木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
渡辺二郎は、岡山県で生まれて大阪で育ちました。
渡辺二郎の父親は、実業家だったため、裕福な家庭に育ったようです。現・大阪体育大学浪商高校に入学して、水泳部に所属していました。その後は、大学に進学し、追手門学院大学文学部英文学科を卒業しています。
大学時代は日本拳法部に所属していたそうです。
渡辺二郎がボクシングを始めたのは、大学を卒業してからでした。ボクシングの道へ行くことを決め、大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門しました。
渡辺二郎は、1979年にプロデビューし、翌年には、後のWBC世界フライ級王者・小林光二をフライ級・全日本新人王決定戦で1ラウンドKOをしています。
そして、1981年には世界初挑戦しましたが、この時はWBCスーパーフライ級王者金喆鎬(韓国)に挑み、15回判定負けしました。
そして、翌年にはWBA世界スーパーフライ級王者ラファエル・ペドロサ(パナマ)に挑戦し、15回判定勝ちで世界王座を獲得しました。
その後、この階級では6回、防衛に成功しています。
渡辺二郎は、WBAに続き、WBCのタイトルも獲得し、4度の防衛に成功しています。
渡辺二郎の戦い方は、「ファイティングコンピューター」と言われるほどクレバーな試合運びででした。
1980年代前半までは活躍していた渡辺二郎ですが、1986年3月30日、5度目の防衛戦でヒルベルト・ローマン(メキシコ)に12回判定負けを喫し、遂に世界王座から陥落します。
その後、練習生であった同ジムの辰吉丈一郎とのスパーリングで、辰吉の才能とセンスに驚き、それが引退を決心したきっかけになったのだそうです。
1991年に引退発表をし、翌年に同じジムの後輩・後輩辰吉丈一郎の世界王座初防衛性の前に引退セレモニーを行いました。
渡辺二郎の生涯戦績は、28戦26勝2敗でした。
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続いては、プロボクサー引退後の、渡辺二郎について見ていこうと思います。
渡辺二郎は、引退後は講演やタレントとしてテレビに出演していました。
しかし、1995年に恐喝事件で逮捕されて執行猶予処分となります。この頃には山口組の幹部に就任していたと言われています。
さらに、1999年には、殺人事件に使われた自動小銃を売買していたとして、銃刀違反で逮捕・起訴され、2007年には、証人等威迫罪容疑で逮捕され、日本ボクシングコミッションはライセンスの無期限停止処分とし、渡辺二郎はボクシング界から事実上の永久追放になりました。
山口組の幹部に就任していた事実が発覚したのは、2007年に起きた、羽賀研二未公開株詐欺事件に絡み恐喝未遂の疑いで逮捕・起訴され、有罪判決を受け懲役2年の判決が確定した時に、渡辺二郎が指定暴力団山口組系極心連合会関係者であることが報じられたためです。
さらに2012年11月には、暴力団関係者ということを隠してゴルフ場を利用したということで、山口組の最高幹部と一緒に詐欺容疑で逮捕され不起訴となっています。
島田紳助が右翼に関する発言をテレビでし、その発言によって右翼団体の街宣車がテレビ局前に押し掛ける事態に陥ったことがありました。
その時に、渡辺二郎が山口組系極心連合会の橋本弘文会長を紹介し、その橋本会長が右翼と交渉し、事態を収めたのだそうです。
それ以降も、島田紳助の兄貴分としていろいろなトラブルを解決していたそうで、1999年に殺人事件で使用された拳銃の売買に絡んでいることで渡辺二郎は逮捕されましたが、その時の裁判の証人として島田紳助が出廷しています。
渡辺二郎は実刑判決を受けて2004年まで服役していました。
島田紳助が芸能界を引退したきっかけは、吉本興業が島田紳助と暴力団幹部との親交を示す内容の携帯メールを入手したことです。
会社が島田紳助に確認をしたところ、事実だと認め自ら引退を言い出しました。
そのメールの相手が渡辺二郎で、メールの内容は「二郎さんと会長に守られていると思うと心強い」や、山口組極心連合会長の橋本との親密な付き合いがある内容のメール、イチローのサインを献上するために奔走している内容、島田紳助が自身の店に招待する内容など100通以上が警察に押収された渡辺二郎の携帯から見つかったそうです。
数々のやりとりの中には、伊東美咲はアバズレだという内容のメールもあり、島田紳助が女性芸能人を暴力団に斡旋していたという噂もあります。
伊東美咲に関しては、おそらく島田紳助が関係をせまり振られた結果の腹いせだろうと言われていますが、枕営業に関しては、伊東美咲の他にも小林麻耶や熊田曜子なども島田紳助が斡旋していたタレント・女優として名前が挙がっています。
また、先日、モデルでタレントのマリエがインスタグラムのライブ配信で、18歳だった15年前に島田紳助氏から枕営業の誘いを受けたことを告発しています。
続いては、渡辺二郎が現在どうしているのか見ていこうと思います。
2019年に山口組極心連合の会長が引退したことから、連合会も解散したため渡辺二郎が、現在も山口組に所属して暴力団員なのかは不明です。
2020年には、暴力団員の更生支援団体を運営している山口組元幹部の人物が、アマチュアボクシングの試合を見に行った際の様子をツイッターにて投稿したのですが、その写真に渡辺二郎も写っています。
更生支援団体を運営している人物と一緒に写真に写っているということで、彼も更生しようとしているのではとも言われています。
数々の事件の末に2007年、ボクシングコミッションから無期限ライセンス停止処分、いわゆる永久追放処分を受けており、ボクシング関連の仕事をするのは難しそうです。
学生時代から、喧嘩が強いと評判だった渡辺二郎のケンカ伝説について見ていこうと思います。
若い頃は、ヤクザも恐れた有名なヤンキーだったという伝説があります。
高校時代から強いと有名で、大阪の悪としては赤井秀和も有名ですが、ヤクザや不良の間では渡辺二郎の方がよく知られていたのだそうです。
シュートボクシングの創業者のシーザーと一緒に高校時代から喧嘩が強いと有名で、渡辺二郎は、自分から喧嘩を仕掛けることは無かったそうですが、いったん喧嘩が始まると、一瞬で相手をボコボコにしてしまうほど、喧嘩が強かったそうです。
続いては、渡辺二郎の私生活について見ていこうと思います。
調べてみましたが、渡辺二郎の結婚に関する情報は無く、結婚歴はなく現在も独身、子供もいないのではないかと見られています。
渡辺二郎のプライベートに関する情報が少なく、今までの熱愛報道など彼女の噂も全くありませんでした。
元プロボクサーでWBA・WBCの両タイトルを獲得した渡辺二郎についてご紹介してきました。引退後はタレントとして活動するも、暴力団員となり、何度も逮捕歴がありました。
暴力団とのつながりを認め、芸能界を引退した島田紳助のつながりがあった暴力団員とは、渡辺二郎の事で、島田紳助は兄貴と慕っていたそうです。
現在は、所属していた組が解散したため、暴力団員ではないのではないかという話もあります。ボクシングの世界チャンピオンにまでなった人なので、更生を願いたいですね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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