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    全日空機ハイジャック事件の犯人・西沢裕司の現在(2021)とは?家族は?

    1999年に起きた全日空機ハイジャック事件を覚えているでしょうか。その犯人は西沢裕司という人物ですが、現在はどうしているのでしょうか。そこで今回は、西沢裕司の現在や家族、事件を起こすに至った経緯について迫ってみたいと思います。

    全日空機ハイジャック事件とはどんな事件?

    まずは、全日空機ハイジャック事件とはどういった事件だったのかについて、概要をお伝えします。一体、どの様な事件だったのでしょうか。

    1999年のハイジャック事件

    全日空機ハイジャック事件は、今から23年ほど前に起きました。1999年7月23日に、全日空61便がハイジャックされた事件です。日本で起きたハイジャック事件において、初めて人質の犠牲者が出てしまった事件でもあります。

    亡くなったのは機長

    全日空機ハイジャック事件で亡くなったのは、当時51歳だった長島直之機長でした。事件後に、機長に対して『総理大臣顕彰状』や『運輸大臣表彰』が送られています。

    北海道行きの機内

    この事件は『ボーイング747-481D』で起きた事件でした。羽田発新千歳空港行きの機内において発生しています。なお、『ボーイング747-481D』は2014年1月の退役後、アメリカのテューペロ地域空港において機体が解体されました。事件の起きた機体は、既に運航していないということです。

    犯人は西沢裕司

    全日空機ハイジャック事件の犯人は、当時28歳だった西沢裕司です。西沢裕司は、飛行機が離陸してからわずか2分後に客室乗務員にナイフを突きつけました。そして、コックピットまで連れて行かせてハイジャック事件を起こしたのです。

    犯人・西沢裕司の現在はどうなっている?

    次に、犯人である西沢裕司の現在について、迫ってみたいと思います。西沢裕司は現在どうしているのでしょうか。

    西沢裕司は服役中

    西沢裕司は、現在服役をしています。1999年8月13日にハイジャック防止法違反と殺人、銃刀法違反で起訴されました。そして、2005年には無期懲役が確定したのです。現在は、千葉刑務所に服役していると考えられます。

    51歳になる

    西沢裕司は、1970年(昭和45年)9月8日(28日との話も )生まれとされていて、2021年には51歳になると考えられます。28歳で事件を起こしていますので、事件から23年の月日が流れているのです。

    自宅は売却

    西沢裕司の住んでいた自宅は、東京都江戸川区小岩にありました。しかしその自宅は売却されていて、家族も住んでいません。売却したのは、被害者への賠償のためという可能性があるでしょう。西沢裕司の逮捕後に、両親が自宅を売却したものとみられます。

    家族は田舎に移住

    西沢裕司の家族は、事件後には小岩から離れて田舎へと移住をしたといいます。犯人の家族だと知られぬように、ひっそりと暮らしている可能性もあります。

    西沢裕司に家族はいるの?

    続いては、西沢裕司の家族について見ていきたいと思います。西沢裕司の家族はどういった構成になっているのでしょうか。

    5人家族

    西沢裕司の家庭は5人家族でした。西沢裕司の他に、両親と祖母、兄と共に暮らしていたのです。続いて、両親がどういった人物であったのかについて、見てみましょう。

    両親の職業

    父親は、特許事務所に勤務していたとされています。母親については、専業主婦であったという情報があります。ハイジャック事件が起きる前には、父親が複数枚の航空券を発見していたとも伝わっているのです。また、母親が西沢裕司のバッグからナイフを発見しました。

    このことから、母親は西沢裕司の自殺を危惧し旅行を止めるように言っていたともいいます。

    兄は東京工業大学の出身

    西沢裕司の兄は東京工業大学の出身だと言われていて、大手化学メーカーに勤務していました。事件当時は既に自立をしており、他に家庭を持っていたとされています。要するに、事件時には西沢裕司は4人暮らしであったということです。

    西沢裕司の生い立ちはどんなもの?

    ここで、西沢裕司の生い立ちについて迫ってみたいと思います。西沢裕司はどの様にして育ったのでしょうか。通っていた学校についてもお伝えします。

    小学生でいじめに

    西沢裕司は、小学校2年生や3年生の頃にいじめに遭っていたといいます。西沢裕司の少年時代を知る同級生によると、社交性がなく友達もいなかったと語っています。

    武蔵中学

    中学校から高校までは、武蔵高等学校中学校に通っていました。中高一貫教育を行っている男子校です。少年時代の西沢裕司は、ガリ勉タイプであり勉強ばかりしていました。

    一橋大学へ

    高校時代には友人に「東大以外はダメだ」と語っていたという西沢裕司でしたが、一浪をして一橋大学に進学しています。子どもの頃は鉄道なども好きだった西沢裕司は、大学在学中に飛行機へと関心を移しました。全国の、様々な航路や機種の飛行機に乗ることや、航空機関連の専門書を読み漁っていたといいます。

    西沢裕司が事件を起こすまでの経緯はどんなもの?

    ここで、西沢裕司がどの様にしてハイジャック事件を起こしたのか、その経緯について迫ってみたいと思います。

    羽田空港でバイト

    西沢裕司は、大学2年生の頃に羽田空港において荷物の積み込みのアルバイトをしていました。それは、航空機に接していたいからというのが理由です。

    航空会社の試験を受けていた!

    航空関係のあらゆる書籍を読んで猛勉強をして、西沢裕司は大手航空会社である日本航空や全日空、日本エアシステムの入社試験を受けています。しかし結果は、3社とも不合格に終わってしまいました。

    『JR貨物』に入社

    航空会社の試験に落ちてしまった西沢裕司は、1994年春にやむを得ず航空関係ではない『JR貨物』に入社しました。『JR貨物』は飛行機とは無関係の鉄道会社です。しかし、2年後の1996年秋に『JR貨物』を退職してしまいます。コミュニケーション能力が不足していたため、対人関係が上手くいかなかったのです。

    放浪の末引きこもる

    鬱となり西沢裕司は放浪をします。当時の彼は人生最初にして最大の挫折を味わい、生きる気力さえ失ったいたとされます。放浪後の3年間は仕事が見つからず、引きこもり生活を送っていました。しかしそんな中でも、航空への思いは募る一方だったのです。

    引きこもる生活で、フライトシュミレーションゲームに打ち込み、航空工学書を読み漁っていたといいます。

    警備の欠陥を発見

    西沢裕司は、ある日自室で羽田空港ターミナルビルの図面が転がっているのを発見しました。その際に彼は、羽田空港の警備に“手荷物検査をすり抜けることが可能”だという重大な欠陥に気付いています。この図面の通りであれば、飛行機内に凶器を持ち込まれてしまう可能性があることにも気付いたのでした。

    西沢裕司は、この欠陥のことを羽田空港に伝えればその知識を認めてもらうことができ、もしかしたら航空会社で活躍する道があるかもしれないと考えます。そして、後日実際にやってみたところ、手荷物検査をすることなく難なくクリアすることができてしまいました。

    各所に手紙を送る

    西沢裕司が警備の欠陥について運輸省(当時)や東京空港事務所など各所に実名で文書を送ったことで、『警備強化を対策会議』が開かれました。しかし、人件費などを理由として対策をすることが先送りされてしまったのです。

    ガードマンになれず

    警備体制の改善がなされなかったことから、西沢裕司は電話で自分をガードマンとして雇って欲しいと依頼をしました。しかし、その希望は叶えられず断られてしまいます。警備の死角を見つけたことで望みとしていたものの、その夢も断たれていまったのです。

    この出来事が、西沢裕司をハイジャックへと駆り立てた要因になったと考えられます。

    ハイジャック犯に

    西沢裕司は、『ハイジャックを成功させ、自分の言ったことが正しいのだと証明しよう』と考えました。そして、『ハイジャックした飛行機を自身で操縦する』というシナリオまでも思い描いていたのです。またゲームにおいて、『お台場のレインボーブリッジ潜りを完璧に成功させる』という考えまで持ちました。

    こうした動機により、西沢裕司はハイジャック犯となりました。

    西沢裕司の精神鑑定が行われた?

    事件が起きた場合に、容疑者に責任能力があるのかなどを調べる目的として、精神鑑定が行われることがあります。西沢裕司にも精神鑑定が行われたという話があるのですが、どういったものだったのでしょうか。

    2度の精神鑑定

    西沢裕司に対して、2度の精神鑑定が行われています。1度めの鑑定ではアスペルガー症候群であると判定され、2度めには抗うつ剤による影響という判定がされました。この2度めの判定により、西沢裕司は善悪の判断が極端にできなくなっていたとみなされています。

     

    そのため、心身耗弱の状態にあったとの鑑定結果により無期懲役の判決となったのです。

    供述が支離滅裂

    犯行の動機について、西沢裕司の供述には支離滅裂な部分があったといいます。心にある真実を、はっきりと明かさなかったのかもしれません。もしくは、精神鑑定を受けたように、心身に何等かの異常を来していた可能性もあるでしょう。

    27歳で精神科クリニック受診

    西沢裕司は、家族の勧めもあり27歳の春頃から精神科クリニックを受診していました。そして、統合失調症や心因反応と診断されていたのです。それにより、抗うつ薬であるSSRIやSNRIを多量に処方され服用していたとされています。

    また自殺未遂をしたこともあり、精神病院に措置入院となったこともありました。

    西沢裕司は現在も服役中

    全日空機ハイジャック事件の犯人である西沢裕司は、現在も服役中と見られます。2005年に無期懲役が確定していて、千葉刑務所に収監されている模様です。自身の夢が破れたことでの犯行。あまりに身勝手な犯罪において、人命も奪われています。

    犯人の家族も居住地にはいられなくなり、移住したと考えられます。犯人には、塀の中でしっかりと反省をしていただきたいものです。

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