記事ID143802のサムネイル画像

グレースケリーの生涯とは?結婚式のドレスは?孫がそっくり?

人気絶頂の中、モナコ公国プリンセスになったグレースケリー。一見おとぎ話のお姫様のような彼女の生涯ですが実際はどうだったのでしょうか。また、最近が美しいと話題を集めいる彼女の孫について、さらには彼女が残した名言の数々。ケリーバッグやドレスについてもまとめました。

グレースケリーの生涯は?孫はそっくりで美人?

グレースケリーさんはアメリカ合衆国で人気の女優でした。しかしグレースケリーさんは人気絶頂の中、モナコ大公と結婚し、モナコ公国の公妃となったため引退しました。
そんなグレースケリーさんの生涯はどのようなものだったのでしょうか?
またグレースケリーさんの孫が美しいと話題を集めているそうです。
グレースケリーさんの生涯や孫のことについて調査しました。

グレースケリーの生涯とは

グレースケリーさんは1982年に52歳という若さでこの世を去ってしまいました。
そんなグレースケリーさんの生涯とはどのようなものだったのでしょうか?

グレースケリーさんの生涯について迫っていきます。

グレースケリーのプロフィール

  • 本名:グレース・パトリシア・ケリー
  • 生年月日:1929年11月12日
  • 出身地:アメリカ合衆国
  • 活動内容:女優
  • 家族構成:夫・長女・長男・次女

愛に飢えた。グレースケリーの子供時代

グレースケリーさんは1929年にカトリックの裕福な家庭に産まれました。父親はボートスカルの選手で1920年のアントワープオリンピックで金メダルを2個獲得したことで一躍国民的英雄になった人物で、母親もスポーツ万能でペンシルバニア大学初の女性体育教師になったという両親の元に産まれました。

グレースケリーさんは裕福な家庭で育ちましたが、愛には飢えていました。
運動神経の良かった兄弟は父親に愛されました。しかしグレースケリーさんは病弱だったため父親からは愛されることはありませんでした。
更に父親は「グレースケリーはわたしの娘なんかじゃない。私の家族はみんなスポーツが好きで得意なのに。」と知人に漏らしたことがあるそうです。

花開く才能。グレースケリーは映画スターに

グレースケリーさんは高校卒業後に、ニューヨークにあるアカデミー・オブ・ドラマティックアーツという俳優育成学校に入学しました。彼女にはジョージ・ケリーさんという劇作家の叔父がいるのですが、彼を頼ってアカデミー・オブ・ドラマティックアーツに入学することができました。

その後、グレースケリーさんはアルフレッド・ヒッチコックさんの寵愛を受けて『ダイヤルMを廻せ!』・『裏窓』・『泥棒成金』などの作品でヒロインを務めました。
そして1955年には『喝采』という作品でアカデミー主演女優賞を受賞しました。

一方でグレースケリーさんは恋多き女性であり、ゲイリー・クーパーさん、クラーク・ゲーブルさん、レイ・ミランドさん、ビング・クロスビーさんと言った方々と浮名を流しました。彼女と浮名を流した多くの人が年上で尚且つ既婚者でした。
これは父親に愛されなかったというトラウマから来ているのではないでしょうか。
またアカデミー主演女優賞を受賞した際には当時、彼氏がいなかったため「「オスカーを受賞した日。それは私の人生の中で、一番寂しい時間でした」と発言したこともありました。

モナコ王妃に。グレースケリーの豪華な結婚式

グレースケリーさんはカンヌ国際映画祭でモナコ公国のレニエ公と出会いました。
そしてレニエ公に見初められてプロポーズを受けました。その後、1954年1月5日に婚約を発表し、豪勢な結婚式が執り行われました。

結婚式は2回行っており、1回目はモナコ大公宮殿にて法的な結婚式が行われ、2回目はモナコ大聖堂にてカトリック式の大聖堂挙式が行われました。どちらの結婚式もヨーロッパ国内で中継されて話題になったそうです。結婚式ではグレースケリーさんはハリウッドで制作された特別な一着のウエディングドレスを着ていたそうです。

2回目の結婚式後、グレースケリーさんとレニエ公は7週間に渡る地中海クルーズの新婚旅行へ行きました。新婚旅行後に彼女は妊娠していることに気づきました。そして最終的には3人の後継者を妊娠・出産することになりました。

悲しい最期。グレースケリーを襲った事故と死因

公妃として病院を設立したり、自身の名前を冠したバレー学校を支援するなど精力的に活動していたグレースケリーさんですが、その最期は悲しいものです。彼女は1982年9月13日に事故で死去してしまいました。

ローバー3500を運転していたグレースケリーさんは運転中に脳梗塞を発症し、坂道の急カーブでガードレールに激突しました。そのまま崖下40メートルに転落し車は大破したそうです。
すぐに病院に運ばれましたが、意識は回復しないまま事故の翌日に死去してしまったそうです。52歳という若さでの事故でした。

この事故ではグレースケリーさんの次女も同乗していましたが、次女は軽傷でした。
そしてこの事故は家族にとっては辛いもので、レニエ公は彼女が亡くなった後、人が変わってしまったようになったそうです。また同乗していた次女は母親を助けることができなかったことに後悔し、克服するのに時間がかかったそうです。
彼女の死は家族全員のトラウマになったのです。

グレースケリーの孫がそっくり?

グレースケリーさんは子供が3人いますが、その次女のステファニー・ド・モナコさんの娘、つまりグレースケリーさんにとっての孫がグレースケリーさんにそっくりと話題になっています。

そこでグレースケリーさんの孫について見ていきます。

グレースケリーの孫はカミーユ・ゴッドリーブ。

グレースケリーさんの孫はカミーユ・ゴッドリーブさんです。カミーユ・ゴッドリーブさんは祖母であるグレースケリーさんの気品溢れる美しさを受け継いでいます。とりわけ鮮やかなブルーの瞳とブロンドヘアはグレースケリーさんを彷彿させるそうです。

カミーユ・ゴッドリーブさんはステファニー・ド・モナコの娘であるため王室の血を引いてはいますが、皇位継承権はありません。両親が結婚しておらず彼女の出生証明書にも父親の名前が書かれていなかったため皇位継承権は無いそうです。

グレースケリーの孫の写真

グレースケリーさんの遺伝子を受け継いでそっくりに成長したカミーユ・ゴッドリーブさんの写真はないのでしょうか?

ここでカミーユ・ゴッドリーブさんの写真を少しですが、紹介したいと思います。

グレースケリーの孫の写真①

グレースケリーの孫の写真②

カミーユ・ゴッドリーブはインスタグラムで活動中

カミーユ・ゴッドリーブさんはインスタグラムをやっています。
そのインスタグラムは既に4万3,000のフォロワーがいます。
インスタグラムの投稿はセルフィー、友人とのスナップショット、バカンスの写真を中心に
行っているそうです。

インスタグラムを見ると華やかな毎日を送っているけれど、カミーユ・ゴッドリーブさんには大の動物好きという一面も持っているそうです。アジアで赤ちゃんのトラを育てる手伝いをしたり、ピナワラ象養護施設を訪問したりと心優しい一面もあるそうです。

カミーユ・ゴッドリーブの父親はジャン・レイモンド・ゴットリーブ

カミーユ・ゴッドリーブさんの父親はジャン・レイモンド・ゴットリーブさんです。
ジャン・レイモンド・ゴットリーブさんは宮殿で護衛をしていました。
ステファニー・ド・モナコさんは元夫と離婚後、ジャン・レイモンド・ゴットリーブさんとの間にカミーユ・ゴッドリーブさんを設けましたが結婚はしませんでした。

カミーユ・ゴッドリーブさんの父親がジャン・レイモンド・ゴットリーブさんであることは公然の秘密ですが、彼女はSNSで父親がジャン・レイモンド・ゴットリーブさんであるということについて言及しています。そして二人は現在は良好な関係を築いているそうです。

グレースケリーのファッションは?

グレースケリーさんはどんなファッションをしていたのでしょうか?
実はグレースケリーさんの名前も冠したバッグがあるなど注目されたファッションもあります。

そこでグレースケリーさんのファッションを見ていきます。

グレースケリーといえばケリーバッグ

グレースケリーさんと言えばケリーバッグです。
ケリーバッグは元々はエルメスがサドルバッグを改良して「サック・ア・クロア」をいう名称で販売していました。元々はエルメスのオリジナル商品でしたが、現在では様々なブランドからケリーバッグと同じ形のデザインのバッグが売られています。

グレースケリーさんが長女の妊娠が分かった時にパパラッチに妊娠のことを悟られないように妊娠中のお腹をとっさに隠したことから「サック・ア・クロア」の認知度が高まりました。そしてエルメスはそれに便乗してモナコ公国の許可を得て「サック・ア・クロア」から「ケリーバッグ」に改名したそうです。

グレースケリーのウェディングドレス

グレースケリーさんのウエディングドレスは特注品でハリウッドの一流の職人総勢35名が6週間もの時間をかけて作ったものでした。彼女のウエディングドレスは10のパーツに分かれており、スカートにアイボリーのシルクファイユを使用したり、100ヤードのシルクレースが使われたそうです。

またグレースケリーさんはキャップはティアラの代わりにジュリエットキャップを選びました。またベールは円形なのですが、これは600人のゲストと世界中の視聴者に対してできるだけ顔が見えるようにと考えて作られたものらしいです。
このようにウエディングドレスにはいろいろな工夫が凝らされています。

グレースケリーのファッションに触れられる映画

グレースケリーさんのファッションに触れることのできる映画があります。その映画は『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』です。絢爛豪華なドレスやアクセサリーなどを見ることができます。この映画では衣装にこだわったそうです。

ウエディングドレスはもちろんのこと、パーティードレスやカジュアルな衣装など60年代のスタイルをたっぷり堪能できるそうです。グレースケリーさんのファッションに興味がある人や結婚式前の人などはファッションも注目すべきポイントではないでしょうか。

グレースケリーの出演映画とは?

グレースケリーさんは女優を引退するまでに11の映画に出演しています。

そこでグレースケリーさんの出演映画11作品について見ていきます。

グレースケリーの出演映画全11作

1951 Fourteen Hour

映画『Fourteen Hour』は1951年に公開された映画です。この映画はグレースケリーさんの初めての出演作品です。この映画は高層ビルから飛び降りようとする男が救出される14時間の間に事件現場に居合わせた人の人間模様を描いた作品です。

この映画ではグレースケリーさんはルイーズ・アン・フラーを演じました。離婚を決意したが命の大切さを身近に感じたため思いとどまるという役どころです。小さいな役どころで出演料もミンクのコートを買って終わったそうです。それでもグレースケリーさんの美貌に目が留まり、ファンクラブが立ち上がったそうです。

1952 真昼の決闘 High Noon

映画『真昼の決闘』は1952年に公開された映画です。
この映画は西部劇で保安官一人が殺し屋4人に立ち向かわなければならないという作品です。主演はゲイリー・クーパーさんでウィル・ケイン保安官を演じています。

グレースケリーさんはこの映画でウィル・ケイン保安官の妻を演じています。
この映画でグレースケリーさんが起用されたのは制作サイドが出演料を抑えたいという思惑があり、当時新人だったグレースケリーさんを抜擢したそうです。

1953 モガンボ Mogambo

映画『モガンボ』は1953年に公開された映画です。
この映画はアフリカで動物を捕獲して、その動物を動物園やサーカスへ売り飛ばすことを商いにしている男とその男を取り巻く2人の美女の話です。
グレースケリーさんは生物学者の妻であるリンダを演じました。

この映画でグレースケリーさんはゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞しました。更にはアカデミー助演女優賞にノミネートされました。ちなみに当初はリンダはジーン・ティアニーさんが演じる予定でしたが、精神を病んで鋼板したためにグレースケリーさんが代わりに務めることになりました。

1954 ダイヤルMを廻せ! Dial M for Murder

映画『ダイヤルMを廻せ!』は1954年に公開された映画でグレースケリーさんが出演するヒッチコック監督作品の一番最初の作品です。
この映画は金持ちの妻は不倫しており、離婚すれば無一文になってしまうレイ・ミランドさん演じるトニーは妻の殺害を計画し殺し屋を差し向けるが、妻は身を守るために逆に殺し屋を殺してしまい、死刑判決を受けるという作品です。

グレースケリーさんは金持ちの妻で死刑を判決を受けてしまう、マーゴを演じています。彼女が出演したヒッチコック監督の作品の中で一番トーンが低い作品になっています。ヒッチコック監督はやや難ありと言われたグレースケリーさんの発声を低く落ち着いたトーンに変えさせて、つきっきりで演技などの指導もしたそうです。

裏窓 Rear Window

映画『裏窓』は日本では1955年に公開された映画です。
この映画はジェームズ・ステュアートさん主演の映画でジェームズ・ステュアートさん演じる骨折で車いす生活を余儀なくされているカメラマンのジェフがカメラの望遠レンズで人間観察を楽しんでいたところ、いつも口喧嘩が絶えなかった夫婦の妻が突如として姿を消したため恋人のリザを一緒に調査を開始するという物語です。

この映画でグレースケリーさんはジェフの恋人で一緒に調査をするリザを演じています。この映画でグレースケリーさんの初登場のシーンで着用していたトップスが黒、ボトムスが白のチュールのカクテルドレスは映画史に残るものだそうです。

喝采 The Country Girl

映画『喝采』は日本では1955年に公開された映画です。
この映画はビング・クロスビーさん主演の映画です。
グレースケリーさんはビング・クロスビーさん演じるフランク・エルジンの妻であるジョージー・エルジンを演じています。

この映画でグレースケリーさんがアカデミー主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞のを受賞しました。深みと落ち着きを兼ね備えた演技が高い評価を得たそうです。
またこの映画の監督であるジョージ・シートンさんがアカデミー脚色賞を受賞している素晴らしい作品の一つです。

緑の火・エメラルド Green Fire

映画『緑の火・エメラルド』は1954年に公開された映画です。コロンビアのエメラルド鉱山でエメラルドを追い求めている男のアクション映画です。そしてコーヒー園の娘との恋が絡んできます。スチュワート・グレンジャーさんが主演で鉱山技師ライアンを演じています。

グレースケリーさんはこの映画でコーヒー園の娘であるキャサリン・ノーランドを演じています。この映画ではMGMの命令で出演しています。彼女は他社の映画である『喝采』に出演したかったので『喝采』出演を条件にこの映画に出たそうです。

トコリの橋 The Bridges at Toko-Ri

映画『トコリの橋』日本では1955年に公開された映画です。
この映画は朝鮮戦争をテーマにしており、北朝鮮の爆撃に向かう米海軍の航空部隊を描いている映画です。ウィリアム・ホールデンが主演のハリー・ブルーベイカー大尉を演じています。

この映画でグレースケリーさんはハリー・ブルーベイカー大尉の妻で戦争で夫を失うナンシー・ブルーベイカーを演じました。戦争映画でさほど重要な役ではなかったです。
またこの映画の出演はグレースケリーさんのブレイク前の事でMGMからパラマウントに貸し出されて出演をしたそうです。

1955 泥棒成金 To Catch a Thief

映画『成金泥棒』は1955年に公開された映画です。
この映画はケーリー・グラントさん主演の映画で、かつて「ネコ」と呼ばれ現在は隠居生活を送っている元宝石泥棒のジョン・ロビーが自身の手口を真似た偽「ネコ」の出現によって、自分の身の潔白を証明するために偽「ネコ」を追うというストーリーです。

この映画でグレースケリーさんはフランセス・スティーヴンスを演じています。フランセス・スティーヴンスはヒロインで、アメリカの成金の娘で、ジョン・ロビーと恋仲になるという役です。最終的にはフランセス・スティーヴンスとジョン・ロビーは結婚することになります。

1956 白鳥 The Swan

映画『白鳥』は1956年に公開された映画です。
この映画はグレースケリーさんがレニエ公と水面下で結婚に向かっていた頃に撮影されたもので、美貌の王女が身分違いの恋に落ちるという作品です。
グレースケリーさんはこの映画でアレクサンドラ姫を演じています。

この映画が公開された頃にはレニエ公とグレースケリーさんの結婚式の記録映画と重ねってしまったため、映画の出来次第は素晴らしかったですが、本物の結婚式を見ればいいと観客がなったためヒットにはつながらなかったそうです。

上流社会 High Society

映画『女流社会』は1956年の公開映画で、グレースケリーさんの最後の出演映画です。
この映画が1940年の映画『フィラデルフィア物語』をミュージカル化した映画です。
ミュージカルということで数々のナンバーが楽しいのと、最後の出演となったグレースケリーさんの美しさこそが魅力的な作品です。

この映画ではグレースケリーさんは富豪の美しい令嬢トレイシー・サマンサ・ロードを演じています。この映画では「トゥルー・ラヴ」や「ハイ・ソサエティ・カリプソ」・「百万長者になりたいかい?」など佳曲ぞろいのミュージカルになっており、歌はグレースケリーさんがレッスンを重ねて自身で歌っているそうです。

グレースケリーの受賞作品

グレースケリーさんが出演した作品の中で受賞した作品は2作品で受賞した賞は3つあります。
1953年の『モガンボ』ではゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞しました。また惜しくも受賞はできなかったもののアカデミー助演女優賞にノミネートされました。

『モガンボ』の翌年には『喝采』でアカデミー主演女優賞を受賞し、更にはゴールデングローブ賞 映画部門 主演女優賞のドラマ部門を受賞しました。
『モガンボ』と『喝采』は共に賞を受賞している、いわゆるグレースケリーさんの代表作であると言えるのではないでしょうか。

グレースケリーはヒッチコックのお気に入りだった?

グレースケリーさんはヒッチコック監督のお気に入りでした。
ヒッチコック監督はたくさんの俳優たちをトップスターに育て上げましたが、その中でもグレースケリーさんは知的で凛とした美しさがあり他の女優を圧倒していました。

ヒッチコック監督は『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』などの作品でグレースケリーさんをヒロイン役として抜擢しています。そしてヒッチコック監督はグレースケリーさんを評するときに「雪に覆われた活火山」と述べたことは有名なことだそうです。

グレースケリーの名言とは?

グレースケリーさんは様々な名言を残しています。先で触れたとおり「オスカーを受賞した日、それは私の人生の中で一番さびしい時間でした。」などの名言を残しています。

そこでグレースケリーさんの数多くある名言をいくつか紹介していきます。

グレースケリーの名言①自分の直感や第一印象を信じなさい

グレースケリーさんの名言「自分の直感や第一印象を信じなさい」は自分の息子であるアルベール2世に与えたアドバイスです。
グレースケリーさんは数々の映画の出演依頼を受けた時、自分の納得できる役柄のみを演じてきたそうです。そしてこのような経験を子供たちに受け継いで欲しかったのではないかということです。

確かに人生で迷ったときには最終的には第一印象や自身の直感に頼るべきではないでしょうか。また第一印象や自身の直感を頼りにすることで感覚が研ぎ澄まされていくのではないでしょうか。

グレースケリーの名言②私を愛しているなら、追いかけてきて

グレースケリーさんは数多くの共演者たちと浮名を流してきましたが、その中で真剣に結婚を考えるような人が何人かいました。そのような結婚を考えた一人が1953年に知り合ったファッションデザイナーのオレグ・カッシーニさんです。

オレグ・カッシーニさんに宛てた手紙の中に「私を愛しているなら、追いかけてきて」という一文がありました。彼女がこの手紙を出した時、撮影で南仏にいました。
結婚を真剣に考えていたグレースケリーさんはオレグ・カッシーニさんが遠くにいる自分を追ってくるだけの愛があるか確かめたかったのではないでしょうか。

グレースケリーの名言③わたしの人生は「おとぎ話のようだ」と言われるけど、それ自体が「おとぎ話」だわ

『わたしの人生は「おとぎ話のようだ」と言われるけど、それ自体が「おとぎ話」だわ』はグレースケリーさんが自身の人生を振り返った言葉です。公妃となった彼女は初めの内はモナコでの生活で苦労し、寂しい生活を送っていたようです。

グレースケリーさんの人生は「おとぎ話のようだ」と言われるけれど、実際はその「おとぎ話」自体が「おとぎ話」で多くの人が想像しているものはあくまで想像に過ぎず、実際は違っているということではないでしょうか。

グレースケリーの名言④果実を見れば木がわかります

「果実をみれば木がわかります」はグレースケリーさんがインタビューで自分たちは理想の親だと思うかという質問に対しての返答です。
果実は子供、木は親を示しているのでしょう。

子供は親の背中を見て育つとも言いますし、子供は親の影響を受けて成長していくものであると思われるので、子供を見れば親についても分かるということではないでしょうか。

グレースケリーの名言⑤花を愛することでいろんな可能性が開けました。多くの友人ができたのも花に対する情熱によるもの

グレースケリーさんは幼いころから花を愛していました。レニエ公との結婚生活がうまくいなくなった時に彼女の心を慰めてくれたものも花でした。
彼女が死去した際に捧げられたバラが「プリンセス ドゥ モナコ」です。このバラは今でも世界中のバラ愛好家から愛さる存在です。

グレースケリーさんにとって花はかけがえのないものだったのではないでしょうか。彼女は日本にも来日していますが、その縁は花でした。また「花を愛することでいろんな可能性が開けました。多くの友人ができたのも花に対する情熱によるもの」以外にも「花は私に多くの扉を開いてくれました。言葉よりも感情で訴えかけてくれたのです」など花に関する名言を残しています。

グレースケリーの名言⑥たとえ南極にいても、あなたが困っていれば助けに行くわ。そのことを覚えておいて

グレースケリーさんは生前モナコ公妃としてアーティストたちの支援活動に熱心でした。「たとえ南極にいても、あなたが困っていれば助けに行くわ。そのことを覚えておいて」は彼女が支援していたジョセフィン・ベイカーさんに対して贈られた言葉です。

ジョセフィン・ベイカーさんが破産した際にはフランスのロックブリュンヌ・キャップマルタンに住めるように手配するなど、ジョセフィン・ベイカーさんが死去するまでグレースケリーさんは救いの手を差し伸べました。
困っている時に救いの手を差し伸べてくれる人がいるという事だけでも心強いものではないでしょうか。

グレースケリーの自伝映画

前に触れたグレースケリーさんのファッションに触れることのできる映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』はグレースケリーさんの自伝映画になっています。

この映画ではグレースケリーさんの公妃としての活躍を描いたものになっています。
そこで映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』について見ていきます。

『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』は公国の存亡の危機に決死の覚悟で手を添えた話

『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』はモナコ公国がフランス領になるかもしれないという存亡の危機に対してグレースケリーさんが決死の覚悟で手を添えた話です。
この映画でグレースケリーさん役をニコール・キッドマンさんが演じています。

この映画ではフランスのシャルル・ド・ゴール大統領がモナコ公国に対して過酷な課税を強要して承諾しなければモナコ公国をフランス領にするという声明を発表し、それに対してグレースケリーさんは自分にしかできない秘策を考え付くというものです。
但しこの映画はグレースケリーさんの実子たちが必要以上に美化されていて史実に対して不正確と批判している為、あくまで映画であることに注意が必要です。

カルティエが協力

『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』では華麗な衣装も見どころの一つですが、その中で登場するジュエリーはカルティエが協力しています。
カルティエはグレースケリーさんが所持していた5つのジュエリーをモナコ公国同意の元でアトリエで完璧に複製したそうです。

グレースケリーさんは結婚の際には婚約指輪としてカルティエのエメラルドカットのダイヤモンドリングが贈られ、ダイヤモンドとルビーのティアラや3連のダイヤモンドネックレスなど数多くのカルティエジュエリーが贈られたそうです。
この本物のオリジナルはモナコ公国で大切に保管されているそうです。

グレースケリーは事故で若くして亡くなってしまったが、孫がグレースケリーそっくりになっていた!

グレースケリーさんはアメリカで人気の女優でしたが、結婚してモナコ公国の公妃になるために引退していました。そして1982年に脳梗塞から事故を起こし亡くなってしまいました。しかしグレースケリーさんが亡くなっても彼女の孫がそっくりに美しく成長していました。
孫のカミーユ・ゴッドリーブさんはインスタグラムをやっています。
カミーユ・ゴッドリーブのインスタグラムをチェックしてみてはどうでしょうか。

関連記事もチェック

TOPへ