玉森裕太さんの熱愛相手は?彼女はいないのか結婚しているのか紹介
2024/01/12
himawari3232
山本淳一は、1986年に『アイドル花組おとこ組』の出演者を決めるオーディションに合格し、ジャニーズ事務所に入所しました。同期には、後にグループを一緒に組むことになる諸星和己(もろほしかずみ)もいました。
1987年8月に”光GENJI”として『STAR LIGHT』でレコードデビューしました。この中で、山本淳一には『Ah どうしてこんなに苦しいの』と歌うソロパートもあります。この楽曲はチャゲ&飛鳥(当時)の飛鳥涼が作詞をして、チャゲ&飛鳥が2人で作曲を手掛けています。
また、光GENJIの『ガラスの十代』や『パラダイス銀河』といった楽曲もチャゲ&飛鳥の提供です。当時、ジャニーズ事務所のジャニー社長からチャゲ&飛鳥に楽曲提供を依頼したといい、飛鳥涼から「自分たちにも冒険。楽曲の良さとは違う売れ方をするかもしれない。3曲はやらせてほしい」と打診されました。
ジャニー社長はそれを承諾したといいます。これら3曲は大ヒットとなり、光GENJIは一躍トップアイドルとなりました。バレンタインに届くチョコレートの数は、トラック20台分という伝説もあります。山本淳一は、社会現象となるほどに人気を博したグループに所属していたのです。
光GENJIは8年ほどの活動の後に、1995年9月に解散してしまいました。しかし、山本淳一はジャニーズ事務所に残留しています。その後はソロ活動をするようになり、期間限定ユニット『Junichi&JJr』を結成しました。『Junichi&JJr』のメンバーには、大野智や生田斗真らがいました。
山本淳一は、2002年2月28日にジャニーズ事務所から独立し、2006年4月18日にバナー広告ホームページ「ミリオンダラーハッピー」を設立しました。芸能界を離れ、インターネットのバナー広告の営業マンとして活動していたのです。しかし2011年4月30日には、会社は営業活動を終了しています。
山本淳一はソロ活動を開始していましたたが、2013年3月2日に当時の所属事務所との契約が解除されました。これにより、芸能活動を休止しています。その原因は、山本淳一本人の借金問題にあるとされています。
山本淳一は小柄な方であり、格闘技とは無縁のようにも思えるかもしれません。しかし、彼がプロレスをやっているという話があります。さて、それは本当なのでしょうか。
2015年10月31日と2016年2月13日に、山本淳一はプロレス団体『シアタープロレス花鳥風月』の運営元である『G-TALENT』主催で、ライブを開催しました。この縁もあり、プロレス界と繋がりができたのかもしれません。
2016年2月14日に、花鳥風月『Vol.36 「世の中よあはれなりけり」』でプロレスデビューを飾りました。対戦相手はブラックタイガー&リアルブラックタイガー&ウルフスター☆組であり、山本淳一は勝利しています。対戦のパートナーは、服部健太と三尾祥久でした。
なお、山本淳一はスペシャルゲストとしての参戦だった模様です。
山本淳一は細身の体格に見えますが、実は光GENJI加入前だった14歳の頃に、既にリングデビューをしています。彼は運動神経が良く、光GENJIの中でもアクロバットをものともしない身のこなしを見せていました。また、新日本プロレスの道場において毎日のように山本小鉄の指導を受けていたというのです。
こうしたことから、突然プロレスを始めたというわけではないことが分かるでしょう。
山本淳一が現在何をしているのか気になる方もいるかもしれません。続いては、山本淳一の現在についてお伝えします。
山本淳一は、現在もライブ活動を行っている模様です。バースデーライブを続けていて、2020年もバースデーライブが開催されました。その際には、光GENJIのメンバーだった佐藤寛之も登場したといいます。往年の光GENJIファンは歓喜したことが想像できるでしょう。
山本淳一は、愛媛県松山市でバーの雇われ店長をしています。2018年には勤務しているとの情報があるため、2021年現在も勤めている可能性はあるでしょう。
山本淳一が勤務しているとされるのは、道後温泉にある『湯上りBARおが』です。『湯上りBARおが』に勤務するようになったのは、知人の伝手(つて)があったためといいます。
現在の山本淳一は、芸能活動も松山を拠点にして活動を行っています。芸能活動も継続していることから、バーの店頭には毎日立つことは難しい模様です。レア出勤となっているため、バーに訪れても会えない可能性もあるでしょう。
山本淳一の結婚が気になる方もいるでしょう。続いては、山本淳一の結婚について迫ってみたいと思います。彼は結婚をしているのでしょうか。
山本淳一は2013年(2014年との話もある)に当時38歳だった女性と結婚をしています。女性は再婚であったという話もあります。しかしながら、時期は不明であるものの後に2人は離婚をしてしまいました。
元妻には連れ子がいました。元妻には前の夫との間に子供がいたので、山本淳一とは子連れ再婚となったのです。元妻と山本淳一の間には、子供は生まれなかった模様です。
元妻は前夫から養育費2,000万円をもらっていました。山本淳一は、この養育費を騙し取ろうとしていたといいます。交際当時から元妻に「お金がない」と言い寄っていたのです。交際期間には500万円を、養育費の2,000万円も要求され、元妻は山本淳一に渡してしまったのでした。
山本淳一は、お金になるからと行って元妻を風俗で働かせようとしたといいます。その際には、「夫婦の絆がもっと深まる」と言っていたのです。風俗に行くことを迫られた元妻でしたが、結局は風俗で働くことはありませんでした。この件がきっかけとなり、元妻は離婚を決意したとされています。
また、前述の養育費を騙し取った件も合わせ週刊文春に元妻が告発しました。
山本淳一は、芸能人主催のパーティーで知り合った女性の元に転がり込みました。そしてほどなくしてプロポーズをしましたが、なかなか実際に入籍をする素振りを見せなかったのです。すると、その女性以外の女性とも交際していることが発覚し、その相手というのが元妻だったのでした。
その後、パーティーで知り合った女性とは別れたといいます。
例えば諸星和己であれば“かぁくん”など、光GENJIのメンバーにはニックネームがありました。では、山本淳一もはニックネームがあったのでしょうか。
光GENJIとして活動していた当時、山本淳一には“バンジー”というニックネームがありました。その他には、“淳ちゃん”や“やまも”とも呼ばれていました。さて、“バンジー”というニックネームの由来はどういったものだったのでしょうか。続いて、“バンジー”というニックネームになった理由について見てみましょう。
山本淳一に“バンジー”というニックネームが付いた由来は、チンパンジーに似ていたからというものでした。可愛らしくすばしっこいイメージがあったのかもしれません。
身軽さが売りのキャラクターを持っていて、チンパンジーを由来とした“バンジー”というニックネームだったこともあり、山本淳一は猿の次郎とバク転対決をしたことがありました。また、山本淳一はバラエティ番組でも活躍をしていました。
歌番組やミュージックビデオなどでは、『オチ』の担当として高確率でバナナが使用されていたといいます。
元光GENJIの山本淳一は、2002年にジャニーズ事務所を離れてから独自で活動をしてきました。芸能活動をしていなかった時期もあった模様ですが、新たな事務所に所属して現在も芸能活動をしています。また、プロレスにも参戦したこともありました。山本淳一は、昔プロレスを学んでいたことがあったのです。
現在は愛媛県松山市でバーの店長をしながらの活動となっていますが、ライブも行ったりしているでしょう。
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