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堤真一が俳優になれたのは真田広之のおかげ?生い立ちや経歴は?

幅広い役柄を演じる俳優・堤真一。彼が俳優として活躍しているのは実は真田広之のおかげだという話があります。そこで今回は、堤真一と真田広之の関係性や堤真一の生い立ち、経歴などについて迫ってみたいと思います。また、彼の現在についてもお伝えします。

堤真一のプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):堤真一(つつみしんいち/)
  • 所属事務所:シス・カンパニー
  • 生年月日:1964年7月7日
  • 現在年齢:57歳
  • 出身地:兵庫県西宮市
  • 血液型:AB型
  • 身長:178センチ
  • 体重:非公表
  • 活動内容:俳優
  • 家族構成:妻、娘

舞台を中心に活動

若い頃は、ジャパンアクションクラブを経て、舞台を中心として活躍していました。当初はアクションを学んでいて、役者としてもテレビには出演していなかったのです。堤真一自身も、舞台で役者として活動していこうと考えていました。

映画やドラマに出演するようになる

舞台を主戦場としていた堤真一でしたが、1990年頃より映画やドラマに出演するようになりました。知名度がアップしていったのも、この後からであると考えられます。

堤真一と真田広之の関係はどんなもの?

アクション俳優・千葉真一の愛弟子としても有名であり、ハリウッドにも進出している俳優の真田広之。次に、堤真一と真田広之の関係性について探ってみたいと思います。2人はどういった関係にあるのでしょうか。

真田広之の付き人をしていた!

堤真一は、21歳の頃に真田広之(堤真一の4歳年上)の付き人をしていた時期がありました。真田広之の身の回りの世話などをしていたのです。ある時、堤真一は真田広之の好きなジュースをクーラーボックスに詰めて歩いて、いつでも手渡せるように準備していたといいます。

 

しかし、“くわえタバコ”のままでジュースを手渡そうとしたために真田広之に怒られたというエピソードがあります。

真田広之の前では今も緊張

付き人をしていた時に、真田広之が佐藤浩市と共演(1986年の映画『犬死にせしもの』と思われる)をしていて、堤真一は佐藤浩市にも世話になったといいます。真田広之から買い物を頼まれると佐藤浩市にまで頼まれるなど、どちらの付き人なのか分からないほどであったと堤真一は語っていました。

そうしたこともあり、真田広之と佐藤浩市には今も頭が上がらないとしていて、緊張するため共演NGにしているのです。堤真一は「2人とも大好きなんですけど、たぶん一緒に芝居したらなんもできないです」とテレビのトーク番組で語っています。

付き人時代があったから俳優になれた?

真田広之の付き人となって彼の世話になったおかげもあり、堤真一は色々と学び俳優として活躍できるようになった側面もある模様です。人との出会いは、やはり大切なものなのかもしれません。

堤真一はどんな生い立ちで育った?

続いては、堤真一の生い立ちについてお伝えします。堤真一はどういった環境で育ったのか、見ていきましょう。

甲子園球場の近くで生まれ育った

堤真一は、1964年7月7日生まれであり兵庫県西宮市の出身です。甲子園球場までは1キロ圏内という立地の土地で育ちました。阪神タイガースの大ファンでもあり、2013年には甲子園球場で開催された阪神タイガースVS広島カープの試合で、始球式を務めています。

 

その際にはノーバウンドで投球ができ、『神聖な場所ですよね。伊勢神宮に行ったときのような気分になりました』と語っています。なお、堤真一はトーク番組では標準語で話すことが多いですが、関西人ということもあり普段は関西弁で話している模様です。

野球少年だった

堤真一は、自身でも野球をやっていました。姉が甲子園球場でウグイス嬢をしていたこともあり、甲子園球場に遊びに行っていたのです。そのため、自身も子供の頃から野球をやっていたといいます。ショートを守っていて、中学生までは続けていました。始球式でノーバウンドで投球できたのも、このためでしょう。

中学時代に怪我で試合に出られない悔しさも味わったことから、堤真一は高校でも野球部入部しました。しかし、面白くないと感じたことから1年で退部してしまいます。

野球をやめ引きこもる

野球をやめてしまい、堤真一は引き籠るようになります。目標がなくなってしまったことにより、自暴自棄になってしまったのです。それでも、寡黙な父親は何も言ってこなかったといいます。自宅に籠る堤真一を、責めたりしなかったということでしょう。

高校の中退を考えた堤真一は、中退する理由として父親に「毎日同じ時間に職場へ行くような、父のようなサラリーマンになりたくない」と発言したといいます。それに対して父親が返した言葉は「サラリーマンの苦労を知らない奴は何をやっても同じ」と返答しました。これに、堤真一は負けたと思ったのでした。

さらに、おしゃべりで気の強い母親が心労のために号泣したとされています。この様な出来事もありましたが、堤真一は無事に高校を卒業しました。卒業した高校については、後述します。

父親は堤真一が20歳の頃に他界

堤真一の父親は、製鉄所に勤務するサラリーマンでした。兵庫県は製鉄業が盛んであり、神戸製鋼や新日鉄の広畑製鉄所もあります。父親の世代は、製鉄所に就職するというのがエリートコースとされていました。

堤真一の父親もエリートであったといい、もしかしたら神戸製鋼あるいは広畑製鉄所に勤めていた可能性もあるでしょう。堤真一によると、父親は“無口な父親で、偉大で遠い存在であった”といいます。その父親は、堤真一が20歳の頃に亡くなりました。

母親は小料理屋を営む

堤真一の母親は料理を得意としていて、小料理屋を営んでいました。また、『浜甲子園団地』の自治会長をしていたこともあるといいます。そして、80歳を過ぎてもなお元気であり、パンチパーマに近いパーマをかけていたという話もあります。さらに、全身紫色という出で立ちで外出することも多くありました。

母親は、堤真一が子供の頃には既に紫好きであったとされています。そのため堤真一は、子供の頃に派手な色の服を着た母親と歩くのが恥ずかしいと感じていたのでした。

堤真一には兄弟がいる?

堤真一には2歳年上の姉がいます。ウグイス嬢をしていたという姉です。姉は阪神電鉄に勤務していました。なお、堤真一には男兄弟はいません。

堤真一は若い頃からどんな経歴?

堤真一が、どういった経歴を辿ってきたのか気になる方もいるかもしれません。続いては、堤真一の経歴についてお伝えします。

ジャパンアクションクラブ入団

堤真一は20歳だった1984年5月に、アクション俳優・千葉真一の主宰する『ジャパンアクションクラブ(JAC)』に第14期生として、JAC養成所研究生として第1期生として入団しました。それが彼の演技への第一歩であったと考えられます。JACに入ったのは、友人に誘われたことがきっかけだった模様です。

 

この当時は、堤真一にしてみると『とりあえず入ってみた』というスタンスでした。なお、この頃に真田広之の付き人を務めています。

『天守物語』出演で役者を志す

堤真一は、1984年にミュージカル『ゆかいな海賊大冒険』で初舞台を踏みました。そして、続けて怪我をしてしまったことからJACを退団し、アクション俳優の道をあきらめました。それでも、1985年に舞台『天守物語』への出演をきっかけに本格的に役者を目指すようになったのです。

20代の頃の堤真一は、暗黒時代だった模様です。

『Theatre Project Tokyo』を主に活動

JACを退団した後は、『Theatre Project Tokyo(シアタープロジェクト・東京)』を中心として活動をするようになりました。『ロミオとジュリエット』や『マクベス』といった作品にも出演しています。舞台を中心として活躍していたことから、ボリシーとしてトレンディドラマの出演は断っていたといいます。

下積み期間が続き、20代の頃には7年間ほど風呂なし4畳半の部屋に住んでいたのでした。

ドラマで認知度がアップ

とはいえ、堤真一に転機が訪れます。次第に演技が認められるようになり、映画やドラマに多く起用されるようになったのです。そして、1996年出演のドラマ『ピュア』の沢渡徹役や、36歳だった2000年に出演したドラマ『やまとなでしこ』の中原欧介役で認知度を上げていきました。

『ALWAYS 三丁目の夕日』 で受賞

2005年には、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』で有限会社鈴木オート社長・鈴木則文役を演じました。この演技で、第29回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞を受賞しています。またその他にも、第18回日刊スポーツ映画大賞の助演男優賞を受賞するなど、国内の映画賞における助演男優賞を数々受賞しました。

主演と助演を2部門制覇

日本アカデミー賞にて主演と助演の2部門を制覇したのは、三國連太郎らに次いで堤真一が4人目となっています。堤真一は2008年に、『クライマーズハイ』で主演男優賞を、『容疑者Xの献身』で助演男優賞を第32回日本アカデミー賞で受賞してるのです。2部門を制覇しているのは、他に柄本明や三浦友和がいます。

堤真一は現在(2021)どうしている?

ここで、堤真一の現在について迫ってみたいと思います。堤真一は現在もドラマや映画といった作品に出演しているのでしょうか。

映画『砕け散るところを見せてあげる』出演

堤真一は、2021年4月9日に公開された映画『砕け散るところを見せてあげる』に出演しています。SABU監督が映画化した作品であり、石井杏奈が演じた玻瑠の父親役を演じました。SABUとは俳優かつ監督も務めていて、かつては田中博樹の芸名で活動をしていた人物です。

演技で恐怖させる?

堤真一は過去にはエキセントリックな役を多く演じており、SABU監督がそれを引き出したといいます。そして、映画『砕け散るところを見せてあげる』でも堤真一は猟奇的な人物を演じていて、共演の矢田亜希子も「すごく怖かった」と言っていました。

『ザ・ファブル』公開

2021年には、映画『ザ・ファブル 第2章』が公開されています。この映画では、宇津帆役を演じています。元々は2021年2月5日に公開予定でしたが、新型コロナウイルスの影響により2021年1月22日に公開延期が発表されました。そして、2021年6月18日にようやく公開されたのです。

家庭も持ちプライベートも幸せ?

堤真一は、50歳を目前にし2013年に4年交際した元劇場スタッフの女性と結婚をしています。また、2人の子供にも恵まれています。育児の真っ最中ということでしょう。2019年の段階で子供の送迎もしていて、現在もプライベートについては幸せに暮らしている模様です。

堤真一はどんな学歴?

最後に、堤真一の学歴について見ていきましょう。堤真一はどういった学校を卒業しているのでしょうか。また、大学には進学しているのかについても解説いたします。

西宮市立浜甲子園中学校

堤真一は、西宮市立浜甲子園中学校を卒業しています。西宮市の公立中学校です。先述の通りに野球に打ち込んでいたというエピソードはありますが、それ以外には堤真一の中学時代の話は残っていないでしょう。中学校も、甲子園球場から1キロ圏内に位置しています。

西宮市立西宮東高等学校

高校については、進学校の西宮市立西宮東高等学校を卒業しています。所在地が、卒業した中学校のすぐ近くにある高校です。西宮市立西宮東高等学校は、女優の常盤貴子が1年間のみ通ったという話があります。

大学には通っていない

堤真一は、高校を卒業した後は大学に進学していません。高校卒業後は上京して、ジャパンアクションクラブに入団したためです。

堤真一は一時期真田広之の付き人をしていた!

俳優の堤真一は、元は舞台を主軸として活動をしていました。また最初は、千葉真一主宰の『ジャパンアクションクラブ』に入団しアクションを磨いていたのです。その頃には、真田広之の付き人をしていた時期もありました。この時期があったからこそ、俳優としても学ぶことがあったのかもしれません。

現在はドラマや映画に多数出演している堤真一ですが、これからも様々な役柄を演じて欲しいものです。

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