木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
犯人の飯森裕次郎は、2019年6月16日午前5時40分ごろ、大阪府吹田市にある、吹田警察署千里山交番で警察官を刺しました。
飯森裕次郎は、古瀬鈴之佑巡査の左胸部、太もも、腕などを刃物で7か所刺しており、中でも左胸部の傷は、肺を貫通し心臓にまで達しており、緊急手術で肺の一部を摘出する重傷でした。
一時意識不明だった古瀬鈴之佑巡査は、事件から5日後意識を回復しました。
事件当日、交番には3人が勤務していましたが、空き巣の通報を受け、先に2人が出動しており、後から応援に向かうため巡回用バイクに乗ったところで古瀬鈴之佑巡査を襲撃しました。
そして、古瀬鈴之佑巡査を刺した後に、拳銃を強奪して逃走しており、世間が騒然となりました。
飯森裕次郎は、逃走中にイオンモールで服を購入しており、その際、イオンモールから「手に血が付いた男が服を購入した」と通報されていました。
その際、置いていった靴の箱についた指紋と狂気に残っていた指紋が一致したため、防犯カメラの画像をSNS等で公開し情報提供を呼びかけました。
また、公開した画像を見た、父親から「息子に似ている」と通報があり、警察は、飯森裕次郎を全国指名手配しました。
飯森裕次郎は、豊中市などで逃走をしていたが、箕面市の山中に入っていく様子が防犯カメラで捉えられており、警察が山狩りを始め1時間半ほどで逮捕されました。
犯行の動機は、地元同級生を同窓会に誘ったものの、快い返事がもらえなかったことが動機の一つにあると考えられています。
また、以前にも友人の連絡先を聞き出していて、嘘の空き巣通報をする際に用いていました。
飯森裕次郎は、「私のやったことではない。周りの人が酷くなったせいだ」と供述していて、鑑定留置が行われることが決定されました。
続いては、飯森裕次郎の生い立ちや経歴について詳しく見ていこうと思います。
飯森裕次郎は、吹田市立小学校の出身であり、野球をやっていてプロ野球選手になるのが夢だと語っていました。
性格も明るい少年で、クラスの中心的存在だったそうです。
飯森裕次郎は、吹田市立中学校に進学し、小学校の頃から引き続き、野球部に所属していました。成績は上位であり真面目なタイプだったと同級生は語っています。
高校は、大阪府吹田市にある公立高校の北千里高校に進学しています。進学校で多くの生徒が大学に進学しており、近畿を中心とした国公立や関関同立、産近甲龍に進学している生徒が大多数です。
飯森裕次郎は、高校時代はあまり目立つタイプではなかったそうで、野球をやっていたという話はありません。
大学は、駒澤大学に進学しています。
飯森裕次郎のFacebookと思われるアカウントには、東京大学の過去問とその答えが書かれた紙の写真がアップされており、本当は東大に進みたかったのではないかと言われています。
飯森裕次郎は、2009年4月1日、海上自衛隊横須賀教育隊(神奈川県横須賀市)に入隊しています。同年8月7日、二等海士として護衛艦「しらゆき」に配置され、大卒の飯森裕次郎は第一班のリーダーである班長を任されていたそうです。
しかし、2カ月もたたぬ9月30日付で依願退職しています。
自衛隊にいた時の飯森裕次郎は、証言によると「笑わない男」「感情を表に出すことなく、物事を冷静に観察、分析する男だった。」「性格は温厚で真面目。」という印象だったようです。
自衛隊を退職してから、何をしていたのかは分かっていませんが、2015年に、岩手めんこいテレビの関連会社「めんこいエンタープライズ」に入社しています。
後述しますが、飯森裕次郎の父親が関テレの取締役をつとめていたことから、コネ入社だとの噂があります。
放送中の映像のチェックなどを担当していたそうですが、7か月ほどで退職しています。
岩手めんこいテレビを退職した後は、2018年11月に、アコーディアゴルフに障碍者雇用(後述)にて採用されています。
2019年6月12日頃から精神の不調により仕事を休んでいましたが、事件前日の15日夕方に職場に「また仕事をしたい」と連絡し、25日からバイトに来る予定だったそうです。
飯森裕次郎はfacebookをやっており、逮捕された後にアカウントが発見され、瞬く間に拡散し批判の声が多数書き込まれ炎上しました。
その中で、出身地や出身高校や大学などが判明する事となりました。また、東大を目指していたことが分かるような画像を投稿していました。
続いては、飯森裕次郎の家族について見ていこうと思います。
父親は関西テレビの取締役常務をつとめていた、飯森睦尚さんです。
父親が事件を報道で知り、容疑者が息子に似ていると府警に情報提供したことから、飯森裕次郎の逮捕がスムーズに行われました。
事件後、取締役常務を退任し、顧問に就任しました。
母親は父親と高校時の同級生だったとされていて、元アナウンサーであるとの話がありますが、詳細は分かっていません。
逮捕時、父親は仕事のため大阪で住んでおり、飯森裕次郎は母親と都内のマンションで住んでいたと言われています。
飯森裕次郎には、2歳上の兄がおり、博報堂の関連会社に勤務していると噂されていますが、真相は不明です。
続いては、飯森裕次郎が現在どうしているのか見ていこうと思います。
2021年8月10日に大阪地裁で裁判員裁判の判決があり、懲役12年(懲役求刑は13年)が言い渡されました。
しかし、弁護側は16日、この一審判決を不服として大阪高裁に控訴しており、今現在も裁判は終わっていません。
弁護側は「病気による幻聴や妄想に由来する行動だった」とし、無罪を主張していました。
公判で、飯森裕次郎は、統合失調症の悪化で頭の中に現れる幻覚・幻聴の「精霊さん」の指示に逆らえない状態だった、事件時は「警察官を『刺して殺せ』という指示があった」と述べていました。
しかし、『病気の影響は大きかったものの、本人の意思で計画的に事件を起こした』として、無罪の主張が退けられた格好となりました。
被害者となった巡査は回復し、2020年1月に吹田警察署地域課に7か月ぶりに復職しました。内勤からのスタートであり、まだ腕を上げると胸が痛むといい、今後もリハビリを続けるという事が明かされました。
続いては、裁判の論点ともなっている、飯森裕次郎の精神疾患について見ていこうと思います。
飯森裕次郎は、精神疾患と統合失調症の疑いがあります。
岩手めんこいテレビを退職した理由も『精神障害者福祉手帳2級』に認定されたためであったようです。
精神障害者福祉手帳2級の判定基準は、「日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの」だそうですので、普通に仕事をするのは不可能であったと考えられます。
飯森裕次郎の、犯行時の所持品の中に、所持金10万円の他に障がい者手帳があったため、障がい者と判明しました。
また、飯森裕次郎も、逮捕後の供述で「私のやったことではない。周りの人が酷くなったせいだ」と話しています。
飯森容疑者は事件の5年ほど前に、警視庁品川署を1人で訪問し、
・「ドラゴンクエストのゲームをやめたら心臓から声が聞こえて困っている。昔住んでいた吹田市の人たちの声です」
・「友達や小学校の先生、自衛隊にいたことがあるがその時の同僚の声などが聞こえる」
・「心臓の中を確認してもらうことはできますか?」
などと話し、幻聴を訴えていたようです。
飯森裕次郎は、岩手めんこいテレビを退職した後に、障害者支援施設に入所していたことがあったようです。
2019年に起こった『大阪拳銃強奪事件』の概要や犯人・飯森裕次郎の生い立ちなどについてご紹介してきました。
犯行の動機は、統合失調症の悪化で頭の中に現れる幻覚・幻聴の「精霊さん」の指示に逆らえない状態で、事件時は「警察官を『刺して殺せ』という指示があった」と飯森裕次郎は述べており、未だに裁判は終わっていません。
この事件の判決に注目していきたいですね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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2019年に、大阪の交番で警官が襲われ拳銃が奪われる事件が発生し、大きな話題となりました。まず、事件の詳細について見ていきましょう。