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    風船でアメリカまで行く計画をしていた「風船おじさん」って?どうなった?

    皆さんは「風船おじさん」を覚えているでしょうか。ゴンドラに複数の風船を付けて、空に飛び立った男性のことです。そこで今回は、「風船おじさん」についてどんな騒動だったのか、その後どうなったのかについて迫ってみたいと思います。

    風船おじさんとは誰?

    風船おじさんとは一体どんな人で、どんな職業の人なのでしょう?まずは風船おじさんの本名や職業、生い立ちについてみていきましょう。

    鈴木嘉和のこと

    風船おじさんの名前は、鈴木嘉和(すずきよしかず)さんといいます。生年月日は不明ですが、生まれた年は1940年であることが分かっています。そのため、もし現在も生きていたとしたら2021年の今年で81歳ということになるでしょう。

     

    ただ、鈴木嘉和という名前は旧姓で、実は結婚して姓が変わっているので、戸籍上は石塚嘉和(いしづかよしかず)といいます。

    ピアノ調律師だった

    風船おじさんさんこと鈴木嘉和さんは、ピアノ調律師の家族に生まれました。そのため、自然に自分もピアノ調律師の道を目指すようになったといいます。

     

    大学は国立音楽大学付属高等学校を卒業し、その後はヤマハの契約社員として東京都小金井市でピアノ調律業を営んでいました。

    事業が上手くいかなかった

    風船おじさんは、44歳で音楽教材販売会社ミュージック・アンサンブルを企業しています。その後、銀座で音楽サロン「あんさんぶる」を開店。さらに、麻雀装やコーヒーサロン、パブレストランなどを経営していますが、どの事業も上手く運営できませんでした。

     

    そのため、1990年にはミュージック・アンサンブルは4億円~5臆円の負債をかかえることになり、倒産したといわれています。

    立て籠もり事件などを起こしていた!

    風船おじさんは、話題になった騒動よりも以前に、立てこもり事件を起こしています。それは、1989年のこと。当時、横浜博覧会においてテナントを出店していた風船おじさんは、博覧会の集客も少なかったこともあり経営は難しいものでした。

     

    そこで、お客さんを集めようとして漫画家の手塚治虫さんがデザインしたというマスコット"ブルアちゃん"の着ぐるみを自作して着用し、撮影会やサイン会を開催しました。

     

    楽しそうに出店しているかと思いきや、閉幕が迫った10月、博覧会のマスコット"ブルアちゃん"の着ぐるみを着て会場アーケードの支柱に上り、立てこもりました。これは、横浜博覧会協会が集客の対策をしなかったとこから抗議のためだったといいます。

     

     

     

    風船おじさんの騒動とは何?

    過去にもたてこもり事件を起こしていた風船おじさんですが、世間の注目を集めた事件とは一体どんな事件だったのでしょう?振り返ってみましょう。

    1992年11月23日に起きた

    風船おじさんさんと呼ばれるきっかけとなった事件が発生したのは1992年11月23日のこと。風船おじさんこと鈴木嘉和さんは、滋賀県の琵琶湖において大小26個の風船を檜の風呂桶にくくりつけ、「アメリカに行ってきます」と言い残し、空へと舞い上がりました。

     

    風船おじさんいわく、その風呂桶は"ファンタジー号"。付けられたのはヘリウム風船でした。

     

     

    無謀な挑戦だった?

    「アメリカまで行く」とは言っているものの、それは、誰が見ても無謀なものでした。

     

    風船おじさんさんは、"ヘリウムガスを詰めた風船に乗れば、高度1万メートルに上昇することで約40時間もすればサンフランシスコに行ける"というものだったらしいですが、自分で作ったというそのゴンドラには、そんな機能も耐久性もなかったのです。

     

     

    40時間後に宮城県へ

    風船おじさんさん乗せたゴンドラは、空へと舞い上がった40時間後には、アメリカに向かうどころか、宮城県金華山沖800キロ、高度2500メートル地点を漂っていました。

     

    それは実際の距離にすると、飛び立った琵琶湖からはまだ140キロほど。予定時間を過ぎても約10分の一以下の距離だったのです。多くの人が「ここでギブアップすれば良いのに。」と思っていたことでしょう。

     

     

    海上保安庁の捜索機が生存確認したのが最後

    風船おじさんは、多くの人に心配されながら飛行を続けていましたが、最後に確認されたのは、2日後の25日。

     

    前日の夜半に救難信号を受けて捜索機が発進すると、ゴンドラに乗った風船おじさんは手を振ったり、荷物を投げ落として高度を上げたりしたため、"飛行意志がある"とみなされ、3時間の監視のあとに捜索機は帰還することになりました。

     

     

    風船おじさんはその後どうなった?

    捜索機により風船おじさんが確認されたのは25日が最後となっていましたが、その後どうなったのでしょうか?詳しくみていきましょう。

    高度が1週間でゼロに?

    風船おじさんが桶につけた風船のガスは、1日で1割ほどが抜けている状態でした。そのため、ほおっておいても勝手に高度が下がるようになっていたのです。

     

    詳しい人の見方によると検索機の最終確認から早くて3日、最長でも1週間で高度はゼロになっただろうといわれています。

     

     

     

    行方不明に

    風船おじさんはその後、どこにいるのか行方がわかっていません。

     

    風船おじさんが最後に確認された位置やそこを吹いた風の向きや台風の位置、気圧、その他いろいろな条件を考えると、目指す東の方角からやや北に流されはじめたのではないかと考えられています。

     

    そのため、千島列島の島々に並び飛んでいったと思われますが、家族の方は無人島にたどりついたのではないかという意見をもっています。

    死亡扱いとなった?

    風船おじさんが見つかっていないのは事件から30年以上経過した現在も同じです。家族からは捜索願が出さ続けていれば生きているということになります。

     

    風船おじさんの奥さんは1999年にも捜索願を出してしましたが、失踪宣告の手続きをすることも考えていると話していました。

     

     

    風船おじさんが映画になった?

    奇想天外な行動により多くの人の注目を浴びた風船おじさん。この行動が映画に反映されているというのです。それはどんな映画なのでしょうか?みていきましょう。

    カールじいさんの空飛ぶ家

    その映画とは、2009年12月5日に公開された映画「カールじいさんの空飛ぶ家」。ピクサー・アニメーション・スタジオにより製作され、アニメ映画でははじめて第62回カンヌ国際映画際のオープニング作品となり、第67回ゴールデングローブ賞アニメ映画賞・作曲賞受賞しています。

    映画の内容は?

    この映画の主人公は、妻を亡くした78歳のカールじいさん。

     

    街の計画によって高層ビルが建設されていく中で、最愛の妻と一緒に暮らした家を失いたくないという思いから、妻との思い出がたっぷり詰まった家に大量の風船をつけて、妻の夢だった南米奥地の秘境を目指すというものです。

    『カールじいさんの空飛ぶ家』の参考に?

    この人気映画となった「カールじいさんの空飛ぶ家」が風船おじさんの事件をもとに作られたのではいか?いう声があがっています。

     

    風船おじさんはビニール風船で太平洋横断を試みた、世紀まれに見る怪人物。空へと飛び立った理由こそ違いますが、そんな無謀ともとれるものの、どこか夢のある挑戦は、カールじいさんの発想とよく似ているのです。

    風船おじさんは本にもなっている?

    風船おじさんは本にもなっています。現在行方不明の風船おじさんが自分で書くことはできませんよね。誰が執筆し、どんな本に残っているのでしょうか。みていきましょう。

    2000年に妻が本を出版

    風船おじさんが本になっているものとしては、風船おじさんが事件を起こした8年後の2000年に奥さんである石塚由紀子さんの著書があげられます。

     

     

     

     

    風船おじさんの調律

    石塚由紀子さんが出版したのは「風船おじさんの調律」という本です。この本には、風船おじさんの経歴や風船おじさん事件の真相、奥さんとの出会いや奥さん自身のことが詳しく記載されています。

    妻は亡くなっている

    本の著者である石塚由紀子さんは、事件から24年後の2016年、ポルトガル人の男性と再婚しています。しかし、翌年の2017年、胆管癌のために亡くなっています。

    風船おじさんは世紀まれに見る怪人だった

    桶に風船をつけてアメリカまで行こうなど、これまで誰が試みたというのでしょうか。風船おじさんは、事業は上手くいかなっかったようですが、夢を持つ力は人一倍強い人だったのでしょう。

     

    2021年現在、生きていれば81歳になる風船おじさんこと鈴木嘉和さん。今もどこかで夢を追いかけていてほしいものです。

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