木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
62歳にして、バッチリメイクとショートパンツにカチューシャという10代~20代風のファッションに身を包んで、詐欺をはたらいた山辺容疑者(やまべようぎしゃ)。
その知られざる7億円集金の手口と、タイ人の恋人との現在の生活についてしらべてみましたので、ご紹介いたします。
山辺節子こと山辺容疑者(やまべようぎしゃ)。つなぎ融資の女王としてその界隈では知らない人がいなかったといいますが、タイ警察により「7億円詐欺」の容疑で逮捕されました。
その山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は現在なにをしているのでしょうか?すでに出所して別の場所にいるのでしょうか?しらべました。
熊本在住、年齢不詳の聖子ちゃんカットこと山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、2017年4月5日国際手配によって、当時62歳の時に「投資詐欺」として逮捕されました。
そのあと、2018年4月19日には熊本地裁から「懲役7年」の実刑判決をうけたのです。求刑10年でしたが山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、控訴せずそのまま刑務所へ入りました。
全国12名の男女から、つなぎ目的で1億7700万円あまりをだましとって、懲役7年の実刑判決をうけた山辺容疑者(やまべようぎしゃ)。逮捕当時は、タイではエリ子38才でとおしていた彼女でしたが、刑務所にいる姿はまったくの別人だったといいます。
化粧やオシャレをすることができず、白髪交じりのすっぴんで毛染めをする余裕もなくいっきにふけて「老婆化」してしまった山辺容疑者(やまべようぎしゃ)。すでに若作りといっても若さのかけらもなくなってしまったのです。
タイでは38歳エリ子というキャラクターを演じ、実際の年齢と25歳以上サバを読んでいた山辺容疑者(やまべようぎしゃ)。彼女はその美貌によって、たくさんの男性を魅了してきました。しかし、どうして今回逮捕されたのでしょうか?
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)が使った「つなぎ融資」とは何でしょう?しらべてみました。
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、50人ほどの男性から7億円ものお金を集めた「出資法違反」の罪で逮捕されました。
彼女は、知人の男性たちに「出資をすれば高い利息を払う」という話をもちかけていました。イベントで知り合った男性などと、一緒にご飯や会席をとって仲間を増やします。
「元本はかならず保証し、そのうえで10か月後に約2倍にします」こう宣言して、どんどんと男性陣をたぶらかして、お金を集めたのです。
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)がだまし取った手法は、ぞくに「つなぎ融資」といわれています。つなぎ融資とは、数か月後に入金予定があるけどその間どうしても資金が必要な人に、一時的にお金を貸すことをいいます。
通常の融資とくらべても、少しだけ高い金利となるのが特長です。山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、つなぎ融資をしている会社との紹介役を担当し、この会社にアナタが投資すれば、高い配当がもらえますよ!とそそのかしたのです。
30万円を仮に「つなぎ融資」に投資してもらうと、20%の配当がつき6万円儲かります。ただ返金は10回に分けられていたそうで、毎月の決められた日にちに投資してくれた人に3万6000円を支払っていました。
「つなぎ融資の女王」として、順風にビジネスを展開していた山辺容疑者(やまべようぎしゃ)。どうして犯罪に手をそめたのでしょうか?
なにか借金をしていて、犯罪者になってしまったのか?くわしく調べました。
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)が犯罪に手を染めたのは、どうやらお金に困っていたからのようです。彼女が50歳を過ぎたころ、知り合いの女性社長から「手形の裏書きをお願いされた」のです。
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、親友だし社長だし大丈夫だろうと安易に署名したのですが、その女性社長は消えてしまい「2000万円の借金」が連帯保証人となった山辺節子のもとにのこりました。
50歳を過ぎたあたりから、山辺容疑者(やまべようぎしゃ)の贅沢な暮らしにかげりがではじめます。今までぜいたく三昧でカード支払いしていたツケがきて、なんと借金は1億円にものぼっていたのです。
彼女の誤算は、たとえ10億円の借金があったとしても、男性を10人つかまえればそれぞれが1億円ずつ支払ってくれるだろう、簡単に返せるだろうと男性をあてにして「たかをくくっていた」ところです。
結局、50歳を過ぎた山辺容疑者(やまべようぎしゃ)に男性たちは援助してくれず、弁護士と相談したのち、自己破産となりました。
今まで、ぜいたく三昧の生活に慣れていた彼女が、急落下した質素な生活に耐えられるわけはありません。プライドだけは高い山辺容疑者は「投資詐欺」を思いつき、いよいよ犯罪に手をそめるようになりました。
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)についての生い立ちのご紹介です。山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、どこ生まれでどの会社に勤めていたのでしょう?
また山辺容疑者(やまべようぎしゃ)の逮捕されるまでの活動はどうだったのか?その生い立ちとあわせてしらべてみました。
そして、中学生ともなると嘘をついてでもクラスメートに注目されることをのぞみ、男性生徒には気に入ってもらえるようなしぐさや、言葉遣いをおぼえていきました。
怒られた先生にはじっと目を見つめて一粒の涙を流すことで、男性先生は許してくれたといいます。しかし、残念なことに山辺容疑者(やまべようぎしゃ)のまわりには同性(女性)の友達は一人もいなかったといいます。
お母さんでさえ彼女のことを嫌っていたといいますから被害妄想かもしれませんが、女性はそのような嘘をみぬいていたのかもしれませんね。
小さい頃からモテていた山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、女子高に進学後は事務員として働いていたそうです。19歳のときに父親のすすめで婿養子にきてくれるひとを探し結婚をします。大手自動車メーカーに働くその伴侶と一男一女をもうけますが、30歳のときに離婚しています。
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、30歳で旦那と別れたあと熊本市内で一番土地が高い場所に、高級スナック店を出店します。つまり、山辺節子さんはスナックのママになったということです。この頃の山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、高級車を乗り回し数百万もするダイヤなどの宝石に身を包んでいたといいます。
43歳のときに「原菜つ子」という名前で、写歌集を発売して歌手デビューも果たします。そのあとは夜の仕事から一転して、小中学生を集めた塾の経営など複数の事業をおこなう女社長として大成功し、47才のとき熊本に「姫御殿」といわれる総工費1億円の家もたてました。
タイの現地で37歳といつわり、余生を満喫していた63歳の山辺容疑者(やまべようぎしゃ)。現在はきちんと7年の実刑判決をうけて、刑務所に服役中です。
出所したころは、70歳前後でしょうがまだまだ高齢化社会にありますので、ぜひ更生してあたらしい山辺節子さんとして残りの人生を過ごしていってもらいたいものです。
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名前:山辺節子(やまべせつこ)
生年月日:1955年3月3日(64歳)
出身地:熊本県益城町
山辺容疑者(やまべようぎしゃ)は、バス会社に働く父親のもと一人娘として1955年3月3日に熊本県に生まれました。熊本県益城町といえば「熊本地震」の被災地でもあります。
両親は山辺容疑者(やまべようぎしゃ)を贅沢させてかわいがったといいます。そして彼女は誰よりも目立ちたいという欲望が常にあり、笑顔をつくる練習をして自分がアイドルのようにふるまったのです。