木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
「コンクリ事件」とは、1988年11月から1989年1月までの間に発生した猥褻略取誘拐・監禁・強姦・暴行・殺人・死体遺棄事件の通称です。
被害者となったのは、埼玉県三郷市内に住む当時17歳の女子高生。湊伸治を含む不良グループから拉致され、約40日間にわたって東京都足立区綾瀬の加害者の家に監禁され、暴行と強姦を繰り返し受け、コンクリートに埋めて殺害されたといわれています。
この現場は、日頃から加害者である不良グループの溜まり場であり、女子高生とは面識はなかったといいます。
コンクリ事件の犯行当時、湊伸治は15歳-16歳で、懲役4年以上6年以下の不定期刑が求刑されました。
不定期刑であったため、出所した時期は明確になっていませんが、刑務所を出所した後は運送会社で働きながらムエタイをはじめ、その後、プロデビューをしています。
湊伸治は、もともと格闘技が好きで自宅にもトレーニング器具があったほどで、出所後は憧れていた格闘技の道に進みたかったのかもしれませんが、実力としてはプロとして出場した2試合のうち2負であったようです。
当時の湊伸治を知る人の話によると、湊伸治は地味で無口なイメージだったといいます。
湊伸治は、2018年に再犯を犯しています。事件は、埼玉県川口市の路上で、当時32歳の男性に危害を加え、殺人未遂の容疑で逮捕されています。
湊伸治は、2018年8月19日の夕方、川口市の路上において、車に乗っていた被害者男性の顔面を拳で何度も殴り、その後、男性が車を降りると右肩を警棒で殴りつけ、車に乗って立ち去ろうとした男性の後頚部をナイフで刺したということです。
湊伸治は、ナイフで刺したことは認めていましたが、警棒で殴ったことは否定していたといいます。
湊伸治は、裁判において「意見いいっすか」などと発言し、「加害者の傷は自分がつけたものではない」「捏造だ」などと主張していましたが、2019年11月22日、さいたま地方裁判所において懲役1年6カ月、保護観察付執行猶予3年の判決を受けました。
そのため、湊伸治は現在、執行猶予中の身ということになります。
湊伸治は、出所後に千葉県市川市から京都府伏見区に移り、さらに大阪、会津と住所を変えていたといわれています。
2018年に逮捕された際には、住所は埼玉県川口市東内野だと報道されていました。そのことから、ネット民によりアパート名が「コンフォートマンション東内野」ということも判明していますが、現在も住んでいるかは不明となっています。
湊伸治が凶悪犯になった経緯には、家族の問題もあったのでしょうか?湊伸治の家族や顔画像についてみていきましょう。
湊伸治の顔写真は、ネット上に出回っています。上の画像で右下に載っているが湊伸治で、他3人の写真もコンクリ事件の主犯格です。
また、「japan@denngekiraketto」というアカウントでTwitterをしているという情報もありますが、本人のTwitterであるかどうかは定かではありません。
湊伸治は、埼玉県川口市東内野に生まれ、父親、母親、兄3人の中で育ちました。湊伸治の父親と母親は、ともに共産党員で、父親は共産党系診療所の事務局長、母親は主任看護師としての仕事をしていました。
特に父親は厳格な人柄だったようで、湊伸治はスパルタ教育を受けながら育ち、家のルールを破ったことで、よく父親には暴力を振るわれていたといいます。それは、湊伸治が寝ている時でも容赦なく、湊伸治が泣いて逃げても追いかけてきて殴られたといいます。
また、湊伸治の父親は、毎晩のように酒を飲んで帰ってくるうえに酒癖が悪く、湊伸治は「ゾッとするくらいこわい父親」と話しています。
在日韓国人や在日朝鮮人による凶悪犯罪は多くあり、「コンクリ事件」もその1つであるとする説も根強くあります。
「コンクリ事件」は、実は少年犯罪ではなく、朝鮮人犯罪といわれています。湊伸治には、在日韓国人であるという説や在日朝鮮人であるという説があります。
2010年頃には、湊伸治が外国人の女性と生活しているという情報が流れました。所在地は関西で、同居している女性との間に娘が1人いるというのです。
そのため、結婚しているのでは?と言われていましたが、相手の女性については、ルーマニア人、リヒテンシュタイン人などという噂があるものの、真相は定かではありませんでした。
また、2018年には川口市内のアパートに引っ越して、同い年くらいの女性と同棲していたようです。当時の湊伸治は、「通販の仕事をしている」と嘘をついていたようで、実際には無職だったという話やテキ屋をしていたという情報もあります。
事件現場となった湊伸治の自宅や家族は、現在どうしているのでしょうか。自宅の様子や家族の様子についてご紹介します。
事件発覚後、湊伸治の両親や兄たちは事件現場となった自宅にいることはできず、1999年頃から、さいたま市にある一軒家を借りて引っ越したといいます。
また、湊伸治の自宅も取り壊されたといいます。
湊伸治の父親と母親は、事件後に共産党から除名されています。また、父親は病気のため既に他界しているということです。
兄の一人は、犯行グループの一人と友人であり、事件では被害者を監視するなどして関わっていましたが、現在の様子は不明となっています。
「コンクリ事件」は数人の少年によって実行された事件で、湊伸治は少年Cと表記され、湊伸治のほかにも少年A、B、Dがいました。それぞれの現在についてみていきましょう。
事件当時、少年Aといわれていた宮野裕史は、東京地裁により無期懲役を求刑されましたが、裁判の結果、懲役17年とされました。その後、東京高裁により懲役20年の判決を言い渡されました。
出所後、養子縁組をしたことで横山裕史となりましたが、マルチ商法で稼ぎ、BMWに乗ったり贅沢なブランド物を身に付けていたりしたそうです。
また、2013年1月頃、振り込め詐欺を実行して逮捕されましたが、その約2週間後に不起訴処分となっています。
事件当時、少年Bといわれていた小倉譲は、懲役5年以上10年以下の不定期刑となっています。
裁判では、泣きながら更生を誓っていましたが、出所後の態度が改められることはなく、遺族への慰謝料として払うべきお金を使って高級住宅とセルシオを購入したということです。
仕事は、JapanMediaSystemというコンピューター会社に就職しましたが、勤務態度は決して良いものではなかったと言われています。
また、2002年には暴力団に入り、結婚したそうですが、2004年には三郷市において男性を監禁、暴行したとして、監禁拉致事件の容疑で逮捕、起訴され懲役4年の実刑判決となっています。
事件当時、少年Dといわれていた渡邊恭史は、東京高裁により懲役5年以上7年以上の不定期刑とされましたが、その後、4人の中で一人だけ上告し懲役3年以上4年以下の不定期刑となっています。
出所後は、ひきこもりとなり、現在の消息はわかっていません。
内容から目を背けたくなるほど悲惨な事件であるコンクリ事件。主犯格である当時の少年たちは今、いい大人となり、子供たちのお手本になるべき年齢です。
過去の事件は決して許させることではありませんが、心から反省し、二度と犯罪を犯すことなく償い続けてほしいものです。人が苦しむ事件が二度と起きないことを願わずにはいられません。
湊伸治は、史上まれに見る凶悪事件の犯人です。どんな事件を起こし、現在は何をしているのでしょうか。
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湊伸治とは、1988年11月から1989年1月までの間に発生した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人の一人です。
犯行は湊伸治の自宅で行われ、事件の加害者である不良グループの中でも主犯格でした。