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    JR福知山線脱線事故の真相とその後は?生存者の今は?原因はパワハラ?

    JR福知山線脱線事故は、記憶に新しい方も多いかもしれません。朝の通勤・通学の時間帯に起きたこの事故は、想像を絶する惨事となったのです。あの事故から年月が流れましたが、その真相やその後、生存者が今どうしているのかを探っていきたいと思います。

    JR福知山線脱線事故の真相はどんなもの?

    JR福知山線脱線事故といえば、朝の通勤・通学の時間帯に起きた支社107名にも及んだ、痛ましい事故です。記憶に新しい方も多いと思います。

    JR福知山線脱線事故の詳細や事故がどうして起こってしまったのか、その理由や真相、生存者が今どうしているのかを追っていきたいと思います。最後までお付き合いください。

    JR福知山線脱線事故の詳細は?

    まず、事故の詳細についてみていきたいと思います。14年前に起きた、痛ましい事故の発生日時や被害の状況など大雑把には把握されている方は多いと思いますので、詳しくご紹介します。

    2005年4月25日に発生

    JR福知山線脱線事故は、2005年(平成17年)4月25日午前9時18分頃に西日本旅客鉄道(JR西日本)の福知山線の塚口駅 - 尼崎駅間で発生しました。

    JR福知山線脱線事故では107名が遺体になった

    通勤・通学で込み合っており、多くの乗客を乗せていた快速列車の脱線事故であり、乗客と乗員計107人が死亡し、乗客562人が負傷する、JR発足後最悪の事故となりました。

    更に、遺族や負傷しなかった乗客、事故列車が激突したマンションの住人、救助作業に参加した人など、広範囲でPTSDを発祥する人が多く、大きな影響を及ぼした。

    JR福知山線脱線事故はどんな概況?

    兵庫県尼崎市久々知にある福知山線塚口駅 - 尼崎駅間の右カーブ区間で宝塚発JR東西線・片町線(学研都市線)経由同志社前行き上り快速の前5両が脱線しました。

    うち前4両は線路から完全に逸脱しており、先頭の2両は線路脇の分譲マンション「エフュージョン尼崎」に激突しました。

    先頭車は1階ピロティ部の駐車場へ突入し、2両目はマンション外壁へ横から激突しさらに脱線逸脱してきた3 - 4両目と挟まれてぺしゃんこに。外壁にへばりつくような状態で、1 - 2両目は原形をとどめないほどに大破しており、衝撃の大きさが分かります。

    JR福知山線脱線事故は運転士も亡くなっている?

    事故を起こした運転手はこの事故で亡くなっているので、本当の事故発生当時の状況は分からないままです。運転手の方は、どういった方だったのか、またなぜ事故が起こってしまったと考えられているかを見ていきたいと思います。

    即死した事故車両の運転士は高見隆二郎で彼女もいた

    事故を起こした運転士、高見隆二郎さんは子供の頃から運転士になるのが夢で、高校卒業後、入社し、念願をかなえ運転士をされていました。学生時代は部活を一日も休まず取り組むような真面目な人物だったようです。

    事故当時は23歳で、アルバイト先で出会った彼女と結婚の話が出ていたそうです。

    事故前にオーバーランしていた

    事故が起こる少し前、直前の停車駅である伊丹駅で急ブレーキがかかりました。電車はかなりのスピードでバックし、ホームの定位置に戻ったそうです。

    「オーバーランしましたことを深くおわび申し上げます」という、車掌の車内放送が入り、速度を上げながら電車は進み始めた。

    この時、実は1分20秒の遅延が発生していました。この遅延がこの後の大事故を引き起こすのです。

    スピード超過が事故につながった可能性大

    伊丹駅でオーバーランし、1分20秒の遅延が発生していた電車は、猪名寺駅を通過し、塚口駅も1分以上遅れて通過しました。

    徐々にスピードを上げた電車は、車両及び線区最高速度の120km/h±数km/hいっぱいで走行を続けました。そして、事故現場手前の急カーブの始点を制限速度を大きく超える約116キロメートルで進入します。

    そして、カーブを曲がりきれず、1~5両目が脱線し、乗客106人と運転士1人が死亡、562人が重軽傷を負う凄惨な事故が起こりました。

    JR西日本の『日勤教育』も事故原因の根本にある?

    JR西日本には、『日勤教育』という厳しい制度が存在しました。ミスや苦情等が発生した時に乗務員に対する処分です。

    その内容は、再教育などの実務に関連したものではなく、例えば、他の社員からよく見える当直室の真ん中に座らせ、事象と関係ない就業規則や経営理念の書き写しや作文・レポートの作成を一日中させられたり、トイレに行くのも管理者の許可が必要だったり、敷地内の草むしりやトイレ清掃などを命じられるなど、とても研修とは言いがたいものばかりだったようです。

    今で言う『パワハラ』にあたるものが蔓延していたとされています。

    事故車両の運転士も受けていた

    事故の当該運転士も、3回の日勤教育を受けた事があり、友人に「日勤教育は、一日中文章を書いていなければならず、トイレに行くにも許可がいる」「給料がカットされ、本当に嫌だ」「降ろされたらどうしよう」と話していたという。

    これにより、運転士は心身共に疲弊したことが良く分かります。運転士は事故より前にオーバーランを何度かおかしており、事故当日、オーバーランにより遅延が発生していた事が、運転士を追い詰められていたであろう事が想像できます。

    ダイヤ改正も大きな要因

    また、事故発生路線である福知山線は、阪急電鉄と競合しており、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされています。日本は他国と比べると実に時間に正確ですが、秒単位での運行はとても厳しいものなのでしょう。

    120km/h運転や停車時間が15秒など秒単位で設定されており、全体的に余裕のないダイヤだった上に、事故発生区間である塚口駅 - 尼崎駅間では2004年10月のダイヤ改正によりさらに余裕時間が短縮されていました。

    この余裕時間の無さが、この事故につながった要因のひとつだと言われています。

    自動列車停止装置(ATS)が未設置

    この路線では、自動列車停止装置(ATS)が設置されていませんでした。速度照査用の自動列車停止装置設備の設置は事故当時、法令や国交省の基準違反ではありませんでしたが、もし設置されていればこの事故は防げた、またはここまでの大事故にならなかったのではないかと言う声が上がりました。

    2010年に運転士の労災が認定された

    事故車両の運転士だった高見隆二郎さんの家族が申請していた労災が、事故から5年が経った2010年に認定されました。労基署は業務上の理由で死亡した労災と判断をくだしました。

    会社に重大な過失があると判断された場合、労基署は遺族へ支払われる給付額の最大3割を会社側から徴収できるが、事故の原因と指摘されている懲罰的な日勤教育や過密なダイヤを重大な過失と判断するのは困難であったようで、JR西日本に請求は届いていないということです。

    JR福知山線脱線事故の前に心霊現象などがあった?

    事故が起きる前に線路を歩く影を見た、乗るのを止められたなど、不思議な体験をしたと証言する人がいます。 

    大きな災害や事故などが起こる前によく不思議な現象が起きるとは言われますが、JR福知山線脱線事故の時はどういったものだったのでしょうか。

    事故前日に線路を黒い影が歩いていた

    脱線事故の前日、快速電車の車掌から「路線横を歩いていた人影とすれ違った」とJR西日本に連絡があり、同社は後続の上下線の運転を見合わせ確認したが、誰も見つからなかったという不思議な出来事がありました。

    日中の事なので、見間違いとも考えにくいですが、いったいなんだったのでしょうか。何か予兆のよなものだったのでしょうか。

    老婆が女性を無理やり電車から降ろしてした

    鹿児島の女性が交際相手の男性に会うために事故を起こした快速電車に乗っていました。オーバーランをした伊丹駅で、老女が「この電車に乗ってはいけない」と叫んだそうです。

    その老女は、女性の腕を引っ張り、電車から引きずり降ろし、他の人にも声をかけていたそうです。その後、事故のアナウンスが入り、驚きながらその老女を探したがもう見当たらなかったそうです。

    この老女が居なければこの女性は亡くなっていたかもしれません。いったい誰だったのでしょうか。

    事故現場となったマンションは今どうなっている?

    JR福知山線脱線事故時、先頭2両が激突した「エフュージョン尼崎」というマンションですが、現在はどうなっているのでしょうか。

    マンションは事故後に空き家になった

    マンションには47世帯が居住していたが、倒壊の恐れに備えてJR西日本が用意したホテルなどへ避難し、8月上旬までに残っていた2世帯も引っ越したため空き家状態となりました。

    安全性のこともありますが、やはりたくさんの方が亡くなられた凄惨な事故現場で住み続けるのは精神的に無理がありますよね。

    「祈りの杜 福知山線列車事故現場」になっている

    JR西日本は、「エフュージョン尼崎」を買い取り、9階建てだったマンションの4階までを残して解体しました。衝突跡などをそのままに建物が階段状になるよう解体作業を進め、慰霊施設『祈りの杜 福知山線列車事故現場』として整備しました。

    2018年9月21日から一般公開されており、たくさんの人が祈りを捧げに訪れています。また2019年4月25日、事故現場では初めて慰霊式が行われました。

    この凄惨な事故を風化させないためにも、祈りの杜の維持と慰霊式の継続が必要でしょうね。

    生存者の今はどうなっている?

    乗客と乗員計107人が死亡し、乗客562人が負傷するという最悪な脱線事故となったJR福知山線脱線事故。恐怖の体験をし、助かった方たちの中には事故後、未だに苦しんでいらっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。

    事故で脳に障害を負った女性がいる

    事故当時30歳だった女性は、2両目に乗っていていました。マンションに突っ込んだ車両ですね。

    事故から5時間後に助け出されたものの、脳に障害を負い『高次脳機能障害』と診断されます。事故で頭部に受けた衝撃で、記憶力や言語に障害が残っており、ほんの数分前におきた出来事や会った人のことを覚えおくことが出来ないそうです。

    ご両親に支えられ生活されていますが、この女性の母親は「生きてるだけで幸せ。回復を信じて進んでいきたい」とおっしゃっています。

    「よかったね」の言葉が胸に刺さる

    幸い軽症ですんだ方の中にも思い悩んでいらっしゃる方がいます。生存者の方は、生き残ったことに負い目を感じてしまうというのです。

    「事故直後、もっと多くの人を助けられたのではないか。生きている事が申し訳ない」と思い悩み、明るく振舞うものの、「助かって、よかったね」という言葉が胸に刺さるというのです。

    それだけ、このJR福知山線脱線事故は多くの人の心に大きな傷跡をつけています。

    四肢切断になった生存者もいる

    多くの犠牲者の多くは1両目か2両目の乗客でした。同じ車両から救出された生存者であってもクラッシュ症候群により四肢切断など後遺障害を伴う重傷者が複数人確認されています。

    両足を切断となり、助かれなければ良かったと泣き叫んだ方もいらっしゃいます。想像を絶する苦しみの中、前を向いて頑張っていらっしゃいます。

    ※クラッシュ症候群とは、身体の一部が長時間挟まれるなどして圧迫され、その解放後に起こる様々な症候の事を言います。阪神大震災のときにこのクラッシュ症候群で亡くなられた方がたくさんいました。

    睡眠薬が手放せなくなった

    事故車両に乗車していた車掌の松下正俊さんは、事故直後、警察に連れて行かれ事情聴取を5日間受けました。その時に見たテレビで、初めて事故の全貌を知ったそうで、徐々に「死にたい、死にたい…」とつぶやくようになって入院しました。

    松下さんはJR西日本の社員とはいえ、事故車に乗っていた人物で、事故の惨状を目の当たりにしている人です。精神的負担はかなりあったと考えられます。その後の報道で、更に追い詰められた松下さんの入院は1年半に及んだ。

    JR西日本のその後の対策

    2006年春に行われたダイヤ改正において、問題とされた、同社の路線全体におけるダイヤの余裕時分が増やされました。駅ごとの乗降数に応じて停車時間も10秒 - 1分ほど延長されました。それに伴って乗務員が不足するため、同社の路線全体で140本の列車が削減されました。

    また、事故の時に問題としてあげられたATS-Pが設置されました。車両には運転士の無操作が約60秒続くと5秒間警報が鳴動し、さらに操作がない場合は自動的に非常ブレーキが作動するデッドマン装置の一種である緊急列車停止装置(EB装置)の導入も進みました。

    しかしその後、同社がEB装置設置済みの車両について、一時的にしても取り外していたり、スイッチを切ったままの状態で、福知山線や片町線、山陰本線、大糸線、湖西線、東海道本線、草津線などで運行していたことが判明しました。

    安全対策に重きを置いていると言い難く、改善が望まれる声が多くあがりました。

    まっさきに救助を始めたのは住民

    救助に関しては、阪神・淡路大震災の経験が生かされ、迅速な救助活動が行われました。そして、特筆すべき点は、事故発生直後、いち早く現場へ駆けつけて救助を始めたのは近隣住民だったという事です。

    死傷者が多く、救急車のみではとても対応しきれなかったため、歩行可能な負傷者や軽傷者は警察のパトカーや近隣住民の自家用車などで病院に搬送されました。また、多数の負傷者を一度に搬送するため、大型トラックの荷台に乗せて病院へ搬送する手段が取られた。(この時のみ特例で許可が出ていました)

    震災を経験している兵庫県、そしてそこの住民の方たちだからこそ、ここまで迅速に、柔軟に、そして行動的に動けたのでしょうね。

    二度と起きてはいけない凄惨な脱線事故

    JR福知山線脱線事故について、詳細から生存者の今までご紹介してきました。生存者や遺族の方にとっては、終わった事ではなく、今なお苦しみ、身体や心に負った傷を抱えていらっしゃいます。

    JR福知山線脱線事故の前に起きている信楽高原鐵道列車衝突事故の教訓を活かせていなかったのかと残念でありません。この事故によって、JR西日本の体制や教育に関して少しは変化していると願うばかりです。

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