駆使して科学捜査するドラマで、岸田さんはSRI所員のひとり、常に冷静沈着で科学の信奉者の牧史郎を演じました。
シリーズの当初では、犯罪者の科学トリックの解明に没頭するあまり周囲を顧みない冷血漢のように思われていましたが、次第に人間味のある一面を見せるようになっていくのを説得力たっぷりに演じました。
シリーズの中でも岸田さんがメインとなる実相寺昭雄監督「京都買います」は、事件に関わりのある女性に淡い恋心を抱く姿を抑制のきいた演技で好演していて、シリーズ屈指の名作と言われています。
「怪奇大作戦」の共演者は、勝呂誉さん、原保美さん、松山省二さん、小橋玲子さん、小林昭二さん、他。
岸田森さんは、特撮テレビドラマ「帰ってきたウルトラマン」(1971~1972年・TBS系)で、主人公のウルトラマンこと郷秀樹(団次郎さん)が働いていた自動車修理工場の経営者・坂田健を演じました。
ドラマでは、健は有能な技術者で妹と弟がおり、妹のアキ(榊原るみさん)は郷秀樹の恋人。
アキが郷秀樹とケンカしてしまったとき、健が妹を優しく見守る姿がとても印象的です。
ドラマでは、第37話でアキが異星人に誘拐されかけた時、健は妹を救おうとして殺されてしまいました。
岸田森さんは、萩原健一さん演じる木暮修と水谷豊さん演じる乾亨が主人公のアンチヒーロー探偵ドラマ「傷だらけの天使」(1974~1975年 日本テレビ系)で、木暮たちが働く情報社のナンバー2・辰巳五郎を演じました。
岸田さんは、情報社の社長・綾部貴子を演じた岸田今日子さんに想いを寄せる役柄でしたが、岸田今日子さんは岸田森さんの従姉にあたるので、いとこ共演となりました。
胃下垂で頭髪がカツラの少々薄気味悪いキャラでしたが、持ち前の個性的演技で萩原さんや水谷さんを圧倒する存在感を見せました。
岸田森さんは、時代劇から現代劇、シリアスものから特撮ヒーローものまでジャンルにとらわれず多くの作品に出演しました。
どの作品でも、脇役ながら全く手を抜かず岸田さんならではの個性的な演技を見せ、圧倒的な存在感を示しました。
そんな役者根性から、スタッフや後輩俳優たちにとても慕われた岸田さん。
DVDなど映画ソフトで岸田森さんの個性派ぶりを鑑賞してみてはいかがでしょう。
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岸田森さんは、文学座時代に悠木千帆さん(後の樹木希林)と結婚していた時期がありました。
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