木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
1980年、人気絶頂の中、結婚を機に芸能界を引退した山口百恵さん。デビューしてから多くのヒット曲を飛ばし、数々の人気作品に出演していた姿は今も覚えている人も多いのではないでしょうか。
山口百恵さんは宣言通り、引退後は公の場から姿を消しました。しかし、人気者であったがゆえに現在の様子が気になる人も多く、幾度となく週刊誌にその様子が掲載されてきました。
そんな山口百恵さんが、現在の様子をスクープされたところ、“激太りした”と話題になりました。果たして山口百恵さんは引退後どんな姿になったのでしょう。また、激太りの噂は本当なのでしょうか。山口百恵さんの現在の様子をご紹介します。
山口百恵さんが芸能活動をしていたのは1973年から1980年まで。8年間という間に、ファンの方に彼女が残したものは計り知れません。まずは、山口百恵さんのプロフィールやデビュー時や引退時の様子、壮絶な生い立ちについてご紹介します。
芸能界では輝かしい栄光を残した山口百恵さん。しかし、実は生い立ちが壮絶であったことが話題になりました。
山口百恵さんは東京都渋谷区に生まれましたが、父親は医師、母親はその愛人という特殊な環境での誕生でした。そのため、山口百恵さんは父親と暮すこともなく、母親と二人暮らしをしてたそうです。
しかも、父親は何度となく母親に結婚をほのめかす発言をしていたものの、結局は母親の元から姿を消したそうです。さらに、そんな環境であったため、母親も働き口が見つからなかったのか山口百恵さんは生活保護を受けながら生活をしていたといいます。
そのため、山口百恵さんは父親という存在を知らずにデビューまで生きてきたわけですが、父親は娘が有名になると親権を求めに来たり、山口百恵さんの事務所にお金を借りに来たりしたそうです。
1972年の13歳の時、「スター誕生」で準優勝したことをきっかけに芸能界入りしました。その後、1973年の映画『としごろ』で女優デビューを飾り、主題歌の『としごろ』
で歌手デビューも果たしました。
山口百恵さんの引退は1980年。芸能界では約8年間の活動となりましたが、その間には、『ひと夏の経験』『イミテーション・ゴールド』『プレイバックPart2』『いい日旅立ち』など多くのヒット曲をリリースしました。
さらに、女優としては『伊豆の踊り子』『ふりむけば愛』『ホワイト・ラブ』『古都』などのヒット映画に出演し昭和の大スターとなりました。
山口百恵さんは人気絶頂の中であった1979年10月20日、大阪厚生年金会館で開催されたリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、突如、俳優の三浦友和さんとの恋人宣言をしました。
そして、その後会見が開かれ、三浦友和さんの口からも「結婚を前提にして付き合っています」という発表がありました。
山口百恵さんはその翌年の1980年3月7日、三浦友和さんとの婚約を発表し、結婚と同時に芸能界を引退することを公表。同年の10月5日、日本武道館で開催されたファイナルコンサートでは、「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」と言い残し、マイクをステージ中央に置いたまま舞台裏へと消えていきました。
結婚を機に芸能界を引退した山口百恵さん。当時、「お仕事は全面的に引退させて頂きます」と宣言してテレビから姿を消したものの、人気歌手・女優であったためにマスコミは放っておくことはありませんでした。
そのため、山口百恵さんのプライベートの姿が度々週刊誌に掲載されています。そして、現在の姿もまた取り上げられ話題となっています。世間が衝撃を受けた現在の姿とは?
芸能界では華々しい活躍をした山口百恵さんも今や60歳。引退したのは21歳の時であったため、まだまだ若々しい山口百恵さんの姿が目に焼きついている人も多いことでしょう。
60歳を目前にした山口百恵さんの姿が激写されたのは、20018年4月のこと。昭和のスターであった昔の姿とは似ても似つかないため、「劣化した」と話題になりました。
そんな山口百恵さんの激変した姿が話題になったのは2015年10月のこと。「伝説のスターが肝っ玉母さんに」というコメントの元掲載された山口百恵さんの姿は、引退当時とは比べものにならないくらいふっくらとした体系をされていました。
シャープだった輪郭は崩れ、髪はボサボサ、体全体も大きくなっている姿に、“普通のおばさん”という印象を受けた人も多く、山口百恵さんについて“激太り”という噂がささやかれました。
山口百恵さんは、引退されてから子供にも恵まれ幸せな家族を築き上げました。山口百恵さんの夫や息子についてご紹介します。
山口百恵さんの夫は俳優の三浦友和さんです。まずは、簡単なプロフィールをご紹介します。
山口百恵さんと三浦友和さんは結婚してからもうすぐ39周年を向かえます。しかし、今でも新婚夫婦のようなラブラブぶりが伝えられています。
結婚当初からどんなに仕事が忙しくても夫婦水入らずの時間を大切にし、月に1回以上はデートにでかけるという山口百恵さんと三浦友和さん。それを現在も守り続けてお互いに思いやる姿には、“理想の夫婦像”として憧れる人が多くいるようです。
山口百恵さんの長男は、現在シンガーソングライターをされている三浦祐太朗(みうらゆうたろう)さんです。母親譲りなのか、学生の頃から音楽が好きで中学時代からバンド「Peaky SALT」を結成していたそうです。
そして、大学時代に自らデモテープを各所に送り、見事デビューを果たします。デビュー当時は、母親の名前は伏せていたものの、芸能リポーターに嗅ぎ付けられて暴露されてしまいました。その後、「Peaky SALT」が2010年に活動を休止したことで翌年からソロとして活動を始めた三浦祐太朗さん。山口百恵さんのカバー曲を歌ったことでさらに注目を集めました。
2017年には、山口百恵さんのカバー・アルバム『I'm HOME』をリリース。同年11月9日時点で7万枚の売り上げを突破し、話題になりました。
山口百恵さんの次男は、俳優の三浦貴大(みうらたかひろ)さんです。大学時代は精神保健福祉士を目指していたものの、様々なタイプの人との出会いから俳優の道に進むことを決めたようです。
デビューは、映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』。デビューきっかけは、父親の三浦友和さん。俳優の道に進むことを相談したところ、プロデューサーとの間を取り持ってくれたといいます。
しかし、一件、父親の力を借りてデビューしたような三浦貴大さんですが、この作品での演技が高く評価され、第34回日本アカデミー賞新人俳優賞および第35回報知映画賞新人賞を受賞されました。
その後、大正製薬「リポビタンD」のCMに出演したり、映画『学校をつくろう』で主演を努めるなど注目を集めてきました。
山口百恵さんと三浦友和さんの息子さんとあって、“今世紀最大の2大タレント”として注目された三浦祐太朗さんと三浦貴大さん。三浦祐太朗さんは、母親譲りの歌声から“超サラブレッド歌手”として注目され、三浦貴大さんは両親の影響力もあり高い演技力が評価されました。
しかし、最近は三浦 祐太さんは全国各地のショッピングモールにて無料のミニライブを行っていたり、三浦貴大さんはドラマや映画に出演するも、そこまで目立った活躍がないお二人。才能あるお二人なので、今後の活躍が集まっています。
山口百恵さんや三浦友和さんの才能を受け継いでいる息子さんたち。偉大な二人の二世タレントとして注目されましたが、山口百恵さんと息子さんたちの関係性はどうなのでしょう。山口百恵さんと息子さんとのエピソードをご紹介します。
山口百恵さんの長男である三浦祐太朗さんは、以前所属していたバンド「Peaky SALT」での活動が上手くいかなかった時、メンバーからバンドの宣伝を山口百恵さんに依頼しよう!と言われたそうです。
その時、三浦祐太朗さんは「それもいいかも」と思って山口百恵さんに相談したところ「それはあなた達ががんばるところでしょう!」とバッサリ言われたそうです。
当たり前のことですが、そんな普通の感覚を持つ親の元で育った息子さんたちは親の七光りを利用することはないのかもしれません。
山口百恵さんと三浦友和さんの喧嘩を一度も見たことがないという次男の三浦貴大さん。これは、山口百恵さんと三浦友和さんが大きな喧嘩をしたことが無いという可能性が高いですが、結婚39年ともなると、些細な言い合いくらいはあったはずです。
それでも、山口百恵さんは、どんな小さい言い合いも子供たちには一切見せないようにする配慮をしていたのではないでしょうか。
芸能界を引退してから、39年の月日が経過した山口百恵さん。これまでも、度々週刊誌で話題になってきましたが、現在はどう過ごされているのでしょう。山口百恵さんの現在の生活をご紹介します。
山口百恵さんは、三浦友和さんと結婚して以来、長年専業主婦として家族を支えてきました。昭和の大スターとして一躍脚光を浴びた山口百恵さんですが、以前は「主婦ほど素敵な仕事はない」と話していたほど充実した毎日を送っているようです。
さらに、東京都多摩地区国立市にあるご自宅は地元でも有名な豪邸で、幸せそうなオーラを発しています。2011年12月には、独立して行く子供達のことを考えて、夫婦の過ごしやすいようにリフォームをしたそうです。
山口百恵さんの住んでいる国立市にはパッチワーク・キルト作家の鷲沢玲子さんの教室があるそうです。そこに山口百恵さんも30年以上通っていて、趣味が高じてキルト作家の肩書きを手に入れたとか。
山口百恵さんは、東京国際キルトフェスティバルにおいて鷲沢玲子さんとのコラボ企画を開催しました。当時は、写真も展示され、テレビでも放送されたようです。
山口百恵さんは、キルト作家としての収入と、歌手としての印税の収入があるそうです。山口百恵さんのヒット曲を手掛けた宇崎竜童さんは、番組で「あの方(山口百恵さん)にも印税が入る」と話していました。
山口百恵さんは歌手として活躍していた当時、数々のヒット曲をリリースしています。それは、現在でも愛されている名曲も多く、カラオケで山口百恵さんの歌が歌われたとしても収入になるようです。
山口百恵さんは、2019年7月に39年ぶりの自著を出版されます。それは、「時間(とき)の花束 Bouquet du temps」といって山口百恵さんのキルト作品が70点ほど収録されています。また、それぞれの作品の解説や製作していたときの気持ち、家族への思いなどが記されているようです。
現在、山口百恵さんは子育ても一段落し時間もできたことで、これまでの生活の集大成を綴りたいと考えたのでしょう。山口百恵さんの自著は1980年に出版された『蒼い時』以来となり、注目が集まっています。
山口百恵さんの自宅は現在、東京都国立市にあるようです。この自宅へは結婚後に移り住んで以来、25年間生活されているようです。とても豪邸で目立つ建物のため、地元では有名でネット上にも度々掲載されています。外観はとてもオシャレで一見美術館のようです。
また、リフォーム時には、子供が巣立つために夫婦中心の設計にしたようですが、三浦友和さんの両親のことも考えてバリアフリーにしたといわれています。三浦友和さんの両親の介護は、長年山口百恵さんが担当していて、三浦友和さんは山口百恵さんにとても感謝しているようです。
昭和を代表する歌姫・山口百恵さん。さらに、歌だけでなく当時は数々の映画やドラマにも出演し、トップスターとしての地位を確立していました。
結婚を機に引退してからも、その様子は度々週刊誌に掲載され、“激太り”が噂されたこともありましたが、変わらず夫婦仲は良好であったようです。2019年には自著も出版されたことから、今後メディアで見かけることもあるかもしれませんね。
今後の山口百恵さんの活躍に注目です。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局
【この記事は2021/04/12に更新しました】