2024/02/16
r.y6
臼井儀人さんは、1958年4月21日に静岡県静岡市で生まれています。その後は、埼玉県春日部市で生活し、埼玉県立春日部工業高等学校を卒業しています。高校時代は、イトーヨーカドーでアルバイトをしていました。
デザイン系の専門学校に2年間通った臼井儀人さんは、1979年に広告関係の会社に入社します。スーパーマーケットのPOP広告の制作を行いながら、漫画を描いていました。1987年に双葉社の『週刊Weekly漫画アクション』新人賞佳作に選ばれ、デビューします。
入選作となった「だらくやストア物語」がそのまま連載され、漫画家として活動するようになります。だらくやストア物語は、高校生時代のアルバイト経験が反映された作品になっています。
1998年8月に、『週刊Weekly漫画アクション』で『クレヨンしんちゃん」の連載がスタートします。だらくやストア物語に登場した「二階堂信之介」の子供時代を描いた作品が元になっており、主人公「野原しんのすけ」の名前も二階堂信之介から取られています。
連載当初は人気が振るいませんでしたが、1992年にアニメ化されたことで人気が上がり、社会現象となります。現在では国民的に人気作品になりました。子供向けの漫画のイメージがありますが、連載当初から一貫して大人向けの作品として描かれています。
2000年には『クレヨンしんちゃん特集号』が『まんがタウン』に改題されて、独立創刊となります。クレヨンしんちゃんもまんがタウンに移籍しており、現在も『新クレヨンしんちゃん』が連載中です。
2000年には主婦層をターゲットにした『JOUR すてきな主婦たち』で、野原しんのすけの妹「ひまわり」を主役にしたスピンオフ漫画の『プッチプチひまわり』が掲載されます。
プッチプチひまわりは単行本にはなっていませんが、電子書籍として販売されています。 アニメクレヨンしんちゃんのエピソードとして、映像化もされました。
臼井儀人さんは、2009年に登山に出掛けた後に不慮の事故で亡くなりました。臼井儀人さんが亡くなった経緯についてまとめました。
臼井儀人さんは登山を趣味にしており、単独で山に登ることが多かったそうです。2009年9月11日も臼井儀人さんは群馬県の荒船山に、1人で登山に出かけました。日帰り登山の予定でしたが翌日になっても帰宅しなかったため、連絡も取れないので家族は警察に捜索届を出します。
臼井儀人さんは、荒船山に行く途中でコンビニで食料を購入した姿が防犯カメラに姿が写っていました。その後は内山峠までタクシーで移動したことも判明します。しかし、その後は目撃情報がなく、消息はなかなか掴めませんでした。
臼井儀人さんが、行方不明になったことは16日に発表されました。
臼井儀人さんの行方がわからなくなってから、9日後の19日に高さ120メートルの崖下に転落した男性の遺体が発見されました。男性の遺体はグレーのTシャツに緑チェックのシャツを羽織っており、臼井儀人さんと服装が同じでした。
遺体の損傷が激しかったので、顔から身元を確認することはできない状態だったといいます。そのため、歯型のデータから臼井儀人さんであることが断定されました。遺体発見の1日後の20日に、臼井儀人さんが亡くなったことが発表されました。
ネットでは、臼井儀人さんの死因について自殺説や他殺説などさまざまな噂が流れています。しかし、警察は状況から事件性はないと判断して、事故と自殺の両面で捜査を開始します。事件性がないと判断されたこともあり、遺体は司法解剖されずに家族の元に引き渡されました。
警察は自殺の可能性も視野に入れて捜査を行いましたが、最終的に臼井儀人さんは事故死と断定されます。事故死とされた理由は、臼井儀人さんのデジカメで撮影された写真です。最後の写真は、断崖絶壁で有名な艫岩(ともいわ)の上から崖下を撮影したものでした。
滑落した現場からちょうど下を覗き込んだ風景が写っていたため、写真の撮影中に誤って転落したと判断されたのです。
臼井儀人さんの死亡推定時刻は2009年9月11日の午後で、死因は全身を強打したことによる肺挫滅でした。挫滅というのはあまり聞かない用語ですが、外部からの衝撃や圧迫で内部の組織が破壊されることをいいます。享年51歳でした。
遺体は全身を強く打ったことで骨が折れており、かなり損傷しています。特に顔面の損傷が激しく、見分けがつかないほどだったそうです。
事故で亡くなったと断定された臼井儀人さんですが、ある理由でネット上では自殺したという噂がかなり広がったことがあります。臼井儀人さんが自殺したと言われた理由についてまとめました。
最終的に事故死と断定されましたが、警察は自殺の線も考えた上で捜査を行っています。臼井儀人さんが転落死した場所は危険な場所ではあるものの、過去に転落事故の例はなかったと言われています。そのため、警察から自殺を疑われたと言われています。
また、後述しますが、臼井儀人さんの遺書と言われる画像がネット上に出回っていました。このため、行方不明になった直後から、ネット上では自殺したのではないかという噂もあったのです。
ご本人が亡くなった今、臼井儀人さんが絶対に自殺したわけではないと断言はできないでしょう。しかし、臼井儀人さんの夫人は、『夫の信仰上自殺はありえない』とコメントしています。臼井儀人さんが新興した宗教について正確な情報はありませんが、キリスト教系の宗教と言われています。
キリスト教の教義では、自殺することは重大な罪になります。臼井儀人さんの葬儀はキリスト教式だったそうなので、キリスト教系の宗教を信じていたのは間違いなさそうです。
臼井儀人さんは母親と揉めたせいで、自殺したのではないという噂も流れています。臼井儀人さんは元々母親と同じ宗教を信仰していましたが、その後に改宗したことでトラブルになったと言われています。
臼井儀人さんは改宗した宗教に多額の寄付をしており、母親と口論をしていたという証言もあるようです。そのことで悩んで自殺したという噂ですが、熱心な信者だった臼井儀人さんが自殺するとは考えにくいと言われています。
改宗したことが原因で命を狙われるようになったいう物騒な噂まであり、ネット上ではさまざまな憶測が飛び交いました。
臼井儀人さんの葬儀は、身元確認が行われて間もなく営まれました。臼井儀人さんの葬儀に関する情報をまとめました。
臼井儀人さんの葬儀は、2009年9月22日に埼玉県春日部市の斎場にて密葬で営まれました。参列者は近親者と出版関係者を含む30人ほどだったといいます。
葬儀はキリスト教式で営まれ、遺影や祭壇は設けられませんでした。斎場内には臼井儀人さんの葬儀の表記はなく、参列者を案内する立て看板もなかったそうです。。密葬終了後に、クレヨンしんちゃんを出版していた双葉社は報道陣の取材に応じています。
双葉社は「家族は落胆しています」はコメントし、お別れ会については今後の話し合いで決めると発表しました。後日、ファンに向けたお別れ会も営まれています。
臼井儀人さんの遺体は、身元が断定された9月20日の深夜1時に群馬県警下仁田署に出発し春日部市の斎場に安置されました。家族が遺体と対面したのは、21日の夕方になりました。損傷が激しい遺体でしたが、家族はすぐに遺体が臼井儀人さんだとわかったと言われています。
臼井儀人さんは事故死と断定されましたが、遺書に関してさまざまな噂が飛び交いました。臼井儀人さんの遺書に関するエピソードや遺書に関する真実についてご紹介します。
事故当時、自殺の可能性も考えて捜査が行われましたが、臼井儀人さんの持ち物から遺書などは発見されていません。また、失踪後に自宅や仕事場などから臼井儀人さんの遺書が発見されたわけでもありません。
しかし、ある画像が原因で、事故と発表された後もネットでは自殺説が飛び交うことになります。
ネット上で自殺説が根強かったのは、生前の遺書とされる画像が発見されたためです。それはネット上で発見された不気味な画像で、クレヨンしんちゃんに関係したものでした。画像が発見されたのは、臼井儀人さんが失踪した直後でした。
画像が見つかってしばらくしてから、臼井儀人さんが亡くなったことが発表されたことで遺書ではないかと噂になったのです。 一体、遺書とされる画像はどんなものだったのでしょうか?
ネットに出回った画像は、赤い背景にしんのすけが崩れたような絵が描かれたおどろどろしい画像でした。さらに、さまざまな書体で「かあちゃーーー」「ひまーーー」「ネネちゃーー」「とうちゃーー」「シローー」などと書かれています。
よく見ると「ごめんね」「おらもう」とも書かれており、これらのメッセージは自殺をほのめかしているようにも思えます。この画像の影響もあり、臼井儀人さんが自殺したという噂はネット上でどんどん広がっていきました。
ただし、画像はパソコンを使えば簡単に描けるものです。そのため、作者本人がパソコンで描いた絵を遺書にすることを疑問視する意見もありました。
警察発表の後も、自殺説を拡散させた画像の真相は意外な形で明らかになります。2009年10月4日に『臼井儀人さんの遺書の真相』というブログが登場し、遺書と思われた画像は自分が描いたものだと告白したのです。
この男性は臼井儀人さんが失踪した知って、いたずら目的で画像を作成したそうです。男性はネット上でたびたび悪戯を行っており、今回も画像が話題になるの見て面白がっていたといいます。
しかし、本当に臼井儀人さんが亡くなったことを知って、真相を明かすことにしたそうです。 小学2年生の頃から、クレヨンしんちゃんを見ていたファンだという男性は真相を告白して謝罪もしています。
臼井儀人さんは、新興宗教として有名なエホバの証人の信者だという噂があるのをご存知でしょうか?臼井儀人さんが、エホバの証人の信者だと言われている噂についてまとめました。
臼井儀人さんが信仰していたという噂のエホバの証人は、アメリカで創設されたキリスト教系の新興宗教です。エホバの証人の信者は全世界で約869万人と言われており、日本はアジア諸国ではフィリピンについで信者が多いと言われています。『神の王国』の確立を支持しているのも特徴です。
臼井儀人さんがいつ頃入信したのかは、わかっていません。エホバの証人に入信した経緯は2つの説があります。1つは臼井儀人さんの夫人が元々信者で、結婚後に入信したと言われています。もう1つは取材目的でエホバの証人の宗教の勧誘を聞いて、その後に入信したという説です。
臼井儀人さんがエホバの証人だというのは、あくまで噂で本当のことなのかはわかっていません。ただし、臼井儀人さんの家族が死後の再開を強く信じるコメントを残していることから、エホバの証人の信者だったという説は根強いです。
臼井儀人さんの自宅の隣には宗教施設があり、臼井儀人さんは自分の土地を提供して寄付もしていたと言われています。この宗教施設がエホバの証人が集会を行う王国会館で、臼井儀人さんは王国会館の管理者だったという噂もありますが真相は不明です。
臼井儀人さんの母親は入信に反対していたため、このことが原因で口論をしていたという話もあります。
クレヨンしんちゃんの作者の臼井儀人さんですが、本人がクレヨンしんちゃんの映画に出演しているというエピソードがあります。臼井儀人さんが出演した作品やどんな役で出演したのかについてまとめました。
臼井儀人さんはクレヨンしんちゃんの作品の中で、「よしいうすと」という自分をモデルにした漫画家を登場させています。名前が違うので、もちろん臼井儀人さん本人ではありません。ファンにすら「人間性は最悪」と言われてしまい、いつもひどい目に合うギャグキャラです。
「よしいうすと」はアニメにも、新クレヨンしんちゃんにも登場しています。しかし、劇場版クレヨンしんちゃんには「臼井儀人」がキャラクターとして登場し、本人が声優で出演しています。
臼井儀人さんは、1997年の『暗黒タマタマ大追跡』、1998年の『 電撃! ブタのヒヅメ大作戦』、1999年の『爆発!温泉ワクワク大決戦』にマンガ家として特別出演しています。登場するたびに名前がルビ付きで表示され、趣味は便座鑑賞となっています。
よしいうすとほど扱いは悪くありませんが、道を聞いただけでひろしやみさえに殴られるなどひどい目に合っています。最後の登場はトラックの荷台に乗って避難するシーンになっています。
登場シーンではカラオケを歌っていることが多く、臼井儀人さん本人の歌声を聞くことができます。
クレヨンしんちゃんの作者臼井儀人さんが亡くなった経緯や遺書に関する噂についてまとめました。臼井儀人の事故死に関してはさまざまな噂がありますが、それだけクレヨンしんちゃんが人気作品だった証拠とも言えるでしょう。
亡くなってから10年以上経ちますが、臼井儀人さんの作品は今後も愛され続けるでしょう。
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国民的人気漫画クレヨンしんちゃんを生み出した臼井儀人さんは、どんな漫画家だったのでしょうか?臼井儀人さんの経歴を簡単にまとめました。