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千代の富士の筋肉が凄かった⁉体脂肪率も凄い!トレーニング方法とは?

“ウルフ”と呼ばれ、昭和最後の大横綱として大相撲界に君臨した千代の富士。残念ながら2016年に他界した彼ですが、生前は筋肉が凄かったという噂があります。そこで今回は、千代の富士の体脂肪やトレーニング方法について迫ってみたいと思います。

千代の富士のプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):秋元貢(あきもとみつぐ/ウルフ、昭和最後の大横綱)
  • 所属事務所:九重部屋(所属部屋)
  • 生年月日:1955年6月1日
  • 現在年齢:61歳没
  • 出身地:北海道松前郡福島町
  • 血液型:A型
  • 身長:183センチ
  • 体重:126キロ
  • 活動内容:大相撲力士
  • 家族構成:妻、娘(秋元梢)

盲腸がきっかけで相撲に入門?

千代の富士は中学1年生の頃に盲腸炎を患い、彼の腹部の筋肉が厚かったことから手術が難航してしまいました。それでも千代の富士は麻酔が切れてもなお耐えたのです。それを見た病院長が若狭龍太郎(かつて千代の富士と同郷の千代の山関の相撲入門を、世話したことがある)に連絡したといいます。

 

当時の九重親方であった千代の山が直々に勧誘したものの、千代の富士が乗り気ではないうえに両親の反対もあり、一度は断っていたのでした。しかし九重親方は諦めずに千代の富士を口説き、『入門するなら飛行機に乗せてあげる』などと誘いました。

 

千代の富士はどうしても飛行機に乗りたかったことから、家族の反対を押し切り入門を決意したのです。

ウルフフィーバーが起こる!

千代の富士は、1970年9月場所において本名・秋元貢の名で初土俵を踏みました。そして1971年1月場所より千代の富士と名付けられたのです。1981年に第58代横綱に昇進するなど、快進撃を続けウルフフィーバーとなりました。

ウルフとは千代の富士の愛称であり、千代の富士の師匠である九重親方の言葉が由来だとされています。ちゃんこ鍋の調理担当をしていた千代の富士が魚を捌いているのを見た九重親方が、「狼みたいだな」と言ったのです。そこから広まり千代の富士は『ウルフ』と呼ばれるようになり親しまれました。

現役引退

1991年に当時新鋭だった貴花田(後の貴乃花)と対戦し、千代の富士は敗れてしまいます。そして『もう一度敗れたら引退する』と覚悟を決めた貴闘力戦でも敗れてしまい、引退を決意しました。その際に開いた引退会見で『体力の限界』と述べたことが印象的となりました。

引退後は、九重部屋を継ぎ親方として弟子の指導に当たっています。それだけでなく、日本相撲協会の事業部長なども務めました。

すい臓がんで死去

千代の富士は、2015年に定期健診においてすい臓がんが見つかりました。そしてその手術を受けていたのです。その後には、2016年にがんが再発してしまい、鹿児島県などで放射線治療を受けていたといいます。しかし2016年7月31日に、東京大学医学部附属病院ですい臓がんのため61歳で死去しました。

同年10月には『第58代横綱千代の富士 お別れ会』が執り行われ、関係者1,500名ほどが参列し友人の松山千春が弔辞を読んでいます。一般ファンの献花にも3,000名ほどが列を作りました。

勲章を受けている?

千代の富士は、死後に政府より従四位に叙され、旭日中綬章を贈られています。昭和におけるスポーツ界のヒーローであり、認知度も高いことが理由でした。亡くなった日である7月31日をもち従四位に叙すること、旭日中綬章を追贈することを、2016年8月の閣議で決定されたものです。

千代の富士の体はどうなっていた?

続いては、千代の富士の体について見ていきたいと思います。身長や体重だけでなく、体脂肪率やBMIをご紹介していきましょう。

千代の富士の身長

まずは千代の富士の身長や体重についてです。千代の富士の身長は183センチです。力士ということもあってか、日本人男性にしては高いのが特徴となっています。力士の身長平均は千代の富士が現役だった当時(1989年)は184.1センチほどだったので、平均に近い身長だったといえるでしょう。

 

続いて千代の富士の体重は、126キロでした。千代の富士の現役時代(1989年)は147.4キロが平均だったことから、平均に比べると軽量であったことが分かります。ちなみに、大相撲力士の平均身長や体重は、増加傾向にあります。

 

2018年には平均身長が184.4センチ、平均体重は164.3キロのため、昔に比べて力士も大型化しているのです。

体脂肪率はどのくらい?

千代の富士の体脂肪率は10.3%とされていて、アスリートらしさのある数値となっています。幕内力士の平均体脂肪率が32.5%とされていますので、千代の富士の体脂肪率がいかに低いかが分かるでしょう。それだけ、ストイックな力士生活を送っていたということです。

BMIはどの程度だった?

千代の富士のBMI値は37.62でした。BMIはボディマス数値と呼ばれ、肥満度を示す体格指数です。BMIは、『体重(kg) ÷ {身長(m) X 身長(m)}』で求めることができます。千代の富士の37.62というBMI値は、体型としては中肥満となるものの、筋肉と内臓脂肪により体が形成されていたものと考えられます。

千代の富士のトレーニング方法はどんなもの?

ここで、千代の富士のトレーニング方法について見ていきたいと思います。千代の富士は、一体どういったトレーニング方法を行い筋骨隆々な体を作っていたのでしょうか。

昼寝よりもトレーニングを重視していた?

一般的には、力士は昼寝をするとされています。それは、体を大きくするための力士の日課でもあります。しかし千代の富士の場合は、筋肉を発達させるために昼寝をせずにトレーニングを重視していたと考えられているのです。

上半身は遅筋と速筋を鍛えた?

千代の富士は、上半身は遅筋(持久力を発揮できる)と速筋(瞬発力を出し、無酸素運動時に使用)の両方を鍛えていたと考えられています。遅筋は日常的なトレーニングで負荷をかけ、速筋は取組稽古の際に負荷をかけていた模様です。

腕立て伏せがお気に入りだった?

千代の富士は、腕立て伏せをお気に入りメニューとしていたとされます。『一にも二にも腕立て伏せ、それに尽きる』と語っていたともされるのです。腕立て伏せは肩や大胸筋、上腕三頭筋を鍛えることができるトレーニングです。

彼は、この腕立て伏せを毎日500回ずつ行っていたとされています。千代の富士の場合は、通常の腕立て伏せだけでなく、手の幅を変えるなど刺激を変えながら行うというオリジナリティーもあったのです。

ダンベルも利用

ダンベルを用いたトレーニングも、千代の富士は取り入れていました。20キロのダンベルで上下運動を行うことや、振り下ろしといった運動をしていたのです。千代の富士は上腕二頭筋(力こぶできる部分)が鍛えられていて、それはダンベルでのトレーニングの効果もあった可能性があるでしょう。

この上腕二頭筋が発達していたことから、千代の富士の抜きん出たまわしを掴む強さに繋がっていたものと考えられます。

千代の富士の筋肉伝説とは何?

千代の富士の、筋肉にまつわるエピソードについても気になる方がいるかもしれません。次に、千代の富士の筋肉伝説をご紹介します。千代の富士には一体どういった筋肉伝説があるのでしょうか。

千代の富士が筋肉を付け始めた理由

千代の富士は、漁師の家に生まれたことから、幼い頃より漁の手伝いをしていたこともあり元から筋肉質な体をしていいました。さらに、力士になってからはより筋肉を付けることに務めるようになったのです。

 

その理由は、千代の富士が肩を脱臼しやすいことから、その脱臼癖を治すために筋肉を付け始めたということです。脱臼を診てもらっていた医師たちにも、『筋肉のよろいを付けるべき』ということを言われたとされています。

初代貴ノ花の助言

千代の富士は、成績が低迷していた時期にヘビースモーカーになっていた時期がありました。その頃に、千代の富士が尊敬していた故・初代貴ノ花(現在の貴乃花の父親)から禁煙をして横綱を目指すようにと進言を受けたのです。

尊敬する貴ノ花が自分のことを心配してくれたことに感激した千代の富士は、50万円という高級なダンヒルのライターを隅田川に投げ捨てて、たばこの代わりに飴を舐めるように意識して禁煙に成功しました。禁煙をした甲斐もあり、千代の富士は体重の増量もでき横綱に昇進できました。

ステロイドが疑われる?

あまりにも千代の富士の筋肉が凄いことから、筋肉増強剤であるステロイドを使用しているのではないかと疑われてしまったこともありました。しかし千代の富士がステロイドを使用していた事実はなく、彼の筋肉は努力したからこそ作り上げられたものだったのです。

ちなみに千代の富士は、横綱に昇進する以前にプロレス界からオファーがあったといいます。そして本人は真剣に悩んだものの、もし肩を壊したとしたら腕を切断することになる危険性があり、断念したという逸話もあります。それだけ千代の富士の筋肉は、プロレス界からも注目されていた可能性があるでしょう。

千代の富士は握力も凄かった?

力士の方というと、握力も強いというイメージもあるかもしれません。では、千代の富士の場合は握力はどの程度だったのでしょうか。

握力は92キロ

千代の富士の握力は92キロでした。成人男性の握力平均は、例えば20代後半なら46.56キロです。千代の富士には、平均よりも倍以上の握力があったということが分かります。

 

昭和では最強?

千代の富士の92キロという握力は、昭和時代の力士の握力の記録としては最上位でした。どれだけ千代の富士が日々トレーニングに勤しんでいたかが分かるでしょう。

琴欧州は120キロ

参考として、これまで力士の握力についても見てみましょう。歴代の力士の握力では、外国人力士として人気のあった琴欧州(現・15代鳴戸)の120キロという記録があります。

千代の富士はイケメンだった?

現在の遠藤のように、イケメンと言われる力士がいます。歴代力士にも男前と言われた力士たちがいました。では、千代の富士の場合はどうなのでしょうか。

好きな歴代力士1位!

読売新聞の『好きな歴代力士ランキング』において、千代の富士は他の力士たちを抑えて1位となりました。191票を獲得した貴乃花を引き離して、千代の富士は407票を獲得したのです。彼の人気の高さがうかがえるでしょう。

力士のイケメンランキング

既に引退している歴代力士のイケメンランキングにおいて、千代の富士は4位にランクインしました。キリっとしていて端正な顔立ちが、千代の富士の特徴です。このイケメンぶりも、人気の理由の1つだった可能性があるでしょう。

千代の富士の筋肉は努力の賜物だった!

偉大なる昭和の大横綱・千代の富士は実力も人気も高いものでした。その陰には彼のひたすらな努力があったのです。また千代の富士の筋肉についても、彼がストイックにトレーニングをしたからこそ作り上げられたものといえます。

そうした努力があり、大横綱といわれるまでに高みへと昇ることができたのでしょう。

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