木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
増田恵子さんはピンクレディーのケイとして一世を風靡し、ピンクレディー解散後もソロで歌手やタレント活動をしています。
ピンクレディーがデビューしたのは1976年8月25日です。デビューのきっかけは、当時日本テレビで放送されていたオーディション番組「スター誕生!」の決勝大会での合格でした。
ピンクレディーにはたびたび不仲説が浮上しています。しかし、未唯さんがそれを否定しており、解散後も再結成するなど、今でも2人で一緒に仕事をすることがあります。
1981年3月31日にピンクレディーは解散しましたが、2005年までに期間限定で何回か再結成したのち、2011年5月からは本格的にピンクレディーの活動を再始動。全国ツアーを行ったり、さまざまな音楽番組へ出演するなどピンクレディーの復活をアピールしました。2017年と2018年には、「日本レコード大賞」でかつてのピンクレディーのヒット曲のノンストップメドレーを披露しています。
2019年12月13日公開「妖怪ウォッチ」シリーズの「映画 妖怪学園Y 猫はHEROになれるか」の主題歌「メテオ」を発表したとき、週刊新潮2020年1月2・9日号に掲載されたインタビューで、未唯さんも増田恵子さんも不仲説を否定しています。
未唯さんは「レコーディングの日にケイと顔を合わせると、「今日はよろしく」って挨拶をして、収録前後には2人でいろいろ話しました。彼女とは、昔から性格も歌手としてのリズムの取り方も違う。その違いが力になり、ピンクレディーの魅力になっていたのだと思います。」と語っています。
一方、増田恵子さんも「2人で歌うために出会って、ピンクレディーになった。お互いに唯一無二の存在なんです。」と語りました。
ピンクレディー解散後の増田恵子さんはソロ歌手になり、デビュー曲「すずめ」は40万枚のヒットを記録します。その後はフランスでシャンソンを学び、1989年にはフランスデビューも果たしました。
音楽活動を続けながらドラマやラジオやバラエティー番組でも活躍する増田恵子さんですが、現在の痩せすぎぶりが話題を集めています。
もともとスレンダーだった増田恵子さんですが、現在は病的な痩せ方をしていると話題になっています。確かに、頬や首元に全くぜい肉がなく細すぎる印象です。
昔の増田恵子さんも頬や首元にぜい肉がありませんでした。しかし、現在の増田恵子さんより健康的な印象を与えます。なぜ、現在の増田恵子さんには健康的な印象が無いのでしょうか。
答えは簡単。増田恵子さんが病的な痩せ方をしているように見えるのは、本当に病気を抱えていたからなのです。
増田恵子さんは、ピンクレディー解散後にバセドウ病を発症しています。一度は治療で回復したものの、2003年に再発し、不調を隠しながらステージをこなしていたそうです。増田恵子さんがパセドウ病を発病したのはピンクレディーを解散してから10年後、1990年のことでした。
パセドウ病は甲状腺ホルモンの異常でおこる病気で、汗をかいたり、イライラしたり、疲れやすくなるなどの症状があらわれます。さらにひどくなると、四肢の麻痺や頸部の膨張、眼球突出による視力低下などがおこるそうです。増田恵子さんも、一時は階段も登れないほどの痛みに苦しんだと言われています。
ピンクレディー再結成会見で、膨らんだ増田恵子さんの首を見て変だと気付いたファンもいたそうですが、増田さんは病気を隠してコンサートツアーを決行しました。
しかし、ついにもう隠しきれない状態となり、2005年のツアー終了時に自身のブログで病気を発表します。
さらに、増田恵子さんは突発性難聴を経験しています。20代後半に発症したあと、2010年に再発し、そのことを2010年11月3日の自身のブログで発表しました。
当時のブログには「実は、9月の20日頃、レコーディング中に、ヘッドフォンから聞こえたガーン!!という爆音に、左耳が耐えられず…しかも、すぐに病院に行けず…人間ドック翌日の検査で、突発性難聴と診断!現在、治療中でーす!ストレスも重なってか、ちょっと辛いでーす!」と綴られています。
しかも、2010年にはメニエール病も発症します。メニエール病の症状は激しいめまいや耳鳴りや難聴などの症状が特徴です。突発性難聴についてもメニエール病についても発症原因ははっきりしていませんが、ストレスや睡眠不足や過労が続くと起こりやすいと言われています。
2010年はちょうどピンクレディーの再始動が始まった時期であり、頑張り屋の増田恵子さんは40代にもかかわらず、20代当時同様の激しいピンクレディーのダンスをクオリティーを落とさずファンに見せたいと必死だったそうです。そのストイックさが、肉体と精神に負担をかけてしまったのかもしれません。
ピンクレディーとして国民的アイドルとなったあとも芸能界で活躍し続けている増田恵子さん。2020年7月5日にはプラチナエイジ振興協会の授賞式に参加しました。
未唯さんとともに60歳以上の生き方が輝いている人として、「プラチナエイジ賞」でベストプラチナエイジスト賞の「女性部門」を受賞。そんな増田恵子さんの元恋人や現在の夫についてまとめてみました。
増田恵子さんは独身時代に野口五郎さんと交際しており、1979年には婚約間近とも言われていたそうです。1979年2月に野口五郎さんの恋愛を追っていた女性誌が5万部増刷するというニュースから、増田恵子さんとのホテルの密会写真が撮られたのではないかという噂や婚約間近などではという噂が飛び交い、その憶測を取材するため、2人が出演したTBS「ザ・ベストテン」のスタジオ前に100人近い報道記者が詰めかける騒ぎがあったそうです。
当時は「友だち」だと強調していた2人ですが、のちに増田恵子さんは著書「あこがれ」で野口五郎さんとの恋愛を告白しました。
ただ、野口五郎さんと交際していたことがピンクレディー解散のきっかけになったとも言われています。増田恵子さんは結婚を考えていたそうですが、結局結婚には至らず破局してしまったようです。破局の原因は事務所からの強い圧力と、仕事か恋愛の選択を迫られたことが原因だったようです。
そして、2002年に増田恵子さんはミキサー技師でギルト・ジャパンの社長だった桑木知二さんと結婚します。2人の間に子どもはいません。おそらく、結婚したとき2人とも40代半ばであったため、子どものことは視野に入らなかったのではないのでしょうか。
「スター誕生」で合格し、ビクター音楽産業から歌手デビューしたピンクレディーは、アップテンポでキャッチーなメロディーの楽曲が次々とヒット!
ピンクレディーの独特の振り付けを真似して踊る幼稚園児や小学生が多数出現し、ファッション雑貨や文房具などのピンクレディーグッズが爆売れするなど日本全国にピンクレディー旋風を巻き起こします。そんなピンクレディー時代の増田恵子さんの活躍についてまとめました。
増田恵子さんは中学・高校の同級生だった未唯さんとともに1974年にピンク・レディーの前身となるフォークデュオ「クッキー」を結成します。その後、デビューにあたり「ピンクレディー」と命名されます。
ピンクレディーは1976年にシングル「ペッパー警部」でデビューします。これが大ヒットを記録し、「第18回日本レコード大賞」新人賞を獲得しました。ピンクレディーは大胆な衣装と激しいダンスで、デビュー当初からかなり人気がありました。
その後デビュー以来、出す曲全てが話題となり、「渚のシンドバッド」や「モンスター」など、ミリオンセラーとなったものも多くあります。「ウォンテッド」はオリコンで12週連続1位となりました。
そして「UFO」はミリオンセラーとなっただけでなく、「第20回日本レコード大賞」を受賞する快挙を成し遂げました。
しかし、ピンクレディーの絶頂期はあまり長く続かず、徐々に人気が低迷し、1980年にピンクレディー解散を発表、翌年解散コンサートを開催しました。
アイドルデュオ・ピンクレディーのケイとして一世を風靡した増田恵子さんは、ピンクレディー解散後はソロ歌手として活動したのち、ピンクレディーとして再始動しています。
過去に野口五郎さんと結婚を考えていた恋愛経験もありましたが、現在は桑木さんと結婚し、夫にささえられつつパセドウ病の治療を続けながら芸能界の仕事を行っています。今後のさらなる活躍に期待しています。
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