木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
苗山事件は、ニコニコ動画でも確認ができるといいます。では、苗山事件とはどういった事件なのでしょうか。その概要について迫ってみましょう。
地震が発生した当時、NHK総合局では『日曜討論』という番組を放送していましたが、地震に関する番組へと切り替えられました。そして、地震の被害にあった能登半島の中能登町役場との中継を結んでいます。その際に町役場職員の「苗山さん」という男性が、電話でインタビューを受けました。
アナウンサーの質問に、苗山さんは落ち着いた様子で答えていたといいます。このインタビューは、2分程度続いていたのです。
苗山さんのインタビューの途中で突然、苗山さん黙り込んだ後に声の異なる他の人が出て、その人物が苗山さんであるとして電話に出たのです。このことから謎を呼んで苗山事件と呼ばれるようになりました。
続いては、苗山事件についてさらに詳しくお伝えいたします。苗山事件の詳細は、一体どういったものだったのでしょうか。
2007年3月25日午前9時台に、能登半島でマグニチュード6.9の地震が発生しました。この地震では、輪島市などで最大震度6強を観測しています。能登半島は長らく地震が起きていない、地震空白域でした。この地震では、停電や家屋の倒壊、人的被害、土砂災害等の甚大な被害が3万件以上発生しています。
NHKは放送中の番組を切り替えて、地震発生直後から地震に関する報道を放送しました。そして、能登半島で被害にあった中能登町役場と中継を繋いだのです。その際に、中能登町役場職員である苗山さんという男性に電話でインタビューをして、アナウンサーが質問をしました。
苗山さんは地震の大きさや被害の程度、倒壊がどの様になっているのかを、落ち着いた口調で答えていたのです。
インタビューに答えていた苗山さんは、インタビューの途中で2秒間沈黙しました。アナウンサーが中能登町の停電の詳細を尋ねた際に、苗山さんはこの場では停電は起きていないと話しています。そして、もし停電になっても非常用電源があると説明している最中に、中継が無音となったのです。
沈黙となった2秒後にアナウンサーが「もしもし?」と問いかけたところ、電話口から返ってきた声は明らかに苗山さんのものとは違う人物の声でした。苗山さんの声は4,50代くらいの落ち着いた声音ですが、30代程度の落ち着きのないトーンの声音の人物に変わったのです。
それだけでなく、苗山さんは方言で話していたものの、沈黙後には標準語になっていたといいます。
明らかに声が変わったと思われたことから、アナウンサーは本人なのか何度も確認をしました。しかし、沈黙の後の電話の相手は、苗山さんであることを主張し続けたといいます。アナウンサーは不審に思ったのか、インタビューをすぐに切り上げたのでした。
ここで、電話インタビューに応じていた苗山さんについて探ってみたいと思います。苗山さんとはどういった方なのでしょうか。
苗山さんについては、テレビのテロップでも役職が表示されていて、彼が中能登町役場の総務部に勤務しているとされています。ただ、勤務先や部署等は記録がないことからどこまでが正しいのかは分かっていません。
石川県市町村職員共済組合のサイトに、苗山さんの名前が掲載されています。また、2007年の1月に発行された広報誌にも組合職員一覧に『苗山雅幸』という人物が掲載されていました。恐らく、この苗山雅幸という人物が苗山さんであった可能性があるでしょう。
苗山という苗字は全国的にも珍しいとされています。全国でも100人以下のみであるというのです。石川県内にも、10人ほどしかいないでしょう。なお地震の起きた石川県は、全国で3番目に苗山姓の人が多い地域でもあります。
こうしたことからも、電話インタビューを受けていた苗山さんは苗山雅幸さんであると考えられます。
苗山事件はYahoo!の知恵袋でも話題になっているといいます。では、苗山事件の真相とはどういったものだったのでしょうか。
元々インタビューに答えていた苗山さんの声は、40代から50代の男性のものに聞こえたものの、途中で代わった人物の声は30代ほどに聞こえ若く感じられました。それに加えて声のトーンや話し方も全く異なるものだったのに、代わったと見られる人物は苗山さんとしてインタビューを継続したのです。
不可思議な出来事ですが、その理由については謎となっていて現在でも分かっていません。
地震の発生後、能登地方では電話が繋がらなくなりました。しかし、インタビューをするにあたり現地との電話が通じたことも謎とされています。中能登町は、地震の震源地にも近く、固定電話と携帯電話は数時間ほど不通となっていたのです。
それでもインタビューができたことは、苗山事件の中でも謎とされる部分でしょう。災害時であっても衛星電話であれば使用できるため、衛星電話でインタビューが行われたことも考えられます。
急に他の人物に代わった原因として、有力であるとされているのは「混線した」という説です。当時、地震発生後のため、現地は混乱した状態でした。地震の揺れにより電柱は倒れ、中能登町役場内の電話線にも影響があったものと考えられます。
そのため、インタビューの最中に混線が起きてしまい、他の人物に入れ替わってしまったという考え方があるのです。この説であれば、インタビューの時に不自然に間が空いたことも説明がつくでしょう。
最後に、事件後や現在の苗山さんはどうしているのかについて、迫ってみたいと思います。苗山さんは現在も元気にしているのでしょうか。
苗山事件が起きた後、中能登町役場に苗山事件に関して電話をかけた方がいました。ところが、その際に役場の職員から返ってきたのは「苗山という人はおりません」という答えだったのです。役場内の混乱を避けるためなどの理由で、苗山さんを守るために「いない」と言った可能性もあるでしょう。
役場のこの返答により、インタビューを受けた苗山さんは、幽霊だったなど様々な憶測を呼びました。前述の通り、苗山さんに関しては組合議員一覧にも載っていることから、実在が確認されているため「いない」という答えが矛盾していると見られています。
こうしたことから、より苗山事件は謎となっているのです。
苗山さんは、既に亡くなっているという噂もあります。事件から4年後にあたる2011年の広報に苗山さんの名前が、お悔やみ欄に記載されていたというのです。苗山さんは、63歳という若さで亡くなったという話があります。
もしこの方がインタビューを受けた苗山さんなら、既に苗山さんは他界していることになるでしょう。
苗山事件について様々な憶測が飛び交っていますが、現在になってもどうしてあのようなことが起きたのかは分からないままです。インタビューの主は幽霊だったのではないかなど、都市伝説のように語られています。
苗山事件は、2007年に発生した能登半島地震をきっかけにした起きた、放送事故のような事件です。現地と電話インタビューを繋いでいたものの、その電話の相手とされる苗山さんという方が途中で入れ替わったというのです。
衛星電話でインタビューしたなどの憶測は飛び交いましたが、真相ははっきりとしないままとなっています。苗山さんに関しても、その存在について不明のままです。苗山事件は謎を残したままの事件です。
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2007年に能登半島で地震が発生し、輪島市などで最大震度6強を観測しました。地震の直後に、NHKが地元の方に中継でインタビューをしていた際に起きた、放送事故ともいえるトラブルが苗山事件です。