木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2021/03/23 更新
日本では日々様々な事件が発生しており、子供の失踪に関する事件も多くあります。その中でも特に奇妙だと言われていたのは怪文書「カアイソウ」が届いた三重小2女児失踪事件です。今回は、この事件の概要や、怪文書「カアイソウ」について紹介します。
日本では、毎年8万人が何らかの理由で失踪しています。日本の歴史の中でも語り継がれている三重小2女児失踪事件は、不可解な謎が多い未解決事件として知られています。
この事件の最大謎である怪文書「カアイソウ」とは、どのようなものだったのでしょうか。まずはこの事件の概要から振り返ってみましょう。
事件の概要に関しても、まるで神隠しにあったかのような、忽然と姿を消した当時の様子は、当時も大きな注目を集めていたのです。
事件当日、加茂前ゆきさんと父親が自宅にいました。父親は、事件発生時に仮眠を取っていたため、自宅からどのようにして失踪してしまったのか分からないそうです。
加茂前ゆきさんの姉が学校から帰宅した14時過ぎには、既に彼女の姿がありませんでした。
姉が帰宅する直前に、母親が出先から自宅へ電話をかけていたのですが、これに対応したのが加茂前ゆきさんだったのです。
その後、友人から電話が掛かってきており、加茂前ゆきさんは「約束があるから遊べない」と誘いを断っていたことが判明しています。
おおよそ14時から14時30分くらいまでの僅かな時間で、自宅からフッツリと姿を晦ましてしまったのです。
失踪当時の加茂前ゆきさんは、身長130cm前後で体重は38kg、髪型は肩の下から20cm程度の長さ。服装は、水色の生地に水玉模様の入ったブラウスに、薄い茶色スカートを着用。
また、自宅の台所には飲みかけのココアが入ったマグカップが置かれ、外出する際に、いつも愛用していたジャンパーと、自転車も自宅に残されていました。
この状況から、加茂前ゆきさんが自身の意志で外に出たのだろうかと、疑問だと考える人もいるようです。
ここからは、三重小2女児失踪事件発生から3年後に加茂前ゆきさんの自宅に届いた怪文書について見ていきましょう。
怪文書が公開されると、世の中の反応は「不気味だ」、「怖い」という声が多数寄せられました。一体誰が、どのような目的で書いた文書なのでしょうか。
この事件の最も謎だと言われているのが、何者かの手によって加茂前ゆきさんの自宅に郵送で届けられた怪文書です。
1994年に届いた怪文書の中身は3枚に渡り綴られていました。鉛筆で一度下書きしてからボールペンでなぞるように文字が書かれていることから、慎重な性格の人物であるようです。
怪文書の一部を抜粋すると「ミゆキサンにツイテ ミユキ カアイソウ カアイソウ おっカアモカアイソウ お父もカアイソウ コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ トオモイマス」という書き出しで始まっています。
殆ど漢字が使われておらず、何を訴えたいのかが不明瞭な点が、不気味だと感じる人が多いようです。
序盤から頻出する「カアイソウ」は、「可哀そう」を書き間違えたものと見られています。
怪文書の中身を読み解くネットユーザーが次々に現われて、各々推測を各サイトやSNSで持論を語る人が増えています。
文書を読んでみると引っ掛けるのは、「トミダの股割れ」というワードが何回も出ていること。文脈から察するに犯人のことを指していると考える人が多いようです。
一部では、「トミダの股割れ」は売春婦を意味していて、「股ワレハ 富田デ生レテ 学こうヲデテ」というセンテンスは、「富田で生まれ育った、売春婦を職業としている女性」という意味ではないかと解釈されているようです。
怪文書の前半に出てくる「コンナコとヲシタノハ トミダノ股割レ」は、怪文書を書いた人物が「こんなことをしたのは、富田で生まれた売春婦だ」と、誘拐の犯行があったことを示唆。
さらに「ユキチヲニギラセタ、ニギッタノハ アサヤントオもう。」とアサヤンという人物が登場しています。
アサヤンというのは、ニックネームのようですね。差し出し主は、アサヤンが指示を出して誘拐が実施されたと考えているようです。
カタカナと平仮名が入り混じった文字は、決して綺麗な文字とは言えません。一部では、利き手と逆の手を使って書かれたのでは、と推測する人もいるようです。
この不気味な怪文書は誰によって書かれたものなのでしょうか。噂に浮上した、いくつかの説を紹介します。
カタカナや平仮名をミックスした文書の繋ぎ方は、若者が無意識で使うものではなく、高齢者によって書かれたものだと推測する声もあります。
一方で、誤字の多さについて特徴があると指摘する声もあります。
例えば「可愛そう」を「カアイソウ」、加茂前ゆきさんを「ミゆキサン」と間違えるなど、全体的に日本語の意味が通じない部分も。
これらを鑑みると、日本語を習っている最中の外国人によるものだ、という推測も上がったようです。
この怪文書に登場する人物は、差出人と「トミダノ股割レ」、彼女を指示する「アサヤン」の3人だと見られてきました。
しかし、文書を読み進むと「トミダノ股割レ」の贖罪の心理がかなり細やかになされています。
さらに、「事件の詳細が分かるまでは、捜査機関に言うな。気長に待つことだ」と、両親を諭すような内容が3枚目に綴られています。
あまりにも心理描写が細かいので、差出人は「トミダノ股割レ」であり、自身で、犯行について書かれたものではないか、という声もあります。
1991年に、三重小2女児失踪事件が発覚してから30年が経過しました。1994年に怪文書が届いたことは、既に説明した通りですが、その後起こった出来事を紹介します。
その後、捜査本部に緒形達生という、自称霊能者の男性から捜査に協力したいという連絡が入りました。
霊能力者によると、霊視をする限り既に加茂前ゆきさんは他界していること、犯人は顔見知りの男女2人であること、遺体を探すにあたりダウジングを使いたいという3点を述べたそうです。
しかし、その数日後「加茂前ゆきさんの霊を妨害する別の霊が、現れたので捜査に協力できなくなった」という一方的に断りの手紙が届いたそうです。
2003年10月に加茂前ゆきさんの自宅に、見知らぬ男性から1本の電話が入りました。電話での詳細なやり取りは明かされていませんが、「俺はパンチパーマだ」と自身の特徴を伝えたのだとか。
捜査をする中で出てきた証言の1つに「事件当日、白いライトバンに乗った男性と、加茂前ゆきさんが話していた」というものがあります。
この男性こそが、犯人で自身の犯行声明の一環として、電話を掛けてきた説も浮上しているようです。
2021年3月現在、加茂前ゆきさんは、まだ発見されていません。現在も三重県警のホームページを開くと、情報提供依頼の呼びかけが継続中です。
しかし、三重小2女児失踪事件から15年が経過した2006年に時効を迎えました。この時点で未解決事件として捜査が打ち切られて現在に至ります。
三重小2女児失踪事件は、1991年3月15日に発生した、三重県四日市市在住する8歳女児の加茂前ゆきさんが突如自宅から失踪した未解決事件。
事件当日の14時頃から14時30分までの間に、忽然と姿を消しているのです。白いライトバンに乗る男性や、町内を歩き回る姿など複数の証言がされているのですが、30年が経過した現在も発見されていません。
失踪した3年後の1994年に、謎の怪文書が自宅に届きました。文書は3枚の便箋に綴られており、平仮名とカタカナ交じりのもの。
文書を読むと、頻繁に「カアイソウ」と書かれていることから、怪文書自体が「カアイソウ」と呼ぶ人も珍しくありません。
その後、霊能者を名乗る男性が現れたり、電話で「俺はパンチパーマだ」と説明する男性からの電話が入るなど、不可解な出来事が続きました。現在は未解決事件として迷宮入り。
今後新たな情報から、加茂前ゆきさんの発見へと進展してくのでしょうか。改めて事件への注目が集まっています。
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この失踪事件が起きたのは、1991年3月15日のこと。三重県四日市富田在住の小学校2年生の女児が自宅から忽然と姿を消すという事件が発生。
この少女の名前は加茂前ゆきさん。世間では、「加茂前ゆきちゃん失踪事件」という呼び方をしているケースもあります。
後日、捜査する中で「白いライトバンに乗った男性と会話している姿を見た」、「富田駅周辺で徘徊しているのを見た」など目撃証言が多数寄せられたのです。
しかし、加茂前ゆきさんの、行方の手掛かりに繋がりませんでした。この当時8歳ということは、2021年現在だと38歳くらいになる計算ですね。
この事件の特徴は、失踪した少女が最後の足取りである自宅では、家族がいたことや短い時間で忽然と居なくなったことが特徴として挙げられています。