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    最年少サイコキラーメアリーベル事件がやばい!犯人の現在や結婚は?

    イギリスで起きた11歳の少女による殺人事件、通称「メアリーベル事件」。その残虐性や犯人であるメアリー・ベルが僅か11歳の年齢であることで世を震撼させました。そんなメアリーベル事件の概要を追いながら、メアリーベルの生い立ち、現在と結婚について調べました。

    メアリーベルが最年少サイコキラーと言われる理由とは?

    メアリーベルさんは、見た目は普通の子供と何も変わりがないとても可愛らしい少女です。しかし、本性は共感性がなく、悪魔と言ってもおかしくなく、殺人鬼メアリーベルさんが起こした事件は、11歳の少女が起こした事件とあって、当時のイギリスを震撼させました。

    メアリーベルさんがなぜ最年少のサイコキラーと言われたのか、事件の詳細、生い立ちから逮捕後、現在までの彼女を詳しく紹介していきます。

    メアリーベル事件とは

    メアリーベルさんは、とても賢くて、歌をとてもいい声で歌う少女でした。しかし、普通の少女と比べてどこかおかしく、どこかぽっかりと抜け落ちたような少女でもありました。

    メアリーベル事件とは、そんな彼女が引き起こした連続殺人事件で、衝撃的で今もなお語り継がれています。

    サイコキラーとして有名に

    メアリーベルさんは、1968年5月から7月のわずか2カ月ほどで2人の少年の尊い命を無残にも奪う犯行を行いました。

    衝撃的な事件ですが、この事件はさらに衝撃を人々に与えました。メアリーベルさんの2件目の事件が発覚した時、逮捕された犯人であるメアリーベルさんはまだ11歳の少女でした。

    メアリーベルさんは、最年少のサイコパスだと言われています。彼女のサイコパスさは、言動や行動などに現れていて、世の中を震撼させました。彼女の行動の数々は、常人には理解がしがたくて、年齢が幼いことも相まってとても恐ろしいものとして語られています。

    1人目の殺害(1968年5月25日)

    メアリーベルさんがサイコパスな殺人鬼の顔を出したのは、1968年5月25日のことでした。この日、最初の殺人を犯しました。その全貌はとその後のメアリーベルさんの行動は、異常としか言いようがありません。

    子供らしい好奇心も相まって、異常性が柿間見えています。そして、人を殺した罪の意識がなく、恐ろしい心理状態が明らかになりました。

    4歳の男児を絞殺

    メアリーベルさんが一人目に殺害したのは、1968年5月25日でした。4歳の少年マーティンブラウンくんがイギリスのとある空き家で死んでいるのが発見されました。彼の口からは血が流れていて、周囲には薬の空き瓶が転がっていました。

    1人の少年が人口呼吸をしましたが、息を吹き返すことはありませんでした。

    マーティンブラウンくんの死因は絞殺でした。犯人であるメアリーベルさんが、絞殺したのですが、子供であったことから絞殺の痕跡が残らず突然死として扱われました。捜査の結果、事件性が薄いとして、大量の薬を誤飲した事故死と断定され、捜査が打ち切りになりました。

    メアリーの事件後の行動

    1人の少年が吐き気がしたため、窓から顔出して深呼吸をしていると、空き家の外にはメアリーベルさんとその友人のノーマベルさんがいました。2人は空き家に入って、マーティンブラウンくんが死んでいる2階に上がろうとしましたが、少年らがそれを止めました。

    メアリーベルさんとノーマベルさんは、犯行後マーティンブラウンの叔母、リタさんに事件を知らせに行きました。また、犯行翌日にも、2人はリタさんにマーティンがいなくて寂しいか?泣いた?と、挑発じみた質問を薄笑いを浮かべて聞いたと言います。

    またメアリーベルさんは、マーティンブラウンくんの葬儀の日に、家を訪ね、マーティンブラウンくんの母親と交わした会話も驚くものでした。棺に入っているところが見たいとニヤニヤ笑い、棺を探すようにあたりを見ましたというのです。

    犯行声明文を保育所に残した?

    事故死と断定した警察に対して、メアリーベルさんは「マーティンは私が殺した」と言い回ったと言われています。しかし、もともとメアリーベルさんには虚言癖があったため、誰もメアリーベルさんの言葉を信じませんでした。

    それでも諦めきれなかったメアリーベルさんは、保育園に侵入して、犯行声明文ともとれる4通のメモを残しています。

    虚言癖で有名だったメアリー

    5月31日に保育園の警報装置が作動して、警察が駆けつけるとそこにはメアリーベルさんとノーマベルさんがいました。2人は取り調べを受けますが、前回の不法侵入については否定しています。

    それから1週間ぐらい後に、ある少年がメアリーベルさんとノーマベルさんの騒ぎを目撃します。「私は人殺し」と叫びながら、メアリーベルさんがノーマベルさんに飛び掛かって髪を掴んで、顔を殴りながら「あの家でマーティンを殺した」と叫んだいたそうです。

    しかし、メアリーベルさんの虚言癖は有名だったため、誰もメアリーベルさんの言葉を信じませんでした。

    共犯者ノーマベル

    メアリーベルさんと行動を共にしていたノーマベルさんですが、同じ性ですが血縁関係はありません。メアリーベルさんとノーマベルさんは2歳差で、事件当時、ノーマベルさんは13歳でした。

    ノーマベルさんの方が年上ですが、2人の関係は、知的でかしこいメアリーベルさんが、ノーマベルさんを従属させている関係でした。

    メアリ・ベルー唯一の友人関係?

    ノーマベルさんは、メアリーベルさんのような不遇な生い立ちはありませんが、軽度の知的障害を持っていました。ノーマベルさんは、メアリーベルさんにとって唯一の友人で、メアリーベルさんの考え方や犯罪にも共感していたようです。

    しかしメアリーベルさんにとっては、友人というより自分のいう事を聞く、都合のいい関係で利用していたようです。

    2人目の殺害(1968年7月31日)

    メアリーベルさんの一度目の殺人は成功しましたが、本来の目的である自分への注目を向けさせるということには失敗に終わっています。しかし、メアリーベルさんは諦めきれずにその後、2度目の殺人を犯してしまいます。

    サイコパスの特徴として、自分以外のことは考えられないというものがあります。2度目の殺人はどのようなもので、メアリーベルさんの優越感は満たされたのでしょうか。

    3歳の男児を絞殺

    メアリーベルさんは1回目の犯行から2カ月後の7月31日に、3歳のブライアンハウくんが行方不明になる事件が起こります。ブライアンハウくんの姉が行方を捜している時に、メアリーベルさんとノーマベルさんが近づいて、「ブライアンはコンクリートブロックの間で遊んでるかも」と言いました。

    しかしこの時は姉は強く否定して、その場を離れてしまったそうです。結局、ブライアンハウくんが見つかったのは、夜中の11時10分でした。コンクリートブロックの間で冷たくなっていました。

    ブライアンハウくんの遺体の上には、草や紫の花がばらまかれていて、口からは血の混じった唾液の泡が垂れて、首には絞められたような圧痕が残されていました。

    遺体のそばにあった壊れたハサミ

    そして遺体のそばには壊れたハサミが落ちていました。この事件でも注目を集められていないと感じたメアリーベルさんは、その後犯行現場に戻ってブライア・ハウくんの腹部に自分の頭文字である「М」という文字を刻みました。

    それだけでは終わらず、ハサミでブライアンハウくんの髪の毛を切って、男性器を切断しています。

    疑惑が深まるメアリー

    警察の検死の結果から、子供が絞殺したと断定されました。大人にしては、力が弱いという事から断定されたそうです。

    この事件を担当した刑事は、マーティンブラウンくんの時と犯行が似ていると、マーティンブラウンくんも子供が殺害したのではないかと、疑念を抱き始めていました。

    警察は子供のいる家を1000件ほど訪ねて、3歳から15歳までの子供約1200人にアンケートをとりました。その回答で特に気になったのが、メアリーベルさんとノーマベルさんでした。2人の態度が極めて異常で、殺人の質問には終始ニヤニヤと笑っていました。

    ハサミへの発言がきっかけで逮捕

    8月2日の尋問中、メアリーベルさんは思い出したとことがあると語り始めたといいます。そ
    れは、ブライアンハウくんが殺された日についての内容でした。

    メアリーベルさんの証言は、「体中に草や紫の花をつけた少年が、落ちていた壊れたハサミで猫のしっぽを切ろうとしたが、突然ブライアンハウくんに暴力を振るい始めた」というものでした。

    しかし、ハサミについては警察は公表していませんでした。その少年を尋問しましたが、少年には確実なアリバイがありました。そのため、ハサミの存在を知っていたメアリーベルさんが捜査線上に浮上しました。

    葬儀中の異常な行動

    メアリーベルさんが逮捕される8月7日の午前中に、ブライアンハウくんの葬儀が行われました。メアリーベルさんは葬儀中にブライアンハウくんの家の正面にいたと言われ、ブライアンハウくんの棺が運ばれる様子を見て、大喜びして見ていたそうです。

    監視役の警部がその表情を見て、メアリーベルさんの様子にぞっとしたと語っています。警部さんは、このままメアリーベルさんを放っておけば、また犠牲者がでると感じたようです。

    そして逮捕

    壊れたハサミのことは極秘情報だったにも関わらず、そのことを知っていたメアリーベルさん。メアリーベルさんが事件に関与している証拠になり、逮捕されるきっかけになりました。

    その後、逮捕されたメアリーベルさんは黙秘を続けていましたが、ノーマベルさんが事の重大さに気付き、警察にすべて話したため、全貌が明らかになりました。

    メアリーベルさんはブライアンハウくんのお腹にカミソリで傷をつけたと、ノーマベルさんに話していました。また、ノーマベルさんはカミソリの隠し場所も証言していて、証言通りにカミソリが見つかりました。そのことから、メアリーベルさんとノーマベルさんの逮捕に至りました。

    メアリーベル逮捕後と判決

    メアリーベル事件は、ちょっとした発言から展開が変わり逮捕に至りました。メアリーベルさんの証言は、笑いながら無邪気に話すだけで、真実とも嘘とも判断できない内容だったそうです。動機もわからなかったと言われています。

    またメアリーベルさんの言動は、傍聴している人々を驚愕させる内容でした。母親も裁判の進行を妨げるような行為をしています。

    そんな中、果たしてどのような判決がメアリーベルに下されたのでしょうか。

    拘置所で歌うメアリーベル

    メアリーベルさんは、拘置所で夜にとても澄んだ声で歌っていたといいます。歌の内容は、まるで自分の今までの生い立ちをそのまま歌にしているようでした。

    「お前は汚れていて、ゴミ箱の蓋みたい。お前のしたことを父親が知ったらベルトでひっぱたくよ」といった意味合いの歌詞だったそうです。

    飄々とした態度のメアリー

    メアリーベルさんは逮捕後の取り調べでも、殺人には関与したが殺したのはノーマベルさんだと発言しています。その言葉自体に感情がなく、殺した状況を話させても飄々とした態度で語っていたそうです。

    当時付き添いをしていた看護師は、言葉の使い方が豊富なことから相当、頭のいい子だと感じたようです。「自分よりも弱くて、抵抗できないものを痛め目付けるのは楽しい」や「人間はいつか死ぬんだから、殺人は大したことない」とも供述しています。

    虚言で裁判をかき回した?

    メアリーベルさんが当時、住んでいた地域の裁判は、イギリスの首都に本拠地を置いている裁判所から出張して行う裁判でした。10歳を越えて殺人を犯すと、陪審員裁判が行われる決まりでした。メアリーベルさんの裁判は、異様な光景の裁判だったと言われています。

    メアリーベルさんとノーマベルさんの裁判は、1968年12月5日に始まりました。共犯者であるノーマベルさんが動揺して涙を流している中、メアリーベルさんは蝋人形みたいに表情を変えず憮然とした態度でした。

    メアリーベルさんは裁判中、犯行を認めたかと思えば突然、「ノーマベルさんがすべてやった」と供述を一転させて裁判をかき回しました。

    判決は?

    2人の少年を殺害した容疑で裁判をかけられていた、メアリーベルさんとノーマベルさんの最終的な判決は、ノーマベルさんは無罪、メアリーベルさんは有罪判決でした。

    メアリーベルさんは厚生施設に送られることになりました。ノーマベルさんは無罪だったので、その日に釈放されています。

    メアリーベルの生い立ちは?

    メアリーベルさんをサイコパスの人格に育て、殺人鬼にした背景には、不遇な生い立ちが深く関わっています。

    後に出版された彼女の自伝で明かされた生い立ちとは、どのようなものだったのでしょうか。

    売春婦の母親

    メアリーベルさんの母親であるベディベルさんは、売春婦をしていて、結婚せずにメアリーベルさんを出産しています。ベディベルさんは、子供を望んでおらず、メアリーベルさんを産んだ時には、「この娘をどこかにやって!」と叫んだそうです。

    さらに母親は薬物依存症だったと言われています。メアリーベルさんを出産してからも、何度も自分が服用していたピルをメアリーベルさんに飲ませて殺害しようとしています。

    母親は4歳になったメアリーベルさんを娼婦のまねを強要したそうです。メアリーベルさんは生まれた時からサイコパスだったのではなく、母親の子育てから受けた異常な悪意でサイコパスにされてしまったと言われています。

    父親は不明

    メアリーベルさんの本当の父親は誰かわかっていませんが、母親のベティベルさんのヒモのような存在「ビリーさん」という義父がいました。ビリーさんも母親と同様、メアリーベルさんに関心がなく、自堕落な生活を送っていたようです。

    母親はメアリーベルさんにビリーさんのことを「叔父さん」と呼ばせていました。その理由は、生活保護を受けていたからです。父親の存在がバレると生活保護が減額させられると思い、叔父さんという呼び方を強要したようです。

    唯一、ベリーさんだけがメアリーベルさんを人間として扱ってくれたと言われています。一緒に出掛けたり、話し相手になるなど、こんな生い立ちのメアリーベルさんが持っている数少ない人間性は、ビリーさんが培ってくれた言えるでしょう。

    貧しい生活を強いられていた

    上記でも説明しましたが、父親がいないメアリーベルさんはベティベルさんの売春婦としての稼ぎと生活保護で受給しているお金で生活していました。

    義父であるビリーさんは、母親のベティビルさんの稼ぎをあてにして、退廃した生活を送っていたため、一家はとても貧しかったそうです。愛情のなさと貧困が、メアリーベルさんをサイコパスとしてしまう格好の環境だったと言えるでしょう。

    看護師になりたかった理由がやばい?

    メアリーベルさんは看護師になりたいと思っていたようです。普通の子供のように、白衣の天使に憧れてや誰かの力になりたいなどの理由だといいのですが、メアリーベルさんの看護師になりたい理由がかなりサディスティックなものでした。

    看護師になりたいという彼女の理由は、「人に注射針が刺せるから」というものでした。

    メアリーベルのその後

    メアリーベルさんは有罪判決を受け、12年間少年院と一般刑務所で過ごしました。

    ここでは、メアリーベルさんの施設内での様子や出所後の結婚、出産などにまつわる話について解説していきたいと思います。

    1977年に脱獄

    メアリーベルさんは判決後、22歳の時まで厚生施設に入っていました。とはいえ、完全には大人しくしていませんでした。

    メアリーベルさんが20歳の時、1977年のことでした。メアリーベルさんはアネットプリ―ストさんと一緒に施設を脱獄しました。

    3日後に捕まっているのですが、3日の間にメアリーベルさんは処女を捧げています。自分が正常に戻ったか確かめるための脱獄でした。

    虚言癖は治らなかった?

    メアリーベルさんの虚言癖は、施設に収容されても治ることはありませんでした。

    1970年に施設の職員1人から性的虐待を受けたと訴えましたが、でっち上げに過ぎないと却下されています。

    1980年に出所

    メアリーベルさんが服役中、母親が面会に来ては下着姿の写真を撮って、タブロイド紙に売っていたと言われています。

    そんなメアリーベルさんですが、1980年の23歳で仮釈放となりました。出所後は職を転々としたりしながら生活しました。その後大学にも通いますが、すぐに辞めて母親の元へ戻っています。

    名前を変えて生活をするも…

    メアリーベルさんは出所後は、名前を変えて生活していました。しかし静かな暮らしができるはずだった彼女は、母親であるベティベルさんが邪魔をしたのでした。

    出所後、政府は彼女のことを考えて、報道規制をかけたと言われていますが、母親はそんなこと関係ありませんでした。メアリーベルさんの出所をマスコミに売って金儲けをしたため、世間にメアリーベルさんの出所は公表されてしまいました。

    アルコール依存症になった、母親は死ぬまで実娘のメアリー・ベルさんの情報をマスコミに売り続けました。メアリー・ベルさんの自伝には、「自分はひどい親に育てられた被害者。愛情が足らなかったから殺人を犯した」という意味合いを描いていたそうです。

    1984年に娘を出産

    メアリーベルさんは出所後、男性と知り合って1984年に長女を出産しています。この時まだ仮釈放中で、1992年まで期限がありました。しかし、裁判所の監督下にある状況でしたが、赤ん坊には罪がないため、育児は許可がおりたそうです。

    メアリーベルさんはその後、長女の父親である男性と別れて、別の男性と結婚して小さな村で暮らし始めました。しかし、メアリーベルさんの前歴が村の人たちに知れ渡り、村の住民がデモを起こすなどして、村を追い出されてしまいます。


    また、1998年には記者がメアリー・ベルさんの住所を特定して、長女に自分の過去が知られてしまいます。そのことで、転居を余儀なくされました。

    2003年に匿名性を勝ち取る

    メアリーベルさんは自分と長女に関する生涯の匿名性を求めて訴えを起こしました。その結果、2003年には最高裁にメアリーベルさんの主張が認められて、生涯の匿名性を勝ち取りました。

    生涯の匿名性を勝ち取ったメアリーベルさんは、今後マスコミから追い立てられることはなくなりました。着実に社会復帰を歩んだメアリーベルさんですが、その一方で判決は遺族の心にも影響を与えています。

    メアリーベルさんにマーティンブラウンくんの奪われた母親は、「子供は神の恩恵。メアリーは私の大事な神を奪い、深い悲しみを残した。彼女が孫の顔を見て自分の罪を思い出すことを願う。匿名性は彼女を守るだけのもので、遺族にはない」というコメントをしました。

    実名を公開

    メアリーベルさんは、長女の成人を機に実名を名乗ります。そして、自伝の本を出版する時に、一人娘に自分の犯行をすべて打ち明けたと言います。

    長女は母親の過去の犯罪を受け入れました。しかし、メアリーベルさんの母親であるベディベルさんは、多額の報酬をマスコミから受けていたことで、世間から厳しく非難されたようです。

    自伝を出版

    メアリーベルさんは一連の事件を自伝にして出版しています。それが1998年に発売された「魂の叫び」です。

    自伝には、事件の詳細やメアリーベルさんが振り返って自身の思いなどが綴られていて、日本語版も出版されています。

    なおこの自伝の内容には、懐疑的な意見もいくらかあるようです。

    メアリーベルの現在は?

    現在のメアリーベルさんは60歳を超えていて、孫も誕生しイギリスで密かに暮らしているようです。母親であるメアリーベルさんの犯罪を受け入れた長女は、少なくてもサイコパスではなかったようです。健全な女性として健全な子供を産んで育てています。

    現在61歳

    メアリーベルさんは現在61歳で、長女はだいたい34歳です。

    彼女たちがどこに暮らしていて、どのような生活を送っているかは生涯の匿名性のおかげでわかりません。

    孫もいる?

    メアリーベルさんの現在は、不明ですが孫がいるのは確実のようです。

    当然、メアリーベルさんと長女に認められた匿名性は、孫にも保証されています。

    メアリーベルは子供を産んで自分がしたことを反省している

    メアリーベルさんは、自伝本を執筆後、現在もイギリスで暮らして、執筆活動をしているようです。母親による小さい頃受けた虐待で、今も夜尿症や解離性離脱障害などを患っています。幼い頃の虐待で大人になってもトラウマになっているようです。

    事件から30年経って、長年言葉に出来なかった罪や被害者への謝罪を、実名で出した自伝本に綴ったのかも知れませんね。

    自伝本の中でメアリーベルさんは、「子供を産んで、初めて自分がした事の重大さを知った。最悪感に苛まれるようになった」と言っています。これが虚言癖だとは思いたくないですね。

    メアリーベル事件は、母親の愛情不足が生んだ悲しい事件であった

    メアリーベルさんは、生まれてから母親が死ぬまでと最後まで親の愛情を知らずに育ってしまいました。だから、殺人を犯してもいいという理由にはなりませんが、メアリーベルさんの同情する部分も少しはあるのではないでしょうか。

    当然、小さい我が子を奪われた2つの被害者家族のことを思えば、メアリーベルさんは決して許されるわけはありません。現在でも心に傷を抱えていることでしょう。

    サイコパス犯罪は、大半が両親の愛情不足や虐待で殺人鬼にされてしまうケースが多く、メアリーベル事件は、それの典型的なケースと言える悲しい事件だったと言えるでしょう。

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