木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
平成に起こった痛ましい大事件の中で避けては通れないのがネオ麦茶事件です。世界を震撼させた地下鉄サリン事件から約6年後、公共交通機関の警備が強化された中で起こってしまった事件です。
今回は、ネオ麦茶事件の概要、犯人の経歴や犯行動機、犯人は現在何をしているのか?について徹底調査した結果をご紹介します。痛ましい事件を起こす犯人は幼少期からズレてしまっていることが分かったのです。
本事件は未成年が起こした犯罪なのですが、調べていく中で彼もまた幼い頃から「ある意味被害者」として辛い経験をしてきました。もちろん犯罪を犯したことは悪いのですが、彼の人格がどこで形成されてしまったのか、これについても注目してみてください。
ネオ麦茶事件は西鉄バスジャック事件と言われており、2000年(平成12年)5月3日に発生した事件です。当時17歳の少年がバスジャックを起こし、死亡者1人、負傷者2人という大事件になりました。
佐賀県バスセンターから出発した西鉄バスに乗り込んだネオ麦茶(犯人)は、13時30分に西鉄バスの運転手へ目的地である天神では無く、東に走れと命令しました。乗客が抵抗しないように男性を後向き、女性を前向きに座り直させたのです。
しかし、乗客の女性が犯人の指示を無視していました。悪には屈服しないという意志の現れだったのでしょうか。その行動に腹を立てた犯人は躊躇うことなく女性を牛刀で切りつけると、「俺の命令に逆らうとこうなるぞ...」と、乗客を恐怖で支配しました。
ネオ麦茶は途中でトイレ休憩をするように指示すると、逃げられないように1人ずつバスを降りるように命令し、逃げたら他の乗客へ危害を加えると脅しました。しかし、最初に降りた女性がネオ麦茶の目を盗んで逃走し、警察へ通報したのです。
それに憤慨したネオ麦茶は、見せしめとして乗客者の1人に危害を加えました。通報を受けた警察は15時9分に緊急警備体制を整えると、15時35分にはバスの追尾を開始。ネオ麦茶は自分から警察に通報すると、防刃チョッキや拳銃などを警察に要求したのです。
目的地へ着くまでのパーキングエリアで、西鉄バスから男性を少しずつ降ろしながらバスジャックを続けていきました。午前5時頃にネオ麦茶が人質に取っていた少女と離れた瞬間に特殊急襲部隊SATが突入して事件は終結を迎えました。
西鉄バスジャック事件がなぜ「ネオ麦茶事件」と呼ばれているかと言うと、犯人がインターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告をした書き込みが残されており、その時に使っていたハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオ麦茶事件)と呼ばれています。
ネオ麦茶は匿名掲示板で「佐賀県佐賀市17歳...」というスレッドを立て、「ヒヒヒヒ...」と、猟奇的な書き込みを続けていました。犯行予告は西鉄バスジャック事件だけでは無く、「佐賀でバスジャックをする」という書き込みもありました。
現代ではTwitterやInstagramに不適切な投稿をすると、個人でも年齢や顔などを特定することが出来るのですが、当時のリテラシーではネットで個人を特定するのが困難でした。ネオ麦茶が自ら個人を主張してくれた事もあり、事件解決に近づいたのです。
ネオ麦茶事件こと西鉄バスジャック事件は、負傷者が2人と死亡者が1人という大きな事件でした。前代未聞の事件に警察はバスジャックに対応できる部隊を事件のその後に設立したほど影響力を与えた事件になりました。
SATの突入により逮捕されたネオ麦茶は、当時17歳でした。14歳以上の未成年の場合は成人と同様に刑事責任能力が生じます。西鉄バスジャック事件も例外ではなく、佐賀県家庭裁判所による西鉄バスジャック事件の犯人であるネオ麦茶は刑事処分が相当であることとされました。
17歳という若さでバスジャック事件を起こしたネオ麦茶の素性について気になりますよね。感情的に事件を起こしていると思われがちですが、男性を後向きに座らせたり、見せしめの為に乗客を襲ったり、バスの中では意外にも冷静だったようです。
ここからはネオ麦茶の生い立ち、ネオ麦茶の本名や犯行動機についてご紹介します。このような痛ましい事件が身近に起こらない為にもネオ麦茶の様な精神的な病を抱えた少年を保護する様な団体が増えてきてほしいと思います。
ネオ麦茶の中学時代は、つい同情してしまうほど悲惨な学生生活を送っていたのです。佐賀市立昭栄中学校に入学したネオ麦茶は学業は優秀だったのですが、寡黙で大人しい性格だったことで周りと馴染むことができなかった少年でした。
次第に周囲からイジメを受けるようになり、中学校という環境に適応できなかったことで自分に強い劣等感を抱いていたのです。劣等感が強まり、さらに暗い性格になってしまった彼をクラスメイトが脅して「踊り場から飛び降りろ」と命令しました。
抵抗することができなかったネオ麦茶は、それに従い飛び降りてしまったのです。その時の事故が原因で彼は頚椎を損傷して、入院することになりました。彼の劣等感は強まり、人を見下すことで気持ちを落ち着かせていたのです。
中学時代に酷いイジメを受けていたネオ麦茶は、踊り場から飛び降りさせられた事による頚椎損傷が原因で高校受験にも失敗してしまい、彼が目指していた学校よりもランクが下の高校へ進学することになりました。
ネオ麦茶が望んだ高校で無かったことや、イジメを受けていた過去がフラッシュバックしてしまったことが原因で、5月には自主退学。典型的な引きこもりの生活を送るようになりました。引きこもりになってしまった事が彼の人生を狂わせる原因になったのです。
ネオ麦茶は両親に「パソコンが欲しい」とねだり、何かに熱中してほしいと考えた両親はパソコンを買い与えることにしたのです。ネオ麦茶はそこから匿名掲示板に出会い、様々なスレッドを荒らすようになりました。
引きこもり生活を送っていたネオ麦茶ですが、彼の唯一の楽しみだったのが父親との深夜ドライブでした。少しでも外の世界へ連れ出そうと父親がネオ麦茶をドライブに誘ったことがきっかけで、ネオ麦茶自ら父親とのドライブを望むようになりました。
しかし、息子であるネオ麦茶と父親がドライブをしている間、母親が息子の部屋を覗くと、犯行声明文とスタンガンなどの様々な武器を見つけてしまったのです。事態を重く受け止めた母親は息子であるネオ麦茶を精神病院へ入信させようとしました。
ネオ麦茶にとっては、この行動が両親からの裏切り行為だと捉えてしまい、彼の心の中は、手榴弾のピンを抜いた様な精神状態になってしまったのです。彼が生きる目的は両親への復讐となり、今回の西鉄バスジャック事件を引き起こすことになりました。
犯行当時の2000年に17歳だった彼は、匿名掲示板で使われていた「ネオ麦茶」というハンドルネーム呼ばれていました。しかし、事件から約20年経った現在、ネオ麦茶の本名が分かったのです。
猟奇的な殺人事件を起こしたネオ麦茶の本名は気になりますよね。もし、その名前の男性と知り合う事になったら注意をしないといけません。彼は現在何をしているのかについてもご紹介します。
西鉄バスジャック事件の犯人は当時未成年だったため、顔や本名を隠した匿名で事件が報道されていました。しかし、成人した現在ではその本名は谷口誠一であると公表されたのです。気になる顔写真やその後については公表されていないことが分かりました。
犯罪を犯してしまった人が、社会復帰を目指す場合、どうしてもこれまでの名前が邪魔になってしまいます。つまり改名する必要があるのです。服役をして出所をした多くの人がこれまで使っていた本名を捨て、新たな人間として生まれ変わり、生活をしています。
ネオ麦茶こと谷口誠一も世間に本名が公開されてしまったので、現在は改名をしているでしょう。改名後の名前は公開されていません。この様な事件が起こった場合、インターネットでは現在の名前や顔について推測する話題が広がるのですが、断定できる様な信憑性の高い情報はありませんでした。
西鉄バスジャック事件を起こした谷口誠一の当時の年齢は17歳でした。彼は1983年生まれという事なので、2019年現在では36歳になります。
中学校の頃に谷口誠一をイジメていた同級生も36歳。ネオ麦茶の人格を作ってしまったのはいじめっ子達が原因と言っても過言ではありません。殺人によって他人の人生を狂わしてしまったネオ麦茶ですが、彼も人生を狂わされた被害者でもあるのです。
働き盛りの36歳。結婚をして過程を持って幸せに暮らしている同級生も多いでしょう。彼が更生してることを願うばかりです。
谷口誠一は西鉄バスジャック事件後、精神鑑定結果として隔離性障害や行為障害の症状が見られるとして精神科医の観察を受けることになりました。2000年9月には京都医療少年院に5年以上収監されました。
再び閉ざされた生活を送ることになった谷口誠一は、少年院に収監されてから役6年後の2006年3月26日に保護期間が満了して、22歳で正式に出所することになりました。3人の死傷者を出しながら6年間で出所したことで世間からは批判の声も寄せられていました。
22歳という若さで出所をした谷口誠一ですが、今現在の行方は明らかにされていません。少年院を出所した後は、被害者への謝罪なども見られ、事件を起こしたことを反省している様でした。少年犯罪において一番怖いのは再犯の可能性です。
少年院を出所したその後、25歳までに再犯してしまう割合は全体の4割を占める統計があります。再犯する危険性が高いと言われていましたが、出所後は彼の名前が報道されることがありませんでした。過去の凶悪な事件では出所をして再び殺人事件を起こす少年もいたので、彼が同じ類にならなかったのが唯一の救いでしょう。
出所をしてから既に14年が経ったので、現在は社会人として働いているのと考えられます。犯罪を犯してしまった人は社会的な地位を取り戻すことは非常に難しいのですが、社会復帰をする団体などもあるので、サポートを受けながらひっそりと暮らしている事でしょう。
ネオ麦茶こと谷口誠一が引き起こしたバスジャック事件で、被害者を受けた高取千佳さんと山口由美子さんは、SATがバスへ突入した後、無事に保護されて入院することとなりました。2人とも精神的なショックを受けて、未だにバスへのトラウマがあるそうです。
特に山口由美子さんは、10箇所を切りつけられていたので重症を負っていましたが、現在では無事に回復しています。医療の進歩によって見た目などの症状は回復しますが、事故によって傷ついたのはカラダだけではありません。彼女たちの心の傷は一生癒えないでしょう。
西鉄バスジャック事件によって谷口誠一に刺された塚本達子さんは、事件中に亡くなられました。塚本達子さんの遺族は事件後に谷口誠一と面会をしました。谷口誠一はこの時に40分の時間をかけて遺族への謝罪を行いました。
塚本さんの遺族は谷口誠一を許すことができず、22歳という若さで出所をしたことについても良い思いをしていませんでした。一方で、殺人を犯したものは死刑になるべきだと考えていた被害者の山口さんは、この事件をきっかけに少年法の在り方について意見を180度変えることになりました。
今回の西鉄バスジャック事件は被害者だけではなく、未成年の犯罪や少年法、インターネット上の書き込みの規制など、これ以上痛ましい事件が起きない方法を考えさせられるようになりました。
当時17歳の青年が1人を殺害し、2人に重傷を負わせた悲惨な事件を起こしたネオ麦茶こと谷口誠一の弁護士を誰が務めるのか非常に注目が集まりました。犯罪者とは言っても彼は未成年。
殺人鬼である彼にもそれなりの人権はあります。ここからは谷口誠一の弁護士についての素性をご紹介します。
実は西鉄バスジャック事件を担当した弁護士は公表されていません。しかし、はばたき法律事務所所属の中田憲悟弁護士が西鉄バスジャック事件の弁護をされたとして、インタビューを受けているようです。
中田憲悟弁護士は、少年事件に限らず離婚や相続・遺言・不動産から交通事故まで様々な法律義務を受けているようです。中田憲悟弁護士は「弱者のために正義を貫く」を理念に掲げており、本事件による弱者の意味は「当時17歳の犯人」だったのかも知れません。
裁判においては事実を紐解くため、感情論は一切含まれません。中田憲悟弁護士の様な意志を持った方が弁護士になることで、正しく裁かれ罪を償うことができるでしょう。
成人した者による犯罪の弁護には、国選の弁護士がつきます。国選の弁護士とは国が弁護士を選び、その費用を国から出すという仕組みのことです。当時の未成年犯罪には国選の弁護士がつく仕組みがありませんでした。
谷口誠一のような17歳という若さで犯罪を犯した場合、裁判での判決はどのような場合であれ、犯人を守るようになっていたのです。実際に谷口誠一の判決も事件の残酷さからは想像できないほど、軽い刑罰になりました。
西鉄バスジャック事件に限らず、未成年による犯罪が増えたことで少年犯罪の制度が代わり、2014年から未成年の犯罪についての裁判においても国選弁護士がつく事になりました。今後、少年を犯罪から守る仕組みがますます強化されていく事でしょう。
ネオ麦茶事件によって、いじめられっ子が悪のヒーローになってしまうというドラマの様な展開が、ネオ麦茶と同じ境遇の人たちを悪い意味で刺激をするようになってしまいました。
ネオ麦茶事件後に、谷口誠一に感化された模倣犯が各地で現れるようになりました。ここからは当事件をきっかけに生まれた模倣犯の犯罪についてご紹介すると共に、悲惨なバスジャック事件が起こらないようにバス事業者の間で改定された対策について紹介します。
西鉄バスジャック事件では谷口誠一が匿名掲示板でネオ麦茶と名乗った所から犯罪が始まりました。残酷なことにネオ麦茶に寄せたハンドルネームを使った模倣犯による犯罪が各地で起こってしまったのです。
2ちゃんねるで「ネオむぎ酒」と名乗る人物がYOSAKOIソーラン祭りを妨害する犯罪予告を書き込み、恐喝容疑で書き込みを行った少年が補導されました。同様に「ネオ烏龍茶」と名乗る人物が小田急電鉄を爆破予告することを書き込み、威力業務妨害で逮捕。東京地裁で執行猶予付きの有罪判決を受けました。
また、豊田市内を走行していたバスでは、果物ナイフで運転手を脅し、バスジャックする事件が発生しました。銃刀法違反容疑などで逮捕された容疑者は家出をしていた中学2年生の少年でした。その少年は母親から西鉄バスジャック事件について聞かされていたのです。
日本バス協会では、西鉄バスジャック事件の様な悲惨な事件を二度と起こさないように、統一対応マニュアルを作成しました。各種の緊急連絡体制の整備を改め、車内の異常事態が周囲に分かるように、行先表示画面に「SOS」や「緊急事態発生」などを表示できるようにしました。
陸上から車両を追跡する場合、周囲の一般車両と接触事故などを引き起こす場合もあります。そんな時のためにヘリコプターを使い、上空から車両を特定できるようになりました。車両の屋根の上に番号を表示することで追跡と特定をしやすくしています。
西鉄はネオ麦茶事件以来、グループ会社を含めた全ての車両に緊急通報装置を取り付け、日々訓練を行ってきました。2014年には再びバスジャックが起こってしまったのですが、緊急通報装置のおかげで、複数のドライバーが通報をして事件解決をすることができました。
2000年に起きたネオ麦茶事件は日本を震撼させた事件になりましたが、それ以降も未成年による重大な犯罪は起こり続けているのです。心も未熟な未成年だからこそ、その瞬間に抱いた感情のまま犯罪に手を染めてしまうです。
非常に心苦しい事件ばかりですが、年月と共に風化されてしまっては遺族の無念は晴らすことはできません。加害者でも被害者でも無い人達が出来ることは、二度とこのような事件を起こることが無いように対策をすることです。
ここからは2000年以降の未成年による犯罪を取り上げ、事件を風化させない様にしていきます。今でも少年法の在り方について問われています。今からご紹介する事件を見たら未成年だから罪が軽くても良いという考えにはならないでしょう。
ここからご紹介するのは、未成年の犯罪者が犯した非常に残酷な事件ばかりです。文字を見ただけでも気分が悪くなってしまう場合もあるので、刺激に強く無い方は閲覧を控えてください。
5月1日には豊川市主婦殺人事件が発生しました。この犯人は医療少年院送付の保護処分を受けています。その1ヶ月後には岡山金属バット母親殺害事件、また翌月には、山口母親殺害事件が起こりました。この犯人は出所後にも殺人事件を起こし、死刑判決を受けています。
2001年9月には御殿場事件によって懲役1年6ヶ月の実刑を受けた少年、そして記憶にも新しい2015年2月には、川崎市中1男子生徒殺害事件もありました。主犯の少年は懲役9年以上13年以下の不定期刑を受けています。
ネオ麦茶こと谷口誠一が起こした西鉄バスジャック事件が社会に与える影響は凄まじいものでした。この事件は犯人が神戸連続児童殺傷事件の犯人と同学年であることもあり、1990年以降の日本の少年犯罪凶悪化を象徴する事件であるという人もいます。
また、西鉄バスジャック事件の直前には愛知県豊川市で17歳の少年が面識の無い主婦を殺害する事件が起こっており、両事件の犯人が17歳という共通点からマスコミが「キレる17歳」という言葉が世間で流れるようになりました。
当時17歳だった少年たちは社会的偏見を受けてしまうことになりました。また、犯人と同学年ということもあり、理由なき犯罪世代と呼ばれることもありました。全く事件とは関係無く人でもここまで社会的な影響を受けてしまっていたのです。
谷口誠一は、神戸連続児童殺傷事件の犯人である少年Aこと酒鬼薔薇聖斗を崇拝していることが分かりました。3月に酒鬼薔薇聖斗と署名をした犯行予告声明を各所に送っていたのです。また、バスジャック直前に発生した同年代の少年による豊川市事件については、事件直前の手記で人殺しの少年を賛美する記述をしていることが分かりました。
その記述には、「素晴らしい、良い風潮だ」「40ヶ所以上滅多刺しにした快感はどうだった?」「君とは共通点がありすぎる。年齢も一緒。学校では優等生」など、狂気に満ちた様子でした。
次々と同世代が大事件を起こしていることに感化されてしまった谷口誠一は、「自分もやらなくては...」という気持ちになってしまったのでしょう。本事件をきっかけに少年による引きこもりは大きな社会問題になりました。
当時17歳という若さで犯罪に手を染めてしまったネオ麦茶こと谷口誠一は、現在36歳になり一般人と同じように生活をしています。死亡者1人、重傷者2人という悲惨な西鉄バスジャック事件によって被害を受けたのは3人だけではなく、乗車していた全ての人々です。
谷口誠一によって切りつけられた被害者の方は、医療技術によって回復をしましたが、単純にカラダの傷だけではなく、心にも深い傷を負っています。谷口誠一によって受けたトラウマは現在も癒えることはありません。
インターネットが普及したことにより、少年が加害者にも被害者にもなる時代になってしまいました。インターネットが悪いわけではなく、使い方が問題視されているのです。自分の子供が加害者にならない様に、しっかりとした教育が必要になってくるでしょう。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局