木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
上沼恵美子さんの生まれは兵庫県三原郡福良町(現:南あわじ市)。兵庫県淡路島にある町です。3人兄妹の末っ子として育ちました。
その町の公立中学校・福良中学校を卒業した上沼恵美子さんですが、中学時代はバスケットボール部に所属し、人を笑わせるのが大好きな人気者でした。親友が生徒会副会長に立候補したときには、ほかの生徒を大爆笑させるほどの応援演説をしてあげたそうです。
上沼恵美子さんは子供の頃から『ちびっこのど自慢大会』に度々出演していて、"のど自慢荒らし"と言われていたほど。毎回準優勝するなど、歌の実力を発揮していました。
ちなみに、当時上沼恵美子さんと優勝を争っていたのは、現在も大物演歌歌手として活動している天童よしみさん。上沼恵美子さんが準優勝、天童よしみさんが優勝といった大会が数回行われていたといいます。
上沼恵美子さんの芸能界デビューは、1971年。もともと漫才師としてデビューしようとしていた上沼恵美子さんの姉の相方が失踪したことから、上沼恵美子さんが姉の相方を務めることに。1968年に大須演芸場の舞台に立ち、1971年に海原千里・万里という漫才コンビでデビューしました。
上沼恵美子さんは妹の海原千里。デビューするとたちまち人気となり、デビューした年には、高校生ながら上方お笑い大賞銀賞を受賞しています。
漫才コンビとして一躍人気者となった上沼恵美子さんでしたが、1975年の20歳のときに運命の人と出会います。それは、当時出演していた関西テレビ「日曜ドキドキパンチ」のディレクター上沼真平さん。上沼恵美子さんよりも8歳年上の男性でした。
その後、2人は周りの猛反対にあいながらも1977年5月22日に結婚。上沼恵美子さんは専業主婦になるべく芸能界を引退しました。
結婚後、芸能界には姿を見せないのかと思われていた上沼恵美子さんですが、「専業主婦は耐えられない」とし、1978年に復帰しています。長男を出産した3カ月後のことでした。
芸能界復帰後は、主に大阪を中心とした関西地方のローカルタレントとして活動していた上沼恵美子さん。それが、1994年にはNHK紅白歌合戦の紅組司会に抜擢され、翌1995年にも継続しました。すると全国的に顔と名前が知られるようになり、2000年代からタレントとして大人気に。2002年にNHKが行った高感度ランキングでは第3位にランクインし、2003年度には長者番付大阪地区において、芸能人部門の1位を獲得しています。
上沼恵美子さんの冠番組といえば、関西テレビから放送されていた『怪傑えみちゃんねる』です。大人気となっていたこの番組ですが、2020年7月に終了することになりました。それはなぜなのでしょう?理由について見ていきましょう。
『怪傑えみちゃんねる』の放送が開始されたのは1995年7月10日。始まった当初は、上沼恵美子さんが司会を務め、ゲストと一対一のトークを繰り広げる番組でしたが、2000年以降からは司会に太平サブローさんも加わり、毎回数名のゲストが登場し、テーマ別のトークをする番組となりました。
また、放送がはじまった頃は関西のローカル番組でしたが一部のフジテレビ系列局や関東地方、東海地方でも放送されていました。
『怪傑えみちゃんねる』の打ち切りが発表されたのは2020年7月22日。その2日後の24日の放送をもって終了すると告知され世間を驚かせました。
急な発表となり驚いたのは視聴者です。『怪傑えみちゃんねる』が終了する理由についてはさまざまな憶測が流れ、一部報道では"上沼恵美子さんが番組の制作サイドと揉め、上沼恵美子さんが「辞めてやる」と捨て台詞を吐いて終了に至った"とされていました。
しかし、これについては上沼恵美子さん自身が否定していて「関西テレビさんには足を向けて寝られない」と話しています。
ただ、真相はわからず、関西テレビでは「終了理由の詳しい発表は控える」とされただけでした。
上沼恵美子さんは、さらに『怪傑えみちゃんねる』の終了理由として「コロナウイルス」をあげています。週刊文春からのインタビューを受けてコロナウイルス感染対策をするための"ソーシャルディスタンス"で、収録がとてもやりにくかったと話しています。
コロナウイルス感染対策のための撮影は、無観客でゲストも少人数という条件の中行われたとこから、上沼恵美子さん自身、『怪傑えみちゃんねる』の面白さが半減してしまったと感じたのかもしれません。
放送が開始された頃は、"1000回で終了する"と言っていたそうですが、視聴者からの要望から50回~56回と回数が増え、放送が続いていた中でしたが、上沼恵美子さんのほうから、申し訳ないものの「このへんでお終りにしましょうか」と常務に提案したといいます。
冠番組『怪傑えみちゃんねる』が終了したことで、現在の上沼恵美子さんの様子が気になる人が多いようです。上沼恵美子さんは現在どんな様子なのでしょう。最近の上沼恵美子さんについてみていきましょう。
上沼恵美子さんは、2021年7月6日に開催された映画『キネマの神様』の先行上映会の舞台あいさつにスペシャルゲストとして参加しました。山田洋次監督の大ファンであるという上沼恵美子さんは、ゲストとして招かれたことをうれしく思い「生きててよかった。」と話しました。
すると話題は『怪傑えみちゃんねる』が打ち切りになったことに。上沼恵美子さん自身から口を開き、『怪傑えみちゃんねる』は本当は9月までやるべきだったと話しました。
急遽7月で終了になったことに対して"テレビ局の対応が失礼で腹が立った"とし、さらにはいろいろと週刊誌に書かれたことで7月は"消えたい"と思っていたということ。でも、舞台あいさつに出席できたことで「明日死んでもいい」と会場を笑わせました。
『怪傑えみちゃんねる』が終了してからも上沼恵美子さんの毒舌は健在です。
例えば、2021年7月に離婚を発表した石橋貴明さんと鈴木保奈美さんについては、特集された番組のリポーターなどが「仕事をやりたいという気持ちが強くなった。石橋を嫌いになったわけではない」と夫婦仲をフォローしていましたが、「縁を切りたかったんですよ。音で言うときつく聞こえるけど、関係ない人になりたいっていう時ありますもん。」「別れたかったということは、大嫌いだったんだと思います」とキッパリ。
さらには、読売テレビの『上沼・高田のクギズケ!』に出演した際には『アウト×デラックスSP』に出演した華原朋美さんについても言及。ネット上では激太りした華原朋美さんが話題になりましたが、共演者が「ちょっとふくよかに...」と言葉を濁しましたが、「ふくよかなんて、そんな、ないって。別人やね、顔が」とバッサリと吐き捨てていました。
『怪傑えみちゃんねる』の放送は終了しましたが、上沼恵美子さんの人気は続いています。現在出演しているレギュラー番組は以下の3つです。
2021年8月号の『文藝春秋』にはこれまでの心の内を話した上沼恵美子さん。紅白出演、М-1の騒動、『怪傑えみちゃんねる』の降板、離婚話などに触れ、嘘偽りのない本心をすべて話したということで、"遺言書だと思っている"と話しました。
まず、関西テレビに「足を向けて眠れない」と話したことについては"大ウソ"とし、実際には足を向けて寝っぱなしだと話しました。
また、突然の番組終了は、"人生の中で一番傷ついたこと"と話し、傷つき、傷つけられて、傷口に塩を塗られたようだいう上沼恵美子さん。25年間魂をかけて作り上げてきた番組であっただけに、中途半端な終わり方に納得はいっていないといいます。
本来であれば9月までは続け、最後にはきちんと上沼恵美子さんの口からコメントをしたかったというのが本音であるようです。
インタビューと一緒にグラビアも掲載されています。
2018年のМ-1グランプリにおいて、上沼恵美子さんによる騒動が勃発したことはまだ覚えている人も多いのではないでしょうか。この騒動は、上沼恵美子さんが発端ではなく、被害者。騒動のきっかけとなった人は別にいます。それは誰?騒動とは?振り返りましょう。
上沼恵美子さんのМ-1騒動とは、2018年、審査員として出演していた上沼恵美子さんに対してお笑いコンビ・とろサーモンの久保田かずのぶさんが暴言を発したことです。
上沼恵美子さんは、とろサーモンも出場していたМ-1の審査員として出演。その発言に対して、とろサーモンの久保田さんが「酔ってるから言いますけど、(審査員を)そろそろもうやめてください」、「自分目線の、自分の感情だけで審査せんといてください」、「『嫌いです』って言われたら更年期障害かって思いますよね」などと発言しました。
上沼恵美子さんに対して、数々の批判をしたとろサーモンの久保田さん。さらには審査員席のいちばん右に座っていた上沼恵美子さんに対して「右のオバハン」などと発言していました。そのことにたいして、とろサーモンは後に謝罪しています。
上沼恵美子さんが所属して活躍していた漫才コンビ「海原千里・万里」。当時、高校生だった上沼恵美子さんは大人顔負けの大活躍を見せていました。アイドルでもあり芸人であった上沼恵美子さんの活躍について振り返ってみましょう。
上沼恵美子さんは1971年に芸能界デビューした際には高校生でした。それにも関わらず高校生とは思えない大人顔負けの話術で世間を魅了した「海原千里・万里」。漫才も面白く、可愛らしくもあり、当時、人気アイドルの天地真理さんが"白雪姫"と呼ばれていたことに対して、「海原千里・万里」は"お笑い界の白雪姫"と呼ばれていました。
人気と実力が伴っていた「海原千里・万里」は、デビューした年に第1回上方お笑大賞 銀賞を受賞し、第3回NHK上方漫才コンテスト 優秀敢闘賞を受賞しています。
人気全盛期には、テレビ番組やラジオ番組のレギュラーを10本以上も抱えていた上沼恵美子さん。1974年には、フジテレビの時代劇『座頭市物語』の第十八話「すっとび道中」に湯治場の仲居役で出演しました。
さらに、1976年には東映の映画「トラック野郎シリーズ」の第3作『トラック野郎・望郷一番星』にドライブインの女主人役でゲスト出演し、『銭形平次』にも姉と一緒にレギュラー出演していました。
漫才コンビとして大人気となった「海原千里・万里」は歌手としての活動も開始。1975年にはシングル「大阪ラプソディー」もリリースし、40万枚を売り上げた大ヒットとなりました。
その40年後となる11月24日、NHK大阪ホールで開催された『NHK歌謡コンサート』の「愛あふれるデュエット名曲集」において「大阪ラプソディー」を披露した上沼恵美子さん。元相方でもあった姉も芦川百々子名義で登場し、話題となりました。
関西のローカルタレントとしてブレイクいた上沼恵美子さん。そのため、関東人が知らない上沼恵美子さんの姿があります。そこで、関東人の人にも知ってもらうべく上沼恵美子さんの凄さをまとめました。ご覧ください。
かつてお笑い界の頂点が活躍していた島田紳助さんを覚えている人も多いのではないでしょうか?そんな島田紳助さんも上沼恵美子さんの影響を受けた1人です。
上沼恵美子さんが所属する「海原千里・万里」が活躍していた当時、島田紳助さんは下積み時代を過ごしていました。そんな中、大人気であった「海原千里・万里」の面白さや魅力に自身も魅了され、お手本にするべくセリフをすべてノートに書きだして面白さを研究したといいます。
1977年に結成され人気となった「紳助・竜介」の漫才は、「海原千里・万里」がお手本になっていたのです。
現在では司会者やタレントといったイメージが強い上沼恵美子さんですが、これまでを振り返ると、1.漫才師2.歌手3.タレントといった3つの分野の成功者といえます。それも、どれも頂点を極め、中途半端な人気ではなく圧倒的な人気を誇っています。
ときには、上沼恵美子さんを「偉そう」と批判する人もいます。しかし、上沼恵美子さん本人は全く偉ぶっているつもりはないのではいなでしょうか。もし、上沼恵美子さんが偉そうだといった印象を受けるのならば、これまで歩んできた道をすべて成功させてきた実力者であるからこその発言であることを覚えておくと良いかもしれません。
現に、上沼恵美子さんが「偉そう」といわれていることに対して批判的な意見を持っている人も多くいます。
また、上沼恵美子さんは、好き嫌いがハッキリしている性格で、他人に媚びない魅力があります。
それは、番組などで、他の人が実は思っていても口にも出せないことをハッキリと口に出して発言する姿に表れています。それは、ときには万人の同意は得られないかもしれませんが、中には自分と同じ気持ちで、ハッキリ発言してくれて嬉しい、すっきりしたと感じる人も多いようです。
さらに、上沼恵美子さんが自分が思ってはいないことを発言しても、そう思う人もいるのか!といった説得力が上沼恵美子さんの言葉にはあるのではないでしょうか。
「海原千里・万里」の千里として一世を風靡した上沼恵美子さん。その後、姉の万里さんは、おしげもなく芸能界を引退しましたが、作りあげた家族にはどんな人がいるのでしょう?上沼恵美子さんの旦那さんや子供について見ていきましょう。
「コンビ解散で芸能界引退」の項目でも書きましたが、上沼恵美子さんの夫は出会った当時に関西テレビプロデューサーをしていた上沼真平さんです。
上沼真平さんは1947年1月生まれで上沼恵美子さんよりも8歳年上。元関西テレビ常務取締役製作局長で、関西テレビの子会社であるメディアプルポ代表取締役を務めていました。この会社は、関西テレビの番組制作、音楽著作権の管理などをしていて、主にコンサートやイベントの主催や後援もしているようです。
1975年、当時20歳であった上沼恵美子さんと出会った上沼真平さんは、上沼恵美子さんの身内の反対を押し切って結婚。上沼恵美子さんへの恋心を全うしました。
『怪傑えみちゃんねる』では、たびたび旦那さんの愚痴を言っていた上沼恵美子さん。でも、いいところもあると褒めていただけに夫婦生活は順調であると思われていました。
しかし、結婚43年目を迎えた頃には別居状態に。原因は、上沼真平さんの定年退職。退職して家にいることが多くなっても、家事は一切せずにゴルフなどの自分の趣味を優先する旦那さんに対して上沼恵美子さんは相当なストレスを感じていたといいます。
さらには、ストレスのために体を壊してしまったという上沼恵美子さん。上沼真平さんの退職から5年がたったころには自律神経失調症と診断され、2014年2月には、ウイルス性の急性肝炎を引き起こしてしまったことから相当まいってしまったようです。
上沼恵美子さんには、上沼真平さんとの間に2人の息子さんがいます。長男は、1978年4月生まれの清太郎さんで、次男は1983年5月生まれの裕次郎さんといいます。
まず、長男の清太郎さんについてですが、上沼恵美子さんが運営する個人事務所・上沼事務所で働いているそうです。結婚歴があり、次男より1カ月早い2015年9月に結婚していますが、ハワイで挙式を上げて帰国してすぐに離婚に至っています。
離婚理由については、当時の奥さんと上沼恵美子さんとの確執といわれていますが、真相は不明です。上沼恵美子さんの長男は、20回以上お見合いをしているという話は有名のようです。
続いて次男の裕次郎さんについてですが、「ゆじぇーろ」という名前で構成作家をしています。その才能は上沼恵美子さんのお墨付き。主に上沼恵美子さんの番組の構成をしているといいます。
また、結婚生活は現在も続いているということです。
上沼恵美子さんの姉は、「海原千里・万里」の相方、万里さんです。1977年に上沼恵美子さんの芸能界引退をきっかけに、共に引退しています。
引退した万里さんは、上沼恵美子さんが結婚したすぐ後の6月8日に当時コメディアンをしていた夢大作さんと結婚。1978年2月には長女を出産しました。しかし、その後、旦那さんの仕事が上手くいかずに低収入に陥り、上沼恵美子さんから金銭的援助をしてもらっていたといいます。
ただ、そのことに対してお礼をいわれた覚えがない上沼恵美子さんは激怒し、不仲な状態が続いたといいます。そのため、毎年開催していた上沼恵美子さんのコンサートにも姉の姿はありませんでしたが、現在は関係を修復して仲良くしているといいます。
25年続いた人気番組『怪傑えみちゃんねる』。突如として終了したいたことでさまざまな憶測が飛び交いしまた。でも、どんなことでもハッキリと自分の意見を言う上沼恵美子さんは、さまざまなところで本音を話しています。
『怪傑えみちゃんねる』が終了したことで、テレビで上沼恵美子さんを見ることは減りましたが上沼恵美子さんの多くの魅力は色あせません。今後の上沼恵美子さんの発言や活躍に注目です。
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