木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2001年の放送開始から20年間にわたり『せやねん!』に出演してきましたが、2021年4月10日放送分で卒業しました。卒業の理由は、2020年に患った間質性肺炎の治療に専念するためとしています。なお最後の出演となった放送では、『未知やすえ感謝祭』と銘打ちウエディングドレスのような衣装を着て出演しました。
2020年3月31日に、間質性肺炎の治療のために未知やすえが一時的に休養することが発表されました。その後、同年4月28日には退院を報告しています。そして6月28日には、未知やすえが7月2日より仕事に復帰することが吉本興業より発表されました。
続いては、未知やすえの経歴についてご紹介します。未知やすえはどの様な経歴を持っているのでしょうか。彼女が吉本新喜劇に入る前についても見てみましょう。
高校在学中だった1979年に、未知やすえは花月・ポケットミュージカルスにダンサーとして参加しました。そしてその後に、吉本興業に所属しています。未知やすえは当初、歌手志望であったといいます。そして中学生時代からオーディションを受けていたものの、落選が続いていたのでした。
そんな時に、吉本興業が芸人ではなくモデルや歌手の募集をしていることを知り、オーディションに応募したのです。未知やすえは見事オーディションで合格し、吉本興業入りをしました。
未知やすえはは、過去に漫才コンビを組んでいました。1982年4月1日に、漫才コンビ『やすえ・やすよ』を結成しています。元々4人組でダンサーをしていましたが、2人が辞めたことでダンサーを続けることができなくなったのです。そうして、次の道として考えたのが残ったもう1人と漫才をすることでした。
デビュー間もない頃に若手漫才コンクールで新人賞を受賞もして有望視されていましたが、1984年に解散しています。相方が漫才を辞めることにしたため、『やすえ・やすよ』は解散となりました。高校を卒業後に漫才のプロとなりましたが、アマチュアとの違いなどに悩むこともあった模様です。
未知やすえは、漫才コンビを解散した翌日である1985年1月1日より吉本新喜劇に入団しました。それは、事務所からの半強制的なものだったといいます。そして、彼女は1985年の『吉本新喜劇 牛に曳かれた宝船』という新喜劇の舞台でデビューを飾りました。
2007年8月7日から1週間、吉本新喜劇初の試みとして未知やすえが女性座長を務めました。現在は女性では酒井藍が正式に座長を務めていますが、当時は女性座長自体がまだいなかったのです。2008年以降も、お盆の時期から1週間「未知やすえ 女座長特別公演」が続いています。
未知やすえの夫は、吉本新喜劇で座長もしていた内場勝則です。続いては、未知やすえと内場勝則の馴れ初めについて探ってみたいと思います。2人はどの様にして結婚することになったのでしょうか。
未知やすえは、1992年に吉本新喜劇の同僚座員でもある内場勝則と結婚しました。結婚式は桜の宮リバーサイドホテルで行われ、故チャーリー浜が仲人を務めたといいます。
2人の馴れ初めは、お見舞いがきっかけでした。ある時、内場勝則が舞台で倒れ入院したことがありました。その際に、未知やすえが座員を代表してお見舞いに訪れたのです。未知やすえが内場勝則に対して優しく「大丈夫?」と声をかけています。
この一言が内場勝則の心に滲みたことで、彼は感動して泣いたのだとか。これを機に、2人は急接近したものと考えられます。なお内場勝則は、後に当時の未知やすえについて『天使に見えた』と語っています。
未知やすえと内場勝則夫妻には、離婚危機もあったといいます。結婚から数年後に、未知やすえは自身の結婚に対する理想と現実のギャップに悩み、家出をしました。そして、内場勝則と100日以上に渡り別居をしています。そして、別居から107日頃に荷物を取りに未知やすえは自宅に戻りました。
彼女は自宅で仮眠をしていて、後から内場勝則も帰宅してきました。その翌朝に、阪神大震災が発生したのです。未曾有の大災害の発生に、内場勝則は未知やすえに対し「俺が守る」と告げたのでした。自分のことを心配してくれた夫に、未知やすえも惚れ直した模様です。
2人は関係を修復し、現在に至ります。
吉本新喜劇のベテラン座員となっている未知やすえですが、若い頃はどうだったのでしょうか。続いては、未知やすえの若い頃の動画などについて迫ってみたいと思います。
YouTubeに、漫才コンビ『やすえ・やすよ』としての、貴重な漫才をしている動画があります。この動画には、『やすえ姉さん声変わらんなぁ』『やすえ姉さんて若い時も可愛いけど年齢を重ねるほど可愛い
』といったコメントが寄せられています。
若い頃の未知やすえは、八重歯が特徴的であり可愛さの要素の一つでもありました。現在は八重歯を治療している可能性もあるでしょう。
吉本新喜劇には、各舞台で“マドンナ役”を担う女性座員がいます。現在で言えば、鮫島幸恵などが該当するでしょう。未知やすえも、吉本新喜劇の中で長くマドンナ的な存在として活躍していたのです。
吉本新喜劇の舞台に立つ座員たちには持ちギャグなどがあるケースも少なくありません。その持ち味があることで、キャラクターとして観客にも覚えてもらえることもあるでしょう。続いては、未知やすえの持ち味についてご紹介したいと思います。
未知やすえは”キレ芸”が特徴となっています。やくざのような河内弁でまくし立て、恫喝するのが定番なのです。以前であれば特に、“白ブタ”と言われるとキレるというパターンが多かったでしょう。彼女の活舌の良さにも注目かもしれません。
未知やすえはキレたとしても、それだけでは終わりません。キレた後には、口元に人差し指を当てるなどして可愛く「怖かった~」と言って締めるのが定番でもあります。すると、周囲の出演者がコケるというのもお約束でしょう。また、「あんたが一番怖いわ!」とツッコまれることもあります。
吉本新喜劇では、時としてアドリブでの演技もあるでしょう。キレ芸の際に、未知やすえはキレている相手の”プライベートネタ”を盛り込むことがあります。それは台本にあるセリフではなく、アドリブだという見方があるのです。未知やすえ自身も相手の座員も暗黙の了解ではないかという声もあります。
とはいえ、真実は分かりません。セリフかアドリブか分からない曖昧さも吉本新喜劇の魅力とも言われています。
吉本新喜劇の座員として長く活躍している未知やすえは、元は漫才コンビを組んでいた時期もありました。コンビが解散したことで、吉本新喜劇の座員となったのです。また、プライベートでは同じ座員である内場勝則と1992年に結婚しました。
内場勝則が体調不良で入院し、未知やすえがお見舞いに訪れたことがきっかけで、2人は交際するようになり結婚しています。夫婦の危機も過去にはあった模様ですが、現在は仲睦まじく暮らしているでしょう。これからも、夫婦で仲良く吉本新喜劇を盛り立てていって欲しいものです。
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