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    世界最後の秘境【北センチネル島】とは?宣教師殺害事件の真相を紹介

    北センチネル島は世界最後の秘境として知られ、過去に政府が何度も接触を試みましたが、失敗に終わりました。そんな未開の地に住むセンチネル族はどんな生活様式なのでしょうか。今回は、北センチネル島やセンチネル族について、宣教師殺害事件の真相についてもご紹介!

    北センチネル島について

    北センチネル島は、センチネル族が暮らす島で外界との接触を拒んでいます。現代でも文明社会との接触がほとんどないため、世界最後の秘境と呼ばれることもあります。

    島に上陸するととんでもない事件が起こっているため、やらせではないかといわれる場合もあるようです。確かに話が多少大げさになっていることもありますが、本当に大変なことが起きています。

    北センチネル島に関する情報やセンチネル族、事件の詳細についてまとめてみました。

    未だ人類が踏み込めない秘境北センチネル島とは?

    最後の秘境とも言われる北センチネル島はどこにあるのでしょうか?北センチネル島は簡単に立ち入ることはできませんが、行くのが大変な場所にあるわけではありません。ある理由により周辺に立ち入ることは禁止されているのです。

    北センチネル島の情報や入島が規制されている利用についてご紹介します。

    北センチネル島はどこにある?

    北センチネル島は領土としては、インドに属しています。インド洋のベンガル湾の中にあるアンダマン・ニコバル諸島に含まれる島で、インドの中では東側に位置しています。また、インドネシアとミャンマーに挟まれる位置でもあります。

    アンダマン・ニコバル諸島の中でも孤立した位置にあり、近くにある南アンダマン島から30km西に存在します。大きな陸地からは離れた位置にあるため、北センチネル島に向かうのは困難であることがわかります。上陸できないため詳細は分かりませんが、珊瑚礁に囲まれ深い森林に覆われた自然が豊かな島です。

    ヘリで上空から撮影することができますが、森林地帯が多いため住人がどんな生活を送っているのか正確にはわかりません。ちなみに、アンダマン・ニコバル諸島の他の島の住民も石器時代に近い生活を送っていた部族で、自然豊かな環境で生活していました。

    北センチネル島の基本情報は?

    北センチネルの面積は73平方キロメートルほどであり、八丈島より少し大きいです。大きな島ではありませんが人間が住むには十分な住む広さの島といえます。北センチネル島は外部から侵入者を拒絶するため全ては推測に過ぎませんが、人口は数十人から400人ほどいると考えられています。

    北センチネル島が最も孤立した島といわれるのは、センチネル族の排他性になります。センチネル族がどういった民族なのか詳しいことはわかっていません。しかし、近くに住んでるアンダマン諸島の住人でも、センチネル族と会話ができないことがわかっています。

    北センチネル島で使われている言語についてはほとんどのことが分かっておらず、外部から来た人間が意思の疎通を図ることは不可能に近いです。そのため非常に長い期間にわたって、外部の人間と交流を持たなかったと考えられています。

    インド政府に入島規制されている

    北センチネル島は大陸から離れた位置にありますが、船舶があれば十分にたどり着ける距離にあります。しかし、アンダマン・ニコバル諸島はインド政府によって立ち入りが制限された場所になっています。

    北センチネル島だけではなく、アンダマン・ニコバル諸島自体が外国人が入ることは難しい場所になっているのです。しかし、このような場所ですから、北センチネル島に興味を持つ人は後を絶たないようです。

    外部と接触したことがない北センチネル島の住人はFacebookの存在など知りませんが、勝手に作られた北センチネル島のアカウントが存在します。北センチネル島を撮影したとされる写真がアカウントでは公開されています。

    政府によるプレゼント投下作戦は失敗

    北センチネル島の住人との接触をインド政府は積極的に行っていた時期があります。それは植民地支配を受けていた1880年から始まり、1970年から1990年代前半までは調査記録が残っています。1800年代には直接島に乗り込み、20世紀には、プレゼントを投下する作戦も行われました。

    しかし、これらの試みは最終的に失敗しています。一度は、センチネル族が調査隊を受け入れたこともありますが、さまざまな問題によりインド政府は交流に消極的になっているのです。

    入島規制している理由は?

    インド政府が北センチネル島を含めたアンダマン・ニコバル諸島への立ち入りを制限している理由は何でしょうか?アンダマン・ニコバル諸島は、イギリスの植民地だった時代や日本軍に占領されていたことがありました。

    これは、この地域が戦略上重要な地域だからです。そのため、インド政府はアンダマン・ニコバル諸島を守っているのです。また、この地域の原住民は長い間外界との接触がなく、インフルエンザなどに対する免疫を持っていません。

    過去には、北センチネル島の住人を含めて、何人もの原住民が外界からの病気で亡くなっています。北センチネル島の入島が規制されているのは、戦略上の理由と原住民を守るためなのです。

    センチネル族はアフリカからの移民?

    センチネル族は、他のアンダマン諸島の部族とも交流がなく詳しいことは分かっていません。センチネル族の使うセンチネル語は、アンダマン諸島の部族が使用するアンダマン諸語の1つと考える意見が主流です。しかし、それが本当なのかすら分かっていません。

    何千年もの間外部との交流を完全に断ってきたと考えられており、何万年も前から隔絶した生活を送っていると考える意見もあるのです。推測によるところが多いですが、センチネル族に関してわかっていることをまとめてみました。

    アフリカ大陸から渡ってきた人類の子孫

    センチネル族は外部とは接触を断っていますが、アンダマン諸島に住む他の部族と同じ先祖を持つと考えられています。アジアに初めて定住した民族の生き残りという意見もありますが、最も有力誌されているのはアフリカ大陸からアンダマン諸島にやってきたという仮説です。

    パプア、メラネシア、タスマニアといった地域の原住民の言語とセンチネル語は似ているといわれています。北センチネル島が被害にあったのかはわかりませんが、アンダマン諸島の住人が奴隷として連れ去られた過去もあったようです。

    センチネル族の食生活は?

    センチネル族の生活は、旧石器時代からほとんど変化していないと考えられています。旧石器時代は農耕が始める前の時代なので、北センチネル島でも農耕は行われておらず狩猟や採集を行うことで食料を手に入れていると考えられているのです。

    北センチネル島は森林に覆われており、実際に何が行われているか確認することはできません。しかし、アンダマン諸島では、近年まで農耕が行われていませんでした。

    アンダマン諸島は現在も農耕を行うのが難しい土地であり、北センチネル島も同様と考えられています。

    センチネル族の生活様式は?

    センチネル族の生活に関しては、住居についてある程度のことが判明しています。センチネル族は数家族で一緒に暮らすことが一般的で、大きめの集合住宅に住んでいるようです。それだけではなく、浜辺には囲いのない小さな建物も作られているのがわかっています。

    これは一時的に住むための建物と考えられており、核家族向けのものと考えられているのです。また、道具は石器中心ですが、一部金属器を使用していることがわかっています。

    北センチネル島の近くに沈没船などが流れ着いており、センチネル族は金属を採集しています。これにより、金属で作られた道具も北センチネル島では使用されています。

    センチネル族の衣服は?

    センチネル族の衣服はどうなっているのでしょうか?北センチネル島のアンダマン諸島は、観光地にもなっている温暖な気候な土地です。そのため、センチネル族は頭、首、腰に繊維で作られた紐を身に着けているだけで、一般的な衣服は存在しないようです。

    これは、男女ともに同じですが、男性が腰に巻いている紐は女性のものよりも太いことが判明しています。また、センチネル族の男性は常に槍や弓矢を持って、武装しているのです。

    センチネル族は大津波を予見できる?

    センチネル族は、大津波を予測できるのではないかともいわれています。2004年のスマトラ島沖地震は、インド洋で発生した地震です。諸外国はかなりの被害を受けており、北センチネル島も被害を受けたのではないかと心配されました。

    実際、アンダマン諸島は地形の変化や全島が水没した島もあり、かなりの被害を受けています。北センチネル島も、島が隆起して多少地形が変わったことがわかっています。津波から3日後にインド海軍は救援物資などを持って、北センチネル島にヘリを飛ばしました。

    しかし、いつもと同じように威嚇されたそうです。このため、センチネル族は被害を受けておらず、津波を予見したおかげで逃げられたのではないかといわれています。しかし、上空から被害を確認するのは不可能なので、被害を受けていないというのは単なる噂にすぎません。

    北センチネル島で発生した事件や外部との接触の事例とは?

    記録が残っている限りでは、北センチネル島が発見されたのは18世紀です。その後、19世紀に初めてイギリス人が島に上陸しました。何度も外部の人間が調査や接触を試みましたが、基本的には失敗に終わっています。

    極めて危険とされているセンチネル族ですが、初めての接触では攻撃的ではなかったようです。今まで北センチネル島で発生した事件や外部の人間との接触についてまとめてみました。

    イギリスによる島の探査

    1880年にアンダマン諸島の統治国だったイギリスの手で、北センチネル島の調査が行われました。上陸したのは重武装した大部隊だったといわれています。この時、センチネル族は特に攻撃的ではなく、外部の人間を見ると逃げ出していたそうです。

    北センチネル島の住人が森林に逃げ込んでしまうため、接触するのに数日がかかったとされています。部隊は、老夫婦と4人の子供を発見しボートに連行したそうです。その後の対応を見るに部隊に敵意はありませんが、島の人間からすると拉致同然の出来事だったと考えられます。

    その後、老夫婦が突然死亡したため、部隊は子供たちに贈り物を渡して解放しました。外部の病原菌に免疫のないセンチネル族が、発病したと考えられています。子供たちは帰っていきましたが、この出来事がセンチネル族を攻撃的にしたという意見もあります。

    1896年:囚人が島に逃げ込む

    19世紀後半のアンダマン諸島には、イギリスの刑務所がありました。政治犯などが送られていたそうです。監獄は、イギリスのシベリアと呼ばれ恐れられていました。ある時、囚人が脱走し、北センチネル島に逃げ込みました。

    当然、追手が後を追いますが、北センチネル島の浜辺では囚人が死んでいました。遺体は喉を切り裂かれ、矢で射られていたといいます。この時、センチネル族は目撃されていませんが、北センチネル島の住人が初めて攻撃的な姿を見せた事件と考えられています。

    1967年から1990年代前半:インド当局による接触

    初めての接触から80年以上の間、北センチネル島に接触しようという公的な動きはありませんでした。しかし、1967年から30年近くの間、インド当局による平和的な接触が計画されます。しかし住人は極めて攻撃的で、調査チームは何度も矢を向けられて追い返されました。

    インド当局によるセンチネル族との接触は、いつも失敗したといわれる場合もあります。しかし、1991年の調査チームは攻撃されることなく住人に受け入れられ、ある程度友好的な関係を築いたことがわかっています。

    しかし、同時期に行われていたアンダマン諸島のジャラワ族との接触で、ジャラワ族が病死するなどのトラブルが発生しました。インド当局は、センチネル族との接触にも消極的になります。そして、1996年に接触は禁止されることになったのです。

    1981年:香港の貨物船乗客員に接触

    北センチネル島に船が向かうことはほとんどありませんが、島の近くを通る船は少なくありません。1981年には香港の貨物船プリムローズが、北センチネル島の近くで座礁するというトラブルが起こっています。北センチネル島はサンゴ礁に囲まれているため、進路を誤ると座礁しやすいのです。

    この時はヘリによって船員は救助されており、被害者は出ませんでした。しかし、船員は武装したセンチネル族が近づいてくるのを目撃しており、間一髪だったようです。

    武装集団との戦闘

    正確な時期は不明ですが、北センチネル島で武装集団とセンチネル族の戦闘があったといわれています。北センチネル島には難破船が流れ着いたこともありますが、これを回収しようとした武装集団が北センチネル島に現れたというのです。

    この時、センチネル族に死者が出たといわれています。この出来事で、元々攻撃的だったセンチネル族が更に敵意を見せるようになったといわれているのです。

    2006年:密漁者が島に漂着

    北センチネル島の近辺は、ロブスターやウミガメの密漁が行われる地域でもあります。危険な島であることが知られていますが、島にかなり近づかなければ危険はないので密漁は後を絶ちません。しかし、2006年には密漁者が漂流し、北センチネル島に流れ着きました。

    結局、この時は2人の密漁者が殺害されたといわれています。ヘリコプターが北センチネル島に飛びましたが、矢を向けられたために遺体を回収することはできませんでした。

    撮影スタッフの腿に矢が刺さる

    インド当局による北センチネル島との交流プログラムが始まって間もない1971年には、ドキュメンタリー映画のために撮影チームが北センチネル島を訪れたこともありました。この時は警官を伴っての来訪でした。

    当然の如くセンチネル族による攻撃を受けて、撮影チームは逃げ帰ることになりました。監督の腿には、2メートルを超えた巨大な矢が刺さったといいます。センチネル族はかなり大型の矢を使っていることがわかります。

    幸運にも怪我人だけで、誰も殺されることはなかったようです。

    警備隊のヘリコプターに向かって弓矢を構える

    2004年のスマトラ島沖地震では北センチネル島は地形が変化しており、どのくらいの被害があったのか心配されました。まもなく北センチネル島に生きた人間の姿が確認されたため、救援のためにヘリコプターが島に飛んでいます。

    しかし、センチネル族は投石や矢でヘリを攻撃したため、結局着陸を断念して引き返しています。地震の直後にも拘わらず攻撃的な態度に出たため、北センチネル島に被害はなかったという意見もあります。しかし被害にあった場合は、より攻撃になる可能性も考えられます。

    実際は、北センチネル島の被害は全く不明ですが、この事件でセンチネル族が生き残っていることは確認されました。以後も、センチネル族の生存が確認できる事故が起こっています。

    2018年キリスト教布教を試みた宣教師が殺害された?

    数々の事件で恐れられている北センチネル島ですが、2018年にアメリカ人の宣教師が殺害されるという事件が発生しています。10年以上、北センチネル島関連で問題は発生していませんでしたが、この事件で再び未接触部族の問題が議論を呼んでいます。

    アメリカ人宣教師は、なぜ殺害されたのでしょうか?事件の経緯をまとめてみました。

    アメリカ人宣教師が殺害される

    現在、北センチネル島に上陸することは禁止されており、近づくだけでも罪に問われます。しかし、宣教師のチャウさんは、キリスト教を布教するために北センチネル島に上陸したことがわかっています。

    チャウさんが殺害されたのは11月17日の可能性が高く、地元の漁師がチャウさんを引きずるセンチネル族を目撃しているそうです。しかし、遺体を確認することはできていないため、正式には行方不明扱いでしょう。

    ただ、チャウさんは北センチネル島に上陸後戻ってこなかったため、殺害された可能性が極めて高いです。

    2度上陸失敗の末殺害される

    チャウさんは北センチネル島に上陸するため、地元の漁師を雇い島に向かったことがわかっています。チャウさんを乗せたボートは、島から500メートル以上離れた場所で停泊していました。最初の上陸は11月15日でしたが、チャウさんは矢傷を負って逃げ帰ってきました。

    16日に再び上陸を試みますが乗っていたカヌーを沈められ、チャウさんは泳いで戻ってきたそうです。17日に3度目の上陸を狙いますが、今度は戻ってきませんでした。北センチネル島に近づいた漁師は、チャウさんの遺体を見たと主張しています。

    センチネル島の上陸に関わることは違法のため、チャウさんに協力した地元の人間は全員逮捕されました。チャウさんの遺体を回収するための計画が立てられたそうですが、結果がどうなったのかはわかっていません。

    未接触部族は世界に100以上?日本にも存在する?

    北センチネル島のような未接触部族は、どのくらいいるのでしょうか?実は未接触部族はかなり数がいることがわかっており、100以上の部族がいると推測されています。未接触部族はさまざまな地域で確認されており、外部の人間から攻撃されることも少なくないそうです。

    未接触部族は、どんな地域で暮らしているのでしょうか?また、日本に未接触部族はいるのでしょうか?未接触部族についてまとめてみました。

    アマゾン地域が最も多い

    未接触部族が確実に存在するのは、南アメリカ大陸、ニューギニア島の中のインドネシアが統治する地域、アンダマン諸島の3つの地域です。アマゾン地域が最も未接触部族が多いことがわかっており、中でもブラジルには77部族がいること分かっています。

    更に、インドネシアに数十、ペルーに15、インドにはセンチネル族以外にも未接触部族がいると考えられています。南アメリカには、ブラジルとペルー以外にも未接触部族がいると考えられており、世界に100を超える接触部族がいる可能性は高いです。

    日本に未接触部族は存在する?

    日本には未接触部族はいるのでしょうか?日本にも、外からの侵入者を殺害しようとする村があるなどの都市伝説があります。しかし、それらは全て最近作られたデマです。

    日本には、地理的に隔絶された地域も存在していません。閉鎖的な地域はあるといわれていますが、日本には未接触部族は存在しないことは明らかです。

    「犬」が禁止される地域がある

    日本には未接触部族はいませんが、犬の上陸を禁止する変わった島があることがわかっています。それは、宮城県石巻市にある田代島です。実はこの田代島は島民よりも猫の数が多い島で、猫を神様として祀ってもいます。

    犬の上陸を原則禁止ている理由ははっきりとはわかっていませんが、猫の天敵と考えられているからのようです。犬が禁止されている島として有名なわけではなく、猫を愛す島として観光客にも愛されています。

    センチネル族と接触した人物がいる?

    センチネル族は、外部の人間を受け入れたことがないといわれることがあります。しかし、1990年代前半にインド当局が派遣した調査隊が、センチネル族と平和的に接触しているのは事実です。

    当時、唯一の女性研究者として参加していたチャトパディヤエさんは、2018年に当時のことを振り返っています。また、第二次世界大戦中、アンダマン諸島は日本軍に占領されていたことがあります。

    日本軍とセンチネル族が接触したことはあったのでしょうか?センチネル族と接触した人物についてご紹介します。

    センチネル族と接触した研究者は交流を望んでいない

    センチネル族は贈り物を渡そうとしても、攻撃したことで知られています。しかし、1991年の調査隊はココナッツを海に浮かべて、呼びかけることでココナッツを回収させることに成功しました。

    センチネル族の警戒心は強かったですが、2回目の訪問では武器を構えることなく受け入れたそうです。3回目の訪問は悪天候のため、センチネル族は姿を見せず接触に失敗しています。その後、政府の方針転換で北センチネル島を訪問することはありませんでした。

    チャトパディヤエさんは、外部の人間が島に訪れるようになってからトラブルが起きるようになったといっています。そのため、放っておくことがセンチネル族のためと考えています。外部の人間と接触することで、センチネル族が病気になる危険を考えると距離を取ることが賢明でしょう。

    日本軍は北センチネル島に上陸しなかった

    日本軍は1942年にアンダマン・ニコバル諸島を制圧していました。日本軍にとって、戦略上重要なアンダマン・ニコバル諸島を占領することには深い意味があったのです。しかし、北センチネル島は戦略上何の意味もない島で、イギリスともインドとも交流はありません。

    日本軍が北センチネル島をどう考えていたのかはわかりませんが、上陸することはなく接触した日本人もいなかったようです。

    入ったら死ぬ島が存在する?

    北センチネル島はうかつに近づくと、センチネル族から攻撃を受けることがわかっています。しかし、上陸すると命の危険にさらされる島は他にも存在します。世界に存在する死の島についてご紹介します。

    毒蛇だらけのケイマーダ・グランデ島

    ブラジルに存在するケイマーダ・グランデ島は、スネークアイランドとも呼ばれています。文字通り蛇の島で、1平方メートルに5匹の毒蛇がいるといわれるほど蛇に溢れた島なのです。現在、海軍の許可がないと島には上陸できません。

    訪れた人間はことごとく命を落としたといわれており、正確な犠牲者の数は明らかになっていません。

    細菌兵器に侵されたヴォズロジデニヤ島

    ヴォズロジデニヤ島は、かつてソ連の研究所があった場所です。ボツリヌス菌、ペスト菌、炭疽菌などの実験が行われていましたが、1970年代の猿を使った実験で島中が汚染されてしまいました。

    地中のいたるところに炭疽菌が埋められたともいわれており、今では近づくものは誰もいません。

    北センチネル島には誰も近づくべきではない

    恐ろしい島として有名になった北センチネル島ですが、住人が攻撃的になる原因と考えられる事件も起こっています。簡単に病気になってしまうため、センチネル族は世界で最も脆弱な部族と呼ばれることもあるのです。

    近づかないのが、お互いのためでしょう。最近はアンダマン諸島が観光地になっており、日本人も旅行で訪れているといいます。興味半分で近づくのは絶対にやめましょう。

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