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連続殺人鬼チャールズ・マンソンとは?彼が指導したカルト集団とは?

1960年代末から1970年代にかけて殺人カルト集団マンソン・ファミリーを作り上げたチャールズ・マンソン。彼は信者を指導しセレブ女性を始め9件以上の殺人事件を起こした殺人鬼です。今回はアメリカの歴史に残る殺人鬼として名が高いチャールズ・マンソンについてご紹介!

アメリカを代表する連続殺人鬼チャールズマンソンとは?カルト集団のマンソンファミリーとは一体なに?

アメリカを代表する連続殺人鬼であるチャールズマンソンの名前は、聞いたことがあるという人も多いでしょう。チャールズマンソンが指導するカルト集団であるマンソンファミリーは、殺人カルト集団としても名が知られています。

今回はそんな、チャールズマンソンについて大注目。チャールズマンソンとはどういった人物なのか、チャールズマンソンが立ち上げたカルト集団マンソンファミリーとはどんなところなのか、早速チェックしていきましょう。

チャールズマンソンのプロフィール

まずは、連続殺人鬼であるチャールズマンソンとはどういった人物なのか、プロフィールについて紹介をしていきます。

さらに、チャールズマンソンの経歴に注目をしていくことにより、彼がどんな人生を歩み、殺人カルト集団マンソンファミリーを立ち上げたのか、その理解も深まるはずです。

チャールズマンソンとはどういった人物だったのか、早速チェックしていきましょう。

チャールズマンソンのプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):チャールズ・ミルズ・マンソン(ちゃーるず・みるず・まんそん)
  • 所属事務所:なし
  • 生年月日:1934年11月12日
  • 現在年齢:2017年11月19日死亡(83歳)
  • 出身地:アメリカ合衆国オハイオ州シンシナティ
  • 血液型:不明
  • 身長:不明
  • 体重:不明
  • 活動内容:マンソンファミリー指導者
  • 所属グループ:マンソンファミリー
  • 家族構成:不明

チャールズマンソンの経歴【少年期】

チャールズマンソンの母親は、16歳で売春婦をしていたキャスリーンマドックスでした。父親はカールスコットという人物ですが、生まれて間もなく育児放棄をされており、しばらくの間は戸籍や名前すらもない状態でした。

チャールズマンソンという名前が付けられたのも、母親の気まぐれです。マンソンというファミリーネームも母親の気まぐれによって結婚をした相手のファミリーネームでした。

チャールズマンソンの幼い頃に、母親が犯罪を犯したことによって祖父母の元で育てられることになります。しかし、最終的には孤児院に入ることとなり、その後わずか9歳の時に犯罪を犯してしまいます。結果的に孤児院から刑務所での暮らしが、少年期の大半となってしまいました。

チャールズマンソンの経歴【青年期】

刑務所から釈放をされた後、チャールズマンソンはとある集団を作ることにします。その集団は、家出している少女を集めたものとなり、チャールズマンソンのルックスや魅力の虜になった家出少女が多く集まることになりました。

チャールズマンソンはそんな少女たちに、売春のようなことをさせ、着々と自身の信者を集めていくことになります。また、チャールズマンソン独自の解釈により、聖書に書かれた内容から『女性は罪人である』という意識が強く芽生えることとなりました。

やがて、チャールズマンソン率いるカルト集団マンソンファミリーは、殺人という犯罪に手を染めるようになります。チャールズマンソンの名を世に知らしめた無差別殺人をしていきますが、チャールズマンソン自身は自らの手を汚すことなく、信者の手を使って犯行に及んでいました。

チャールズマンソンの経歴【晩年】

カルト集団マンソンファミリーの指導者であり、無差別殺人の主犯格とされたチャールズマンソンは逮捕されることになります。そして後に死刑宣告を受けることになり、実行犯でもあったマンソンファミリーの信者は終身刑として判決が下されました。

しかし、アメリカでは死刑廃止制度の議論が長く続いていたこともあり、チャールズマンソンが収容されていたカリフォルニア州では死刑制度が一時的に廃止されてしまいます。この制度の変更により、チャールズマンソンは死刑囚から終身刑の罪人へと変わりました。

ただ、この死刑配信制度は本当に短い間でしかなく、後にチャールズマンソンは死刑囚に戻ってしまいます。しかし、死刑を執行される前に胃腸出血などの病を患うこととなり、治療の甲斐なく、カリフォルニア州ベーカーズフィールドの病院で83歳の生涯に幕を閉じました。

チャールズマンソンのカルト集団「マンソン・ファミリー」とは?

次に、チャールズマンソンが集めて作ったカルト集団、マンソンファミリーについて注目をしていきましょう。チャールズマンソンは自分の魅力や知識をふんだんに使い、マンソンファミリーを作り上げました。

チャールズマンソンが自ら殺人という犯罪を犯すことはなかったものの、信者を上手くコントロールして無差別殺人を行わせたというのは衝撃が走ることになりました。

そんなカルト集団であるマンソンファミリーについて、信者が殺害した被害者についても軽く触れながら説明をしていきます。

カルト集団「マンソン・ファミリー」

カルト集団のマンソンファミリーは、若者グループの集団です。幼少期に犯罪を犯して刑務所に収容され、釈放された後にチャールズマンソンはマンソンファミリーを立ち上げました。メンバーの多くは家出少女で構成されており、一見普通の若者集団に見えるものでした。

チャールズマンソンは信者を獲得していくために、自身の魅力や知識をふんだんに使うとともに、自分がイエス・キリストの生まれ変わりであると主張していました。独自の解釈で聖書を読み上げていき、信者となる身寄りのない家出少女たちを徐々に洗脳していったのです。

どのようにして殺人を犯すほどの意識を信者に植え付けていったかは様々な機関で研究がなされているようですが、一部の信者は殺人を犯していくという恐怖心があり、結果的にその気持ちを悟られ、事件に巻き込まれてしまったとも考えられています。

カルト集団のメンバーが殺害した人数は計9人

チャールズマンソン率いるカルト集団マンソンファミリーが、実際に殺害したと判明している人数が9人です。チャールズマンソンのマンソンファミリーが関わっているとされている殺人事件は他にもいくつかあるようですが、それについては証拠もないため、未だ未解決事件となっています。

現時点でわかっている被害者の数は9人であり、特に世間を騒がせたのが1969年に起きた映画監督ロマンポランスキーの妻である女優シャロンテート殺害の容疑です。シャロンテートは当時妊娠中であり、あまりにも酷い事件であると注目を浴びた事件にもなりました。

また、この事件当時はセレブ達が集まるパーティー中の出来事でした。そのため、シャロンテートだけでなく、他の人物も突然マンソンファミリーによって命を奪われることになります。さらに、この事件以外にもマンソンファミリーは殺人を犯しています。

チャールズマンソンのカルト集団における殺人事件の概要は?

次に、チャールズマンソン率いるカルト集団マンソンファミリーが犯してきた、数々の殺人事件の概要について注目をしていきましょう。特に注目をしていくのが、女優のシャロンテートが殺害されてしまった『テート=ラビアンカ事件』です。

この事件は様々な要因が重なり合って起きてしまった無差別殺人であり、チャールズマンソン、そしてマンソンファミリーの信者たちは、もともと別人を殺害しようと企んでいたことがわかっています。つまり、勘違いの末にシャロンテートらは殺害されてしまったのです。

そんな悲惨なテートラビアンカ事件について注目をしていきましょう。また、この事件を機にマンソンファミリーは逮捕されることになります。そのきっかけともなった、信者の一人であるスーザンアトキンズについてもチェックしていきましょう。

裕福なセレブをターゲットにした「テート=ラビアンカ事件」

デート=ラビアンカ事件は今でも悲惨な事件の一つだと語り継がれている殺人事件の一つです。もともとチャールズマンソンは、音楽プロディーサーのテリーメルチャーに対して個人的な恨みを抱いていました。テリーを殺害するために邸宅に足を運んだものの、すでにテリーは引っ越しをした後だったのです。

それを知らないチャールズマンソンは、新たな住人であるシャロンテートを勘違いの末殺害することになります。事件当日、シャロンテートはセレブ仲間を招いてパーティーをしており、そんな中にチャールズマンソン率いるマンソンファミリーが侵入し、殺害に及びました。

後日、殺人に興奮を覚えたチャールズマンソンは、スーパーマーケットのオーナーであるレノラビアンカを殺害しています。この時もレノラビアンカの妻も殺害されており、シャロンテート同様の殺害方法ということもあり、テート=ラビアンカ事件と呼ばれることになります。

マンソン・ファミリーの信者スーザン・アトキンズ

テート=ラビアンカ事件の実行犯である信者の一人スーザンアトキンズは、後にマンソンファミリーの犯行が明るみになり、逮捕される要因となった人物でもあります。テート=ラビアンカ事件の犯人はすぐに見つからずにいましたが、その時車の盗難容疑でスーザンアトキンズは逮捕されていたのです。

捜査が難航していた矢先、一本の電話がかかってきており、その人物は一時的に留置所に入っていた売春婦でした。その売春婦は一時期スーザンアトキンズと同じ留置所にいて、スーザンアトキンズがテート=ラビアンカ事件の主犯であるということを自慢していたと明かしたのです。

その後、警察はスーザンアトキンズに尋問しましたが、スーザンアトキンズは犯行をすぐに認めます。スーザンアトキンズは犯行を警察にまで自慢しており、結果的に芋づる式でマンソンファミリーの存在が明るみになり、数々の殺人の犯人であるということがわかったのです。

殺害された女優シャロン・テート

マンソンファミリーによる無差別殺人の被害者である女優のシャロンテートは、今後を期待される美人女優でした。シャロンテートは1968年に映画監督のロマンポランスキーと結婚をしており、翌年には妊娠していて、約2ヶ月で出産をするという時に事件に巻き込まれてしまったのです。

シャロンテートは人違いにより殺害されてしまいましたが、パーティー中にマンソンファミリーに襲撃を受けた際、お腹に子どもがいるということを信者たちに明かし、助けを乞いました。しかし、それが仇となってしまい、シャロンテートは16箇所もナイフでめった刺しにされてしまいます。

シャロンテートとお腹の子どもはそれにより命をなくしてしまいますが、事件当日予定が入っていた夫のロマンポランスキーは自宅におらず、結果的に襲撃を逃れています。ロマンポランスキーはシャロンテート、そしてお腹の子どもにポールリチャードと名付け、埋葬をしました。

殺害現場には血文字を残していた

チャールズマンソン、マンソンファミリーが犯してきた殺人事件には、とある特徴があります。その特徴というのが、殺害現場には血文字を残すというものです。最初の犠牲者であるゲイリーヒンマンの殺害現場にも「Political Piggy」という血文字を残しています。

テート=ラビアンカ事件においても、シャロンテート殺害現場には居間の扉に「Pig」という血文字を残しており、その後に殺害されたレノラビアンカの現場には「Death to Pigs」「Healter Skelter」(正式な綴りはHelter Skelter)と残されていました。

こういった特徴ある血文字もあり、これらの事件は同一犯の犯行として予想されることになりました。

アメリカのカルチャーに影響を与えたチャールズマンソン

チャールズマンソン、そしてマンソンファミリーはアメリカのサブカルチャーにも大きな影響を与えたものとなりました。チャールズマンソンとマンソンファミリーの犯行が明るみになり逮捕された後、マンソンの名前は悪の名前としてアメリカ全土に広がっていったのです。

そんなイメージを利用して、自分の芸名にマンソンという名前を付ける人もいました。また、チャールズマンソンはビートルズの曲「ヘルタースケルター」に大きな影響を受け、マンソンファミリーを洗脳するためにもこの曲を使用しています。

チャールズマンソンの圧倒的カリスマ性と反社会的な犯行意識を持つその姿は、一部の若者たちから評価を受けることになります。マンソンという悪いイメージを持つ言葉、そしてチャールズマンソンという人物そのものがサブカルチャーとして人々の意識を深く惹きつけたのです。

チャールズマンソンの殺人を題材とした映画【ヘルター・スケルター】

チャールズマンソン、そしてマンソンファミリーが犯してきた殺人のことについて執筆された書籍「ヘルタースケルター」というものがあります。この本を執筆したのは、チャールズマンソンの裁判の担当検事を務めていた人物ヴィンセントバグリオーしです。

もともと様々な影響をアメリカに与えていたチャールズマンソンだったので、そのチャールズマンソンの事件について触れたヘルタースケルターは人気を博すことになりました。そして、1976年にはテレビ映画化もしているのです。

ヘルタースケルターは、チャールズマンソンが聴いていたビートルズのヘルタースケルターから名付けられています。チャールズマンソンはビートルズのヘルタースケルターから、戦争がいつか起こるはずだと信じ、ビートルズの楽曲を自分たちへのメッセージだと解釈していました。

2019年にはこの事件をモチーフとした映画が公開

チャールズマンソンとマンソンファミリーの影響は、書籍・映画ヘルタースケルターだけに留まりませんでした。実は、2019年にはチャールズマンソンとマンソンファミリーの事件を題材にした映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」が公開されるのです。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、監督にクエンティンタランティーノ、主演にはレオナルドディカプリオや、ブラッドピットらが名前を連ねています。まだ、詳細な映画の情報などは発表されていませんが、日本では2019年秋の公開予定になっています。

チャールズマンソンとマンソンファミリーの事件は、かなり前のように思えてしまう人もいるかもしれません。しかし、2017年にチャールズマンソンが死去したのもあり、世界中で再びこの事件は注目を浴びています。是非、これを機に気になる人は映画をご覧になってみてください。

歌手の芸名の由来となったチャールズマンソン

チャールズマンソンの存在感や影響力は、歌手の芸名にも及びました。アメリカで活動をしている歌手のマリリンマンソンは、チャールズマンソン、そしてマリリンモンローに影響を受けて付けられた芸名だったのです。マンソンは悪の象徴、モンローは美の象徴として二つを合わせています。

マリリンマンソンは、反キリストなどをモチーフにした楽曲が注目を浴びるバンドであり、世界的にも人気があります。奇抜で個性的な衣装はひと目見れば目が離せないほどのインパクトがあり、楽曲も虜になってしまうような魅力的な曲調が印象的です。

マリリンマンソンは日本にも度々来日をしており、現在もアクティブに活動をしています。日本への来日は2016年が最後になっていますが、数年おきに来日をしているようなので、今後も日本でライブをする可能性はあります。こちらも映画同様に気になる人は是非注目をしてみてください。

チャールズマンソンが残した言葉

チャールズマンソンがサブカルチャーに様々な影響を与えたというのも、その事件の酷さだけが理由ではありません。チャールズマンソンはマスコミなどに対しても、多くの言葉を残しており、その言葉が一部に刺さっているようなのです。

当然ですが、チャールズマンソンの残した言葉に対し、気が狂っている、尋常ではない、という感想を抱く人が大半のようです。

そんな恐ろしいとも言えるチャールズマンソンの言葉をいくつかピックアップしてみたので、チャールズマンソンの人間性や価値観、人柄についてさらに理解を深めたいという人は是非注目をしてみてください。

「俺は誰も殺していない。殺す必要がない」

チャールズマンソンは、自分は誰も殺してはいないということを供述していました。この時の言葉としては「俺は誰も殺していない。殺す必要がない。考える。そうすれば、ここにあるからな」と語っており、解釈としては「自分の代わりに手を下す人物がいる」という意味ではないかと考えられています。

実際、チャールズマンソンは自らは手を下していないと言われています。犯行のほとんどは、マンソンファミリーの信者たちで行われており、チャールズマンソンはあくまで指示をしただけだと考えられており、死刑判決に関しても長い間議論されてきました。

チャールズマンソンは逮捕された後も余裕の表情を浮かべていて、結果的に命を落とすまでの間、その状態は続いていたと言われています。それも、チャールズマンソンの言葉にあるように、自分は命を奪うようなことをしていない、という心の余裕があったからだと考えられています。

「ああ、とても狂っているよ」

チャールズマンソンが、「チャールズマンソンは狂っているのか」という質問に対して答えた言葉です。この言葉は「ああ、とても狂っているよ。だから何だって言うんだ?なあ、ずっと前には狂っているのは大したことだった。でも、今の時代はみんな狂ってやがる」と続いています。

サイコキラーとも言える殺人鬼の多くは、自分自身が狂っていることに気づいていない人も多くいました。しかし、チャールズマンソンの場合は、自分が人よりも狂っていることを自覚し、さらにはそれを大したことはないと言い切っているのです。

その後に続く「みんな狂っている」という言葉のインパクトも圧倒されますが、チャールズマンソンという人物は怖いと感じられるのは、狂っていることを自覚しながらもそれを正そうとしない、そんな意識を感じられるからだと言えるでしょう。

「俺が誰かを殺したいと思えば、この本であんたを殴り殺すだけだ。」

チャールズマンソンの言葉の中でも、非常に怖いと言われているのが「俺が誰かを殺したいと思えば、この本であんたを殴り殺すだけだ」という言葉です。チャールズマンソンは数々の殺人を犯しており、殺すことにためらいを持たない人物が発する言葉としては、かなり怖い言葉だと言えます。

また、この言葉には続きがあり、「そんなことをしても俺は何も感じない。ただ、薬局に立ち寄るようなものさ」と語っています。つまり、チャールズマンソンにとっての殺人は、ただ普通の人がケガをしたり病気をしたりした時に、薬局に立ち寄るのと同じだということなのです。

シャロンテートを殺害した時も、チャールズマンソンは誰がこの家にいるのかということについて最後までわかっていませんでした。ただ、ほんの思いつきで人を殺そうと思う…それは、チャールズマンソンが自ら語っていたように、薬局に立ち寄るような感覚だったのかもしれません。

「もし俺が人を殺し始めたら、誰もいなくなるよ」

最後に紹介をするチャールズマンソンの言葉になるのが、「もし俺が人を殺し始めたら、誰もいなくなるよ」というものです。チャールズマンソンは自ら手を汚すことはしていませんが、もし、手を下すことになったら…と考えると、このセリフはかなり恐ろしい意味を含むように感じてしまうものです。

チャールズマンソンは人を殺すことに対して、なんのためらいもありません。しかし、犯罪がバレないように、手を汚さないようにということで信者を使って、数々の犯行に及んでおり、もしそれすらもしない状態になってしまえば、本当に見境なく殺人を犯すのだろうと容易に想像が出来ます。

チャールズマンソンの脅威というのは、何も感じずに、他の言葉にあるように、ただ薬局に立ち寄るような感覚で人を殺めるということです。誰もいなくなる、という言葉は情けや事情などを一切考慮しようともしない、ただ自分の気の向くままに殺しをするという素直な気持ちの現れだと言えます。

2017年に死亡したチャールズマンソン

様々な影響を与えたマンソンファミリーの指導者であるチャールズマンソンは、2017年にその生涯に幕を閉じました。人生の大半を刑務所で過ごしたチャールズマンソンは、子供の頃から刑務所にいて、命が尽きるその時も罪人として生涯を終えることになったのです。

チャールズマンソン、そしてマンソンファミリーがしてきたことは決して許されることではありませんが、それでも死刑制度や一時的な制度の禁止で、彼の刑は大きく揺らぐことにもなっていました。当然ですが、被害者の親族らは死刑制度撤廃には反対をしていました。

結局死刑執行をせずに命を落としたチャールズマンソンの、最後について注目をしていきましょう。また、チャールズマンソンは死してなお、問題を起こしている人物でもあるってご存知ですか?そんなチャールズマンソン死去後の騒動についても見ていきましょう。

83歳でこの世を去ったチャールズマンソン

チャールズマンソンは、スーザンアトキンズの自白によって逮捕されることになりました。しかし逮捕後もカリスマ性や余裕の表情を崩すことはなく、マスコミにはサービス精神を働かせ、その魅力をアメリカ中に広めることになりました。

チャールズマンソンは、マンソンファミリーに犯罪を犯させていたのであり、自身は手を汚すことはありませんでした。そのため、死刑制度に関しても実際に殺害をしていないチャールズマンソンを死刑にするのは難しいのではないかという討論は、長くまで続けられることになります。

そんな中でいよいよ2017年にはチャールズマンソンは死刑執行されることなく、命を落とすことになります。死因は胃腸出血であり、緊急入院をして治療を施していましたが、2017年11月19日に息を引き取りました。また、信者の一人であるスーザンアトキンズも2009年に亡くなっています。

獄中50歳以上離れた若い女性と婚約

チャールズマンソンは、刑務所で獄中結婚をしようとしていたこともありました。それは2014年のことであり、かねてから交流を9年間も続けていた50歳以上も下の女性と婚約をしようとしていたのです。獄中結婚は禁止されているわけではないため、チャールズマンソンは結婚するものかと誰もが思いました。

しかし、そんな婚約が果たされることはありませんでした。実は、チャールズマンソンと婚約、結婚をしようとしていた女性はチャールズマンソンの遺産、存在価値が目的だったのです。高齢者であるチャールズマンソンが亡くなった後、亡骸を展示しようと企んでいたのでした。

実際、良くも悪くも大きな影響を与えたチャールズマンソンが亡骸として展示されれば、多くの人物がその姿を一目見ようと大金をはたくことでしょう。しかし、そんな企みをチャールズマンソンは察知し、婚約手続きを正式に終える前に、関係を解消したのです。

チャールズマンソン死亡後も問題発生

2017年にチャールズマンソンが死亡した後、問題が起こりました。その問題というのが、チャールズマンソンの亡骸を誰が所有するかという点です。チャールズマンソンの亡骸を引き取りたいという人物が殺到し、正式に決まるまでチャールズマンソンの亡骸は冷凍保存されることになりました。

チャールズマンソンの亡骸を引き取りたいと主張していたのは、チャールズマンソンの孫であるジェイソンフリーマン、マンソンファミリーの信者との間に生まれた子供であるマイケルブルンナー、チャールズマンソンの長年の友人であるマイケルチャネルズ、そして他に二人の人物でした。

チャールズマンソンは遺書を残していましたが、不備があり、正式に認められませんでした。結果的にチャールズマンソンの亡骸は孫であるジェイソンフリーマンが引き取ることに決まりましたが、チャールズマンソンが持っていた遺産についての相続先は未だに決まっていないようです。

チャールズマンソンの遺体は火葬された

チャールズマンソンの死後も様々な騒動が起こり、結果的に孫のジェイソンフリーマンが、チャールズマンソンの亡骸を得ることになりました。これは、チャールズマンソンが死亡してから約4ヶ月経った日のことだったのもあり、遺体の状態は冷凍保存をしていたとは言え、かなり酷い状態だったそうです。

もともと冷凍保存する予定もなかったようなので、遺体の引き取りに揉めたのを機に冷凍保存をしており、その間にはかなり腐敗が進んでいたと言われています。たとえ冷凍保存をしていても限界があり、棺に入る時には濃い化粧でその状態をカモフラージュしていたそうです。

チャールズマンソンの遺体は棺に入れられ、火葬をしました。火葬後の遺灰は川へと撒かれる予定だったようですが、この日は丁度風が強いということもあり、遺灰が参列者に降りかかるというアクシデントもあったようです。

生まれ変わりを示唆するような発言を残している

チャールズマンソンは、亡くなる数日前に友人に対し「死者は空へと消えて行く。しかし命が絶えることは決してない」と話していました。もともとチャールズマンソンは輪廻転生については信じている節があり、この言葉は生まれ変わって、またこの世界に戻ることを意味するのではと考えられています。

ただでさえチャールズマンソンという男は、多くの人に恐怖を植え付けた存在でした。単なる言葉だったとしても、チャールズマンソンが同じように話せば別の意味として解釈をしてしまいそうなほどだったと言われています。そのため、死の直前に話した言葉も不気味だと話題になりました。

もし、チャールズマンソンが生き返るのであれば、それは非常に不気味なことだと言えます。それは、生き返りを確認する術がないということだけでなく、死してなお世界に在り続けようとする執念に恐怖を感じざるを得ないからだと考えられます。

チャールズマンソンの怖いカリスマ性

チャールズマンソン、そしてマンソンファミリーが犯してきた殺人事件や概要、その後について注目をしてきました。若くして狂信的なカルト教団を作ったチャールズマンソンのカリスマ性は恐ろしくすごいものであると断言出来ます。

チャールズマンソンのしてきた犯罪の数々は許されることではありませんが、それでもチャールズマンソンはサブカルチャーに大きな影響を与え、一部の間ではマンソンファミリーで信仰されていた時のように、彼を崇めている人は少なくないと言われています。

カリスマ性は時には輝き素晴らしい功績を残すこともありますが、怖いほどのカリスマ性を持つチャールズマンソンの魅力は、近づいたらもう離れられないかのような、そんな甘く恐ろしいものがあると言えます。今後もそんなチャールズマンソンは多くの人やモノに影響を及ぼしていくのでしょう。

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