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    複数の監禁事件を起こした『監禁王子』とは?

    女性を監禁したとして男が逮捕された『北海道・東京連続少女監禁事件』を覚えているでしょうか。犯人は青森出身の小林泰剛といい、監禁王子とも呼ばれ報道されました。そこで今回は、監禁王子の事件の概要や現在どうしているのかについて、迫ってみたいと思います。

    『監禁王子』とは誰?

    まずは、監禁王子というのがどういった人物なのかについて、見ていきたいと思います。監禁王子は一体誰なのでしょうか。

    『北海道・東京連続少女監禁事件』の犯人

    監禁王子とは、2001年から2005年にかけて複数の女性を監禁したとされる、『北海道・東京連続少女監禁事件』の犯人です。次に、監禁王子の名前などについてお伝えします。

    名前は小林泰剛

    監禁王子の名前は、小林泰剛(やすよし)といいます。元々は木村姓であり、自身が入門をした空手道場の道場主への断りもなく印鑑を借用し、養子縁組をして小林姓になったというのです。その後も結婚や離婚を繰り返していて、姓も何度も変更しています。

    拘留中に4度目の結婚をしたものの2か月で離婚をしていて、そのすぐ後に最初の妻である女性の姓“石島”に変更し現在も使用しているとされています。それでも、世間的に知られているのは、“小林泰剛”という名前でしょう。

    小林泰剛はイケメン?

    小林泰剛が『監禁王子』と言われるのは、犯行内容が由来しているものと考えられます。その他にも、ジャニーズ顔負けと言えるほどのルックスを持っていたことにも理由として挙げられます。『監禁王子』という呼び方は、ネット上で生まれました。

    コスプレ好きでテニスの王子様ジャージ着用

    小林泰剛は重度のアニメオタクであるとされています。そして、男装だけでなく女装のコスプレもしていたのです。逮捕された際には、アニメ『テニスの王子様』のジャージを着用している映像がテレビでも流れました。これも、『王子』という呼び名の付いた理由の1つとして考えられるでしょう。

    『監禁王子』の家族はどんなもの?

    続いては、小林泰剛の家族について迫ってみたいと思います。小林泰剛はどういった家庭で育ったのでしょうか。

    家柄が凄い?

    小林泰剛は、青森県五所川原(ごしょがわら)市に生まれました。小林泰剛の生まれた木村家は資産家の家庭であり、2つの保育園の経営をするなどしていたのです。また、祖父は元警察署長であり、叔父は元青森県知事である木村守男なのです。他にも、衆議院議員として活躍していた親戚がいます。

     

    小林泰剛の父親は木村泰幸といい、木村簿記経理学校を経営しており木村泰幸税理士事務所も開設しているといいます。

    家族との関係

    小林泰剛と家族との関係はどうだったのでしょうか。小林泰剛と父親は折り合いが悪かったとされています。父親に対して、小林泰剛は憎しみを抱いていたというのです。母親は小林泰剛にとって家族で唯一の味方でした。そんな母親を、小林泰剛も好きであったといいます。

    しかし、その母親は早くに亡くなってしまっていて、それを機に小林泰剛は心のバランスを保てなくなってしまいました。

    『監禁王子』の一度目の事件はどんなもの?

    監禁王子こと小林泰剛は、1度だけでなく2度事件を起こしています。続いては、小林泰剛の1度目の犯行について見ていきましょう。

    高校受験に失敗

    小林泰剛は、高校受験において第一志望に受かることができませんでした。そして入学した高校においても馴染むことができず、転校を繰り返し結局は退学になってしまったのです。このことも、小林泰剛のその後に影響したことも考えられます。

    犯行を開始

    小林泰剛は、趣味としていたアダルトゲームのようなことを実際にやってみたいと思うようになりました。そして、犯行を開始したのです。次に、小林泰剛の犯行についてお伝えします。

    ご主人様と呼ばせ監禁

    2001年9月当時、小林泰剛は北海道江別市に住んでいました。そして札幌市において当時20歳の無職女性を自宅マンションに連れ込んだのです。小林泰剛は相手女性に犬用の首輪を嵌めて、『ご主人様』と呼ばせ性的暴行を加えたとされています。その女性は、2週間にわたり監禁されたのでした。

    2002年に北海道警に逮捕

    その後に解放された女性は、警察に被害届を提出しました。それにより、小林泰剛は2002年4月16日に北海道警察に逮捕されたのです。それだけでなく、当時19歳だった少女も同様に監禁して性的暴行を加えていたという余罪も発覚しています。

    その少女には、太ももを包丁で切りつけるなどの拷問を行い、脅していたといいます。

    1200万円で示談

    小林泰剛の裁判では、被告が子どもの頃から人とのコミュニケーションが苦手であり精神病院に通っていたことや、高校時代に自殺未遂をしていることなどが挙げられ、心神喪失状態であったと主張されました。しかしその主張は却下され、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が下されたのです。

    小林泰剛の父親が1200万円という示談金を支払っていることから、控訴をしなかったことで刑が確定しています。

    『監禁王子』はまた事件を起こした?

    監禁王子・小林泰剛による事件は、これだけに留まりませんでした。また事件を起こしたというのです。さて、どういった事件だったのでしょうか。

    反省することなく再犯

    前回の逮捕時に、父親が1200万円という示談金を支払っていることから、小林泰剛はしっかりと反省をする機会を失ってしまったものと見られます。再度、事件を起こしてしまいました。

    東京の足立区内に転居

    小林泰剛は、執行猶予期間中に東京へと引っ越しをしました。父親に北海道大学医学部に行くための受験勉強をするために、予備校に行きたいと相談をしています。そして、東京都足立区に2LDKのマンションを借りて住むようになったのです。しかしこの部屋は、女性を監禁するためのものであったとされています。

     

    受験勉強のためなどという目的ではありませんでした。

    少女を監禁

    小林泰剛は、兵庫県出身だという当時18歳の少女と交際をスタートさせました。少女とは、ネット上のチャットを通じて知り合ったといいます。そして、2004年2月に彼女を脅して無理に上京させたのです。そしてその少女を、自宅マンションやホテルに3か月程の間監禁したのでした。

    病気だから捕まらない

    小林泰剛は、この少女にも以前と同様に犬用の首輪を付けて、拘束した上で虐待を行ったり性的暴行を加えました。そして、少女には『俺は病気だから捕まらない』などと言っていたのです。また、監禁した証拠を隠滅するために少女の住民票を兵庫県から東京の小林泰剛の自宅マンションに移していました。

    被害者がPTSDに

    監禁された少女は自力で脱出して、無事警察に保護されました。しかし保護された時には、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を起こしていて、明らかに衰弱していたといいます。少女の母親の話では、少女は監禁される前よりも一回り体が小さくなっていたというのです。

    監禁致傷容疑で逮捕

    小林泰剛は、逮捕された際に裁判が自身の有利となるように、統合失調症を装い札幌市内にある精神病院に通院していました。そして2004年12月と2005年4月にも、都内の精神病院で統合失調症と診断されています。

    その後、2005年5月12日に警視庁綾瀬署に監禁致傷容疑で小林泰剛は逮捕されました。しかしこれだけでは終わりません。小林泰剛は2003年12月から2004年12月にかけても犯行を行っていたのです。当時17歳だった少女を、青森のホテルなどに3日間監禁して性的暴行を加えていたとされています。

    また、23歳だった女性についても自宅マンションに10日間監禁していました。これにより、小林泰剛は計4件の拉致監禁致傷罪において起訴されたのです。女性たちには、熱湯や竹刀、煙草などを用いて暴力をふるい支配していて、『絶対に裏切らない』との誓約書まで書かせていたとされています。

    小林泰剛の判決はどんなもの?

    何人もの女性を監禁し、性的暴行を加えるなどして逮捕された小林泰剛には、一体どういった判決が下されたのでしょうか。小林泰剛に下った判決について、見ていきたいと思います。

    法廷でも『皇子』ファッション

    小林泰剛は、インナーに赤いタートルネックのセーターを着て、白い上下スーツを合わせるといった出で立ちで法廷に登場したとされています。『皇子』の様なファッションで法廷に立ったのです。そして、アニメキャラクターを思い起こさせるような、身振り手振りを交えて罪状への反論をしました。

     

    その際に小林泰剛は、腰をくねらせて饒舌に語っていたといいます。

    反論は無視された

    小林泰剛は、反省している様子も見せずに自己陶酔をしているように反論をしました。しかしそれは聞き入れられることはなく、女性たちに対して人権を無視したような絶望や恐怖を味わわせて、虐待や性暴力を加えた罪の重さを解かれています。

    懲役14年の実刑判決

    東京地方裁判所は2007年10月19日に、小林泰剛に対して懲役14年(求刑は実刑15年)という実刑判決を下しました。また実際には、一度目の執行猶予は取り消されて3年の懲役が追加となっています。よって、小林泰剛は17年服役することになったのです。

    小林泰剛は現在どうなっている?

    続いて、小林泰剛の現在について見ていきましょう。小林泰剛は、現在はどうなっているのでしょうか。既に出所しているのかも、お伝えします。

    2021年に出所予定!

    小林泰剛は、2005年5月12日に逮捕されて以降は留置所に入っていました。その小林泰剛は、懲役14年に3年が追加されたため2021年に出所すると考えられます。刑期を終えて、社会生活に戻ってくるのです。

    出版社を名誉棄損で訴える?

    小林泰剛は、獄中において出所に向けて弁護士を雇い、次から次へと出版社を名誉棄損で訴えているという報道がありました。出所するにあたり、父親あるいは叔父が後ろ盾となる可能性もあるでしょう。

    小林泰剛の特色はどんなもの?

    最後に、小林泰剛の性格や趣味などについて迫ってみたいと思います。“監禁王子”はどういった性格の持ち主なのでしょうか。

    ナルシストな性格をしている

    小林泰剛は、ナルシストであることが大きな特徴です。見た目の良さはもとより、自分はどんな女性でも落とせると考えていた節があります。またメールやチャットにおいて、寂しがりやのふりをして女性に上手に甘えていたのです。

    アダルトゲームが趣味

    少し前述していますが、小林泰剛の趣味はアダルトゲームです。彼は資産家の家で放任されて育ちました。そして、普段からアダルトゲームに熱中していたといいます。逮捕された際には、監禁・陵辱系のアダルトゲームが約1000タイトル以上押収されたのです。

    それだけでなく、多数のアニオタグッズも押収されています。

    監禁王子は刑期を終えて出所する可能性あり

    数々の監禁事件を起こし、計17年という懲役刑となった監禁王子・小林泰剛。長期間にわたり服役しているものと考えられますが、2021年に出所するという話もあります。社会に戻ってくることになりますが、しっかりと反省をして今後は罪を犯さないようにして欲しいものです。

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