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2023/12/28
大今里
辰吉丈一郎は、第50代日本バンタム級、元WBC世界バンタム級王者となったボクサーです。彼は、ボクサーとしてバンタム級において日本だけでなく世界も制しているのです。
辰吉丈一郎は、目の怪我で苦しんだことがありました。まだこれからという、21歳だった1991年12月に左目に網膜裂孔負ったのです。そしてその後に、網膜剥離なり苦しむこととなってしまいました。それが原因となり、予定されていた試合がキャンセルされています。
辰吉丈一郎は、長期休養を強いられてしまったのです。
人気ボクサーだった辰吉丈一郎ですが、現在はどうしているのでしょうか。続いては、辰吉丈一郎は現在もボクサーとして現役なのかについて迫ってみましょう。
現在の辰吉丈一郎は、日本でのプロライセンスを失効していません。そのため、国内では試合ができません。日本では、37歳に達すると自動的にボクサーのライセンスが失われるからです。それもあり、辰吉丈一郎は37歳以後は海外での試合に臨んでいます。
2020年の時点でも、彼は現役にこだわっていて引退を明言していません。あくまで現役であり続けるために、トレーニングは欠かしていないでしょう。
辰吉丈一郎に言わせると、『ボクシングしか知らないし、ボクシングが好き』なのだといいます。そして彼は『ボクシングを取り上げられたら「ちょっと待て」となる』とも言っています。また、自身が納得した時点で引退試合すると語っているのです。
自身がもう十分だと思えるまで、ボクシングを“選手として”続けたいということでしょう。
現時点での辰吉丈一郎は、試合の予定を組むことができていません。その状況の中でも、本人は再び試合をすることを目指して、トレーニングをして努力を続けています。しかし、復帰をするのは難しいのではないかという見方もあるでしょう。
現在は試合もないためファイトマネーはありませんし、副業もしていない模様です。そのため、現在は過去の試合で稼いだお金で生活をしていると考えられます。なお、薬師寺保栄戦でのファイトマネーは、1億7,000万円ほどだったとされています。
ここで、辰吉丈一郎の経歴について迫ってみたいと思います。辰吉丈一郎はどの様な道を歩いてきたのでしょうか。
辰吉丈一郎は中学校を卒業すると同時に、ボクサーになるために大阪帝拳ジムに入門しました。それは、中学校時代の担任教諭の勧めだったといいます。
辰吉丈一郎は、17歳だった1987年に全日本社会人ボクシング選手権大会のバンタム級で優勝しました。1988年に開催されたソウルオリンピックの優勝候補でもあったのですが、体調不良で予選で敗退しています。
1989年9月29日に、辰吉丈一郎はプロデビューを果たしました。韓国の国内ランカーであった崔相勉を2回KOに降したのです。日本人ランカー全てにオファーを出したのですが、辰吉丈一郎は高い前評判があったことから全て拒否されたといいます。
“辰吉丈一郎は強い”との話が広まり、誰も試合をしたがらなかったのかもしれません。
1990年9月11日に、辰吉丈一郎は4戦目にして日本王座に初挑戦しました。その際には、日本バンタム級王者であった岡部繁を4回KOに降し、王座を獲得しています。4戦目にして日本王座獲得をしたのは、ジェームズ・キャラハンや故・友伸 ナプニ、平仲 明信と並ぶほどの最短タイ記録でした。
なお、2013年には井上尚弥も並んでいます。
1991年9月19日に、WBC世界バンタム級タイトルマッチのグレグ・リチャードソン戦が行われました。この際に辰吉丈一郎は、10回TKO勝ちを収めて8戦目にして世界王座を獲得しています。その後には、1998年に2度防衛しているでしょう。
前述の網膜剝離により戦線からは離れていましたが、手術が成功し1994年7月にハワイでの復帰戦(対ホセフィノ・スアレス)に勝利しました。そして1994年8月に、JBCにより特例で復帰が認められています。ただ、1回でも敗れて王座を失うこと、あるいは 眼疾が再発すれば引退という条件付きでした。
同年12月にはWBC世界バンタム級王座統一戦の薬師寺保栄戦が行われ、辰吉丈一郎は12回判定負けを喫しています。
2008年9月26日に直近の試合から5年経ったことにより、JBCの規定で辰吉丈一郎は引退選手扱いとなりました。これにより、日本でのライセンスを失効し国内では試合ができなくなっています。そして2008年12月には、タイ国内ランキングにおいてバンタム級1位にランクインしました。
2008年10月26に開催された、タイでのパランチャイ・チュワタナとの試合では、2回TKO勝ちを収めています。
2009年3月8日に、辰吉丈一郎はタイで復帰第2戦サーカイ・ジョッキージム戦を行いました。しかし、7回TKO負けを喫してしまいます。それ以降は、試合は組まれていない模様です。ただ、辰吉丈一郎自身は「俺はまだ終わっとらん」と試合後に言っていたといいます。
ここで、辰吉丈一郎の戦績について見ていきたいと思います。辰吉丈一郎はこれまでに何勝を挙げているのでしょうか。
辰吉丈一郎にもアマチュアとしてボクサーをしていた頃があります。アマチュア時代には、19戦 18勝 18RSC 1敗という戦績でした。19戦を戦い、1敗しかしていないのです。もしかしたら、辰吉丈一郎にしてみるとその1敗が悔しかったのかもしれません。
プロになってからの辰吉丈一郎は、28戦 20勝 14KO 7敗 1分という戦績となっています。7敗はしているものの、14回のKOでの勝利を収めているのです。
辰吉丈一郎の獲得したタイトルについても迫ってみましょう。彼は、アマチュアでの全日本社会人ボクシング選手権のバンタム級では優勝をしていますし、第50代日本バンタム級王座を獲得しています。また、WBC世界バンタム級王座やWBC世界バンタム級暫定王座にも就いたことがあるでしょう。
辰吉丈一郎には寿希也(じゅきや)と寿以輝(じゅいき)という2人の息子がいますが、息子たちも父親のようにボクシングをしているのでしょうか。続いては、辰吉丈一郎の息子について迫ってみましょう。
2015年に、次男の寿以輝が大阪帝拳よりボクサーとしてプロデビューしました。彼は大阪帝拳ジムに所属しています。長男の寿希也はボクシングはやっていたものの、プロボクサーにはなっていません。過去には派遣社員をしているとの情報もありました。現在も派遣社員を続けている可能世はあるでしょう。
また、寿以輝の試合には兄・寿希也も観戦に足を運んでいる模様です。
次男の寿以輝は、幼稚園からボクシングをやってきています。それは父親である辰吉丈一郎の影響なのだろうと思う方も多いかもしれません。しかしそうではないのです。寿以輝がボクシングを始めたのは、兄・寿希也がやっていたからという理由でした。
寿希也も、小学5年生から大阪帝拳ジムでボクシングの腕を磨いていました。いつプロになるのかと期待もされていたでしょう。しかし、プロとなることはなかったのです。辰吉丈一郎に言わせると、寿希也はメンタルが弱いところがあるとのことでした。
ボクシングには、次男の寿以輝の方が向いていたとされています。
2020年11月6日に、辰吉寿以輝は後楽園ホールにおいて今村和寛と対戦しました。しかし、2回に突然のバッティングで負傷し引き分けとなっています。翌日には大阪に帰り12針縫ったといい、相当の大怪我となったことが分かるでしょう。
辰吉丈一郎がパンチドランカーであるという話があります。ここで、パンチドランカーがどういったものなのかについてや、辰吉丈一郎は本当パンチドランカーなのかという点について迫ってみたいと思います。
辰吉丈一郎は、2016年の映画『ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年』の公開が決まった後に、病気なのかと噂されるようになりました。その病気というのが、パンチドランカーなのかという話もあったのです。さて、パンチドランカーとは一体何なのでしょうか。
パンチドランカーとは、ボクサーに多いとされる症状です。対戦相手に多くのパンチを受けることにより患ってしまうのです。また試合でなるというよりも、日頃のスパーリング等でダメージが積み重なることによりなることが多いといいます。
頭痛や物忘れ、体のしびれ、体の震え、バランス感覚を失う等の症状が現れるでしょう。過去には、モハメド・アリや佐竹雅昭等の選手らがパンチドランカーになったとされています。
パンチドランカーの症状に、呂律が回らないというものもあります。辰吉丈一郎は、最近呂律が回っていないという話があります。それは、彼の歯並びが悪い点が挙げられるでしょう。パンチドランカーが原因なのかは不明です。
辰吉丈一郎にかつて見せていた破棄がなく、何をしてもやる気が感じられないように見えるという話もあります。
パンチドランカーは、15年以上の時をかけて発症するとされています。しかも、症状が出たとしてもCTスキャンでは見つかりにくいのです。本当にパンチドランカーであったのかどうかは、本人が亡くなった後に病理解剖をしてからでなければ、分からないでしょう。
それだけでなく、パンチドランカーというのは治療法もないと言われています。
辰吉丈一郎には、パンチドランカーに見られるような記憶障害やふらつき等の症状が出ていないとされています。そのため、彼がパンチドランカーであると断定することはできないでしょう。
中居正広が司会を務めるテレビ番組『金スマ』に、辰吉丈一郎が出演したことがあるといいます。さて、その内容とはどういったものだったのでしょうか。
2009年5月29日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』で、辰吉丈一郎が特集されました。『金スマ2時間SP ROOKIES×辰吉丈一郎 熱き男の物語』が放送されたのです。辰吉丈一郎本人もゲストとして出演しました。
2009年6月5日の『金スマ』でも、『辰吉丈一郎39歳 父ちゃんはボクサー』が放送されています。この回にも辰吉丈一郎がゲスト出演していますので、彼は2週間続けて『金スマ』に登場したということです。
辰吉丈一郎はどの様な子供時代を過ごしたのか、気になる方もいるでしょう。最後に、辰吉丈一郎の生い立ちについて迫ってみたいと思います。
辰吉丈一郎というと、大阪人のイメージがあるかもしれません。確かに、関西人として長く暮らしている模様ですが、彼は大阪出身ではありません。辰吉丈一郎は岡山県倉敷市で生まれました。しかし生後間もなく両親が離婚したため、父親に育てられたのです。
父親がボクシングを好きだったことから、辰吉丈一郎は幼少期よりボクシングを教え込まれました。
辰吉丈一郎がいじめられるとは考えられないかもしれません。しかし、彼は幼少期にいじめに遭ったことがあると明かしています。しかし、そのいじめを克服した後は、小学校から中学校までケンカで負けたことがないといいます。中学校時代には学校を皆勤賞だったとする話もあるでしょう。
学校には真面目に通っていたことが分かります。
辰吉丈一郎は、ホームレスの経験もあるのを知っているでしょうか。中学校を卒業した彼は、大阪にやってきてからボクシングの他にかまぼこ屋やそば屋で働いていたといいます。ところが長く続かずに、ボクシングジムも飛び出してしまったのです。それから、ホームレス生活をしていたのでした。
『浪速のジョー』と呼ばれるカリスマボクサー・辰吉丈一郎。世界タイトルも獲得している彼ですが、網膜剥離を患うなど困難に見舞われました。50歳を超えた辰吉丈一郎は、日本では試合ができない状態ではあるものの、完全に引退をしたわけではありません。
いつでも試合ができるように、準備はしているものと考えられます。まだ試合の目処は立っていませんが、再度辰吉丈一郎の勇姿が見られる日が来るかもしれません。次男の寿以輝もボクサーの道を歩んでいるので、親子揃っての活躍が期待されるでしょう。
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