木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは、『川崎小学生殺傷事件』の概要について迫ってみたいと思います。『川崎小学生殺傷事件』はどの様な事件だったのでしょうか。
襲われたのは、私立カリタス小学校の関係者らでした。学校のスクールバスを待っていた、同校の児童や保護者が背後から刺されたのです。気配を抑えて背後から近付かれたなら、付かなかった可能性もあるでしょう。
この事件は通り魔事件だと言われることもありますが、犯人は意図的に私立カリタス小学校のスクールバスを狙っていたことが考えられます。そのため。通り魔事件というわけではないと見られるのです。犯人が私立カリタス小学校の児童らを狙った背景については、後述します。
『川崎小学生殺傷事件』では、2人の犠牲者が出てしまっています。亡くなったのは、カリタス小学校の児童と他の児童の保護者です。亡くなった保護者は、外務省職員でした。被害者についての詳細は、後述します。
インターネットでは、共同通信社により『切り裂かれた朝 川崎登戸の児童殺傷事件』というタイトルで写真特集されています。当時の現場の様子や、事件に関する記者会見の様子を捉えた写真が掲載中です。写真を見ると、事件がどの様なものだったのかを知る一助となるかもしれません。
続いては、『川崎小学生殺傷事件』の犯人について探ってみたいと思います。どういった人物が、本事件の犯人なのでしょうか。
『川崎小学生殺傷事件』の容疑者は、当時51歳だった岩崎隆一です。事件発生当初は、犯人被害者の名前は報道されていませんでした。しかし、事件があったその日の夕方には被害者および犯人の名前が報道されています。その後、犯人に関するネットによる詳細の特定も開始された模様です。
また、岩崎隆一は計画的に犯行に及んだとも報道されています。彼は、柳刃包丁2本だけでなく25センチほどの文化包丁と20センチほどの刺身包丁の計4本の包丁を所持していたのです。
岩崎隆一は、事件の4ヶ月前に近所に怒鳴り込んでいました。岩崎隆一の自宅近くに住む女性によると、岩崎隆一が小学生の頃に「近所の犬がうるさい」として、怒鳴り込んできたと話ています。さらに、事件を起こす1年前には隣家に対して「木が当たっている」怒鳴り込みに行ったのです。
そして、事件の4か月前には同居していた伯父との関係が険悪になっていたといいます。それは、伯父夫婦が岩崎隆一のためにと思いしたことに、かえって反発心を抱いたことにありました。その点については、後ほどお伝えします。
岩崎隆一の自宅は、既に特定されています。彼の自宅住所は、神奈川県川崎市麻生区多摩美1丁目であると判明しました。自宅があったとされる多摩美から犯行現場までは、電車で30分かかります。
犯人がどういった生い立ちを歩んできたのか、気になる方もいるかもしれません。次は、岩崎隆一の生い立ちについて解説します。なぜ、岩崎隆一は事件を引き起こすに至ってしまったのでしょうか。その点に、ご注目ください。
岩崎隆一の幼少期に、彼の両親は離婚してしまいました。同級生などに「両親に捨てられた子」と言われて、寂しい思いをして過ごしたと考えられます。
岩崎隆一は、父方の伯父(父親の兄)夫婦に引き取られました。しかし中学時代にはいじめに遭い、中学校卒業後には引きこもりになってしまいます。
岩崎隆一の暮らしていた伯父宅には、伯父の子供達が2人いました。岩崎隆一にとってはいとこに当たります。長女は岩崎隆一より4歳とみられ、長男は岩崎隆一の3歳年上とみられています。このいとこ達は、どちらともカリタス小学校に通っていたのです。岩崎隆一が襲った、児童の通っていた小学校です。
なお、岩崎隆一自身は私立ではなく、公立の学校に通っていたといます。岩崎隆一は差別をされていたとの他者からの証言もあります。こうした点も岩崎隆一のコンプレックスとなり、事件への動機に繋がった可能性もあるでしょう。
岩崎隆一は、カリタス小学校に対して復讐心を抱いていたという見方もあります。両親に捨てられてしまった岩崎隆一にとって、カリタス小学校に通ういとこたちは妬ましい存在だった可能性があります。カリタス小学校という恵まれた学校があるから、自分は家族から差別を受けるのだと感じたのです。
差別に苦しめられた自分と、いとこの差を生んだのもカリタス小学校が原因だと考えた可能性があります。そう考えるようになり、カリタス小学校そのものへの恨みを募らせたのかもしれません。
ある時、80代となった伯父夫婦が施設に入居することを検討していると、岩崎隆一は知ることになりました。そのことで不安になってしまい、自棄になったという見方もあります。また、伯父夫婦にまで捨てられるのかと思ったのかもしれません。
伯父夫婦の手紙が、事件の引き金になったとの見方もあります。伯父と険悪になったというのも、この手紙が原因です。伯父夫婦の子供であるいとこ2人は家を出ていて、岩崎隆一は伯父夫婦と3人で暮らしていました。しかし彼は、伯父夫婦とろくに口をきくこともなかったといいます。
そして、事件の4か月前に市精神保健福祉センターのアドバイス通りに伯父夫婦が手紙を岩崎隆一に書いたところ、その手紙が事件への引き金になったのだとの見方があるのです。伯父夫婦が手紙にしたためた内容は明らかになっていません。
ただ、これを読んだ岩崎隆一は「自分のことはちゃんとやってる。引きこもりではない」と豪語し、『川崎小学生殺傷事件』を起こしたのでした。
心理学者によると、岩崎隆一は『引きこもりじゃないこと、自分は人より優れていることを事件を起こすことで示したかったのではないか』と分析しています。岩崎隆一は、誰かに認めてもらいたかったのかもしれません。
『川崎小学生殺傷事件』の容疑者である岩崎隆一は、現在どうしているのかについて探ってみたいと思います。岩崎隆一は、現在も収監されているのでしょうか。彼のその後を追ってみましょう。
岩崎隆一は、既に自殺しています。彼は事件を起こした当日の犯行後に、スクールバスの運転手から「何をしている!」と叫ばれたのですが、その後で10メートルほど移動して自身の首を切って自殺したのです。警察に発見された時には意識不明であり、搬送された病院で死亡が確認されました。
岩崎隆一は、自身の罪を償うことも亡くなくなったのです。元々、事件後に自殺するつもりだった可能性もあり得るでしょう。
容疑者は自殺してしまったため、犯行動機については聞きだすことができず不明となっています。岩崎隆一は事件当日の朝7時に自宅を出て、「おはようございます」と近隣住民に対して挨拶をしました。その足で電車に乗り、登戸駅に向かいました。
そして、事件現場を訪れ犯行に及んでいます。なお彼は、凶器である柳葉包丁2本を2019年2月に購入しました。さらに、事件4日前の5月24日には事件現場周辺の下見をしていることが判明しています。
2019年9月2日に、岩崎隆一は被疑者死亡のまま殺人罪・殺人未遂罪などで書類送検されました。そして、同年11月8日には横浜地方検察庁が被疑者死亡のまま不起訴としています。遺族にとっては、しっかりと罪を償って欲しかったものと考えられるでしょう。
引きこもり経験者で結成された一般社団法人『ひきこもりUX会議』という組織があります。この『ひきこもりUX会議』が、『川崎小学生殺傷事件』と引きこもりを結び付けるような報道をしないように、報道各社に求めました。
それは、引きこもりへの偏見が増進されるのではないかという点や、引きこもりが“犯罪者予備軍”だとのイメージにさいなまれるといった点があるからです。また、”8050問題”への誤解を生むというのも理由でした。
”8050問題”とは、2010年以降の国内で発生している高齢者の引きこもりに関する社会問題のことです。名称の理由は、子供が50代で親が80代という親子関係においての問題を指すためです。伯父夫婦が80代で岩崎隆一が50代だったことから、正に“8050問題”の真っただ中にある家庭だったことが分かります。
ここで、『川崎小学生殺傷事件』の被害者の詳細について迫ってみたいと思います。当事件で亡くなったのは、どういった人達だったのでしょうか。
1人目の犠牲者となったのは、当時カリタス小学校6年生だった児童の栗林華子です。首を刺されたことによる失血死でした。彼女は日本医科大学武蔵小杉病院に搬送されましたが、死亡が確認されています。もし事件がなかったなら、元気に中学校に通っていたかもしれません。
当時39歳の外務省職員・小山智史が2人目の犠牲者です。カリタス小学校の児童の保護者でもありました。彼は、出血性ショックで亡くなっています。そして、小山智史はミャンマー大使館で勤務したことがあったとされています。
ミャンマーのテイン・セイン大統領を招いた宮中茶会等では、当時の天皇皇后両陛下のミャンマー語通訳を4度も務めた人物です。また、外務省の採用案内において紹介されたこともあったとされています。なお、ミャンマーのアウンサンスーチーは、小山智史の妻に対して追悼の書簡を送っています。
当時の河野太郎外務大臣は、「ミャンマー語のスペシャリストであり、大変優秀な若手だった」と語り彼の死を惜しんでいました。それは、小山智史が2013年と2016年にミャンマー国家最高顧問兼外相として訪日したアウンサンスーチーの、通訳を担当していたからでした。
『川崎小学生殺傷事件』では、殺害された方だけでなく負傷をした方もいます。事件では、どの様な状況となったのかお伝えします。事件では、女子児童16名と男子児童1名、女性保護者1名が上半身を集中的に切り付けられるなどをしました。これにより、女子児童2名と女性保護者名が重症を負っています。
また、負傷者のうち11名が入院することになりました。
『川崎小学生殺傷事件』に関連した、事件も発生してしまいました。続いては、その事件の概要などについて迫ってみたいと思います。果たして、どういった事件が起こったのでしょうか。
『川崎小学生殺傷事件』が起きたその3日後の2019年6月1日に、『元農水事務次官長男殺害事件』が発生しました。事件の名称の通りに、元農水事務次官が長男を殺害してしまったのです。
事件が起きた場所は、東京都練馬区にあった容疑者の自宅でした。当時76歳で、過去に農林水産省事務次官を務めていた熊沢英昭が、44歳だった無職の長男を殺害したのです。熊沢英昭は刃物で息子を刺し、殺人罪により逮捕されています。
2019年12月に熊沢英昭に対し、事実判決としては異例となる保釈が認められました。そして、その後も事件のあった練馬区の自宅で暮らしていると見られています。
熊沢英昭の息子は引きこもっていて、事件の日に近所の小学校で開催されていた運動会の騒音に腹を立てていたといいます。息子のその様子を見た熊沢英昭は、息子も『川崎小学生殺傷事件』のような事件を起こすのではないかと感じたのでした。
このことで、父親である熊沢英昭は息子を殺害するに至ってしまいます。元々熊沢英昭の息子は一人暮らしをしていて、2019年5月25日に実家に戻っていました。実家に戻った息子は家庭内暴力をするようになり、熊沢英昭と妻は怯えるようになったのです。
『元農水事務次官長男殺害事件』に関しては、意見が分かれるところです。賛否両論の声があり、「やるせない」という声も聞かれています。容疑者となってしまった熊沢英昭のしたことが、正しかったのかどうかについては、未だに議論がなされています。
熊沢英昭にとっては、追い詰められておりやむを得なかったのかもしれません。彼は、法廷で「本当に(息子に)殺されるかもと思いました」と語っています。熊沢英昭への判決は、検察の求刑8年に対し執行猶予なしの懲役6年です。
川崎市においては、通り魔事件が『川崎小学生殺傷事件』以前にも起きています。では、過去に起きていた川崎市の通り魔事件とは、どういったものだったのでしょうか。
2006年9月に、川崎市宮前区にあるトンネルで通り魔事件が発生していました。『川崎小学生殺傷事件』が起きる13年ほど前のことです。事件現場のトンネルは、人通りが少なく心霊スポットとして有名でした。
この事件では、当時27歳でアルバイト帰りだった黒沼由理という女性が犠牲になってしまいました。彼女は犯人に腹部や胸を刺され、病院に搬送されましたがその後死亡が確認されています。
別件で服役中だった鈴木洋一が、2016年に神奈川県警に殺害をほのめかす内容のはがきを送っていました。そして、担当刑事を指名していたといいます。その後、鈴木洋一は事件から11年の月日が経った2017年10月に逮捕となっています。
なお先述の別件とは、黒沼由理が殺害された約半年に鈴木洋一が起こした殺人未遂事件のことです。
鈴木洋一が神奈川県警に送った手紙には、殺害方法についても綴られていました。この殺害方法と遺体の状況が一致したことから、警察は真っ先に鈴木洋一を疑っていたのです。なお鈴木洋一は、「切り裂きジャックに憧れていた」と言っていました。
切り裂きジャックは「ジャック・ザ・リッパー」ともいい、イギリスの連続殺人犯とされています。
2019年12月13日に、横浜地裁において鈴木洋一の裁判員裁判の判決公判が開かれました。鈴木洋一には、懲役28年の判決(求刑無期懲役)が下されました。鈴木洋一は現在も服役中であると考えられます。
ここで、話題を『川崎小学生殺傷事件』に戻します。『川崎小学生殺傷事件』のその後は、どうなったのでしょうか。事件後は対策がとられるなどしたのか、見てみましょう。
2021年05月28日に、私立カリタス小学校を運営する学校法人『カリタス学園』が『川崎小学生殺傷事件』の犠牲者の追悼ミサを開きました。事件から2年後のことです。ミサには児童生徒や保護者、学校関係者など約200名ほどが参加し、オンライン配信も行われました。
取材を受けた同校の教頭によると、現在でも心を痛めている児童がいてケアのためにスクールカウンセラーを増員したといいます。また、『児童や保護者の思いにどの様にして向き合うべきか、日々苦慮している』という旨のことも語っていました。
2021年5月28日で『川崎小学生殺傷事件』が起きてから2年が経ったことで、事件の犠牲になった2名を悼む献花に訪れる人が相次ぎました。事件で亡くなった保護者の同僚だという男性も訪れていて、「プレッシャーの多い仕事で夜遅くまで働いていたのに楽しそうだった」と、故人を偲んでいます。
また、事件の直後から節目のたびに献花に訪れているという、会社員の男性もいました。彼にも子供がいるといい、「この日になると(事件現場に)足が向いてしまう」と語っています。そして別の男性も、「(被害者の)小山さんが身を呈して守った子供たちは今後活躍する。天国から見守って欲しい」と言っていました。
『川崎小学生殺傷事件』から2年後となる2021年5月28日の朝には、川崎市多摩区内の全市立小学校において、登校中の児童を見守る活動が一斉に実施されました。多摩署の警察官および市教育委員会職員が校門前や通学路に立ち、児童に声掛けをしながら登校の安全を守ったのです。
多摩署と多摩区では、事件があってから毎月28日を“子ども見守りの日”に制定しています。私立カリタス小学校だけでなく、多摩区内にある小学校15校を対象として、官公合同で手を携えて子供たちの見守りを継続中です。
事件から2年が経過し、狙われた私立カリタス小学校側も対策を講じています。事件現場はスクールバスの乗降場所となっていましたが、事件直後より乗降場所を移動されました。また、2人だった警備員も4人に増員しています。現在も、同様の措置が継続してとられていて、注意をしているといいます。
また、スクールバスの発着が登戸駅付近からの“一極集中”であったものを、周りの他の駅にも拡大させる等の“分散登校”に切り替えました。そして最近では、バス通学だけでなく徒歩での通学も高学年は選択できるようにしたのです。
そして2人のカウンセラーを常駐させて、現在でも寄せられる相談に対応しています。それだけでなく、通信会社と共同で児童の居場所を知ることのできるネットアプリを開発し、2021年4月より本格運用中です。最先端の技術も使い、児童の安全を守っているのです。
『川崎小学生殺傷事件』を起こした岩崎隆一は、幼少期に両親が離婚していて父方の伯父夫婦に引き取られました。しかしその家庭の中でも、岩崎隆一は寂しい思いをしていたのかもしれません。いとこ達が私立カリタス小学校に通っていたことで、疎外感や劣等感などを抱いた可能性もあります。
岩崎隆一は事件後に自殺をしています。そのため事件の動機は明らかになっていませんが、いとこが私立カリタス小学校に通ってことも一因になっていることも考えられるでしょう。
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『川崎市小学生殺傷事件』は、2019年5月28日の午前7時45分に、神奈川県川崎市多摩区の登戸駅付近の路上において発生しました。約10秒という短時間で、犯人は柳刃包丁2本を手に17名を立て続けに襲ったのです。