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2023/11/27
r.y6
演歌歌手としてデビューして、バラエティなどでも大活躍していた香田晋。2012年に突然、芸能界を引退!引退の陰には何があったのか?引退後の彼の活動と、現在の姿を追ってみました。
香田晋は、どのように演歌歌手の道に進んだのでしょうか?彼の生い立ちや引退までの活動内容を見ていきましょう。
香田晋は、福岡県の北九州市で生まれました。しかし、中学2年から高校を卒業するまでは、岡山県倉敷市で暮らしています。その背景には、彼の複雑な家庭環境が関係していきますので、後に詳しくご紹介します。
香田晋は、1985年にカラオケ大会に出演して「兄弟船」を熱唱!それをきっかけに、作曲家の「船村徹」にスカウトされます。高校卒業とともに弟子入りするために上京しますが、デビュ―までの3年間は、歌のレッスンなどの代わりに料理などをする日々だったようです。
1989年6月7日に「男同志」で念願の歌手デビュー!同年第31回レコード大賞の新人賞を見事に受賞しています。その後も次々にシングルを出しますが、1992年にはドラマにも出演!俳優としても活躍しはじめました。1994年には「紅白歌合戦」にも出場しています。この頃は彼のキャリアは、ノリにノッていた時期でした。
90年代から2010年頃までは、誰もが彼のキャリアは順調と信じていた時期ではないでしょうか?童顔の笑顔がかわいらしく天然の性格もうけて、バラエティでも大活躍していました。お茶の間のお母さんたちに、絶大な人気を得ていました。
いわゆる「おバカタレント」として人気があり、「クイズ!ヘキサゴンⅡ」では、彼のおかしな解答から「先生」とも呼ばれていました。共演者からも、視聴者からも愛される天然で楽しいキャラは、今も思い出されますね。
バラエティで大活躍!テレビ出演も多かった香田晋は2012年に突然、芸能界を引退します。引退の本当の理由は何だったのでしょうか?
2012年4月25日で所属していた事務所、「ゴールデンミュージックプロモーションを退社。そして芸能界も引退してしまいます。その頃から彼の姿を全くテレビでみることがなくなりました。香田晋は引退後、出身地の福岡県に戻っていました。
引退発表などは全くありませんでしたが、実は現実から逃げていたようです。引退後に、週刊誌に対していつか話さなくてはと思っていたとして、引退理由を語っています。「バラエティの仕事が増えてきた。自分は歌手なのに思うように歌えなくなってしまった。歌手なのにバラエティに出ている時、自分は何をしているのかと思った。」
その時期は、精神的にもかなりまいっていたらしく、逃げるように引退して福岡に戻ったようです。引退会見も発表もないまま、香田晋はテレビから消えた形になりました。
香田晋は引退後、福岡県に戻ったあとは、引退前から交際していた女性と飲食店を経営し始めました。彼は、引退前の2010年に鮪解体師1級免許を取得しています。彼が板前として働き、妻が店を切り盛りしていました。
経営していた店の名前は、「古民家 Gallery Cafe 真稟」です。2014年の9月にオープンしたようです。また、腹式呼吸で健康な体を目指す教室も同時に経営していたようです。
福岡県で、飲食店経営などをしていた元歌手の香田晋。2019年の現在も彼は同じ様に飲食店経営をしているのでしょうか?
何と彼は現在、僧侶になっていました!2018年11月に、福井県美浜町にある寺の僧侶になったということです。現在は、その寺の住職、栗山正光さんと一緒に壇家への法要で読経などをしているそうです。
しかし、普段は現在自宅のある横浜に住んでいて、福井県の寺には、月に数回の頻度で通っているそうです。僧侶といっても寺に住んでいるわけではないようです。
気になる僧侶になったきっかけですが、きっかけは長年介護をしていた義理の母親の死だったそうです。お経をあげるまで見届けたいと願い、そこで住職の栗谷さんに出会い、仏教の道を学ぶことを勧められて、決意したそうです。
演歌歌手、俳優、そしてバラエティでも活躍していた彼が、仏教の道に入りました。人との出会いがきっかけで、人生は本当にがらりと変わることがあるのですね!
また、現在香田晋は書家としても活動しています。実は、彼は引退後から少しずつ書や絵画の制作を始めていたそうです。しかし、その頃はまだ形にならなかったのでしょうか。現在は、書家として個展を開いたりしています。
来年にはイギリスの美術展に出展する予定もあるということですから、かなり本格的ですね。実際に作品を観てみると、力強くも優しい作品で本来の自分を取り戻した香田晋の姿が伝わってきます。
福岡県で経営していたレストランは、現在は閉店しているようです。電話をかけても使用されておらず、近所の人もレストランのことは全く知らないということです。閉店時期は明らかになっていませんが、閉店理由は、義理母の介護や経営不振などが挙げられます。
2014年にオープンして、香田晋は2018年には僧侶になっているので、4年余りしか経営は続かなかったことになります。
香田晋は、複雑な家庭環境で育ちました。香田は、実の父親を知りません。香田が生まれてまもなく、父親は蒸発してしまいました。そして、その後建築現場で事故死してしまったそうです。香田は、のちに母親が再婚した再婚相手のことを、本当の父親だったと思っていました。小学校5年生の時に、彼の祖母が真実を語ったようです。
それから、両親は別居。母親とも14歳で別れ、しばらくは会わなかったようです。母親とは歌手デビュー前に、久しぶりに会ったということですが、香田が歌手デビューした翌年に、43歳の若さで亡くなっています。せめて、彼のデビューを見ることができて良かったですね。
1998年12月2日、彼の誕生日に香田晋は一般人女性と結婚しました。この日は、彼の誕生日ですが、彼女の誕生日でもあるそうです。彼の妻になった女性は、三船敏郎の遠縁にある7歳下の女性と言われています。結婚した翌年に長男が生まれて、その後長女も生まれています。
誕生日が同じ日運命の女性と結婚したのでは!と思いきや、彼らは2009年に8月に離婚しています。2人の子供に恵まれましたが、11年間の結婚生活を終えてしまいました。離婚原因は、生活のすれ違いだということです。
香田自身、歌手生活をどうするか迷っていた時期でもあり、精神的にも厳しい中で家族にそのストレスを吐き出してしまった、とのちに語っています。また、子供2人の親権は香田が持ったようです。
香田晋は、2009年に離婚、2012年に芸能界を引退、そして引退後に一般人の女性と再婚しています。再婚相手は元モデルで11歳年下、再婚前にも2人と子供の沖縄旅行が目撃されていました。
しかし、この沖縄旅行は彼が離婚した、たった5か月後の2010年3月。彼女は香田の数年前からの知り合いだそうで、2010年頃に交際がスタートしたそうです。彼女と、引退後もお互いに支えあって生きてきたと、香田晋はのちに彼女への感謝の気持ちを語っています。
2019年現在の香田晋は、書家・僧侶として生活していました。福岡県の経営していたレストランも、現在は閉店していることもわかりました。義母の介護や死がきっかけで、仏教の道を学んでいるようですが、芸能界を引退して、彼もようやく本当の自分の道を見つけることができたのではないでしょうか。
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