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豊田商事会長刺殺事件とは?豊田商事事件との関係や真相を徹底調査!

皆さん、豊田商事会長刺殺事件をご存知でしょうか?この事件は豊田商事事件が原因となり多くの人から恨みを買った豊田商事の会長が生放送中に殺害された事件です。いったいこの事件の黒幕は誰なのでしょうか?豊田商事会長刺殺事件の真相を徹底調査していきたいと思います!

豊田商事会長刺殺事件とは?

豊田商事会刺殺事件は日本史上最悪の結末を迎えた詐欺事件として日本全土を震撼させました。今でもお金絡みの事件は絶えませんが、被害額も相当な金額ですが、会長が刺殺されてしまうという事件に発展してしまったのです。

本記事では豊田商事会刺殺事件の事件当時の詳細、会長を刺殺した人物と黒幕、マスコミの対応について、徹底的にご紹介します。復讐のために刺殺をした様にも見えますが、実は複雑な問題が絡みあった事件だったのです。

1985年に起こった事件ですが、悲惨すぎることから現代でも語り継がれている事件です。豊田商事会刺殺事件がモチーフになった小説や映画・ドラマなども公開されるようになりました。お金と人間関係を非常に考えさせられる事件です。

豊田商事会長刺殺事件の概要

豊田商事会長刺殺事件は、1985年6月18日に豊田商事会長の永野一男が大阪府大阪市北区天神橋の自宅マンションで殺害された殺人事件です。事件の発端は豊田商事の社員による現物まがい商法と言われる悪徳商法によって、数万人から2000億円を騙し取ったことでした。

自称右翼の自営業・飯田篤郎(当時56歳)とその社員だった建築作業員・矢野正計(当時30歳)が突如現れて室内に乱入しました。何人ものマスコミがいたその目の前で、会長だった永野一男を刺殺したのです。あまりに突然の出来事だったので犯人を目の前にしていながら誰も止めに入る者はいませんでした。

部屋から出た犯人らは、「おい警察呼べはよ。俺が犯人や」と報道陣に語り、マンションから出たところで大阪府警天満署員に殺人の現行犯で逮捕されました。これから聴取が始めるという時に会長が殺害されてしまったので、今でも事件の真相は明らかになっていません。

豊田商事会長刺殺事件の犯人飯田篤郎とは

主犯格とされる飯田篤郎は当時56歳で大阪豊中市で鉄工所を営み、工場では高齢者や身体障害者を積極的に雇用していたそうです。しかし、下請けに騙されたことや不景気などが原因で、1984年に5億円の借金を抱えて倒産しています。

飯田は豊田商事の詐欺事件の直接の被害者ではなく、犯行動機には、知り合いに頼まれたことや高齢者をターゲットにした豊田商事が許せなかったとも供述しています。誰かにお金で雇われた実行役で、別に黒幕が存在する様なコメントをしています。 

また供述では、当時のマスコミに対して自分の犯行を止めなかった責任を求めていました。人を大事にする情に厚い人物だったそうで、もしかしたら度重なる裏切りによって、自分の感情が抑えられなくなってしまったのでしょう。

豊田商事会長刺殺事件の共犯者矢野正計とは

豊田商事会長刺殺事件の実行役である矢野正計は飯田篤郎の部下でした。当時31歳だった矢野正計は飯田篤郎と同様に逮捕されてから服役、出所をして現在60代となり、その後の現在は、広島で5人の子供に恵まれ静かに暮らしているとされています。

同じ職場に勤めていたことから、彼もお金が全くない状態だったので、黒幕の人物に雇われて殺害をしたのだろうと言われていましたが、一部週刊誌で、矢野は常に「自分はやっていない」という一点張りでした。

1986年(昭和61年)3月12日、大阪地方裁判所で飯田篤郎に対して懲役10年、矢野正計に対して懲役8年の実刑判決が言い渡されました。それぞれが控訴し、1990年、1989年に刑が確定しました。

豊田商事とは

1981年に設立された豊田商事は、社員によって次々と客をだまし続けながらも全国に60店舗にまで増え、従業員数は7500人に増えていきました。会長である永野一男は、この高齢者の資産を狙う手法で、わずか4年間で2000億円もの資金を集めました。

豊田商事の社員、営業マンたちの給料は、高額だったとされ日給2万円の社員もいれば、月給1,000万円以上の社員もいたようです。当時32歳だった永野一男会長自身、小型飛行機やクルーザー、高級外車などを所有していた時期もあったことが判明しています。

1985年に入ると、いつまで待っても元金も支払われず、「純金ファミリー証券」の会員たちは豊田商事に不満を抱き始めました。財産を失った老人の自殺や、関連企業の社員が逮捕されるなどのトラブルが目立ち、マスコミなどに注目され始めました。

豊田商事会長刺殺事件の黒幕は?

豊田商事会長刺殺事件によって、会長を殺害した飯田篤郎と矢野正計は、詐欺被害を受けていないことが分かりました。永野一男に直接騙された側の人間なら、犯行に及ぶ動機があるのですが、接点も無いことから、犯人の2人がお金で雇われていたと考えられます。

会長が殺害されたことで未解決の迷宮入りになったことから、豊田商事が詐欺事件を引き起こすきっかけを作った真犯人が他にいて、会長の口封じのために殺人を依頼したのではないかといった憶測も流れました。現在でも黒幕が別にいるとの噂があります。

所謂、一般的な怨みをかった犯行では無いので、事件解決までの道のりが複雑になっていますが、殺人を犯した2人が10年あまりで出所していることにも疑問の声が上がっており、国ぐるみの犯行ではないか...と言われています。

豊田商事会長刺殺事件の原因となった豊田商事事件とは?

マスコミが囲んでいる中で殺害されてしまったという悲惨な事件ですが、根本を辿れば、豊田商事が起こした詐欺事件が原因なのです。これによって豊田商事は多くの人から恨まれることになったのです。永野一男会長が亡くなってしまった今、事実を語る人はいませんが、これまで明らかにされている情報をご紹介します。

豊田商事会長刺殺事件の原因となった豊田商事事件とは何なのか?豊田商事は高齢者を狙っていたのか、被害者数と被害総額が桁違いに多いのは本当なのか、そしてトヨタ自動車との関係はあるのか徹底追求しました。

1980年代の話ではありますが、現代でも重なる部分が多く、改めて人とお金の関係は切っても切れない縁なのだと再認識できるでしょう。自分が被害者にならない為にも、この事件の背景を知っておくことをおすすめします。

資産運用に注目が集まっていた事件当時

豊田商事会長刺殺事件が起こった1980年代は「バブル時代の初期」にあたり、現代の「働き方改革」とは違い、当時は残業して当たり前の時代でした。とにかく働き、その分たくさん稼ぐという風潮があり、「24時間働けますか?」という流行語まで飛び出した景気の良い時代だったのです。

この頃から資産運用という言葉が飛び交い、お金のある人間にとっては、お金を使ってお金を稼ぐという投資が一種のステータスになっていました。当時はそんな時代背景があったことで、資産に余裕のある人が次々に投資をしていきました。

豊田商事の場合は、顧客に対して「資産運用を始めませんか?」とアプローチをして、運用資金を預かり「金」や「ダイヤモンド」などの貴金属類を取引をして、その資金を運用していたのです。結果的にはこの投資方法が時限爆弾のスイッチを押すことになりました。

豊田商事の詐欺の手口・ペーパ商法とは

豊田商事の取引方法は、「金」や「ダイヤモンド」の現物は引き渡さずに、豊田商事が預かる形を取り「純金ファミリー契約証券」という証券を代わりに渡す形式を取っていました。つまり、投資した客は現物の「金」を持ったことは一度も無かったのです。

「金」に投資をしたはずの顧客ですが、渡されるものは「証券」と呼ばれる紙1枚のみでした。顧客の中には高価な「金」を自宅で保管するのは防犯上、危険なので、豊田商事に預かって貰っていた方が安心できると考えた方もいたそうです。

投資した顧客が渡されるのは「証券」だけだったので、この豊田商事が行っていた取引方法はペーパー商法と呼ばれ、現物まがい商法という詐欺だったのです。「証券があるから安心」と考えていた人からは想像も出来ない結末だったのです。

豊田商事は孤独な高齢者を狙っていた?

豊田商事の社員が投資の話を持ち掛けていたのは、主に孤独な高齢者でした。まずは電話で無差別に勧誘して、相手が独居老人だと判断すると、相手の家に行く日を決めて1日に何軒も訪問したのです。ここまで聞くとかなり強引だと思われますが、かなり巧妙な手段だったと言います。

老人の自宅に入ると、投資の話などはせずに老人との信頼関係を結ぶことに力を入れ始めました。身の上の話を聞いたり、親切に身辺のお世話をしたり、世間話しをしたり、寂しい高齢者の心の中に入り込んで、「息子だと思ってくれ」と人情に訴え契約を結ばせたそうです。

投資においての謳い文句は「金利のつかない銀行に預けるよりもはるかに儲けが出る」と言っていたそうです。高齢者に限らず、家庭を持つ男性にも同じ様な投資話を持ち掛け、結果的に被害者が増えることになりました。多くの方が豊田商事の社員の巧みな話術に乗せられてしまったのです。

被害総額は2000億円・被害者は3万人って本当?

顧客が疑問を抱き始めたのは1985年頃でした。その辺りから「金」の現物が手に入らない事に疑問に思った被害者家族たちから国民生活センター等への相談が急増しました。それによって豊田商事の現物まがい商法が明るみになり、詐欺事件が社会問題になりました。

4月には、関連会社であった鹿島商事の社員が逮捕されたことをきっかけに詐欺事件の捜査が本格化しました。豊田商事事件の被害者は3万人。被害総額は2000億円とも言われ、戦後最大級の詐欺事件としてマスコミが連日のように大きく取り上げました。

これによって多くの高齢者が老後の蓄えを失い、失意のあまり自殺をしてしまう被害者も多かったのです。その他にも家族を失った方、失業をした方がいました。豊田商事事件によって、多くの方の人生を狂わせる事になったのです。

弁護士・中坊公平による債権回収とは

豊田商事事件による被害者の会が発足したものの、破産したことに等しい豊田商事に対する資金回収の見込みはありませんでした。そんな事もあり、弁護を引き受ける弁護士がなかなか見つからない状況下で、債権回収に立ち上がった1人の弁護士が名乗りをあげました。

その弁護士とは、千日デパート火災事件や森永ヒ素ミルク中毒事件で被害者側に救いの手を差し伸べて、徹底的に闘い尽力した中坊公平弁護士なのです。被害者にとっては中坊公平弁護士こそが救世主だったのです。

残念ながら、中坊公平弁護士の活躍は限度がありました。豊田商事の金庫に残っていたわずかな現金と、中坊公平弁護士の行動に賛同した1000人以上とも言われる弁護士団が救済金の回収に尽力したものの、被害者に戻ってきたのは被害額の1割強にとどまりました。

豊田商事とトヨタ自動車の関係は?

「豊田商事」という社名の由来はトヨタ自動車のグループ企業と錯覚させるために「トヨタ」とつけられたものでした。もともと詐欺目的で豊田商事を作ったことになります。豊田商事の名前は黒幕の一人である会長の永野一男が名付けたとされています。

トヨタを盗用した理由には、永野一男の最初の就職先がトヨタ自動車のグループ企業の日本電装(現在のデンソー)だったからと言われていますが、信憑性の高い情報が無く、その真相は定かではありません。

豊田商事は、当然ながらトヨタグループとの資本関係は全くありませんでしたが、風評被害を受けたことは間違いありません。トヨタグループ以外にも山口県の紙製品業者「豊田商事株式会社」が風評被害を受けました。

豊田商事会長刺殺事件でのマスコミの対応は?

豊田商事会長刺殺事件は、マスコミが豊田商事会長である永野一男の自宅を包囲している中で起こってしまった残酷な事件です。そこに居合わせた報道陣の誰もが、事情聴取に向かう永野一男の写真や映像を撮ろうと思っていたはずです。

そんな中で、自称右翼の飯田篤郎と矢野正計の襲撃によって殺害をされてしまったのですが、その時にマスコミは何をしていたのか気になりますよね。永野一男が殺害されてしまっては、今後のスクープが報じられなくなるので、殺害されてしまうのはマスコミにとっても都合が悪いはずです。

ここからは、豊田商事会長刺殺事件当時にマスコミが何故助けに入らなかったのか、当時の事件の様子がどのようにスクープされていたのかなどをご紹介します。開いた口が塞がらないというのは、この事だと理解できるでしょう。

助けに入らなかったマスコミ関係者

1985年6月18日に豊田商事会長の永野一男の自宅マンションの玄関前に「今日逮捕」と聞きつけたマスコミ取材班が数十人集まっていました。16時30分頃に自称右翼の2人が部屋の前に現れ、ガードマンに対して「永野に会わせろ」と要求し、窓ガラスを破って侵入をして永野一男の頭部など全身13箇所を銃剣で刺し殺しました。

いきなりの事だったのですが、大勢のマスコミが狂気に満ちた犯人を映すだけで、誰も彼らを止めることはしなかったのです。それどころか部屋から出てきた犯人に対して質問を投げかけたと言います。

永野一男の死因は腹部を刺されたことによる出血多量。もっと早く救急車を呼んで治療が出来たらもしかしたら一命を取り留めた可能性もあります。マスコミは人の命ではなく、犯人に目を向けていたのです。読売新聞が読者投票で選ぶ1985年の日本10大ニュースでは、この惨殺事件が日本航空123便墜落事故に次いで第2位に選ばれました。

事件の様子は全て生放送で流れた

豊田商事会長の永野一男が逮捕されるシーンを生放送しようと思っていたマスコミですが、犯人によって目的が変わってしまい、どうしようも無くそのまま放送を続けてしまったのです。そこには永野一男が刺殺された際の怒声などの音声や、犯人の侵入シーン、ストレッチャーで運ばれる様子など緊張の生々しい場面が映し出されていました。

この時、取材に来ていたアナウンサーが「子供には見せないでください」と呼びかけ、どうしようもできない事ばかりで、取材班も混乱をしていました。事件後には週刊誌の「フォーカス」が、犯人と永野会長の遺体、もう1人が銃剣を持つ生々しい映像写真を載せて発売しました。

いくら詐欺という悪さをしていたとは言っても、遺体の写真をそのまま載せることについて人権がないのかと問われる事件にもなり、この事件は何年も語り継がれることになりました。

豊田商事会長刺殺事件の関係者の現在とその後は?

日本史上最悪の結末を迎えた詐欺事件として日本全土を震撼させた豊田商事会長刺殺事件の関係者が現在どのような暮らしをしているのかとても気になりますよね。豊田商事の会長である永野一男は死去していますが、犯人は生きている事が分かっています。

さらに、当時の豊田商事は代表が永野一男だったわけで、他には多くの幹部が在籍していました。ここからは豊田商事会長刺殺事件に関わっていた人物が現在何をしているのかについて徹底調査した結果をお伝えします。誰が悪者で誰が善人なのか、考えさせらえるでしょう。

刺殺事件の主犯格とされる飯田篤郎

豊田商事会長刺殺事件の主犯格である飯田篤郎は、大阪地方裁判所から懲役10年の判決が言い渡され服役をして出所をしています。現在の年齢を考えると、80代後半なので、現在生きているか分かりませんが、名前を変えてひっそりと暮らしていると思われます。

飯田篤郎の供述では、当時のマスコミに対して自分たちの犯行を止めなかった責任を求めて4度再審請求をしていましたが、いずれも棄却されています。殺人を犯した飯田篤郎が10年あまりの刑罰だったことは物議を醸しています。

豊田商事幹部だった前田英仁の現在は?

今や全国各地に店舗を拡大している「はなまるうどん」ですが、その創業者である前田英仁は豊田商事の元幹部だったことが分かりました。はなまるの上場申請の際に週刊誌の報道で創業者の経歴に豊田商事社員だったことが明かされています。現在は吉野家ホールディングスの傘下になっています。

豊田商事は会長だった永野一男の移行で、会社の舵を取っていましたが、電話のアポや自宅訪問を実行していたのは社員です。つまり、当時社員だった前田英仁も高齢者の自宅に足を運んでいた可能性も十分にあります。彼の口から事件について語られる事はありませんでしたが、所属していたことは事実です。

伝説の弁護士だった中坊公平の現在は?

中坊公平は京都大学法学部卒業、大阪に籍を置いた弁護士で、1975年に乳児130人の命を奪った森永ヒ素ミルク中毒事件で被害者弁護団長を務めました。豊田商事事件のその後は、90~92年に日本弁護士連合会会長を務めました。

その後、弁護士として引き受けた住宅金融債権管理機構での債権回収方法では、詐欺行為があったと認めた形で、2013年に弁護士を辞めています。現在は亡くなっていることが分かりました。

豊田商事のその後は?

豊田商事事件と豊田商事会長刺殺事件によって、豊田商事がマスコミなどに注目され始め、詐欺事件の黒幕として永野会長は一気に有名になりましたが、被害が明るみになったことで逆に豊田商事の営業成績は急激に悪化して、1985年6月には営業停止状態となっていました。

創業からわずか4年余りで豊田商事が集めた資金のほとんどが、流用されて残っていなかったことが判明しますが、黒幕とみられた最高幹部の永野会長が死亡したために、お金の流れに関しての解明が難しくなってしまい、現在でも真相は分かっていません。

永野会長を殺害した犯人は黒幕がいるような発言をしていたことから、もしかしたら反社会勢力などから脅されて雇われていた可能性も考えられます。

豊田商事会長刺殺事件の関連作品まとめ!

日本史上最悪の結末を迎えた詐欺事件として日本全土を震撼させた豊田商事会刺殺事件は、現代でも語り継がれている衝撃的な事件です。その為、豊田商事会刺殺事件をモチーフにした小説やドラマ、映画などが発売されているのです。

豊田商事会刺殺事件の発端は、豊田商事事件と呼ばれる詐欺事件です。人々に投資の素晴らしさを伝え、多額の金額を集めたのですが、これは1980年代に限った話ではありません。時代は変わっても同様の詐欺事件は後をたたないのです。

人とお金を題材にした作品は、多くの人から関心を集めている分野なので、多くの方が豊田商事会刺殺事件に関連した作品を手に取ったのです。ここからは豊田商事会刺殺事件に関連した小説やドラマ、映画についてご紹介します。

①地獄の黄金 小説・豊田商事

「地獄の黄金 小説・豊田商事」は豊田商事事件を題材にした大下英治の小説です。取引があったとされる暴力団関係や新興宗教団体などが仮名で出てきており、かなり真相に迫った内容になっています。

②マネーゲーム

豊田商事事件を扱った小説「マネーゲーム」は1987年、第24回文芸賞佳作を受賞した久間十義の作品です。マネーゲームの成功の頂点から破滅へむかって実行する青年実業家、コンピュータで「神」と戯れる女性プログラマーの物語です。

株やコンピュータの事について詳しく知っている方なら、豊田商事事件と重ねて読む事ができるので非常におすすめです。

③コミック雑誌なんかいらない!

1986年に公開された日本映画で、ワイドショーのリポーター役の内田裕也の視点で、1985年に起きたロス疑惑事件、日航機墜落事故など実際に起きた数々の事件を描いた中での、豊田商事会長刺殺事件の犯人役をビートたけしが演じ真相に迫りました。実際に本作品を見た方からはこのような高評価のレビューが寄せられていました。

「この当時のゴシップ取材は凄かったんだなあと驚かされます。様々な事件・出来事を通して、80年代の日本の姿が見えてきます。重要シーンは所々カットされていますが、例えば、豊田商事会長・刺殺犯を演じたビートたけしなんかはハマり役でした。マスコミを目の前にして起きたこの凶行も、実際あった事件を基にしているので、やっぱり凄い時代だったんだなあと改めて思います。」

金の夢は血に濡れて

ペーパー商法で大きな社会問題となった豊田商事事件をヒントに、片岡鶴太郎が黒幕の会長役として、金に憑かれた淒まじい生きざまや詐欺商法の内幕を描いた1992年のテレビドラマです。

豊田商事会長刺殺事件は豊田商事事件の関係者が起こした凶悪犯罪

豊田商事の会長である永野一男が自宅マンションに押し入ってきた2人の男によって殺害された豊田商事会長刺殺事件は、過去に豊田商事事件という詐欺事件の被害者の知り合いであった自称右翼の人物によって行われた凶悪事件だったことが分かりました。

豊田商事事件は被害者約3万人、総額2000億円を騙し取った日本史上最悪の詐欺事件として現代でも小説やドラマ、映画として語り継がれています。その背景には人間とお金という切っても切れない縁があったのです。

豊田商事会長刺殺事件の犯人は約10年の懲役を受けた後に出所したことが分かっており、現在は70〜80歳後半で消息は不明です。しかし、当時の豊田商事の社員であった前田英仁は、はなまるうどんの創業者として現在も第一線で活躍しています。

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