木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは、『秋葉原通り魔事件』の概要についてご紹介します。『秋葉原通り魔事件』は、どの様な事件だったのでしょうか。
事件では17名の死傷者が出ました。犯人はまず、2トントラックで歩行者天国に突っ込み5人をはねています。その後タクシーに激突してトラックから降り、手当たり次第に12名をダガーナイフで刺していったのです。これにより、計7人が亡くなりました。なお、10分にも満たない短時間でも犯行となっています。
その後、現在のクラブセガ秋葉原新館の脇にある路地で、現行犯逮捕されました。
『秋葉原通り魔事件』の犯人は、青森県青森市出身(出生は五所川原市)の加藤智大です。加藤智大は犯行当時25歳でした。彼はネット掲示板にのめり込むようになり、自身に成りすました荒らしへの対策として、報道されることで相手にも伝わる事件を起こすことを考えます。
相手を心理的に攻撃するためです。そして、犯行前に『車で突っ込み車が使えなくなったらナイフを使う』と掲示板に犯行予告をしています。当日に立てたそのスレッドのタイトルも、『秋葉原で人を殺します』へと変更していました。
続いては、犯人の生い立ちについて見ていきたいと思います。犯人である加藤智大は、どの様な生い立ちを辿ってきたのでしょうか。
加藤智大は、青森県の津軽地方にある五所川原(ごしょがわら)市で生まれました。夏のお祭りである立佞武多(たちねぶた)などが有名な街です。また、加藤智大には両親の他に弟もいました。
高校は、青森県下でトップクラスである県立青森高等学校を2001年2月に卒業しました。同校は、母親の母校でもあり母親が息子にも通わせたいと望んでいた模様です。高校を卒業した後には、北海道大学に進学することを希望していた加藤智大でしたが、それは叶いませんでした。
2001年4月から、加藤智大は岐阜県にある中日本自動車短期大学の自動車工学科に通っていました。しかし意欲を持つことができず、成績が落ちて自動車車体整備士の資格は取得していません。
2003年7月から仙台の警備会社で働くようになりましたが、無断欠勤をして2005年2月に警備会社を退職しています。その後は、派遣社員として自動車メーカーの工場などで働いていました。この期間には、派遣会社を退職後に友人らに自殺をするつもりであるとのメールを送信しています。
またこの頃には、ネット掲示板にも入れ込むようになりました。
2007年1月からは、青森の運送会社に大型輸送車の運転手として勤務するようになりました。しかし9月には退職していて、その後はまた派遣として働いています。彼はネット掲示板の投稿者と会うために、2週間の休暇を会社に申請していました。
しかし、会社側に却下されたため抗議の意味で無断欠勤し、運送会社を退職したのです。
犯人である加藤智大が、現在どうしているのか気になる方もいるでしょう。次に、加藤智大の現在について見ていきたいと思います。
犯人・加藤智大は、2015年に死刑判決が確定しています。2016年5月10日付で東京地裁に再審請求しましたが、2018年10月の段階で東京拘置所に収監されているという情報があります。2021年現在も、東京拘置所で服役している可能性があるでしょう。
事件後に、加藤智大の母親は入院したといいます。また家族は、自宅のある青森市から引っ越しをすることもなく、現在も同じ自宅に住んでいます。ただ町内会費は払っているものの、近所の人との交わりは断っているとの話もある点が、家族の実情です。
加藤智大の弟(仮名・加藤優次優次)は、2014年に28歳で亡くなっています。『秋葉原通り魔事件』から6年後のことでした。
加藤智大の弟が亡くなったのは、自殺が原因でした。事件の加害者家族として苦悩し、自殺する1週間前には週刊現代の記者に手紙を送っていました。
『秋葉原通り魔事件』はおかしいという声があります。それでは、『秋葉原通り魔事件』は一体どういった点が“おかしい”のでしょうか。事件の疑問点について迫ってみましょう。
『秋葉原通り魔事件』は短時間の犯行であり、2.3分の間に12人も刺せるのか疑問視されています。自衛隊員や県警捜査官にこの点の見解を聞いてみると、不可能だという人が多いのです。犯行時に犯人は興奮状態だったことが考えられますが、逮捕時には冷静になっていたともいいます。
犯人は、返り血でジャケットが真っ赤になっていたと報道されています。しかしながら、実際の映像や画像では綺麗なままでした。また、犯人の手にも血が付いていなかったのです。この返り血の件についても、謎となっています。
犯人は、福井県福井市でナイフを購入しました。このナイフを購入する様子が防犯カメラに捉えられています。もし計画的に犯行を行ったのであれば、ナイフもネット購入なども選択するのではないかと考えられているのです。また、ネットで犯行時刻や内容を予告していました。
ただ、元から犯人の成りすましがいたため、その成りすました人物が欲求を満たすために犯行予告などをしていたもおかしくないとみられています。犯人は犯行の直前まで自身を実況していましたが、犯行直前にアドレスなどを削除しました。
自身を認めてもらうための犯行でありながら、直前になり異なる行動をしているため、犯人には共犯者もいるのではないかと考えられたのでした。
犯人である加藤智大の映像などを見ると、どちらかというと痩せ体型のように見受けられます。しかし目撃者の証言では、トラックから降りてきた犯人は小太りだった、団子鼻であったなどといわれています。加藤智大と、特徴が一致しない点があるのです。
また、凶器のダガーナイフ(加藤智大が所持していたのは刃渡り13センチ)では胸部を貫通させるのは不可能であり、他の誰かも関わっていると考えられました。また、映像に映っているはずの被害者女性が、後の映像に映っていなかった点も不可解です。
『秋葉原通り魔事件』では、スクープ映像が嘘ではないかといわれています。私服警官がすぐにかけつけ対応したのですがが、到着が早すぎだとの話もあります。警察やマスコミは、犯行予告を把握していたのではないかとの見方もあるでしょう。
助ける順番の識別である“トリアージ”において、心停止していないのに助からないとする『黒タグ』が付けられた人がいました。また真犯人は他にいて、加藤智大を操っていたのだという説も存在します。
『秋葉原通り魔事件』が発生してからだいぶ時が経ちました。事件は風化させてはいけませんが、どの程度の時間が経過したのでしょうか。
『秋葉原通り魔事件』が発生してから、2021年6月8日で13年が経ちました。被害者の遺族は今もなお、苦しんでいるものと考えられるでしょう。
事件発生から13年が経ち、13年目となった当日・2021年6月8日には事件現場に献花台が設けられました。線香を供えた小さな台でした。当日、花を手向けたり手を合わせる人がいたといいます。
献花台の近くには、『決して忘れてはいけない、風化させてはならないと思います』と書かれた張り紙もされました。これは、毎年献花の場所を設置してきた寺の僧侶のメッセージとして、張られたものです。
2008年6月の日曜日の昼日中に、秋葉原の歩行者天国で無差別殺傷事件が発生しました。これが『秋葉原通り魔事件』です。犯人は、トラックで人を撥ねた後に手当たり次第に人をダガーナイフで刺していったのです。これにより、罪のない7名の方が尊い命を落としてしまいました。
犯人とされる加藤智大は、死刑判決が下り現在も収監中とみられます。この事件には犯人が他にいる、加藤智大は操られていたなどの話もありますが、殺害された7名の方は2度と帰ってこないのです。
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『秋葉原通り魔事件』は、2008年6月8日に発生しました。その日は日曜日であり、東京・秋葉原の歩行者天国で起きています。午後12時半過ぎに、千代田区外神田四丁目にある神田明神通りと、中央通りが交差する地点(交差点)から発生した事件です。
日曜日の歩行者天国という、買い物客や観光客で溢れ返る中で起きた惨劇でした。