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ドラマのモデルになった【水戸事件】とは?赤須正夫社長の現在は?

水戸事件とは、1995年に赤須正夫社長が関与した知的障害者の従業員に対する暴行・強姦事件です。この事件はドラマ「聖者の行進」のモデルにもなりました。今回は、水戸事件の概要や事件後の赤須正夫社長・会社についてご紹介します!

ドラマにもなった水戸事件とはどんな事件だった?赤須正夫社長は現在何をしている?

ドラマ「聖者の行進」ってご存知ですか?このドラマは、実は水戸事件という実在した事件を元に作られたドラマなのです。今回はそんな水戸事件について大注目をしていきます。

水戸事件とはどういった内容のものだったのか、知的障害者への暴行や強姦事件の真相とは何なのか…そして容疑者である赤須正夫社長の現在についてもまとめていきます。

さらに、水戸事件をモデルにしたドラマ「聖者の行進」についても簡単に紹介をしていくので、気になる人は是非チェックしてみてください。

ドラマのモデルにもなった『水戸事件』とは?

まずは、水戸事件とはどんな事件だったのかについて振り返ってみましょう。

水戸事件という名前からでは、どんな事件だったのか、何が起こったのかはイマイチわかりにくいものです。どんな事件で何が起こり、そして被害者にはどんなことが起こっていたのか、早速チェックしていきましょう。

水戸事件の名前の由来は?

水戸事件と名付けられたこの事件は、茨城県水戸市の有限会社アカス紙器で起きた事件です。

水戸事件という名前が名付けられたというのも、茨城県水戸市にある工場で起きた事件だから、というのが最もな理由だと言われています。

水戸事件の概要とは

水戸事件は1995年に起きた事件です。茨城県水戸市にある有限会社アカス紙器の赤須正夫社長は、障害者を積極的に雇用していくことで評判でした。障害者は様々な制限があるため、なかなか一般企業では雇用してもらえないことが多く、障害者支援をしている赤須正夫社長は素晴らしい人物であると言われていました。

しかし、蓋を開けてみれば赤須正夫社長は、雇用している障害者社員に対して虐待行為を行っていたのです。その内容は人権を無視したものばかりであり、暴力行為や虐待行為、女性障害者には性的な虐待、強姦行為なども繰り返していました。

さらに、障害者を雇用することで「特定求職者雇用開発助成金」と呼ばれる助成金を会社は受け取ることが出来ます。赤須正夫社長は、その助成金を目的に障害者社員を虐待し、さらには帳簿を改ざんして、不正に特定求職者雇用開発助成金を受け取っていることがわかったのです。

水戸事件が発覚した経緯とは?

では、なぜ赤須正夫社長の非道徳的な行いと、助成金の不正受給が発覚したのでしょうか。

そもそも特定求職者雇用開発助成金は、会社が障害者社員に対して十分な給料を払えるようにという目的に払われているものでした。しかし、赤須正夫社長は障害者に対して給料をまともに払っておらず、自分のプライベートのお金に使っていたのです。

そんな中で、1995年にいよいよ障害者社員に対して賃金の未払いをしていたことが発覚してしまいます。そこから助成金の不正受給が疑われるようになり、同時に障害者社員への虐待行為も明るみになっていきました。

被害者は10名以上に上る!

様々なことが明るみになり、有限会社アカス紙器には調査が入ることになりました。

そこで判明したのが、被害者は10名以上にも上るという恐ろしい結果でした。障害者社員に対し、日頃から殴る蹴る等の暴力行為に加え、重い石や空き缶を太ももに挟んだまま正座をさせたり、腐った食べ物を食べさせたり、白米にタバスコをかけて食べさせたりしていたのです。

また、女性の被害者に対しては10人以上も強姦行為を行っていたことがわかりました。その中には、中学卒業と共に入社したばかりの少女も含まれていたのです。あまりにも非道徳的な行為、未成年への性的虐待、強姦は決して許されるものではないと、世間からは盛大に非難されることとなりました。

社長はなぜ虐待を行なった?

被害者の数や虐待の内容がわかってきたところで、気になるのは、なぜ赤須正夫社長は障害者社員に対して虐待行為を行っていたのか、という点です。私腹を肥やすのであれば、虐待はせずとも、不正受給だけしてればよかったのではないか、という疑問を多くの人は抱くことになります。

まず、赤須正夫社長が虐待行為等を行っていたのが知的障害者、というのがキーポイントになると考えられます。知的障害者の場合、虐待や強姦などを受けていたとしても、それを周囲に訴えるのは難しいと言えます。そして、公になったところで被害者の受けた行為を立証するのも難しくなります。

また、特定求職者雇用開発助成金の制度も理由として考えられています。特定求職者雇用開発助成金は、障害者を継続して雇用をすると1年半の助成金が送られることになります。しかし、1年半を過ぎれば助成金は受け取れないため、虐待をして1年半で辞めるように仕向けていたのではないかと言われています。

水戸事件の主犯の赤須正夫社長はどんな人物?

次に、水戸事件の主犯である赤須正夫社長とはどんな人物だったのかについて着目していきましょう。

表向きは、障害者支援を積極的に行う素晴らしい人物だと評判が良かった赤須正夫社長ですが、裏では非道徳的な行為を日常的に繰り返していた悪魔のような人物でした。

そんな表と裏の顔を、それぞれ詳しく注目をしていきましょう。

アカス紙器の社長を勤めていた

赤須正夫が社長をしていた有限会社アカス紙器は、主にダンボール製品を扱う会社でした。会社は工場となっており、社員は工場勤務をしていました。

被害者である知的障害者の社員は、そんなアカス紙器の工場で働いていました。詳しい業務内容などは明かされていませんが、工場では様々な役割分担がされていることが多いため、知的障害者でも出来るような仕事を割り振られていたのではないかと考えられます。

障害者雇用を積極的に行う良心的な人物

赤須正夫社長は、表向きは良心的な人物として知られていました。当時、障害者に対する理解はあまり進んでおらず、障害者を雇用する企業はほとんどありませんでした。そんな時代で、障害者を積極的に雇用する赤須正夫社長が素晴らしい人物だと評されたのも頷けます。

会社には寮も完備されていました。知的障害者の家族の多くは、少しでも自立出来るようにと願っているため、会社も完備されていたアカス紙器はとても魅力的な会社でした。実際、自分で暮らして自立をしていける場所があれば、知的障害者もより自分で生きていく術を身につけられるようになると言われています。

そんな障害者雇用や支援に対して積極的な赤須正夫社長は、地元でも名士として名を馳せていくことになります。水戸市からも表彰されることもあり、障害者社員の親族からは深く感謝され、表向きは暴力や性虐待をするような人物には見えなかったのです。

裏では従業員に虐待をする悪人

表向きの顔からは想像が出来ないほどに、赤須正夫社長の裏の顔は残虐なものでした。知的障害者は周囲に自分の被害を訴えられない、または理解すら出来ないだろうと考え、障害者社員のことを自分の思うがままに虐待をしていたのです。

表向きの顔はかなりいいものですし、だからこそ不正受給を疑われるようなこともないだろう…という思惑もあったようで、事件発覚時には着服金が800万円もあったことがわかっています。800万円を私腹を肥やすために使い、ストレスや性欲解消のために社員に虐待をしているとは誰も思いもしなかったでしょう。

障害者社員の被害者の中には、激しい暴力の末、耳が変形してしまったという人もいました。虐待内容や被害状況を見ると、虐待というのも拷問に近いものだったのではないかと容易に想像が出来ます。障害者社員を人とは思ってなかったのではないか、という見解も中にはありました。

水戸警察署は事件に消極的だった?

水戸事件が世間で大きく話題になったというのも、赤須正夫社長の残虐な行為や卑劣な犯行だけが理由ではありませんでした。実は、水戸事件に対しての警察の対応はかなり消極的だったと言われているのです。

水戸事件は、赤須正夫社長の公の場での偽りの顔や、障害者という相手を利用した犯行、さらには特定求職者雇用開発助成金の不正受給と思い当たるだけでも十分、世間が怒りを露わにすることは出来ましたが、さらに警察の対応が不十分だということで、より注目は増すこととなったのです。

そんな水戸事件に対して何故、担当の水戸警察署は消極的だったのか、その理由について注目をしていきましょう。

消極的だった理由①事件発覚以前から虐待報告を受けていた

実は、水戸事件を担当していた水戸警察署は、アカス紙器で日常的に行われていた虐待のことを把握していたのです。すでに事件が世間に明るみになる前から、虐待についての報告や相談は、様々な機関でされていたそうです。

しかし、まだ知的障害者に対しての風当たりが強い時代であるということや、評判が良いとされる赤須正夫社長が相手ということもあり、警察をはじめとした機関は「仕事を辞めてはどうか」と、障害者社員に対して根本的な解決をしてくれることはなかったのです。

世間から水戸事件が問題視されるようになったものの、水戸警察署としては、自分たちが今まで見過ごしてきたことを改めて調査をするというのは、世間体や対応の難しさなどを感じ、事件捜査に対して消極的になったのではないかと考えられています。

消極的だった理由②被害者が知的障害者だったこと

水戸警察署が水戸事件に対して消極的だった理由には、被害者が知的障害者だから、という一面もあります。これは、水戸警察署に限らず、他の場所で起きていたとしても同じ対応を警察はしていたのではないかと考えられていることでもありました。

知的障害者は、自分の感情や考えを上手く周りに訴えることは難しいのが事実です。たとえ訴えられたとしても、その訴えに対して周りが【知的障害者】というフィルターをかけずに物事を理解しようとするかは難しい問題であり、多くの人が知的障害者の言うことだから信用ならない、という考えを持っていました。

水戸警察署としても、そんな扱いが難しく問題が複雑化している水戸事件を調査するというのは、かなり骨が折れることでもあります。いわゆる面倒臭さが際立ってしまい、水戸事件に対して警察は消極的になったと考えられます。

消極的だった理由③社長が街で評判の高い人物だったから

水戸事件の主犯でもある赤須正夫社長は、地元でも名が知られた評判が高い人物でした。先程も紹介したように、水戸市から表彰されることもあったり、知的障害者を雇用するのは困難であるという社会の風潮に逆らい、積極的に障害者雇用をしていたりしていたため、信用がかなり厚かったのです。

そういった地元の名士ということもあり、水戸警察署からは忖度が働いていたのではないかと言われています。実際、地位や名誉がある人物に忖度が働くということは現代でもあると言われており、今よりも知的障害者に対しての風当たりが強い時代ならば尚更、その可能性は高いと考えられます。

さらに、水戸事件の主犯である赤須正夫社長の弁護士を務めた種田誠弁護士も、警察が消極的だと指摘された理由の一つです。種田誠弁護士は元国会議員ということもあり、地位や名誉がある人物でした。水戸警察署からしてみれば圧力を感じる相手でもあり、思うように捜査出来なかった可能性もあります。

水戸事件の判決結果は?

あまりにも酷く、最低なことをした…そう世間が注目をした水戸事件ですが、判決結果も議論を生むことになります。水戸事件が問題視されたのは、赤須正夫社長の行い、助成金の不正受給、水戸事件の担当をした水戸警察署の消極的な対応が最もな理由ですが、不平な判決結果に声があがったのも関係しています。

今の時代では、水戸事件のような事件が起きてしまえば重い判決が言い渡されることもあります。実際、2011年には障害者虐待防止法が成立されており、判決結果に世間が納得をしないと、検察審査会というところで起訴議決されることもあります。

しかし、当時の日本ではそういった法律も制度もありませんでした。もともと警察が水戸事件に対して消極的、忖度を働いていたという疑惑もあり、不平な判決結果に対してさらに世間は怒りを露わにすることになったのです。

懲役3年執行猶予4年の判決を下された

知的障害者という相手のことを利用した、拷問とも言える虐待、暴力、強姦や、特定求職者雇用開発助成金の不正受給と、少し考えただけでも赤須正夫社長の罪は重いと感じられるものです。特に周囲に訴えることが難しい知的障害者を相手にしたというのは、悪意そのものが感じられる行為だと言えます。

しかし、1997年3月28日に行われた水戸地方裁判所による水戸事件の判決は、なんと懲役3年執行猶予4年という、お世辞にも重い判決とは言えないような軽いものだったのです。赤須正夫社長が行ってきた行為は、たった3年の懲役で済むようなものとは思えませんし、執行猶予が付けられるというのも疑問です。

また、裁判官から「食事を抜いたことはあったか」という問いに対し、赤須正夫社長は「ありません」ときっぱりと否定をしていますが、傍聴席からは「嘘つき」という言葉が聞こえてきたと言われています。赤須正夫社長の態度も反省している感じは一切なく、そういった態度も問題視されることになりました。

判決の理由①助成金を不正に受給

ではなぜ、懲役3年執行猶予4年の判決が下されたのか、判決の理由についても細かく見ていきましょう。判決理由の一つとなったのが、助成金を不正に受給していたという点です。この点に関しては、赤須正夫社長は800万円を着服していたことは明確であり、賃金未払いをしていたこともわかっています。

そもそも、赤須正夫社長が逮捕された理由というのも、補助金不正受給詐欺容疑での逮捕でした。証拠も揃っていたということもあり、助成金を不正に受給したという点においては、言い逃れ出来ない状況だったと考えられます。

また、裁判でも助成金を不正に受給していたという点では事実であると判決を下されています。この点について赤須正夫社長が否定をしていたのかどうかは定かではありませんが、明確な犯行ということもあり、判決結果に大きく影響を及ぼすこととなったのです。

判決の理由②起訴されたのは暴行2件・障害1件

また、判決結果には障害者社員に対しての虐待行為も影響を及ぼしました。しかし、この結果が世間に波紋を呼ぶこととなったのです。被害を訴えた社員は少なくありませんし、アカス紙器で日常的に虐待行為が行われていたことは、周囲の人間はわかっていたようです。実際に目撃情報なども多かったとされています。

しかし、この判決でも知的障害者だから、というフィルターがかけられてしまうことになりました。上手く自分の考えや被害を訴えることが出来ず、さらに訴えたとしても信用に値しないと判断されてしまい、ほとんどの虐待行為はなかったことにされてしまったのです。

そのため、この水戸事件の裁判において実際に虐待が行われていたと判断されたのは、たったの暴行が2件、障害が1件というあまりにも少ないものでした。また、女性社員に対して行われていた強姦や性被害については、すべて無視されることになったのです。

判決に対し抗議活動が行われた?

警察をはじめとした多くの機関での忖度、そして知的障害者が被害者だからという当時の世間の考え、さらに赤須正夫社長の地元での評判や、担当した種田誠弁護士の圧力などから、水戸事件の判決は被害に対して非常に軽いものとなってしまいました。

当然ですが、世間からの非難の声は大きくなります。そして何より、被害を受けた障害者社員、そしてその家族や親族からは、判決を認めないという抗議がされることとなりました。

また、赤須正夫社長と種田誠弁護士から被害者に向けての謝罪の言葉は一切ありませんでした。傍聴席にいたという人の多くも、赤須正夫社長からは反省の色が見えないと証言しており、判決結果、赤須正夫社長の態度を含め、納得できないという声が殺到したのです。

納得の行かなかった被害者が抗議活動を実施!

水戸事件の判決、赤須正夫社長と種田誠弁護士の態度に納得がいかないと感じた被害者とその遺族は、抗議活動をすることに決めました。これほどに酷いことをしておいて、被害者の中には耳が変形している人がいるにもかかわらず、実刑判決が下されないというのは納得がいかないのも当然です。

被害者や被害者遺族の他にも、この水戸事件の判決に納得がいかない人や障害者支援をしている人たちによる支援団体が、水戸事件に関する赤須正夫社長の罪があまりにも軽いということで抗議をしていきます。罪の軽さを訴え、赤須正夫社長からの謝罪を求めることが目的となりました。

また、水戸事件が明るみになって以降、被害者である社員の中には、気持ちや頭の整理が出来て、やっと周囲に自分が赤須正夫社長の元でされてきた虐待の数々を訴えられるようになった人も増えてきました。改めて水戸事件の悲惨さを知った周囲の人間は、絶対に許せないと怒りの炎をより燃やすこととなるのです。

抗議活動①赤須正夫の車を取り囲む

赤須正夫社長、種田誠社長への抗議の内容は様々なものでした。その中でも特に印象的だと言えるのが、赤須正夫社長の車を抗議団体で取り囲むというものです。抗議団体は、赤須正夫社長が乗っている車を突き止め、その車を1時間半に渡って取り囲んだのです。

たとえ取り囲まれたとしても、もし無理にでもアクセルを踏んでしまえば死傷者が出る可能性は十分に高くなります。そういったリスクもあり、赤須正夫社長が乗る車は1時間半、ほとんど身動きが出来ない状態で立ち往生することとなりました。

しかし、これは法的にアウトな行動でもあります。赤須正夫社長の車を故意で1時間半に渡って取り囲んだということは、監禁という解釈をされてしまいます。結果的に、この抗議活動を行った支援団体の事務局長をはじめとしたメンバーが数人、監禁罪の疑いで逮捕されることとなってしまいました。

抗議活動②フロントガラスを壊す

抗議活動で1時間半にも渡り、赤須正夫社長が乗っている車を取り囲み、進行を妨げた抗議団体ですが、ただ黙って取り囲んでいただけではありませんでした。当然、怒りに燃えている抗議団体ということもあり、赤須正夫社長が乗る車に対して暴力を働いていったのです。

特に大きな問題となってしまったのが、車のフロントガラスを壊すという行為でした。抗議団体からしてみれば、力づくでも赤須正夫社長を外に出し、問い詰めたい、謝罪させたいという気持ちがあったのでしょう。そういった気持ちも合わさり、フロントガラスを割るという暴挙に出てしまったのです。

当然ですが、この行為も法的にはアウトでした。赤須正夫社長が乗る車のフロントガラスを割った支援団体の実行犯は、器物破損罪ということで現行犯で逮捕されてしまうこととなります。また、暴行という容疑も加わり、1年4ヶ月執行猶予3年の判決が下されるという事態に陥ってしまいました。

抗議活動③弁護士のネクタイや服を掴む

抗議活動として、抗議団体は裁判所から赤須正夫社長、種田誠弁護士が出てくるのを見計らい、出てきた瞬間に種田誠弁護士のネクタイや服を掴むという暴挙にも出てしまいます。この行動を起こしたのは、女性の支援団体のメンバーでした。

特に水戸事件において気がかり、納得がいかないという声が大きかったのが、女性社員に対しての強姦容疑が無視されることになったという点です。そのため、支援団体の女性メンバーのほとんどが、性犯罪を軽視した判決、そして実行犯である赤須正夫社長が特に許せなかったと考えられています。

ただし、こちらの抗議活動も法的にはアウトとなってしまいます。弁護士のネクタイや服を掴んだとして、実行した女性メンバーは暴行罪ということで後日逮捕されることとなります。さらに、判決としては1年4ヶ月の実刑判決が下されてしまい、結果的に赤須正夫社長よりも重い罪を背負うこととなったのです。

赤須正夫社長と会社の現在は?

納得がいかないと抗議団体も作られることとなった水戸事件ですが、その後の赤須正夫社長、そして有限会社アカス紙器はどうなったのか、気になる人も多いでしょう。最初の判決ではあまりにも被害者が報われないという形になりましたが、抗議団体の存在、世間からの声で判決は違った展開を迎えていきます。

実は、水戸事件の裁判が起こった後に被害者である女性社員の3名が、改めて虐待を受けていたと裁判を起こしたのです。そして2004年には、その訴えが認められることとなり、民事勝訴を勝ち取ります。その結果、裁判では赤須正夫社長に対し、被害者に合計1500万円の支払いを命じたのです。

この判決に対し、赤須正夫社長は控訴をしていきますが、却下されてしまいます。また、赤須正夫社長は虐待の証拠がないのではと裁判官に訴えましたが、この反論が裁判で聞き入れられることはなく、女性社員に対しての虐待が認められる形となったのです。

赤須正夫社長は社長を辞任した

当然ですが、水戸事件以降の赤須正夫社長の評判はかなり下がりました。社長を務めていた有限会社アカス紙器の評判も同じように落ちていき、世間からは羨望の眼差しで見られていた時とは180度違う目で注目されることとなったのです。

その結果、水戸事件が発覚をしてから赤須正夫社長は有限会社アカス紙器の社長を辞任することに決めます。そして会社からもその姿を消すこととなりました。

アカス紙器の社名は変更された

有限会社アカス紙器ですが、実は社名を「有限会社水戸パッケージ」、「有限会社クリーン水戸」と変更をしてきています。所在地に関しては、アカス紙器があった場所にそのまま存在しており、完全に名前を変えただけと言えます。

ただ、水戸事件が起きた後、もともとあった建物は寮を除いて火事で全焼をしています。火事の原因は不審火ということで、何者かが意図的に火をつけたとされていますが、犯人や動機についてはわかっていません。ただ、納得がいかないことが多い事件なだけあり、怨恨の可能性も否定できないと言えます。

アカス紙器からクリーン水戸へと社名を変更した後、現在も何かしらの形で赤須正夫社長が会社と関わっているかはわかっていません。赤須正夫社長が今、どこで何をしているかもわかりませんが、地元で有名だったということもあり、水戸事件以降はかえって目立つようなことは出来ないと考えられます。

水戸事件がモデルとなったドラマ「聖者の行進」

悲惨な事件として知られる水戸事件ですが、そんな水戸事件をモデルにしたドラマ「聖者の行進」は有名なドラマの一つです。

最後にそんなドラマ聖者の行進について、ドラマの概要や出演者について紹介をしていくので、もし気になるという人は是非ドラマをチェックしてみてください。

「聖者の行進」の概要

ドラマ聖者の行進は、1998年1月から3月にかけて放送されたドラマです。ドラマの内容は水戸事件をモデルにしたものとなっており、知的障害者を聖者と捉えているのが特徴的です。また、水戸事件をモデルにしているということもあり、やや激しい暴力シーンや強姦シーンなどもありました。

聖者の行進のあらすじとしては、水戸事件同様に知的障害者が工場で働くというものになっています。その工場内では、赤須正夫社長がしてきたように、雇い主が知的障害者の社員を奴隷のように扱い、人権を無視するような虐待を働いていました。

そんな虐待を受けている知的障害者の社員ですが、純粋な心を持っており、虐待を受け入れてしまうのも胸が締め付けられる場面の一つです。彼がどのように成長し、どんな結末を迎えるのか…現実で起きた事件をモデルにしたからこそ、非常にリアリティある作品となっています。

「聖者の行進」の出演者をご紹介!

次に、ドラマ聖者の行進ではどんな出演者がいたのかについて、少し紹介をしていきます。

実は、聖者の行進は再放送が難しいと言われているドラマでもあります。その理由というのが、出演者がドラマ放送後に不祥事を起こしたからだと言われており、ドラマを観る際にはレンタルショップなどでレンタルをすることをおすすめします。

「聖者の行進」の出演者①いしだ壱成

ドラマ聖者の行進で主演を務めたのが、いしだ壱成さんです。いしだ壱成さんは心が純粋で、生まれながらに知的障害を持つ青年を演じていました。

工場では散々な仕打ちを受けることとなりますが、あまりにも心が純粋なため、虐待を笑顔で受けてしまうという、知的障害者ならではの一面に胸が締め付けられてしまうものがあります。

特技はアコーディオンであり、楽団に所属をしています。

「聖者の行進」の出演者②酒井法子

工場近くの高校で音楽教師を務める役をしているのが、酒井法子さんです。学校での価値観や風潮とはなかなかそりが合わないことから、工場に勤務する知的障害者を集めて、楽団を作ることに決めます。

そんな楽団で音楽を楽しんでいるうちに、工場内で日常的に行われている虐待を目の当たりにしてしまい、強い正義感やボランティアで接する障害者のことを考え、虐待をどうにかしないと…と行動を起こすようになります。

「聖者の行進」の出演者③段田安則

工場の社長役を務めたのが、段田安則さんです。ドラマ真田丸にて滝川一益を演じた俳優です。赤須正夫社長をモデルにしているため、段田安則さんが務めた役柄は、障害を持つ社員に対して虐待や性暴力を働くという恐ろしいものでした。

この役柄も、赤須正夫社長同様に地元の名士として知られており、市長を目指していました。しかし、工場内で自分がしてきたことが公になっていくにつれ、だんだん立場が悪くなっていきます。

ドラマの終盤では、水戸事件とは違った結末を迎えています。ドラマならではのオリジナルになっているので、社長がどのような結末を辿ることとなるのか、是非御覧ください。

障害者への理解がある時代を築こう

水戸事件を機に、年々世間では障害者に対する理解は深まってきています。しかしそれでも、固定概念や価値観の違いなどから、障害者は未だに風当たりが強い存在と言っても過言ではありません。

どうすれば障害者と上手く接していけるのか…その問題は、簡単に答えを導き出せるようなものではありません。お互いに理解をし合うこと、片方だけが理解をして譲歩するというだけでは、真の意味での理解を得るのは難しいと言えます。

そのためにも、社会全体が障害者に対して過ごしやすいものとなるように、土台としてしっかりと作り上げられていくことが大切だと言えます。時代と共に、社会も印象も変わってきてはいるため、今後も障害者、そして周囲の人間にとってよりよい環境が作られるように、願っていきましょう。

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