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    【驚愕】寝屋川事件の真相とは?犯人・山田浩二の判決やその後

    2015年に大阪の寝屋川市で中学生の男女2人が行方不明になった後、無残な姿で発見されるという痛ましい”寝屋川事件”が起きました。その犯人は過去に強制わいせつの前科があった山田浩二という男でした。現在は死刑が確定している山田浩二の生い立ちやその後をご紹介します。

    寝屋川事件とは?

    2015年8月13日に2人の中学生が行方不明となり、その後遺体で発見された事件、通称寝屋川事件を覚えていますか?まだ幼い、男子中学生と女子中学生が行方不明になったというだけでも驚愕の事件となりましたが、事件の結末は悲しいものになってしまいました。

    今回はそんな寝屋川事件の真相、そして犯人である山田浩二について注目をしていきますが、まずは寝屋川事件の概要について詳しくおさらいをしていきましょう。

    2015年8月13日に中学生2人が行方不明になる

    事が起きたのは2015年8月13日未明のことです。女子中学生のAと男子中学生のBは友人同士であり、夜中に2人で会うということを男子中学生Bが家族に告げて家を出て、その後の行方がわからなくなりました。

    2人の姿は、寝屋川にある防犯カメラや目撃情報などから、8月13日未明にかけて目撃されていました。しかし、その後の足取りはわからなくなってしまい、両者の両親が捜索願を提出し、事件の調査が行われるようになりました。

    また、2人は友人に泊まっていいかLINEで訪ねていたり、京都へ行くと告げていたりしているのもわかっています。2人はどこかに泊まることを目的としていて、自宅にはその日帰る予定はなかったと考えられています。

    2人は殺害されていた

    8月13日の夜、女子中学生Aが遺体で発見されました。場所は夜間ならば自由に侵入出来ると言われていた高槻市の物流会社駐車場です。遺体の状態は数十箇所も切り刻まれており、体は粘着テープで身動きが取れないように巻かれていました。

    その後、8月21日に容疑者と思われる人物をたどっていった先にあった竹林にて、男子中学生Bと思われる遺体が発見されます。夏場ということもあり、一部白骨化している状態で、直後は死因の特定が難しいとされていました。しかし、後に首の圧迫によって死亡したことが判明しています。

    8月21日に死体遺棄の容疑で山田浩二を逮捕

    事件の操作上に浮かんだ人物には、山田浩二という男がいました。防犯カメラの映像から、事件現場にいた不審な車の持ち主が山田浩二であったということや、山田浩二を追っていった先にたどり着いた竹林に男子中学生Bの遺体があったことから、死体遺棄の容疑で逮捕されることになります。

    当初、山田浩二は複数犯であるということを供述していましたが、後に単独での犯行だったことがわかっています。また、山田浩二の車から2人の血液が見つかり、犯行は決定的なものとされました。

    犯人・山田浩二の生い立ちは?

    次に、犯人山田浩二の生い立ちについて注目をしていきましょう。

    寝屋川事件の犯人である山田浩二は、生い立ちもやや特殊なものであり、当時メディアなどでは話題になりました。そんな生い立ちを早速見ていきましょう。

    幼少期は家族4人で公営住宅暮らし

    寝屋川事件の犯人である山田浩二は、幼少期家族4人で公営住宅暮らしをしていたそうです。ただ、あまり家庭内の状態は良くなかったようで、自宅はゴミ屋敷のような形で散らかり果てており、飼い猫の死体などもあったそうです。

    父親はパン屋に、母親はパート務めていたようですが、自宅の環境からわかるとおり、あまり山田浩二は両親と向き合ってもらえなかったと考えられています。実際に育児放棄をされたような旨も一部で報道されています。

    少年時代から犯罪に手を染める

    そんな山田浩二は、寝屋川事件が初犯ではありませんでした。

    山田浩二自身は万引き自慢を周囲にしていたことや、ハサミなどの刃物を振り回していたこともあったりと、もともとそういった犯罪に対しての罪悪感などはなかったようだった、と当時を知る知人などが明かしています。

    その結果、少年時代は鑑別所に約1年間収容されています。

    少年時代から変わっていた性癖

    寝屋川事件は一部で男子中学生を性的な目的で拉致監禁したのではないか、と報じられていました。それも、山田浩二には少年時代から変わった性癖があると言われているからなのです。

    もともと山田浩二は、男性器に興味があったようです。特に少年に男性器には強い興味を持っていたようで、周囲に対してそういった発言をしていたこともわかっています。

    山田浩二には前科10犯があった?

    山田浩二は少年時代から、万引きや暴力沙汰などをしていて、常に警察と隣合わせの生活を送っていたと言っても過言ではありません。

    しかし、鑑別所に収容されても、山田浩二の犯罪行為が止まることはなく、寝屋川事件が起きるまでには前科10犯あったことがわかっています。そんな前科について注目をしていきましょう。

    中学生時代から犯罪に手を染める

    山田浩二は、もともと勉強も運動も苦手な子供だったようです。これは誰もが経験あることだと思いますが、思春期は特に周りと自分を比較しやすいものであり、勉強、運動が出来ないと強い劣等感に悩まされてしまうことは少なくありません。

    それが理由か定かではありませんが、中学時代は勉強も運動も出来ないということから、自分には犯罪しかないと思い込み、犯罪に手を染めていったのではないかと考えられています。

    その結果、何度も鑑別所に出入りを繰り返しており、当初から問題児として意識されていたようです。

    薬物で生計を立てていた

    中学校を卒業した山田浩二は、すでに何回も犯罪を繰り返していましたが、両親はおろか、周囲の人物で彼を止められる人はいませんでした。

    そして、麻薬やシンナーなどをはじめとした薬物に手を染めるようになります。暴力団関係者との交流も生まれるようになり、麻薬やシンナーなどの売買をして、生計を立てていたようです。また、この時の収入はかなり良かったようで、そのことも周囲に自慢していたようです。

    この頃、すでに山田浩二の家族の評判は近所では当然良いものではなく、寝屋川へと引っ越すことになります。寝屋川事件の犯人として捕まった当時、山田浩二は、この時引っ越した家に住んでいました。

    監禁事件も起こしていた山田浩二

    家族としての居場所もなくなり、寝屋川事件が起きた寝屋川のとあるマンションに家族と共に引っ越してきた山田浩二ですが、引越し先で大きな事件を起こしてしまいます。

    寝屋川事件も大きな事件ではありますが、その前にこんな事件があったなんて…と驚く人も多く、この時点で警察が何らかの対処をしていれば、寝屋川事件は起きなかったのではないかという指摘もあります。

    中学生男子を車内に監禁

    寝屋川事件が起きた寝屋川に引っ越してきた山田浩二ですが、引っ越した翌年である20002年に男子中学生を監禁して、逮捕されました。

    山田浩二は、性的暴行を目的に男子中学生を自身の車に監禁し、ナイフを使って脅したそうです。また、男子中学生には手錠をかけ、完全に身動きも出来ない状態で犯行に及んだようでした。

    懲役12年の刑を受ける

    この事件当時、すでに山田浩二は前科8犯でした。また、この事件の前後にも他の男子高校生を監禁していたことも判明し、前科8犯はわかっているだけで、わかっていないのを合わせると10犯以上になるのではないかとされています。

    この事件から、懲役12年の刑を受け、刑務所に収容されます。

    出所後は福島で除染作業を行う

    刑務所から出所後、山田浩二は福島県にある原子力発電所で除染作業を行う作業員に就職をしています。職場ではリーダー格だったようですが、周囲の人物は度々倫理観に疑問を抱くような場面があったようで、サイコパスなのではないかと感じていた人もいたようです。

    寝屋川事件が起きた当時も、仕事の合間を縫って犯行に及んでいたこともわかっており、その人とは思えないような倫理観が欠如した行動に、鬼畜、鬼、というような声が多く上がっていました。

    お盆で帰省時に事件勃発

    寝屋川事件が起きたのは8月13日、ちょうど世間ではお盆休みが始まっているときでした。

    山田浩二もお盆休みを利用して、養父がいる寝屋川へと帰っていたようです。そのお盆休みの帰省時に、中学生2人を拉致監禁、そして殺害した後に、遺体破棄をしたのです。

    また、山田浩二が寝屋川事件の犯人として逮捕されるまでの間、山田浩二は何事もなかったかのように福島の勤務先に出社していることもわかっています。

    山田浩二の女性関係は?

    次に、山田浩二の女性関係について見ていきましょう。

    山田浩二は前科を見てもわかるとおり、少年に対して性的興奮を覚えるような人物であるというのがわかります。また、遺体として発見された女子中学生Aは複数箇所も切り刻まれていたことから、女性に対して何らかの劣等感やトラウマがあったのではないかとも推測されています。

    そんな山田浩二にはどんな女性関係があったのか、わかっている範囲でまとめてみました。

    全くモテなかった中学時代

    中学生時代の山田浩二は、全くと言っていいほどにモテなかったようです。

    たしかに、中学時代というものは、運動神経がいい、または勉強が出来る人物がモテてやすいという仕組みでもあります。山田浩二はどちらも向いていなかったため、中学時代にモテなかったというのは、ある意味当然のことだと考えられます。

    また、そういった劣等感が背中を押す形で、犯罪に手を染めるようになったのではないかとも考えられます。中学時代は良い意味でも悪い意味でも様々なものが比較対象になってしまうため、勉強、運動、恋愛や友情関係など、それらのことが劣等感となって犯罪の道を歩むきっかけになった可能性もありえます。

    逮捕前には妊娠させていた

    中学時代はモテなかった山田浩二ですが、事件前後は女性関係がいくつかあったようです。

    寝屋川事件が起きる前に付き合っていた彼女、カヨコさん(仮名)は山田浩二との間の子供を身ごもっていたようでした。カヨコさんはシングルマザーで息子を連れていたようで、山田浩二とは2ヶ月間付き合っていたと言われています。

    お腹の子供は流産してしまったようで、その後別れてからは特定の付き合いはないと言われています。

    獄中結婚もしていた

    山田浩二は度重なる犯罪により、何度も刑務所に収容されていました。実はその際、獄中結婚も果たしていたのです。相手の女性はヨウコさん(仮名)で、娘がいたようです。

    獄中結婚をしたのは2014年の頃であり、もともと山田浩二は渡利浩二という名前でした。しかし、結婚をした際に妻の柴原という性を名乗るようになり、そこから柴原浩二という名前で生きていくことにしたそうです。

    また、獄中結婚中に結婚をしていましたが、すぐに離婚をしています。そして、知り合いのヤクザの男性と養子縁組をし、山田浩二という名前を名乗るようになりました。また、事件当時にお盆休みを利用して寝屋川に帰っていましたが、これもこの時に養子縁組になった養父に会っていたことがわかっています。

    除染員の同僚とも付き合っていた

    刑務所から出所後、福島県の原子力発電所に務めていた中で、同じく除染作業員をしていた同僚のレイコさん(仮名)と交際をはじめました。

    しかし、職場内恋愛であり、さらに部屋にレイコさんを連れ込んだことがバレたようで、一時的に除染作業員の仕事を失うことになったようです。

    もともと職場ではリーダー格だった山田浩二だったので、レイコさんとの交際はあっという間にバレてしまったようです。職場ではどの点がペナルティになったのか、ペナルティの重さはどのようなものだったのかはわかっていませんが、それでもレイコさんとは破局することはなかったようです。

    レイコとのデート中に逮捕

    寝屋川事件当時、山田浩二はレイコさんと交際をしていたようでした。

    というのも、山田浩二が逮捕されたその瞬間、レイコさんとはデート中だったのです。ドライブデート中に様々な証拠が集まった警察が山田浩二を逮捕し、寝屋川事件は解決の方向へと進むようになったのです。

    その後、レイコさんとはどうなったのか、レイコさんは寝屋川事件のことを知っていたのかについてはわかっていません。

    山田浩二の裁判での不可解な行動とその後

    最後に、山田浩二の裁判での不可解な行動やその後について注目をしていきましょう。

    数々の犯罪歴がある山田浩二ですが、寝屋川事件の裁判でも不可解でいて不気味な行動が目立ちました。また、寝屋川事件は犯人逮捕となりましたが、判決についてはまだ確定しておらず、未だ被害者、そして被害者遺族は報われない形となっています。

    裁判中に2度の土下座

    寝屋川事件の裁判の際、山田浩二は2度の土下座をしています。裁判中に突如2度の土下座をしたその行動は、多くの人の目には非常に不気味な姿に映ったそうです。土下座の際には、被害者である2人、そして被害者遺族への謝罪の言葉を述べていました。

    しかし、山田浩二は事件発覚時、複数犯の犯行だと嘘をついたり、黙認したりと、反省の色を見せていない状態でした。さらに、数々の犯罪をしてきてもなお、今回の寝屋川事件をしたことから、反省や罪悪感を持たない人というイメージを持たれています。

    そういったことから、山田浩二の裁判中に行った2度にわたる土下座は単なるパフォーマンスなのではないか?という指摘がされました。

    2人の殺意を否認

    さらに、山田浩二は寝屋川事件について、2人への殺意を否認しています。「殺すつもりはなかった」とも供述しており、減刑を求めているのではないかと考えられました。

    ただ、山田浩二は2人を粘着テープなどでしっかりと縛っており、女子中学生Aに対しては何度も切り刻むなどの行為をしています。わざわざ自由を奪い、数十箇所も斬りつける行為は殺意以外の何になるのか、という指摘もされました。

    また、男子中学生Bに関しては、車内で熱中症になって倒れてしまったと供述をしています。そのため、山田浩二は直接的には手を下していないとしましたが、死因が首への圧迫であるため、山田浩二の容疑であるというのは明らかでした。そういった点から、殺意否定は苦しいものとなったのです。

    判決は死刑

    寝屋川事件の判決は、死刑が下されることになりました。非常に残忍な犯行ということや、殺意を込めたものだったということなどから、山田浩二は死刑が妥当だと判断されたのです。

    しかし、未だに黙認していることがあることや、殺意に対しては否定しているということから、山田浩二側は死刑を控訴しています。控訴をしてからは動きが報じられることはなく、現在どのような状態になっているかはわかっていません。

    ただ、あまりにも悲惨であるということや、今までの犯罪歴などから考えて、死刑、もしくは終身刑になるのが妥当だと多くの人が考えているようです。事件解決は犯人の判決が正式に決まった瞬間とも言えるため、まだ寝屋川事件は解決していないと言えます。

    未然に防げたかもしれない事件

    寝屋川事件は、未然に防げたかもしれない事件とも言われています。被害者である中学生2人は、常識的に考えれば深夜に2人で町中をうろつく…というのは不自然なことであり、もしそれを止める人がいればという指摘もありました。

    ただし、やはり悪いのは犯人である山田浩二です。山田浩二は数々の犯罪をしてきており、さらには少年に対しての拉致監禁、性的暴行などの犯罪歴もありました。その時点で、もし重い判決などが出ていれば、この寝屋川事件は起きなかったのではないかとも考えられています。

    日本は、罪が軽いとよく言われる国でもあります。特に未成年に対しての犯罪や性犯罪は厳重化を望む声も少なくありませんし、もしもう少し厳しければという意見が出るのも当然でしょう。未だ解決していない寝屋川事件は、被害者のためにも早い解決を、そして出来れば刑の見直しを期待したいものです。

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