木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
最初に、麻原彰晃とはどういった人物なのかをご紹介します。麻原彰晃という人物について、見ていきましょう。
1983年になると、学習塾『鳳凰慶林館』を開きました。この頃から、麻原彰晃と名乗り始めたのです。彰晃という名は、西山祥雲という人物に弟子入りした際に授けられたといいます。その後、ヨガ道場『オウムの会』を経て1986年に宗教団体『オウム神仙の会』に改称しています。
1987年に『オウム真理教』へと改称し、仏教系の新興宗教として活動をしていくようになりました。信者たちにはヨガ系でいきたいという者が多かったのですが、そうした意向を麻原彰晃が押し切ったといいます。また、この頃には既に暴力行為を肯定する教えも説いていたのです。
麻原彰晃は、信者たちに指示して数々の凶悪な事件を起こしました。例えば1989年の『坂本堤弁護士一家殺害事件』や1994年の『松本サリン事件』、翌年1995年の『地下鉄サリン事件』などが挙げられます。これらは、麻原彰晃のオウム真理教が起こした事件の一部に過ぎません。
1995年5月16日に、麻原彰晃は逮捕されました。山梨県上九一色村にあった教団の施設“第6サティアン”に潜伏していたところを、身柄を確保されたのです。天井部分に小部屋を作り、そこに身を潜めていたといいます。
オウム真理教については連日のように報道されていましたが、麻原彰晃の逮捕も大々的にワイドショーなどで報じられました。
逮捕からも25年以上が経過していますが、麻原彰晃は現在どうしているのでしょうか。麻原彰晃は現在も生きているのでしょうか。
麻原彰晃は、2018年7月6日に63歳で亡くなっています。2006年に死刑が確定していて、それから11年10ヶ月後のことでした。もし現在も生きていれば、66歳となっていたでしょう。
2018年7月3日付けで、当時の法務大臣が麻原彰晃ら7名の死刑囚(オウム真理教関連)の死刑執行命令に署名しました。これにより、7月6日に土屋正実ら事件に関与した幹部信者と共に、死刑が執行されたのです。
死刑が執行される直前に、麻原彰晃は刑務官に遺品等の引き渡し先を尋ねられました。この際には「四女」と答えています。その後に「ぐふっ」と呻き、それが最後だったとされます。
死刑が執行された麻原彰晃ですが、遺骨はどうなったのでしょうか。次に、麻原彰晃の遺骨について迫ってみたいと思います。
死刑が執行されてから、麻原彰晃の遺骨あるいは遺髪は東京拘置所に保管されていました。しかし、遺骨をそのまま拘置所に保管しておくわけにはいかないでしょう。
最高裁判所の決定により、2021年7月5日に麻原彰晃の次女・松本宇未(うみ)が遺骨の引受人に決定しました。2020年9月17日の段階で、東京家庭裁判所が次女に遺骨を引き渡す決定をしていたのです。
麻原彰晃の遺骨については、四女も引き取り先を決めるように審判を申し立てていました。しかしそれは、2021年7月2日付けの決定において退けられました。四女は、自身が父親の死刑執行の直前に遺骨の引き取り先として指定されたと主張しています。
世間を震撼させる事件を起こした麻原彰晃ですが、オウム真理教の教祖となる前の若い頃は、一体何をしていたのでしょうか。
麻原彰晃は、若い頃に大学の医学部で医療を学び、医師になりたいと考えていました。その理由は、自分のような病気のある人を助けたいと考えたからでした。当初は、高い志があったのです。
しかし、麻原彰晃(当時は松本智津夫)は、視覚障害があると医師免許を取得できないことを知りました。これにより、熊本大学医学部の受験を断念せざるを得なかったのです。
続いては、麻原彰晃の家族について迫ってみたいと思います。麻原彰晃には妻や子供がいるのでしょうか。麻原彰晃のプライベートな面にも触れてみましょう。
麻原彰晃の妻は松本知子(旧姓・石井)です。2人は代々木ゼミナール代々木本校に通っていて、この予備校時代に出会い結婚しました。なお現在は、戸籍名を“松本明香里”に変更しているといいます。
麻原彰晃の長女は松本三輪といい、1978年生まれです。ドゥルガーというホーリーネームがあります。2021年で43歳となるでしょう。
次女は1982年生まれの松本宇未(仮名)です。麻原彰晃の遺骨を引き取ることになった娘でもあります。10代だった2000年には、家宅侵入罪(報道では弟である長男を連れ去ろうとしたとされる)により逮捕されています。
1983年生まれの松本麗華が三女です。彼女は“アーチャリー”の名でも知られています。また次女同様に逮捕歴があり、『NEWS ZERO』にインタビュー出演したこともあります。
麻原彰晃には、1989年生まれの四女もいます。松本聡香という仮名であり、他県に引っ越した際には学校に通えなかったといいます。学校に通えるようになっても、いじめに遭ったという話もあるのです。また、2010年には『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』を出版しました。
そして、2017年には両親に対し相続排除の申請をしています。
四女の下には、2人の男の子もいます。1992年生まれの長男と、1994年生まれの次男です。2人は、1996年6月に教団の教祖になっています。長男は2014年にAleph(オウム真理教から改称された教団)に対して、名誉棄損により損害賠償として4,000万円を請求し、名前と写真の無断使用を禁止するように訴えを起こしました。
さらに長男は、テレビ東京に対しても父親の後継者であるかのように報道されたことに対し訴訟を起こしていますが、2018年に敗訴しています。
麻原彰晃とお笑いコンビ・とんねるずというと、接点がないようにも感じられるかもしれません。しかし、双方は共演していたというのです。一体何の番組で共演したのでしょうか。
90年代には、とんねるずの人気番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』が放送されていました。この通称“生ダラ”に、麻原彰晃が出演しました。出演したのは1991年のことであり、オウム真理教がまだ社会問題となる以前のことです。
番組内で、観覧者から『好きな女優は誰か』という質問が問われました。これに対し麻原彰晃は「今はいない」と答えましたが、以前は女優の秋吉久美子が好きだったと答えています。
麻原彰晃を“生ダラ”に呼んだのは、当時演出を担当していたテリー伊藤だったとされています。テリー伊藤は、誰よりも早く北朝鮮に着目するなど、“変わり者”とされていました。
教団の教祖として君臨していた麻原彰晃。彼は様々な言葉を発しています。最後に、麻原彰晃の名言について見ていきたいと思います。
インターネットに『ウェブ石碑』というサイトがあり、著名人の名言が掲載されています。この中では麻原彰晃の言葉として、『真理は面白い。そして真理を語る者は迫害される』と掲載されています。
Wikiquoteの麻原彰晃のページには、彼の発言した言葉が多く掲載されています。起こした事件毎にまとめられていて分かりやすくなっている点が特徴です。中には『ポアをするように』も含まれています。“ポア”は麻原彰晃の言葉として有名になりました。犯した殺人を正当化するために用いられていたともいわれています。
麻原彰晃は、2018年夏に死刑が執行されています。1995年の逮捕から23年後のことでした。遺骨は、2021年7月にようやく次女が引き受け先として決定しています。信者たちを洗脳し、殺人テロ事件を起こし多数の人たちの命を奪った麻原彰晃。どの様な思いで最期の時を迎えたのでしょうか。
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麻原彰晃(あさはらしょうこう)の本名は、松本智津夫(ちづお)といいます。1955年生まれであり、視覚障害(先天性緑内障)を持っていました。そのため、左目はほぼ見えず6歳より盲学校に通っていました。また、極貧家庭で両親が働きづめという環境で育ったとされています。