木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは、日下部和博がどういった人物で、どんな事件を起こしたのかについて迫ってみたいと思います。日下部和博について迫っていきましょう。
犯行時に日下部和博が乗っていたのは、レンタカーの軽乗用車であり2018年12月28日に大阪府内で予約されていました。そして大晦日に都内に入り、現場周辺で犯行の機会を計画的に窺っていたのです。そして年が明けた1日の0:10に練馬区の男子大学生(19)に車を衝突させました。
それにより、その学生は硬膜下血腫となり意識不明の重体になりました。その他7名も重軽傷を負い、目撃者の19歳の男性も車を乗り捨てた日下部和博に殴られて軽傷を負っています。
通り魔的な事件であり、日下部和博は無差別に車を暴走させたものと考えられるでしょう。何の罪もない人を巻き添えにすることは、到底許されるものではありません。
日下部和博は、明治通り側から竹下通りに侵入し竹下通りを逆走する形で犯行に及びました。それから途中で車を乗り捨て、走って代々木公園を突っ切り、明治神宮の反対側にある代々木神園町で確保されたのです。
車は一方通行を140メートルほど逆走して、ビルに衝突して止まったとされています。日下部和博は車を乗り捨てて逃走したということですが、近所の代々木公園付近において警官の職務質問を受けたのでした。
日下部和博の顔画像については、学校の卒業アルバムと思われる画像が出回っています。上半身裸の写真もあるため、もしかしたら水泳部だったことも推測できるでしょう。また、逮捕直後の画像も見ることができます。
上記の画像が、日下部和博であるとされている画像です。
続いては、日下部和博の生い立ちについて迫っていきたいと思います。事件を起こした犯人が、どの様な生い立ちだったのか等は、事件を紐解くうえで必要なことかもしれません。日下部和博はどういった人生を歩んできたのでしょうか。その点を見ていきましょう。
日下部和博の大阪府枚方市に住む小中学校の同級生によると、日下部和博は『目立たない静かな人』という印象だったとしています。穏やかな性格で、自分から話しかけるタイプではなかったという証言もあるのです。
また、運動が好きでありサッカーやマラソンの成績が良かったともされていますし、ゴールをよく決めていて、休み時間でもボールを蹴っていました。特段変わったところのない、普通の子供だったのです。ただ、何等かのスイッチが入ると暴走気味になるところがありました。
そのスイッチがどういったところにあるのかは分かりませんし、どういったことに対しスイッチが入るのかは、予測不可能であったという話もあります。
高校に進学した際に何等かのトラブルがあり、それから日下部和博は引きこもりになったとされています。大学は、首都圏の学校に進学したものの僅か1年で中退し、再度大阪に戻ってきたようです。彼の身に一体何があったのか、気になるところです。
日下部和博は、親と折り合いが悪く親に手をあげることもありました。そのため、枚方市の彼の実家には警察官が訪れることもあり、大変であったとされています。そういったことから、日下部和博は寝屋川市にある祖母の家で暮らすようになりました。
祖母宅の近所の住民によると、日下部和博が住むようになって1年も経っておらず、時々ベランダから「ワー」とか「コラ」などと叫ぶ姿が目撃されています。それに、ベランダから爆竹のようなものを鳴らしていたこともあったのです。
この様な奇行などにより、祖母も相当に苦労をして頭を抱えていたものと考えられます。
次は、日下部和博がなぜ事件を起こしたのか、その動機について見ていきたいと思います。彼の動機は死刑制度が関係しているとされていますが、これは一体どういったことなのでしょうか。
日下部和博は、犯行動機について退歩当初は「死刑制度に対する報復だった」などと話し容疑を認めていましたが、それからの調べでは黙秘をしていました。それに、「殺そうと思い通行人をはねた」や「上野でも事件を起こそうと思った」などと話しています。
そのことから、彼はテロを起こそうとしていたのではないかとも考えられています。
日下部和博は、”オウムの”死刑の報復でやったと自供しています。2018年はオウム真理教の幹部が死刑執行された年でした。その報復で今回の事件を起こしたのだとしているのです。そのため、日下部和博がオウム真理教と関わりがあったのではないかと言われています。
とはいえ、日下部和博は21歳でありオウム真理教が大々的に活動をしていた時期を知らないはずです。よって、オウム真理教とは関係ないものの、死刑執行が行われた報道を観た日下部和博が、単独で起こした事件であると考えられるでしょう。
オウム真理教が関わっているわけではないということです。
2018年7月6日に、オウム真理教の起こした事件で死刑が確定していた死刑囚たち7名の死刑が執行されました。オウム真理教の事件関係で死刑が執行されたのは、初めてでした。この日に刑が執行されたのは、教団代表だった麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚です。
このほかにも、教団幹部であった井上嘉浩や遠藤誠一、土谷正実、中川智正、新実智光、早川紀代秀も刑が執行されています。また、同月の26日には他の6名の教団幹部についても、死刑が執行されています。
日下部和博が、現在どうしているのか、そして彼女はいるのかについても気になるところです。最後に、日下部和博の現在や彼女について迫っていきたいと思います。
2019年1月16日より、日下部和博は鑑定留置され刑事責任が問えると判断されました。そして、2019年5月17日に殺人未遂と傷害の容疑により起訴されたのです。さらに、犯行に使われた車に、火炎放射器のように加工をした高圧洗浄機を乗せていたことから、殺人予備罪でも起訴されました。
日下部和博は、事件前にイスラム教関連の書籍を購入していることが分かっています。彼の使っていたパソコンから、書籍の購入履歴が発見されたのです。特定の宗教団体や政治団体に所属しているという事実は認められませんでした。
しかし、海外で起きたテロ事件の情報を収集した形跡があったことは分かっています。それに、日下部和博は事件の半年ほど前に事件時に車に搭載していたものとは別の、高圧洗浄機を購入していたことも判明しているのです。
これにより、かなり前から無差別殺傷事件の計画を練っていたことが分かるでしょう。
日下部和博に彼女がいたという情報は現在のところ得られません。引きこもっていたこともあり、内向的な性格であることからも彼女はいなかったのではないかと推測されます。そうしたことから、本当に彼女がいなかったために情報もないとも考えられるでしょう。
日下部和博は、2019年が明けた直後に原宿の竹下通りで車を逆走して人を撥ねた人物です。殺人未遂と傷害、そして殺人予備罪で起訴されました。動機は死刑への報復であると語っていて、テロの情報を集めるなどの行為を事件前から行っていたことも分かっています。なので、周到性もうかがえるでしょう。
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2019年の元日未明に、原宿の竹下通りにおいて車を暴走させ8人を轢いた21歳の男であり、住所や職業は不詳という話もありますが、実家は枚方市にあるとされ大阪府寝屋川市の大学生であるという情報もあります。