岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
東京出身の膳場貴子さんですが、1歳から7歳まで旧西ドイツで生活していました。これは、膳場貴子さんの父親は商社マンだっため、仕事の都合で家族全員で旧西ドイツに移住したようです。
帰国子女と聞くと、滞在していた国の言葉が話せるイメージがあります。しかし、膳場貴子さんの場合は、幼い頃に生活していただけなので、ドイツ語はほとんど話せないようです。帰国子女の子供は、外国語を簡単に忘れてしまうという話もあります。
ちなみに、膳場貴子さんの姉の膳場綾子さんは、ドイツのカールスルー国立音大に入学して演奏国家資格を取得しています。
膳場貴子さんの実家は、世田谷区を代表する地主の1つとして知られています。膳場家は、下北沢村を開墾した膳場将監の子孫です。世田谷区には他にも有名な大場家・秋山家があり、膳場家を入れて世田谷区3大地主と呼ばれることもあります。
膳場将監は、当時は未開の地だった下北沢村を開拓して、現在の下北沢の基礎を築いたと言われています。膳場貴子さんの実家の敷地は120坪と言われており、かなりの豪邸があるようです。
膳場貴子さんは、中高一貫の女子学院中学校・高等学校を卒業後に東京大学大学文科3類に入学します。女子学院中学校・高等学校は150年以上前に設立された私立の学校で、卒業生は馬場典子さんなど女子アナが多いことでも有名です。
大学時代は劇団BIHOPに所属しており、モデルなども経験しています。3年から東京大学医学部健康科学・看護学科に編入し、卒業しました。看護学科は看護師になるための学科ですが、膳場貴子さんが看護師資格を持っているのは不明です。
大学卒業後にアナウンサーになった膳場貴子さんですが、アナウンサーとして経歴はどうなっているのでしょうか?膳場貴子さんの経歴をまとめました
東京大学を卒業した膳場貴子さんは、1997年にアナウンサーとしてNHKに入ります。静岡放送局に勤務し、「膳場貴子のほっとブレイク」という番組を担当しました。2000年から東京アナウンス局勤務となり、「NHKニュースおはよう日本」や「NHK紅白歌合戦」の司会などを担当します。
2001年から放送された「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」のスタッフとして、菊池寛賞も受賞しています。他にも多数の番組に出演しますが、2006年3月にNHKをを退職します。
NHKを退職した半年後に、フリーのアナウンサーになった膳場貴子さんは、TBSと専属契約を結びます。2006年9月25から「筑紫哲也 NEWS23」のサブキャスターを務めました。NES23は1989年から放送されている報道番組で、当時はメインキャスター筑紫哲也さんの冠番組でした。
筑紫哲也さんが病気療養となった2007年5月からは、代理のメインキャスターとして番組を進行しました。その後、後藤謙次さんがメインキャスターとなりますが、締めのセリフは膳場貴子さんが言っていました。
NEWS23は、2009年3月にリニュアルされ、膳場貴子さんは正式にメインキャスターに就任します。膳場貴子さんはメインキャスターとして数々の取材や重要人物へのインタビューなどを行います。
その後、NEWS23は番組名の変更などリニュアルを繰り返しますが、膳場貴子さんは2016年までメインキャスターを務めました。NEWS23の出演料は1ヶ月で350万とも言われており、この頃の膳場貴子さんの年収は5000万円以上と推測されていました。
2015年7月に膳場貴子さんの妊娠が明らかになり、11月20日に産休に入ることが発表されます。産休とは関係ありませんが、2015年の時点でNEWS23を卒業することが明かされていました。
2016年2月に復帰しますが、3月いっぱいでNEWS23のメインキャスターを降板しました。2016年4月2日から2021年11月現在まで、報道特集でメインキャスターを務めています。
高齢出産で話題になった膳場貴子さんですが、過去には2回離婚しています。膳場貴子さんの元夫の情報や離婚理由に関する噂をご紹介します。
膳場貴子さんが、最初に結婚した相手は東大出身で大学時代から5年間付き合っていた同級生の男性だそうです。1番目の元夫は、一般人ということで名前も顔写真も公開されていませんが、大手化学メーカーに勤務していたと言われています。
結婚したのは、2001年で2年後の2003年に離婚しています。
2005年、膳場貴子さんはミュージシャンの瀬田俊介さんと2度目の結婚をします。瀬田俊介さんは東大法学部の出身で、2001年までRita Rit.(リタ・リタルダント)というバンドで活動していました。その後は、ソニーに就職したと言われています。
瀬田俊介さんの勤務先がロンドンだったため、膳場貴子さんはロンドンで専業主婦をしていました。しかし、2006年に膳場貴子さんは「NEWS23」のサブキャスターを務めるために、日本に帰国します。
夫婦別居状態となり、2回目の結婚も2年2ヶ月で離婚となりました。
2度の離婚の理由は何だったのでしょうか?離婚の原因は、膳場貴子さんが家庭よりも仕事を優先したためと言われています。最初の結婚の時は、家事をすることはほとんどなく、夫の実家には一度も顔を見せなかったと週刊誌で報道されました。
2度目の結婚でも、膳場貴子さんは夫をイギリスに残して、仕事のために1人で帰国しています。ただし、本人は離婚の理由について、何も語っていないので真相は不明です。
3回目の結婚で出産が明らかになった膳場貴子さんですが、デキ婚だったことや夫が膳場姓になったことなども話題になりました。膳場貴子さんの3回目の結婚に関する情報をまとめました
膳場貴子さんは、2015年に広告代理店勤務の男性と3度目の結婚をしています。夫は東大の同級生で、バツイチだということです。入籍した時点で膳場貴子さんは妊娠しており、デキちゃった結婚だったこともわかっています。
結婚が報道された時点で、2人は都内の高級マンションで暮らしていました。夫は学生時代は柔道部に所属していたスポーツマンで、膳場貴子さんの母親が「ホントに人柄が良いんです」とコメントしています
結婚が明らかになった時点で40歳で高齢出産となった膳場貴子さんですが、2015年12月6日に第一子の女の子を出産しています。子どもの名前などは、公表されていません。当時、NEW23のメインキャスターを務めていた膳場貴子さんは、2015年11月から2月まで産休を取りました。
結婚が明らかになった時点で、膳場貴子さんは出産後に仕事に復帰する予定と報道されていました。出産から2か月という速さで、NEWS23に復帰します。その後、第二子は生まれていないようです。
膳場貴子さんの3度目の結婚は、夫が膳場性になったことでも話題になりました。夫が膳場性になった理由は、結婚して名字が変わるのを嫌がった膳場貴子さんのためだということです。ただし、婿入りに関しては、膳場貴子さんの母親が否定しています。
膳場貴子さんの妊娠・再婚の報道はすぐにはされませんでしたが、本人が公表されるのを嫌がったのが原因といわれています。マスコミに大きく報道されないように、TBSでは打ち合わせも行われたようです。
膳場貴子さんの経歴や現在の夫、子どもの情報などをご紹介しました。過去には仕事を優先しすぎて離婚したと言われている膳場貴子さんですが、3回目の結婚では子ども生まれて離婚の噂もありません。仕事と家庭を両立して、頑張ってほしいですね。
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