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世代を超えて愛される天才「リヴァー・フェニックス」の魅力とは?

映画「スタンドバイミー」で有名になり、人気絶頂期に23歳という若さで亡くなった俳優のリヴァー・フェニックス。彼の死からもうすぐ30年が経ちますが、いまだに彼の魅力は語り継がれています。リヴァー・フェニックスの魅力や死因・彼の家族について紹介します。

リヴァー・フェニックスのプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):River Jude Phoenix(リヴァージュードフェニックス/)
  • 所属事務所:不明
  • 生年月日:1970年8月23日
  • 現在年齢:23歳で死没
  • 出身地:アメリカ合衆国・ロサンゼルス
  • 血液型:不明
  • 身長:178センチ
  • 体重:70キロから72キロ
  • 活動内容:俳優
  • 家族構成:両親、弟、妹2人

1985年に映画俳優としてデビュー

リヴァー・フェニックスの母親がNBCで働くようになったことで、10歳の頃に初めてテレビに出演しました。それから広告やテレビシリーズの仕事を経験して、1985年に映画『エクスプロラーズ』で映画俳優としてデビューを飾っています。

俳優として多くの賞を受賞

1986年に、リヴァー・フェニックスは映画『スタンド・バイ・ミー』でクリス・チェンバーズ役を演じ、注目を集めました。その後、1991年の映画『マイ・プライベート・アイダホ』において、『ヴェネツィア国外映画祭』で男優賞を受賞するなど、俳優としての評価を高めていったのです。

「笑っていいとも」にゲスト出演していた?

リヴァー・フェニックスは、映画『スタンド・バイ・ミー』のプロモーションのために来日したことがありました。この際には、お昼の番組だった『笑っていいとも!』に出演したという話があります。なお、出演時には蕎麦屋に入ったが蕎麦つゆに鰹節が使われているのを知り、思わず箸を置いたと語っていました。

この時の映像はYouTubeには残っていない模様です。なお、なぜ箸を置いたのかというのは、リヴァー・フェニックスがヴィーガン(完全菜食主義者)であったからでした。

かっこよすぎるリヴァー・フェニックスの魅力とは?

ここで、リヴァー・フェニックスの魅力について迫ってみたいと思います。リヴァー・フェニックスには、どの様なかっこいい魅力があったのでしょうか。

どこか反抗的で悲しい表情が魅力

リヴァー・フェニックスは、どこか反抗的な表情を見せることがありました。また、まるで自身の運命を悟っていたかのように、悲しさを帯びた表情をすることもあったといいます。多くの人を魅了して止まなかったのは、ルックスの良さばかりではなく、そうした彼の表情があったからでしょう。

ルックスだけでない演技力や性格のよさ

リヴァー・フェニックスは、ハンサムであったことに加えて、数々の賞を獲得するほどに俳優としての実力も兼ね備えていました。彼にはユーモラスな面もあったため、そうしたところも魅力の1つです。

映画「タイタニック」の主演第一候補だった

大ヒット作となった1997年の映画『タイタニック』。主人公であるジャック役は、レオナルド・ディカプリオが務めたことは有名でしょう。しかし監督のジェームズ・キャメロンは、リヴァー・フェニックスをジャック役の第一候補とする構想を立てていたといいます。

なお、映画『タイタニック』はリヴァー・フェニックスの死後4年が経った頃に完成し封切されています。レオナルド・ディカプリオはリヴァー・フェニックスに憧れているといい、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のダニエル・マロイ役の代役オファーもレオナルド・ディカプリオに来たのでした。

親友のキアヌ・リーブスも彼への想いを語る

俳優のキアヌ・リーヴスは、リヴァー・フェニックスの親友として知られています。2人は、当時リヴァー・フェニックスが交際していた相手を通じて知り合いました。1990年の映画『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』などでも共演しています。

キアヌ・リーヴスが、リヴァー・フェニックスの死から26年経つのを前に、リヴァー・フェニックスについて語りました。キアヌ・リーブスは、リヴァー・フェニックスからインスピレーションを与えられていたといいます。

また、リヴァー・フェニックスの知性や魅力、悲しみを抱えていたようであった点についても語っていました。

リバー・フェニックスは人気絶頂期になぜ死んだの?

ここで、リヴァー・フェニックスの死について取り上げてみたいと思います。リヴァー・フェニックスは、なぜ早すぎる死を遂げてしまったのでしょうか。

死因は薬物による心不全

リヴァー・フェニックスは、人気が絶頂であった時期に急死してしまいます。彼は1993年のある日、ジョニー・デップが経営するウェストハリウッドのクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」の入り口付近で倒れてしまいました。このクラブには、弟であるホアキン・フェニックスも一緒に来ていたといいます。

リヴァー・フェニックスが倒れた理由は、ヘロインとコカインの過剰摂取でした。

致死量の8倍のコカインを摂取していた

リヴァー・フェニックスは、致死量の8倍のコカインと4倍のヘロインそしてマリファナを摂取していました。薬物の常習者となっていたことがうかがえるでしょう。彼は薬物に溺れて、1993年10月31日に心不全により23年間という短い人生の幕を閉じたのです。

フロリダ州で散骨される

リヴァー・フェニックスの遺骨はフロリダ州で散骨されています。そのため、彼のお墓は存在しません。なお彼のファンの多くは、リヴァー・フェニックスの最期の地と言われるクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」に弔問するといいます。

リヴァー・フェニックスの家族や生い立ち

若くしてこの世を去ってしまったリヴァー・フェニックスですが、どの様な家庭で育ったのでしょうか。ここで、リヴァー・フェニックスの家族や生い立ちについてご紹介します。

アメリカ・オレゴン州で生まれる

リヴァー・フェニックスは、アメリカ・オレゴン州で5人兄弟の長男として生まれました。出生時の名前は、“リヴァー・ジュード・ボトム”でした。ヒッピーである両親は、『神の子供たち(現在のファミリー・インターナショナル)』というカルト教団の信者であり活動家でもあったのです。

 

そのことから、リヴァー・フェニックスは幼少期に南アメリカの地を転々としています。5歳の頃には、ベネズエラのカラカスで妹と共に舞台に立ち歌い踊ることもありました。

弟は俳優のホアキン・フェニックス

リヴァー・フェニックスの弟は、俳優のホアキン・フェニックスです。リヴァー・フェニックスが倒れて亡くなった際にも、弟であるホアキン・フェニックスと一緒にいたとされています。現在のホアキン・フェニックスは、アメリカで俳優として活動中です。

2022年に公開予定である、映画『Disappointment Blvd(原題)』への出演が予定されています。

貧しい家庭で育った

リヴァー・フェニックスは、貧しい家庭で育ちました。彼は、妹と共に路上パフォーマンスをして生活費を稼いでいたといいます。両親は、リヴァー・フェニックスが『スタンド・バイ・ミー』で有名になったことで、初めて車を購入できたのでした。

リヴァー・フェニックス出演の映画3選

最後に、リヴァー・フェニックスが生前に出演した映画を3本ご紹介します。リヴァー・フェニックスは、どういった映画に出演していたのでしょうか。

映画「スタンドバイミー」

1986年の『スタンド・バイ・ミー』は、まだ若かった頃の彼が観られる作品であり、作品として大きく話題になりました。この作品に出演した当時、リヴァー・フェニックスは16歳でした。現在、本作品は青春映画の傑作や金字塔などと評されています。

 

『スタンド・バイ・ミー』の中で、リヴァー・フェニックスは主人公であるゴーディーの親友役を演じました。

映画「マイ・プライべ―ト・アイダホ」

1991年の映画『マイ・プライべ―ト・アイダホ』では、キアヌ・リーヴスとダブル主演しました。そして、ヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞しています。なおリヴァー・フェニックスは、エージェントの反対もありこの作品にほぼノーギャラで出演したといいます。

映画「ダーク・ブラッド」

『ダーク・ブラッド』は、リヴァー・フェニックスの遺作となった作品です。1993年に制作されていましたが、リヴァー・フェニックスが撮影途中に亡くなったため未完成のままでした。しかし、撮影未完成の部分を監督がナレーションを行い完成しています。

その後、リヴァー・フェニックスの没後20周年となった2013年に公開となりました。

リヴァー・フェニックスの魅力は反抗的で悲しげなところ!

23歳であまりにも若くして夭折してしまった、俳優のリヴァー・フェニックス。彼の魅力は、どこか反抗的に見えて悲しげでもある部分にありました。そんな彼の憂いを帯びた表情に魅せられたファンも多かったのでしょう。

現在もし彼が生きていたなら、2021年で51歳になっています。俳優を続けていたとしたら、きっと年齢を重ねてますます魅力を増した俳優になっていたのかもしれません。リヴァー・フェニックスは、惜しまれる俳優です。

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