2024/02/16
r.y6
漫画家の故・山田花子さんについて「美人でかわいい」という話題が挙がっています。山田花子さんは美人漫画家として有名だったようです。
また、漫画家・山田花子さんに対して、著書「自殺直前日記」や名言も注目が集まっています。どのような内容で話題になったのでしょうか。
そんな山田花子さんのビジュアル面や過去作品について、どのような評判が多いのかを調べてみました。
亡くなった漫画家・山田花子さんについて、まずはプロフィールをご紹介いたします。昭和時代の女性漫画家として有名だった山田花子さんです。
また、山田花子さんの漫画家としての過去作品はどのような内容が多かったのでしょうか。自殺をしたという噂は本当なのでしょうか。
そんな謎が多い山田花子さんのプロフィールと過去作品についてまとめてご紹介いたします!
本名:高市由美
生年月日:1967年6月10日-1992年5月24日(24歳没)
出身地:東京都千代田区
活動期間:1982年-1992年
ジャンル:ガロ系
作品:自殺直前日記、からっぽの世界、嘆きの天使、神の悪フザケ、花咲ける孤独、魂のアソコ
漫画家・山田花子さんは小学校時代からギャグ漫画に夢中で、中学生からギャグ漫画を出版社に投稿していました。
中学3年生には「明るい仲間」という作品で講談社の「なかよしギャグまんが大賞」の佳作を受賞。(山田ゆうこ名義)15歳で早々に漫画家人生をスタートさせます。
1987年には山田花子としてのデビュー作「神の悪フザケ」でちばてつや賞佳作を入選。雑誌「ガロ」のようなアングラな「ガロ系漫画家」の1人として有名です。
漫画家・山田花子さんの過去作品としては、1987年のデビュー作となる「神の悪フザケ」連載から、1990年には「嘆きの天使」、1993年に「花咲ける孤独」を刊行。
1996年に「魂のアソコ」と「自殺直前日記」1998年に「からっぽの世界」が刊行されました。特に1996年は2作の刊行となり、お忙しかったことが分かります。
連載作品としてもデビューから1年後の1983年、1988年から1992年まではずっと連載が続いている状態でした。漫画家としてお忙しかったことが一目瞭然ですね。
漫画家・山田花子さんについて、やはり話題になるのが「自殺」という話題です。1992年5月24日に当時住んでいた「東京都日野市百草団地」で自殺をした山田花子さん。
特に著書「自殺直前日記」が話題になっており、山田花子さんをあまり知らない方からも注目されている作品です。タイトルもインパクトが強いですよね。
そんな山田花子さんの「自作直前日記」の内容と自殺をした理由、当時のファンの反応などについてご紹介いたします。
この「自殺直前日記」とは山田花子さんが自殺後に「日記」や「メモ」を寄せ集めで作った作品だったようです。
実際の自殺についての描写は1993年に刊行した「完全自殺マニュアル」にて「投身自殺」の箇所が山田花子さん自身の自殺を描写したものとされています。
「自殺直前日記」を読んだ方の反応としては「潔癖だったのでは?」「自殺できてよかったね」「非常に読みにくい本でした」との評判が出ていました。
山田花子さんは中学時代いじめに会い、リストカットや自殺未遂をした経験がある方です。高校時代もいじめが続き、途中で退学をされています。
また、漫画家になってからも「人に合わせる」という道を選び、非常に生きづらい漫画家生活をしていたという記録があるようです。漫画家としての生計も苦しかったと言われています。
山田花子さんは漫画家の才能がありながら、感受性が強かったためか、自殺をしてしまう事になったと言えそうです。心の葛藤と戦いぬいた結果、自殺を選んだ方だと言えそうです。
漫画家・山田花子さんの自殺に対してのファンの反応としては「生まれるのが早すぎた」「涙が止まらない」という声が出てきています。
しかしそれと同時に「嫌悪感しか生まれない」「自殺を肯定している人」などの意見もあります。「自殺直前日記」を読むと自殺をしてしまいたくなるとも言われています。
人間不信だったという山田花子さん。同じような立場の人に勇気を与えながらも、普通に生きている人にとっては少し理解しづらい方だったと言えそうです。
山田花子さんは美人漫画家として注目されていたようです。かわいいとも評判だったようですが、いつ頃の時期だったのでしょうか。
また、山田花子さんについて世間はどのような評判を持っていたのでしょうか。やはり、美人でかわいいという意見が多かったのか。
そんな漫画家・山田花子さんのビジュアル面、当時の評判がどうだったのかをご紹介いたします。
漫画家・山田花子さんの昔の画像はかなり少ない状態でした。しかし、昔の顔写真の動画が発見されています。
これを見るといかに山田花子さんが美人でかわいいと言われていたかが分かるような気がします。昭和美人という感じでしょうか。
アイスクリームやラジオ、70年代ソングを好んでいたという山田花子さん。セーラー服姿がお似合いで、普通の可愛らしい女の子だったことが分かりますね。
山田花子さんは1982年から1992年の10年間の漫画家人生を全うしました。1982年のデビューではまだ15歳の中学生だった山田花子さん。
デビュー作「神の悪フザケ」では恋愛について「恋愛は強い者が弱い者を捕獲し、欲望の対象にする」というテーマで描いています。
掲載したヤングマガジンでは「読者アンケートのワースト1位」を記録。しかし、コアなファンの後押しで「神の悪フザケ」を刊行、その後も多くの雑誌連載を抱え込む人気漫画家となりました。
山田花子さんは漫画家でありながらも数々の名言を残されています。それら多くは「自殺」というテーマとリンクしているようです。
有名な名言としては「生きるなんてどうせくだらない」というものがあります。これはどの背景で生まれた言葉なのでしょうか。
また、山田花子さんは他にはどのような名言を残されているのでしょうか。特に評判の名言をピックアップしてご紹介いたします。
山田花子さんの名言は「生きるなんてどうせくだらない」というものが有名です。この前の言葉には「何の取り柄も無く、人に好かれない人生なら死んじまえ」とあります。
続けて「生きたところで負け犬」「だらだらと生き続けるより、思いきり燃え尽きよう」という言葉から生まれています。
当時の苦しい心境が浮かぶようですね。早熟だった山田花子さんの苦悩がしっかり反映されている言葉だと感じますね。
山田花子さんのその他の名言としては「自己主張-自己正当化。自分より弱い者を踏みにじって生きたい心」や「弱い者にとってこの世はむなしい、やるせない、理不尽なもの」があります。
また「うそつきになった方が人と上手く付き合える」「普通・まともな性格なんて無い」などの名言もあります。山田花子さんの苦悩が感じられます。
さらに「「人の為」本当は「自分の為」これでいいのだ」というものもあり、これは大好きだったという赤塚不二夫さんっぽい言葉のように聞こえますね。
漫画家・山田花子さんは24歳という若さで自殺をしながらも、ガロ系の漫画家としては多くの作品を残されています。
美人でかわいいという評判は本当で、また著書「自殺直前日記」や名言も賛否両論ありながらも、現在もしっかりと残っている伝説の方だと言えます。
時代背景もあったようで、行きにくい人生から自殺を選んだ山田花子さん。今後も漫画家としての名を残していることが予想されますね。
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【この記事は2019/8/27に更新されました。】