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試し腹を証明するソースや文献はない!DNA遺伝の論文もガセなの?

試し腹という悪しき風習が韓国(朝鮮)にはあったと言われていますが、果たして本当なのでしょうか。実際、試し腹に関する文献は確認することができず、何を根拠に試し腹があったと言われているのかはわかりません。今回は試し腹の真相から韓国朝鮮の悪しき伝統まで解説します。

【この記事は2019/11/28に更新されました。】

試し腹はデマの可能性が非常に高い!

「試し腹」という言葉を聞いたことがありますか?これは、昔の朝鮮にあった信じられない習慣のことを言います。ネットでは、試し腹は真実のように書かれてします。しかし、様々な理由から、試し腹は存在しない可能性のほうが大きいことがわかりました。

試し腹とは?

「試し腹」とは具体的にどのようなことを言うのでしょうか?実際に、朝鮮にあった悪しき習慣と言われている試し腹の内容を見てみましょう。

妊娠できることを証明する

試し腹とは、昔朝鮮半島で行われていたとされる信じられない習慣です。朝鮮半島では、結婚する際に「女性はきちんと子供が産める体でないといけない」とされていました。

そのため「種男」と呼ばれる男性に、結婚前の女性と性交をさせて、女性が妊娠できるかを試していたというものです。種男との間に生まれた子供は、そのまま奴隷にされて一生奴隷のまま生きていく運命だったと言われています。

また、妊娠させるのは種男ではなく、叔父や実兄弟だったという説もあります。昔の朝鮮は、男性が絶対的な権利を持っていたため、女性は男性に従うしかなかったようです。

あまりに酷く信じられない話です。しかし世界には、試し腹のように信じられないことを習慣としている国が多くありますので、試し腹ももしかしたら本当の話なのでしょうか?

女は子を産む道具という考え

昔の朝鮮の考えは、「女性はあくまでも子供を産む道具」だったそうです。そのため、女性が子供を産めなければ、欠陥品のように扱われてしまっていたようです。

父親は、結婚する自分の娘が欠陥品でないことを証明するために、兄弟や叔父など身近な家族に娘を妊娠させて、つまり試し腹をしてから嫁がせていたとも言われています。

女性を完全に物のように扱っていますね。イスラムの国ではいまだに、女性の自由がきかないところがありますが、試し腹のような話は聞いたことがありません。朝鮮でも女性が奴隷のように扱われていたのでしょうか?真実だとしたらとても悲しく、そしてかなり腹立たしい事実ですね。

試し腹の真相はデマ?

あまりにも酷い試し腹という朝鮮の習慣。この言葉は一体どのように世間に知られるようになったのでしょうか?試し腹が事実だと証明する文献は、はたしてあるのか見ていきましょう。

ネットで捏造されたデマ

試し腹は、やはり実在しませんでした。これはネットでねつ造された完全のデマだということです。その証拠は、朝鮮に試し腹という習慣に関する史料が一切存在しなかったからです。つまり、試し腹のようなことが実際に行われていたた事実は、全く見つからなかったということです。

このデマは、日本の官能小説がネタになっているという噂があります。おそらく、韓国人・朝鮮人をよく思わない日本人が、彼らのイメージを悪くするために作り上げた、あまりに趣味の悪いデマなのでしょう。

ネットが浸透した現在、新しい情報を得るのは非常に便利になりました。しかし、試し腹のように数々のデマが流れているのも事実です。正しい情報を得るために、私たちはネットの情報を鵜呑みにしないように、気をつけないといけません。

アメリカの論文もデマ

アメリカの「The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution.」という本には、「韓国人の細胞を調べると、近親相姦が繰り返されてきたDNA塩基配列になっている」という内容が記述されています。

しかし、何世代も重ねて現在の人口動態を形成したと主張しているこの論文は、わずか50人足らずを調べた結果であったことがわかっています。ほんの一部の結果のみを見て、結論をこじつけて出したようです。

ネットだけでなく、海外の文献にもデマがあるとは驚きですね。この文献が出版された時代には、DNAをここまで詳しく比較するのは不可能だったようです。つまり著者は半ばテキトーな情報を記載していたということです。

処女の価値観が確立していた

昔の朝鮮は、女性の人権は全くなく、男性が全ての権利を持っていたのは事実のようです。古代中国にも、捧げものとして女性を送っていたようですが、それらの女性の基準には「処女であること」が入っていたと言われています。

どのような女性が価値があるかを考えた時に、朝鮮では「処女」が挙げられていたようです。女性は処女の方が価値があるという考えが存在していたということは、試し腹のような処女を簡単に捨てるような習慣は、あり得ないと言えますね。

また、儒教では近親相姦は最大の罪に近いと考えられています。そのような宗教的な考えを持っていたのに、女性だけでなく男性も罪人になるような行為をするのは、考えられません。ネットでは、試し腹は儒教が横道にそれてできた習慣のように書かれていることもありますが、これは全くのデマなので、儒教とは関係ありません。

韓国合併の文献にない

朝鮮総督府発令の制令により、試し腹が禁止されたという文献があるという噂がありますが、これもデマです。試し腹があった事を証明する文献はどこにもありません。文献がなければ、何かが事実だという証拠にはなりません。

ネットでは、朝鮮総督府発令の制令により試し腹が禁止されたのは、あたかも事実のように書かれていますが、歴史上の事実を語る時は、何らかの証拠となる文献が必要でしょう。

ネットで見るもの聞くもの全てを信じないように気をつけましょう。

試し腹ではない別の朝鮮風習は?

韓国の試し腹の習慣は、証拠となる文献も存在しないため、全くのデマだということがわかりました。では、朝鮮には他にどのような習慣があるのでしょうか。

乳出しチョゴリ

興味深い朝鮮の習慣の1つに、「乳出しチョゴリ」という習慣があります。この習慣は18世紀以降に始まった習慣で、1950年代まで存在していました。乳出しチョゴリは、名前の通り乳房を出して着るチョゴリのことを言います。

その時代の朝鮮は、男性が絶対的な存在であり、女性は非常に価値の低い位置にいました。女性の価値は子供を産むことに強くあったため、初めての子供を産んだ女性は、誇りを持って乳房を露出していたと言われています。

胸をだすことは、世間に「私は子供を産める」つまり、価値があると知ってもらう大きな手段だったと考えられます。現に、その証拠となる写真が非常に多く存在するため、乳出しチョゴリは単なる噂ではないようです。

約70年前まで続いていたと考えると、つい最近のように感じますね。朝鮮には胸を出すことが恥ずかしいことではなく、誇らしいことだった時代があったのは、興味深いですね。

嘗糞(しょうふん)

朝鮮では、吏氏朝鮮時代まで「嘗糞(しょうふん」と呼ばれる驚きの習慣があったようです。この習慣は何と、人間の便の味を見てその人が健康かどうかを判断する医学的な習慣でした。

便の味が苦かったらその人の体調は悪く、便に甘みを感じたら健康であると判断していたようです。その後は、便の味を見て、誰の便かを当てるような娯楽としての嘗糞になったと言われているので、さらに驚きですね。

耳を疑いたくなる医学的習慣ですが、実は同じ習慣が古代中国にもあったと言われています。また、日本でも、肥料として使う便交じりの尿の味を見ていた時代があったようです。

この習慣は明治生まれの朝鮮半島研究者、今井鞆の文献である『朝鮮風俗集』にも記載されているため、デマではないようです。また、朝鮮では、親への嘗糞は、親孝行と考えられていたようです。信じられない事実に開いた口がふさがりませんね!

トンスル

朝鮮の仰天する習慣の1つ「トンスル」も便に関係する習慣です。トンスルは、人間の便と酒を混ぜて作られる薬用酒です。またもや便を口にいれるのか?と驚愕してしまいますが、なぜ朝鮮ではそこまで便にこだわるのか、理解に困ります。

トンスルは、骨折や腰痛、または打撲に効果があると言われています。朝鮮では、民間療法で人から出るものをよく利用する習慣があったため、便も使用されていたようです。

1960代以降は製造されていないと言われていますが、それ以前は、朝鮮の田舎を中心に愛飲する人が多くいたそうですので、驚きです。なぜ便を?とごこまでも疑問が残ってしまう朝鮮の昔の習慣です。

朝鮮の奴隷制度について

昔の朝鮮には身分制度があり、奴隷のように扱われていた人たちもいました。身分制度の階級で、両班と呼ばれる上流階級の人たちは悪党のように振る舞っていました。

家畜と同じ扱いの人がいた

朝鮮には、奴婢(のび)と呼ばれる奴隷制度がありました。この奴隷制度は900年ごろに始まった制度でした。古代中国や日本、または他の多くの諸外国でも、歴史上で奴隷制度が存在していたため、これは朝鮮に限ったことではありません。

朝鮮では、犯罪者の子孫や奴婢の子供などがいわゆる奴隷のように扱われていました。家畜とほぼ同じように扱われていて、奴婢の売り買いもあったようです。これは、非常に昔の制度で、朝鮮に限ったことではありません。

しかし、なぜかそれが朝鮮だと非常に悪い事のように話されるのは、少しおかしいですね。朝鮮を批判する世間を、さらに朝鮮ヘイターにするために話される過去の習慣のような気がしますね。

確かに、歴史上で朝鮮は多くの国民にひどい仕打ちをしてきましたが、それは朝鮮だけではないということです。

両班という貴族の暴君

1874年にパリで刊行されたマリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教の「韓国事情」には、「当時の朝鮮の貴族階級の世界で最も放漫な両班は、まるで君主のようにふるまっている」と記載されています。

両班とは、朝鮮の貴族階級の身分のことで、良人と呼ばれる王族以外で最も身分の高い位置にいた人のことを言います。両班は、貴族と呼ばれながらもしていることは悪党と同じで、下級の人々をひどく苦しめていました。

商人や農民に金を出すように脅しては、金がないと彼らに食事を与えずムチ打ちにしたりと、やりたい放題やっていました。彼らの強盗行為を阻止する者は誰もいなかったようです。

両班はどんな人達だった?

李氏朝鮮時代は、1392年~1897年までを言います。この時代には身分制度がありました。王族の次に偉いのが両班、そして中人・常人・賤民・白丁と続きます。王族の次の階級にいた両班は、農業・工業や商業には従事しませんでした。

両班は、高麗時代には文班と武班と2つの班が統合した官僚を目指して、両班と呼ばれるようになったようです。この2つの班は対立していましたが、李成桂の時代にうつってから、李成桂は文班を追放しました。

そして、地方からの両班が勢力をあげて、その後の身分制度の両班となりました。両班は、儒学のみを勉強して、努力しなくても官僚の地位を得ることができたようです。また、官僚になると国から土地ももらえたため、彼らは地主の立場になることもあったようです。

しかし、面白いことに李氏朝鮮時代の始まりには、両班はわずか3%しかいなかったものの、身分制度に大きな動きがあり、時代の終盤には国民のなんと70%以上が両班になっていたそうです。

李朝朝鮮の身分制度でペッチョンとはどんな階級だった?

李朝朝鮮の身分制度では、奴隷のように扱われる人たちもいました。賤民と白丁(ペッチョン)の違いはどこにあったのでしょうか?

白丁(ペッチョン)とは?

白丁(ペッチョン)は、李氏朝鮮時代の身分階級において、最も最下位に位置していた人たちのことを言います。賤民と呼ばれる階級が、すでに普通の民衆よりも下級の位置にいます。それでは、さらに下級のペッチョンはどのような人達なのでしょうか。

官奴婢・官女・獄卒・犯罪逃亡者などの七般公賤と、革履物の職人・宮中音楽の演奏家・僧侶・芸人などの八般私賤などの賤民とは違い、ペッチョンは、屠畜業者のことを呼ぶ被差別民でした。

彼らはいい土地へ住むことが禁じられていただけでなく、学校に行くこと・姓を持つこと・公共の場への出入りなど多くのことが禁じられ、規則を破った白丁は、リンチにあったり殺害されたりしたようです。

人間として扱われていなかった、と言ってもいいでしょう。インドや日本にも、身分制度はありましたが、このような事実が歴史上で起こっていたことを知ると、どうにもやるせない気持ちになりますね。

身分解放を努めたのは日本政府だった

長い間続いた朝鮮の身分制度ですが、1909年に日本政府により韓国統監府がつくられ、ペッチョンの人権が少しずつ与えられていきました。彼らは姓を持つことができ、学校にも行けるようになりました。

しかし、ペッチョンへの差別は人々の中から完全に消えることはなかったようです。1920年代までは、身分差別解消の運動が行われながらも、彼らのことを新ペッチョンと呼ぶ動きもあり、身分解放を認めたくない人達との対立があったようです。

現在の韓国でも馬頭用語として「ペッチョン」は使用されることがあるそうです。また、ペッチョンが多かった地域の人達への差別が、いまだにあるそうなので悲しいですね。

試し腹はデマ!しかし朝鮮には他にも驚くべき習慣があった

試し腹は、証拠となる文献がないことから、おそらくデマだということがわかりました。しかし、朝鮮には便の味をみて健康状態を判断したり、人間の便を薬用酒に使ったりと信じられない習慣があるのは確かです。何かと悪い評判が広がりやすい朝鮮ですが、ネットでは試し腹のようにデマも出回っていますので、気をつけなければなりません。

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