木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
かつて、鹿児島県の一部地域で存在していた、と言われる恐ろしい風習「おっとい嫁じょ」は一言で表現すると「誘拐婚」、「略奪婚」という言い方になります。
人権や倫理を無視した風習は、なぜまかり通って来たのでしょうか。現在、「おっとい嫁じょ」は行われているのでしょうか。
常識的に考えると、強姦された相手を伴侶に結婚するという異常な風習は強姦罪になるのですが、この風習が成立していた理由は、時代による社会的な背景が起因すると言われています。
昔の日本は、現在と比べるとはるかに、女性への貞操感が強く求められていました。
そして、九州は昔から男尊女卑の考え方が、強く根付いている土地だと言われていることも特筆すべき点です。
女性側が拒否したとしても強姦されたことで、未婚女性はキズモノとして見られてしまう風潮がありました。
仮に勇気を出して「犯罪だ」と訴えたとしても、嫁の貰い手が無くなってしまったことに変わりはなく、女性側の両親も指を指されることになるので、大半は、泣く泣く嫁いでいたようです。
非人道的極まりない「おっとい嫁じょ」は、結婚を許されない恋人同士の最終手段として使われることもありました。
昭和初期までは、本人の意志で結婚をする人が少なく、親が家の繁栄を考えて縁組することが当たり前の時代。このため自由恋愛という考え辞退が存在していませんでした。
こういった仕組みを逆手に取り、「おっとい嫁じょによる既成事実ができてしまった」、と説明することで周囲を納得する材料として利用するというケースもあったそうです。
戦前くらいまで公然と鹿児島県大隅半島で行われていた「おっとい嫁じょ」は、ネットでは誘拐婚の一種という見られ方がされていますね。
一方、おぞましい風習の中身が完全に嘘だった、と指摘する声もあります。この地域の伝統行事の一環で、新婚を迎えた男女に対するお祝いとして実施されていたそうです。
村の子供達が、新婚夫妻の家を訪れて「嫁を出せ、嫁をよこせ」と言い、新郎が家から出てきて「あれはやらん」と返し、子供側は「じゃあ、これをよこせ」という形で続けます。
こういったやり取りをした後で、新郎が子供に食べ物を振る舞うという、遊びの一環なのだとか。
強いて例えるなら「なまはげ」、「ハロウィン」が該当しますね。
この風習は、昭和30年代以降に廃れて消滅してしまいました。地元に在住している40代以下の人は、「おっとい嫁じょ」という言葉も知らない人が増えているそうです。
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おっとい嫁じょの風習が世に知れ渡ることになったのは、事件として各メディアで報道されたことによるもの。この事件の裁判が元で、この風習が根絶することになりました。
どのような事件だったのか、物議を醸し出した裁判の流れについて見ていきましょう。
1959年に鹿児島県の大隅半島串良町で発生した強姦致傷罪の裁判は、これまでに知られていなかった「おっとい嫁じょ」を世に知らしめることになりました。
事件の犯人は、地元に住む青年A。兄の勧めでお見合い相手Bという20歳前後の女性を紹介されました。Aは女性に一目ぼれし、交際を申し込みましたが断られてしまったのです。
青年Aは諦めることができずに、思いついたのが「おっとい嫁じょ」。従兄と叔父に協力を要請して、仕事帰りの女性Bを拉致し強姦に及びました。
おっとい嫁じょは、事が済んだ後で女性と両親が男性の自宅を訪れ、結婚の挨拶をするという流れがあるのですが、後日Aの自宅を訪れたのは、女性Bではなく警察官でした。
女性Bと家族は、警察に駆け込み、Aは逮捕され、裁判で決着をつけることになったのです。
この事件において立件された加害者は、犯罪として成立するものでしたが、裁判では無罪を主張。
加害者を代弁した弁護士によると「あくまで風習の一環に従っただけなので、犯罪を犯しているとは考えていなかった」というもの。
地元住民からは、加害者に対して情状酌量を求める嘆願書も届き、社会の注目を集めることに繋がったのです。
加害者は無罪を訴え続けましたが、鹿児島地裁では「犯行供述書を読む限り、加害者がおっとい嫁じょの反社会性を理解していたことが窺える」という理由にて、懲役3年の刑を言い渡しました。
この判決は、鹿児島県内の各種メディアで取り上げられ、南日本新聞社は日曜特集シリーズの中で「おっとい嫁じょ」がどのような風習なのかを改めて調査を実施した上で誌面掲載されました。
記事によると、第二次世界大戦頃までは風習として存在し、事件が起きた1959年にはほぼ絶滅していたと書かれています。
加害者の情状酌量を求めた嘆願書は、メディアの報道を見た一般的市民が出していたものではなく、犯人の身内や、反社会的な思想を持つ人が提出していたのではないか、という意見もあります。
世界レベルで見渡すと、「おっとい嫁じょ」の風習がその他の地域でも行われていることをご存知でしょうか。海外の誘拐婚を状況について見ていきましょう。
日本ユニセフのホームページによると、エチオピアの結婚事情が掲載されています。本文によると、平均69%が誘拐婚という構成なのだそうです。
最も根深い問題としては、子供の親が誘拐婚に対して反対していないことにあります。というのも、結婚持参金を持たせる経済力を持たないケースが多いのです。
ユニセフでは、この現状を由々しき問題だという認識がなされています。
学校で誘拐結婚は許されるものではないと、教育することで意識を変えていく必要があるとエチオピア事務所代表のコメントが掲載されています。
その他には、誘拐によって学校を辞めてしまった女学生の復学をすることを施策を導入してるそうです。
キルギスは、中央アジアに位置し周囲には中国、カザフスタン、ウズベキスタンに囲まれた海のない国です。
この国でも誘拐婚の風習が減少しているものの、一部では「アラ・カチュー」と呼ばれ、誘拐婚の風習は、今でも残っています。
世界レベルで問題視されているのですが、現地で実態を調査すると、家族が共謀していたり「誘拐婚は、伝統だから仕方ない」と考えている人も少なくないようです。
ネパールでも、誘拐婚が蔓延しています。ネパール北西部にあるダリットと呼ばれる集落は、最下層民と呼ばれ、10代の多くの少女が強制的に結婚させられるケースが後を絶ちません。
誘拐婚が中々根絶しない理由の1つには、ダリットのように、首都から遠く離れた場所にある集落では、こういった人権を無視した風習を咎める声が届きにくい、という推測が浮上しています。
外部から咎められない環境というのは、往々にして「文化的な風習だからしかたない」という思いが一般化し、根強く残り続けているそうです。
鹿児島県大隅半島では、戦前「おっとい嫁じょ」という誘拐婚の風習が密かに続けられていました。未婚女性を強姦のうえで、既成事実を作り結婚に持ち込むというもの。
元々九州は、男尊女卑の考えが強かったことや、女性に対して貞操観念を求められていたという社会的な背景から、こういった人権を無視した風習がまかり通ってきた原因だと言われています。
時の流れと共に消滅していったかに思えましたが、1959年鹿児島県在住の女性が、地元の男性を強姦事件として起訴を起こし、加害者の男性は懲役3年の刑が確定しました。
日本では既に絶滅した風習ですが、海外では、ネパールやエチオピアなど一部地域で誘拐婚が存在しており、地元に在住する人々も誘拐婚は、風習の一環であると考えるケースも少なくありません。
いつしか世界中で誘拐婚が根絶される日が来る日を心待ちにしたいものですね。
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「おっとい嫁じょ」は、女性を誘拐するか、自宅に押し入り相手の女性を強姦し、既成事実を作り結婚に持ち込むことを指しています。
この忌むべき風習は、少なく見ても戦前の鹿児島県大隅半島において、行われていたと、言われています。
鹿児島県は、数年前に大河ドラマ「西郷どん」の舞台となり、観光客も多数訪れる場所。「おっとい」という言葉には盗むといういう地元ならではの意味合いを持っています。
元々は「おっ盗る(おっとる)」という言葉が語源でしたが、年月と共に訛が入り「おっとい」に変化しました。