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波乱万丈!?元天才女流棋士・林葉直子の生い立ちや現在(2021)は?

天才女流棋士として80年代に活躍していた「林葉直子」。1995年に将棋連盟を退会後も不倫騒動やヘアヌード写真を発売するなど、さまざまなスキャンダルで世間を騒がせました。そんな林葉直子の生い立ちや現在(2021)のようすは?昔と顔が違う理由も調べてみました!

林葉直子のプロフィール

  • 本名(ふりがな):林葉 直子(はやしば なおこ)
  • 生年月日:1968年1月24日
  • 現在年齢:53歳
  • 出身地:福岡県福岡市中央区
  • 血液型:B型
  • 身長:159cm
  • 活動内容:元女流棋士、小説家、エッセイスト、漫画原作者、占い師
  • 家族構成:母、姉、弟

将棋の女流棋士として活躍

女性としては2人目の奨励会会員だった林葉直子さんは、1980年4月に米長邦雄門下として女流2級でプロ入りをしています。プロ入りは女流棋戦主催者の強い要望だったということで、この時林葉直子さんは12歳で中学入学直前でした。プロ入り翌年には第4期女流王将戦リーグを勝ち抜いて、実力を証明しました。

 

1982年の4月には初めてのタイトルに挑戦しています。4月27日には女流王将だった蛸島彰子に勝利し、14歳3か月の史上最年少でタイトルを獲得しています。1980年代半ばから1990年代半ばまで、同世代の林葉直子さん、中井広恵さん、清水市代さんの3人が常に女流タイトルに登場する状態になります。

 

この頃は、女流3強時代と呼ばれていました。林葉直子さんは、1982年から1991年まで女流王将10連覇を達成し、クイーン王将の称号が贈られています。

作家としても活動

林葉直子さんは女流棋士としてだけでなく、作家としても活動しています。1980年~1990年に多数のティーンズノベルやエッセイを執筆し、近代将棋では「直子の将棋エアロビクス」を連載していました。小説家としては、「かとりまさる」というペンネームを使用しています。

 

ティーンズノベルの代表作の「とんでもポリスシリーズ」や「キスだけじゃイヤシリーズ」は、共に10作以上の長編シリーズとなっています。1990年以降は作家としてはあまり活動していませんが、エッセイは2000年以降も発表しています。

 

2004年には将棋をテーマにした「しおんの王」が月刊アフタヌーンで漫画化されています。元々は小説にする予定でしたが、漫画化され林葉直子さんはかとりまさる名義で原作を書いています。しおんの王はテレビアニメやゲーム化もされる人気作となっています。

CMにも出演

史上最年少でタイトルを獲得した林葉直子さんは美人だったこともあり、天才美人棋士として人気になります。将棋盤に向かう姿に爽やかな印象を持つ人は多く、テレビCMや雑誌の広告などにも出演するようになります。

 

当時としては珍しいアイドル的な女流棋士だった林葉直子さんのCM出演料は、1本で500万円ほどだったといいます。ただし、女流棋士は男性のプロ棋士と違って保険に入ることができず、対局料は1回2万円程度でした。おまけに対局は月2回程度しか対局がありません。

 

男性のタイトル料が数千万円だったの対して、女流棋士は優勝しても30万円程度しかもらえませんでした。そのため、棋士の収入だけでは生活できなかったといいます。対局料が安いことも、20代での引退に繋がったようです。

1995年に将棋連盟退会

女流棋士としてさまざまな形で活躍していた林葉直子さんですが、1994年5月9日に休養願いを日本将棋連盟理事会に提出します。心身共に疲労が極限に達していたという林葉直子さんはタイトルも返上し、海外に姿を消してしまいます。

 

理事会は休養願いを受理しますが、予定されていた対局の扱いについて話し合う必要がありました。しかし、林葉直子さんと連絡を取ることができなくなったため、行方不明という扱いになってしまいます。

 

その後連絡は取れましたが話はこじれてしまい、林葉直子さんは3ヶ月の出場停止と150万円の損害金の支払いなどの処分を受けます。1994年11月に復帰しますが、1995年8月に将棋連盟に退会届を提出し、将棋界を去ることになります。

林葉直子の生い立ちや家族について

林葉直子さんは自伝本を出版しており、生い立ちや家族について書いています。父親はかなり破天荒な人物だったようで、かなり強烈なエピソードがネットにも伝わっています。林葉直子さんの生い立ちや家族についてまとめました。

福岡市出身で5歳で将棋を始める

林葉直子さんは福岡県福岡市出身で、5歳から将棋を始めています。1979年には小学六年生で女流アマ名人戦で見事に優勝し、天才少女として話題になりました。1979年11月には6級で奨励会入りを果たしています。

 

奨励会は女流棋士とは違う、プロ棋士の養成機関です。林葉直子さんは、女性では2人目の奨励会会員でした。林葉直子さんは小学生のうちに上京して、米長邦雄さん自宅に住み込みで弟子入りしています。

 

林葉直子さんは女流でプロ入りを果たした後も奨励会に在籍し、4級まで昇級しています。しかしその後は昇級することができず、1984年に6級で奨励会を退会しました。

警察官の父親は暴力的だった

林葉直子さんの父親は警察官で表向きは真面目だったそうですが、家庭内では暴力を振るっていたそうです。また、林葉直子さんがメディアに出演した収入を無断で使用して、かなり揉めたこともあったといいます。

 

通帳や印鑑などは全て父親が管理していたと言われていますが、未成年ではない子供の収入を買って使うのもかなり問題があります。とはいえ、単純に親子関係が悪かったわけではなく、林葉直子さんは父親が将棋好きだった影響で将棋を始めています

 

林葉直子さんの父親は、1995年に亡くなっています。林葉直子さんの母親は、娘を気遣う一般的な母親だったようです。ただし母親に関する情報は少なく、林葉直子さんの自伝本でも母親に関するエピソードはあまり書かれていません。

姉とは同居している

林葉直子さんには、姉がいることも分かっています。林葉直子さんと姉はかなり長く同居していたそうで、現在も同居しているとも言われています。ただし、長く同居していた等以外の情報はなく、どんな人物だったのかはわかりません。

 

情報はさらに少ないですが、弟がいることも分かっています。

林葉直子の現在(2021)は?まだ病気を抱えている?

将棋連盟を脱退後の林葉直子さんは病気になり、死亡説まで流れています。現在は病気はどうなったのでしょうか?林葉直子さんの現在の情報についてまとめました。

「肝硬変」の症状は回復

将棋連盟を脱退後の林葉直子さんは小説家として活動していましたが、アイデアが出ないときはお酒を大量に飲むようになっていました。荒れた生活が続いたこともあり、お酒の量はかなり多くなっていたようです。

 

その影響で2014年に肝硬変が発覚した時には1週間で妊婦のような体型になり、手足も紫になってしまいます。医師から最も重い「Child C」の診断を受けますが、5年間で「Child A」とかなり良い状態まで回復しました。

 

 

肝臓のγ-GTPは正常値になっているようです。

余命1年から復活

医師から肝硬変の最も重い診断を受けていた林葉直子さんは、余命1年と宣告されていました。ワインは一晩で2本くらい飲んでいたという林葉直子さんですが、お酒をやめて塩分も控えるようになったことで2021年7月現在でも健在です。

 

現在でも、時々タレントとしてテレビにも出演しており、公式ブログも更新しています。

藤井聡太の活躍が生きる希望に

林葉直子さんは、2020年の10月6日に放送された「世界仰天ニュース」で余命宣告された時の心境から復活まで語っていました。余命宣告1年を受けて助かるためには、肝臓移植が必要と言われたそうです。

 

弟の肝臓が適合することがわかりましたが、弟に迷惑をかけたくないと移植を拒否しています。自暴自棄になっていた林葉直子さんは死を覚悟していました。史上最年少でプロ入りを果たした藤井壮太二段の存在を知り、将棋を見るようになります。

 

再び将棋を見るようになった林葉直子さんは、将棋が好きなことを思い出して生きる意欲が湧いてきたと語っています。

「林葉直子・死因」と検索されるがまだ健在

2021年7月現在、「林葉直子」というキーワードで検索すると、関連ワードで死因と表示されます。林葉直子は肝硬変が判明した当時、テレビ番組で肝硬変の末期だと告白していました。

 

いつ死んでもおかしくない状態だったのは確かなので、死因というキーワードが出てしまうのでしょう。しかし、病状は回復しており、現在も林葉直子さんは元気にしています。

昔と今で顔が違う理由は?

林葉直子さんは天才美人棋士と呼ばれ、ハーフという噂もありました。しかし、若い頃と比べて顔がかなり変化してしまい、視聴者に衝撃を与えています。林葉直子さんのハーフの噂の真相や顔が変化した理由などについてまとめました。

昔はハーフと間違われるほどきれいだった

林葉直子さんは美人棋士と呼ばれましたが、ハーフだと思われることも多かったようです。これは単純に美人なわけではなく、彫の深いエキゾチックな顔立ちをしていることが理由になっています。幼い頃から、ハーフと言われていたことも分かっています。

 

実際は両親ともに日本人なので、林葉直子さんはハーフではありません。子供の頃はハーフ扱いされることがかなり嫌だったといいます。ともかく、林葉直子さんはハーフと呼ばれるほど美人だったことは確かです。

テレビ番組出演で顔の変化に衝撃が走る!

2020年にテレビに出演した際に、林葉直子さんの顔がかなり変化していたことで視聴者は衝撃を受けました。若い頃の面影はありますが非常にやせてしまい、ガリガリの老けた顔になっていたのです。

 

林葉直子さんの変化はかなり話題になりましたが、一体なぜ林葉直子さんは変わってしまったのでしょうか?

顔の変化は病気やストレスが原因か

林葉直子さんの顔が変わってしまったのは、病気やストレスが原因ではないかと言われています。林葉直子さんは肝硬変の末期で痩せてしまい、一時は体重が38kgまで落ちたと言われています。これだけ大病をしたのですから、顔が変わったとしても仕方のないことでしょう。

 

また、経済的な問題を抱えたストレスでやせたとも言われています。正確なことは不明ですが、こういった問題が林葉直子さんが変わったことに影響していることは間違いなさそうです。

林葉直子が起こしたスキャンダルについて

林葉直子さんは不倫などさまざまなスキャンダルを起こしたことでも知られています。林葉直子さんのスキャンダルについてまとめました。

中原誠との不倫騒動

林葉直子さんは、将棋界でも地位のある中原誠さんと不倫をしたことが週刊文集で報じられています。中原誠さんは、十六世名人で将棋連盟の会長も務めています。不倫が報じられたのは1998年でしたが、1994年以前から関係があったようです。

 

林葉直子さんはだいぶ前から別れようとしていましたが、中原誠さんは数年間に渡って脅迫するメッセージを残しています。20代未婚の林葉直子さんと40代既婚者で地位のある中原誠さんが不倫していた事実は、将棋界のイメージからはかなりかけ離れたものでした。

 

更に中原誠さんの脅迫メッセージの肉声まで、テレビで流されたことで不倫スキャンダルは世間に衝撃を与えました

中原誠は不倫関係を認める

不倫報道スキャンダルが発表された数日後に、中原誠さんは記者会見を開き不倫関係を認めています。記者会見はホテルでも新聞社でもなく、自宅の庭に記者を招き入れる形で行われました。

 

中原誠さんは「そういうことは、あったということです」と一言で、関係を認めてしまいました。脅迫メッセージが残っていたことで、中原誠さんは不倫だけでなくストーカー行為もしていたと言われています。

 

自宅であっさりと不倫やストーカ行為を認めた中原誠さんの態度に、困惑した人は少なくなかったようです。

1995年ヘアヌード写真集を発売

林葉直子さんは、1995年にヘアヌード写真集を発売したことでも話題になりました。ヘアヌード写真集を発売することになったのは、将棋雑誌の記者に「300万円ないと廃刊になる」と相談を受けたことがきっかけでした。

 

林葉直子さんは、300万円を用意するためにギャラが800万円の写真集の仕事を引き受け、300万円を記者に無償で渡しています。写真集は大ヒットしましたが、林葉直子さんは毛が目立つと感じて写真集の出来は不満だったようです。

 

30歳で3冊目の写真集を販売しますが、過去の写真集とイメージを変えるために豊胸手術を受けてBカップからFカップになっています。手術費用は200万円かかったそうです。

借金を抱えて自己破産

林葉直子さんは、借金を抱えて自己破産したことでも話題になりました。ただし、自分で借金を作ったわけではなく、父親が林葉直子さんの名義で1億円の家を購入したことでできた借金でした。

 

父親から3000万円の家が欲しいと言われた林葉直子さんは、自分の名義で家を購入することを決めます。しかし、家の実際の価格は1億円でした。その後父親は亡くなり、残りのローンは全て林葉直子さんが支払うことになります。

 

ローンが支払えなくなった林葉直子さんは、2006年に自己破産することなりました。

肝硬変から復活した林葉直子

林葉直子さんの生い立ちや病気、現在などについてまとめました。さまざまなスキャンダルを経験し肝硬変で余命1年と宣告された林葉直子さんですが、現在は復活しています。元々様々な活動をされている林葉直子さんなので、今後も活躍してほしいですね。

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