木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
酒屋の家に生まれ、元々ひょうきんな性格をしていた島田珠代さん。高校生の頃にはバラエティ番組「4時ですよ~だ」に出場し、注目を集めました。
「4時ですよ~だ」は、1987年4月6日から1989年9月29日まで放送されていた毎日放送と吉本興業の共同制作の番組。最高視聴率は16%で、これは、平日の夕方4時台の番組の視聴率としてはケタ違いの数字となっています。
この番組をきっかけに面白さが認められ、17歳で吉本興業に入った島田珠代さんは、養成所にも通わずに吉本興業を代表するコメディエンヌとして人気を博しました。
吉本興業は、もともと大阪を中心に活動していましたが1990年代の後半くらいから東京進出を画策していました。ちょうどその頃人気であった島田珠代さんは、1997年にフジテレビ系列で放送されていた全国区の人気番組「笑っていいとも!」に出演することが決定。22歳という若さで金曜日のレギュラーに抜擢されました。
島田珠代さんは、さらに、同じ吉本興業の女性芸人の山田花子さんと共に「超!よしもと新喜劇」に出演。この番組は、これまであまり吉本興業に馴染みのなかった東京を中心とした関東地方の人々をターゲットにした番組で「死ぬ気で、東京。」がキャッチフレーズ。島田珠代さんは、この番組への出演とともに知名度と人気を上げていきました。
このように、島田珠代さんは、吉本興業を全国に知らしめることになった女性芸人と言っても過言ではありません。
吉本興業では、2018年2月に乃木坂46や欅坂46につづく、所属する芸人によるアイドルグループ"吉本坂46"が結成されています。名前だけ聞くと、ふざけたアイドルグループなのかと思いきや、プロデュースはAKBグループのプロデューサー・秋元康さん。吉本興業の社長・大崎洋氏からの相談により、秋元康さんが引き受けた形で実現しました。
メンバーは、吉本興業グループに所属する女性芸人約6,000人の中から6次審査まであるオーディションによって選出されましたが、島田珠代さんも見事吉本坂46りメンバーの1人となっています。
吉本坂46は、2018年6月27日に放送された「テレ東音楽祭2018」に暫定の選抜メンバーが出演し、8月20日には島田珠代さんを含む正式メンバー46人が決定しています。
そんな島田珠代さんのギャグが2020年に注目されることになり、再ブレイクを果たしています。そのギャグとはどんなギャグなのでしょう?また、そのルーツとは?見ていきましょう。
島田珠代さんの最近話題になっているギャグといえば、パンティーテックス。このギャグは、島田珠代さんが小学6年生の頃にテレビで流れていた御幸毛織のCМのフレーズである「ファンシーテックス」を「パンティーテックス」と聞き間違えていたことから誕生したものです。
「パンティーテックス」の使い方としては、このフレーズを何かの後ろにつけるだけ。例えば、宿題をするときには「宿題パンティーテックス」と叫ぶいう具合です。
島田珠代さん個人的には、その後ずっと気に入っていたフレーズのようですが、テレビで披露されたのは2020年のこと。9月15日に毎日放送より放送された「相席食堂」での発言が初披露となり、その後は、吉本新喜劇でも幾度となく発せられています。
島田珠代さんは、とにかく「パンティーテックス」というフレーズが大好きで、"テックス"そのものには意味がないようです。ただただ、響きが好きであるようで、至るところで連呼しています。
とくに反響が大きかったのは、初めて披露した「相席食堂」での人コマ。この放送を受けて"珠代姉さんってこんなにおもろかったっけ(笑)"、"久しぶりに腹抱えて笑った"などといったコメントが殺到しました。
また、これをきっかけにトラックメイカーが島田珠代さんの声をサンプリングして曲を作成したり、TikTokなどで男女や年齢問わずにギャグを踊る動画がたくさんアップされるようになりました。
この「パンティーテックス」というフレーズは、島田珠代さんが小学6年生の頃から連呼していてたフレーズです。前述していますが、それは、小学6年生のときに流れていたCМから誕生したギャグだからです。
島田珠代さんは、日常生活において「珠代!ごはんだテックス!」などと使用していたフレーズでした。
今でこそ、老若男女問わずに人気となっていますが、40年も前から島田珠代さんとしては日常生活に密着し、愛してきたギャグということになります。
もともと空想好きで、空想からさまざまなネタが誕生してきたという島田珠代さん。パンティーテックスの元ネタは、小学6年生のときにテレビで流れていた「ファンシーテックス」のCМです。それを元に奇妙な振り付けをつけただけです。
そのことから、島田珠代さん個人としては、この「パンティーテックス」とは約40年ほどの付き合い。そのため、この「パンティーテックス」で再ブレイクしたことについては、「すごいね」といわれることについて違和感があるといいます。自分では、ブレイクしているという自覚がないという島田珠代さん。褒められ続けてしまうと、本物の「パンティーテックス」はできなくなるような気がするとも話しています。
自然体の中で生まれたギャグだからこそ、"特別"ではなく"自然"なフレーズとして口ずさんでいきたいという思いがあるのでしょう。
島田珠代さんの再ブレイクのきっかけとなった「ファンシーテックス」。現在では、多くの人に愛されているフレーズですが、その元ネタについて詳しくみていきましょう。
島田珠代さんの「パンティーテックス」が生まれたのは、「ミユキ野球教室」という番組からでした。この「ミユキ野球教室」とは、1957年3月17日から1990年3月25日まで日本テレビ系列で放送されていたスポーツ番組。
それでは、なぜ、スポーツ番組からこの「パンティーテックス」というギャグが生まれたのかというと、この番組のスポンサーが、元となった「ファンシーテックス」の製造元である御幸毛織のみであり、オーブにニング音楽として「ファンシーテックス」のCМが使われていたからなのです。
現在では有名になった「パンティーテックス」。でもこれは、小学6年生のときに島田珠代さんの聞き間違いにより生まれた言葉で、本当にCМで流れていた言葉は「ファンシーテックス」でした。
「ファンシーテックス」を「パンティーテックス」と聞き間違えるとは、ユーモアのある島田珠代さんならでわですね。
む「パンティーテックス」の元となった「ファンシーテックス」の製造元である御幸毛織からは「どんどんやってください」とお墨付きをもらっているという島田珠代さん。
2020年9月19日の御幸毛織のTwitterによると、島田珠代さんの「パンティーテックス」効果で、「ミユキ野球教室」のオープニングCМである「シルキーテックス」のCМ動画は、"この1カ月間で再生回数が4万回(達成した)"ということ。
約40年の時を経て再び脚光を浴びたことに感謝している様子でした。
島田珠代さんの日常に密着したフレーズであった「パンティーテックス」。それをテレビで初披露したのはバラエティ番組「相席食堂」でした。それはどんな様子だったのでしょうか?振り返ってみましょう。
「パンティーテックス」初披露の場となった「相席食堂」とは、お笑コンビ・千鳥がМCを務めるバラエティ番組。朝日放送により2018年4月8日より放送されています。
内容としては、芸能人が日本の至るところを訪れ、食堂で一般の人と相席をして交流するもの。その様子をスタジオを見ている千鳥の2人が、気になる点があるとボタンを押してツッコむという流れとなっています。
「パンティーテックス」を披露することになった回で島田珠代さんは、京都の「嵐山モンキーパーク」を訪れました。
相席食堂 珠代姉さん
島田珠代さんは初めから「パンティーテックス」という元気すぎるギャグを連発。すると、МCのお笑コンビ・千鳥は、ボタンを連打しながら大爆笑しました。
すると、大爆笑したのは千鳥の2人たけではなかったようで、SNSでも島田珠代さんのギャグは大評判。「久しぶりに腹かかえて笑った」などと絶賛のコメントが殺到しました。
島田珠代 沼地あり
島田珠代さんが登場した「相席食堂」の神回は、2020年9月15日に放送されたシーズン3のエピソード31『青田買いSP完結!京都のガウディ発見!?絶叫手作り遊園地vs2020年ナンバーワン女優』。
この回が「相席食堂」への初出場となつた島田珠代さんですが、シーズン3のエピソード41『秋の相席体育祭2020開催!!』にも出演しています。
テレビでの披露は「相席食堂」が初めてだった「パンティーテックス」。多くの人からはこの番組が「パンティーテックス」を全国に広めたきっかけになったと思われていますが、実は、それよりも前に公の場で披露したことがあるといいます。
それは、2017年頃に開催された藤井隆さんのイベント。このイベントでは、お笑コンビ・フットボールアワーの後藤輝基さんが原田真二さんのモノマネを披露しますが、それに絡む島田珠代さんが「パンティーテックス」を披露したといいます。
このギャグは、後藤輝基さんも気になり、「パンティーテックス」とは何か気になって島田珠代さんの帰りを待ち、楽屋に待機していたといいます。
高校生の頃からお笑い芸人として体を張り人気を獲得した島田珠代さん。私生活では結婚はしているのでしょうか?島田珠代さんの過去から現在までの結婚についてみていきましょう。
島田珠代さんの年齢は、現在51歳。もちろん、結婚していてもおかしくない年齢です。そこで、島田珠代さんの結婚について調べてみたところ、島田珠代さんは現在独身のようです。ただ、過去に結婚歴が2回あるので"バツ2"だと考えられるでしょう。
島田珠代さんの1度目の結婚は、1998年4月のこと。お相手は、当時の吉本興業の社員で、結婚をしたことからこれまで大阪で生活していましたが生活の拠点を東京に移しました。
しかし、当時は全国区で有名になり人気もうなぎ登りであった島田珠代さんは多忙を極め、それが原因かは不明ですが離婚に至ったということです。
島田珠代さんの2回目の結婚は、2007年8月31日。お相手は、名古屋の中部日本放送が制作したドラマ「湯けむりウォーズ」に出演したときに出会った美術スタッフでした。
交際期間は約1年8カ月で見事ゴールインしましたが、2013年3月に離婚したことを4月22日に発表しました。
島田珠代さんは、2008年6月25日に長女を出産しています。2番目の旦那さんとの子供です。しかし、離婚した時に親権は元夫に渡っているため一緒には暮らしていませんが、時々、島田珠代さんの自宅にも泊まりに来るなど良好な関係を築いているようです。
現在は、2歳年上の医師と交際しているという島田珠代さん。彼氏は"ひろし"さんといい、40歳で医師になったといいます。中居正広さんがМCを務めるバラエティ番組「夜な夜なラブ子さん」に登場し顔出しをしたこともあります。
交際は島田珠代さんの片思いから始まりましたが、現在は、結婚を前提に交際しているといい交際期間は2021年で5年になるようです。
島田珠代さんの悩みは自身がやきもち焼きであることであるため、嫉妬に効く漢方薬を服用するなどして対策しているそうです。
再ブレイクを果たして大人気の島田珠代さんですが、なんと、急死したという噂が広まっています。それは本当なのでしょうか?島田珠代さんが急死したという噂の真相に迫っていきましょう。
結論からいうと、島田珠代さんは亡くなってしません。では、どうして島田珠代さんに"急死"の噂が流れたのかというと、2009年に元お笑タレントの亀山房代さんが心室細動により42歳で亡くなったことで、島田珠代さんが亡くなったと誤解した人がいたからのようです。
42歳という若さで亡くなった亀山房代さんですが、島田珠代さんと名前や職業が似ていることから島田珠代さんと混同し、いろいと検索した人が多かったようです。
そのため、島田珠代さんにいて検索すると「急死」といったワードが出てくるようになりましだか、島田珠代さん本人のことではありません。
島田珠代さんは、現在も元気に吉本新喜劇の舞台に出演しています。また、「パンティーテックス」のギャグで再ブレイクしたことからテレビのバラエティ番組への出演も増え、新たな魅力を見せてくれています。
「パンティーテックス」というギャグによって再ブレイクした島田珠代さん。これまで島田珠代さんを知らなかった若者の間でも知名度が上がっています。そのため、グッズが販売されたとか?どんなグッズが販売されたのでしょうか。見ていきましょう。
島田珠代さんのグッズがTSUTAYA限定で発売されています。それは、"おうちでもお笑い気分を味わってもらおう"というコンセプトのもと制作られたもので、島田珠代さんも「パンティーをテックスしたい方はこのグッズを身につけてください!」とコメントしています。
このグッズは、島田珠代さんのギャグである「パンティーテックス」をのロゴあしらったグッズ。また、ポーズのシルエット入りとなっていて2021年2月18日からの限定発売となっていました。
カラーは、ロゴキーホルダー(イエローとピンク)、ネイビーのポーチ、ブラックのTシャツやパーカーの4種類となっていて、島田珠代さんもグッズの出来には満足げ。「とてもかっこよく仕上がっている」とコメントしています。
高校生の頃にブレイクし、吉本興業を関東にも広めた島田珠代さん。ブレイク当時の人気はものすごかったようですが、2020年には「パンティーテックス」のギャグで再ブレイクを果たしています。
「パンティーテックス」も小学6年生の頃から使っていたフレーズである島田珠代さん。まだまだ眠っているギャグが飛び出してきそうな勢いです。今後も、島田珠代さんの活躍から目が離せませんね。
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