木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
千葉すずさんは、自由形の元競泳選手です。5歳から競泳を始め、小学校5年生の時、400m自由形で日本学童新記録を樹立して、注目を浴びました。
近畿大学附属高等学校在学中の1992年のバルセロナ五輪に出場し、200m自由形6位入賞、メドレーリレー7位入賞、400m自由形8位入賞、100m自由形9位の成績でした。
2度目の出場となった、1996年のアトランタ五輪では、メダル候補として注目されましたが、個人決勝種目で決勝レースに進めず、200m自由形10位、400m自由形13位という結果に終わりました。
アトランタ五輪後、一度は引退をした千葉すずさんでしたが、シドニー五輪に向けて現役復帰します。そして、1999年の日本選手権で100、200メートルで優勝し、当時の日本新記録を樹立します。
迎えたオリンピックイヤーの2000年、五輪の選考も兼ねた第76回日本選手権に出場して五輪A標準記録2分0秒54を突破して200m自由形で優勝しました。
しかし、日本水泳連盟の選考基準に達していないとの理由で、シドニー五輪には選ばれませんでした。千葉すずさんは、これを不服として、スポーツ関連問題を一括して取り扱う国際機関「スポーツ仲裁裁判所」へ提訴しましたが、認められませんでした。
しかし、千葉すずさんのこの行動により、日本水泳連盟は代表選考基準を明確にするようになり、他のスポーツでも同様に基準の明確化が進みました。
千葉すずさんは、一度目の引退後、1997年にはアメリカの永住権を取得しました。
そして1998年に現役復帰し、1999年6月に3年ぶりに日本選手権に出場して100メートルと200メートルの自由形で日本新記録を達成したものの、シドニー五輪には出場できず、2000年10月末に再度現役を引退しました。
マラソンランナーに千葉真子さんがいますが、千葉すずさんは水泳選手であり異なる人物です。また2人は間違われることもあるそうです。
続いては、千葉すずさんの旦那について見ていこうと思います。
千葉すずさんは、2002年に、同じ水泳選手で3つ年下の山本貴司さんと結婚しました。
2人の出会いは古く、小学校の頃から一緒に練習をしてた旧知の仲でした。山本貴司さん側は、アトランタ五輪の頃に千葉すずさんが特別な存在へと変わっていったと話しています。
山本貴司さんは、1996年アトランタオリンピック・2000年シドニーオリンピック・2004年アテネオリンピックに3大会連続出場しています。
そして、2004年アテネオリンピック200mバタフライでは銀メダル、400mメドレーリレーでは銅メダルを獲得しています。また、100m、200mバタフライの元日本記録保持者です。
2004年には、パートナーオブザイヤーも受賞しています。
2004年は“夫婦(ふたり)を楽しむ”という観点から、男子200mバタフライで見事、銀メダルを獲得した、山本貴司さんとそれを支えた、千葉すずさん夫妻が選ばれました。
これがきっかけで、おしどり夫婦として知られるようになりました。
千葉すずさん、山本貴司さん夫婦の間には、2005年に長男が誕生し、2007年には長女も誕生しています。
それから2010年に次男を、2011年には次女を出産していて、4人の子どもがいる6人家族です。
続いては、千葉すずさんの住まいについて見ていこうと思います。
2017年の段階では、奈良県に在住しているという情報があります。千葉すずさんは神奈川県出身ですが、大阪出身で近畿大学水上競技部監督を務める夫を支えるためであると考えられます。
2017年6月には、奈良県北葛城郡にあるイトマンスイミングスクールの真美ヶ丘校において開催された奈良ブロック合同マスターズ大会に、夫婦でゲストとして登場しました。
千葉すずさんは、物事をはっきり言う性格が災いしたのか生放送で放送禁止用語を発言してしまったことがあります。詳しく見ていこうと思います。
千葉すずさんは、実力はもとより美人スイマーとして人気があり、マスコミもこぞって取材していました。オリンピックに向けての練習をこなしながら、一日10件以上の取材をこなしていたという話もあります。
千葉すずさんは、水泳と関係のない質問を繰り返されたり、『マスコミはストーリーを作りたいから、自分の言葉を当てはめてストーリーを作る』ことが嫌いだと話しており、以前よりマスコミ嫌いと言われていました。
メダル候補として注目されていた千葉すずさんでしたが、アトランタ五輪の決勝に進出できませんでした。それにより、手のひらを返したように、千葉すずさんに対して厳しい声がマスコミを中心にあがっていました。
そして、『ニュースステーション』のキャスターであった久米宏さんの衛星中継インタビューを受けた際に、それまでに溜め込んでいたものが爆発してしまったのか、「オリンピックは楽しむつもりで出た」や『日本の人はメダル気違いだ』などの発言をしました。
『気違い』という言葉が放送禁止用語とみなされてしまい、今に至っても当時のVTRでは該当部分をカットして放送されています。
この発言を受けて、千葉すずさんは、大きな批判に晒されることとなり、活動停止することとなりました。
続いては、現在の千葉すずさんについて見ていこうと思います。
千葉すずさんは、子育てもひと段落して、全国各地において水泳教室を開いたり講演会を行ったりしています。
また障害のある方に水泳を教える活動もしていて、『東京五輪ではパラリンピックも同等に扱ってほしい』と語っています。
雑誌『暮らしの手帖』に随筆を執筆しており、2019年2-3月号でに掲載されています。
続いては、千葉すずさんと島根県浜田市との縁について見ていこうと思います。
千葉すずさんは、引退をした後の2002年に、島根県三隈町(現在の浜田市三隈町)にあるスポーツ施設『アクアみすみ』の3周年イベントに出席しました。
これが千葉すずさんと島根県の最初の関りとなり、その後長く縁が続くことになります。
2005年には、三隈町制50周年記念事業として水泳講師として招かれました。
2014年に、『アクアみすみ』のイベントアドバイザーに就任し、2014年11月1日付けで『ユネスコ無形文化遺産石州半紙PR大使』に委嘱されました。
手間をかけて作っても和紙はなかなか売れないため、独特な風合いを生かし、和紙のウエディングドレスを千葉すずさんが自ら作り、地元の結婚式で着てもらったりと和紙のすばらしさをアピールする活動をされています。
千葉すずさんは、2016年7月1日より『浜田PR大使』に委嘱され活動をしています。
千葉すずさんは、人柄が温かくて奥ゆかしく、美しい景色やおいしい食べ物があることが島根の魅力だと語っています。
今では毎月のように島根へ訪れており、ふるさとのような居心地の良さを感じるのだそうです。
元競泳選手で、オリンピックにも出場している千葉すずさんについてご紹介してきました。
競泳選手でオリンピックでメダルを獲得している、山本貴司さんと結婚し、4人の子供さんに恵まれ、現在も水泳教室や講演会などを開き、島根県のPR大使をつとめるなど、幅広く活躍されていました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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