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    島根女子大生死体遺棄事件の被害者は?犯人矢野富栄の動機とは?

    2006年に起きた島根女子大生死体遺棄事件、歴代でも残忍な事件として記憶に残っています。犯人は事件から7年後の2016年に矢野富栄と発覚しましたが、すでに死亡していました。被害者の平岡都は何故事件に巻き込まれたのか。平岡都と矢野富栄の真相を探ります。

    島根女子大学生バラバラ殺人事件とは

    皆さんは島根女子大生死体遺棄事件をご存知でしょうか?2009年11月6日に広島県の臥龍山山頂付近で、被害者の女子大生である平岡都さんの頭部が発見されたのを皮切りに、バラバラに切断された遺体が山中で発見される事となった精算な事件です。

     

    「浜田事件」「浜田学生遺棄事件」「島根女子大生殺害事件」「島根女子大生バラバラ殺人事件」と呼ばれることもあり、媒体によって呼称が違うことも多いのですが、全てこの事件と同一です。また、犯人の矢野富栄は身元判明前に自殺しており、動機もはっきりしないままに未解決事件として処理されています。

     

    このまとめでは島根女子大生バラバラ殺人事件の概要に、被害者である平岡都さんや犯人の矢野富栄についてまとめていきます。

    島根女子大学生バラバラ殺人事件

    2009年。被害者である平岡都さんは10月26日以降に消息不明になっていたことから警察から捜索願を受け、11月2日から公開捜査が行われていました。

     

    そして平岡都さんの失踪から役10日後。11月6日に広島県と島根県の県境にある臥龍山でキノコ狩りをしていた男性が、平岡都さんの頭部を山中で発見し通報。平岡都さんであることが判明。更に臥龍山を警察が捜索した所、バラバラにされた部位が発見されます。

     

    警察は殺人事件として調査を始めますが暗礁へ。7年経過した2016年夏に容疑者の一人として矢野富栄に辿り着きましたが、矢野富栄は事件直後に自殺していたことが判明。犯人が自殺してしまったために真相や動機もも不明のままに現在に到っています。

    臥龍山とは?

    「日本山岳遺産」指定の地域遺産。臥龍山(標高1223m)を中心とした西中国山地国定公園の芸北地区は、ブナの森や湿原が点在する生物多様性豊かなエリア。

    出典:https://kotobank.jp

    被害者の平岡都さんはどんな人?

    2009年10月26日以降に消息不明となってしまった被害者の大学生である平岡都さん。犯人の矢野富栄との接点は出ている情報の中では全く見つかっておらず、なぜあのように残酷に殺されてしまったかも不明なままに現在に到っています。

     

    この項では被害者の平岡都さんのことで判明している情報や、事件前の足取りについて追っていきます。

    平岡都は島根県立大学に通う女子大生

    被害者である平岡都さんは地元の香川県の商業高校を卒業後に、島根県は馬橋にある島根県立大学に進学されています。事件が起きたのは大学1年生の頃だったので、18歳~19歳で人生に幕を閉じました。

     

    大学を欠席することもほとんどなく、真面目な学生だったと言われています。また、地元から島根県立大学に出てていることから、交友関係はクラスメイト・ゼミ・サークル・バイト先などに限られていて、メッセージをやりとりする相手も少ないものでした。

     

    この状況から、ますます犯人である矢野富栄との接点が謎になってしまっています。これと言ってストーカー被害や痴情のもつれなども無かったようです。

    平岡都の事件前の足取り

    平岡都さんは10月26日にアルバイト先である、ショッピングセンター内にあるアイスクリーム店から退勤した後の足取りが行方梅井になっています。大金時刻は9時すぎで、アルバイト先から女子寮までは約1kmでした。女子寮に至るまでの夜道は人通りや街灯も少なく、山林が続いています。

     

    しかしこの日の平岡都さんは徒歩では帰らず、反対方向のバスターミナルに向かって歩いていたところを目撃されています。不信感を感じてバスを使おうとしていたとも推測されていますが、結局、バスを含んで公共交通機関を利用した形跡はなかったそうです。

     

    余談ですが平岡都さんは10月28日にアイスクリーム店を退職予定で、10月29日から人通りが多い場所にある居酒屋でのアルバイトが決定していました。

     

    平岡都が行方不明・公開捜査に

    装飾不明になった翌日の10月27日。母親が平岡都さんに連絡を入れるものの応答がなく、電話もつながらないことから不審に思い、10月28日に警察に捜索願を出しました。しかし見つからず「事件に巻き込まれた可能性」を考慮し11月2日に公開捜査へ。

     

    部屋が荒らされたり金銭が引き出されたりの痕跡はなく、身代金の要求もなし。トラブルも周囲が把握している中では一切なく、せいぜい、近々アルバイトを退職予定くらいしか平岡都さんの身辺には不審な匂いもありません。このことから警察は金銭目的や怨恨の可能性は薄いとしていました。

     

    そして死体遺棄事件に繋がります。

    犯人の矢野富栄はどんな人物?

    帰宅途中の平岡都さんを誘拐して殺し、バラバラにして臥龍山に投棄した矢野富栄。怨恨や金銭目的と言った背景も存在しておらず、平岡都さんとの繋がりすら見つかりません。この状況から犯罪史上でも稀に見る猟奇殺人としてこのバラバラ殺害・死体遺棄事件は報道されています。

     

    そんな極悪事件を起こした矢野富栄とはどんな人物だったのでしょうか?この項では矢野富栄について、判明している情報を紹介していきます。

    矢野富栄には前科が存在する

    この犯人である矢野富栄ですが、前科があります。福岡県の北九州市や東京の杉並区で3件の事件を起こしています。どれもが「性犯罪歴」であり、通りがかりの女性に対して刃物を突きつけて猥褻な行為を強要。相手に怪我をさせて、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けています。

     

    刑期が終わると矢野富栄は地元の下関市に戻り、地元の住宅設備会社に就職。事件が起きた当時は浜田市の隣である益田市に住んでおり、事件現場付近でソーラーパネル営業をしていたそうです。退所後から遺棄事件までは特に目立った犯罪は起こしていませんでした。

    矢野富栄の評判や軽い経歴

    近所の評判は悪くなかったようで、元々は「米屋の息子」でした。しかし米屋は繁盛しているとは言いづらく、母親がクリーニング店を始めて生活を支えていたそうです。

     

    そんな環境の中で矢野富栄は進学校に合格。母親は矢野富栄に愛情を注いでいて、自慢の息子であったと言われています。また、目鼻立ちが整ったいわゆる「イケメン」であり、かなり真面目で堅苦しい性格だったとも関係者は証言していました。

     

    出所して再就職後も勤務態度で真面目で販売成績もかなり良かったらしく、口々に彼がそんな事をするとは信じられないと同僚たちは語っています。

    島根女子大生死体遺棄事件の概要

    こうして平岡都さんは行方不明になり、犯人である矢野富栄は現場付近で仕事をしていたことが判明。唯一の二人の共通点が見えてきたところで、本題である島根女子大生死体遺棄事件について解説していきます。

     

    「猟奇殺人」と呼ばれるくらいにはショッキングな内容を含みますので、閲覧の際は覚悟して読み進めくださいませ。

    2009年11月6日広島県北広島町の臥龍山で

    概要では軽く触れましたが、平岡都さんの遺体が発見されたのは11月6日。遺棄現場となった臥龍山でキノコ狩りをしていた男性が、平岡都さんの頭部を発見します。崖の下のなだらかな斜面にある落ち葉で見つかった事から、切断した後に投棄したとも言われています。

     

    通報を受けた翌日にDNA観点で平岡都さん本人の遺体であることが確定。島根県・広島県警の合同捜査本部が結成され、死体損壊・遺棄事件として捜査が進むことになりました。頭部の状況から死後10日前後経過している可能性が高く、行方不明になった当日に殺害された可能性が非常に高いです。

    その後残りの遺体も

    頭部発見を期に臥龍山で大掛かりな捜索が行われ、捜査本部が設立された11月7日当日に臥龍山の雑木林で大腿骨が発見されます。またその翌日11月8日には頭部が発見された近くで胴体が発見。11月9日には左足首11月19日には動物の糞から人の爪の形跡や骨片が発見されました。これらも後にDNA鑑定で本人のものと判明しています。

     

    これ以降は積雪などもあり捜査が打ち切られることになりましたが、臥龍さんにバラバラで遺体が遺棄されたことは間違いないでしょう。

    犯行の状況

    最初に発見された頭部の状態は目がうっ血していることや、喉を掻き毟ったり首を絞められたあとが残っているから、首を強く締められ殺害された可能性が高いと発表されています。

     

    更には顔面には殴打の後や足跡も存在していることから殺される前に暴力を受けていたことも確実でした。首の切断面からナタかオノで一気に切り落とされたと言われていることから、死亡後に胴体から切り離されたと言う見方が強いですね。

     

    11月8日に見つかった胴体は腹部が刃物で切られており、内臓の大部分が存在していませんでした。何らかの意図で犯人は内蔵を引きずり出したのでしょう。更には胴体は全体的に黒ずんでいたことから、焚き火などで焼かれた可能性が高いとされています。燃え尽きなかったのでそのまま投棄したのでしょうか・・・?

    7年間の間犯人特定には至らず

    この平岡都さんの殺害事件は、「過去に類例を見ない残虐な事件であり、県警さらに日本警察の鼎(かなえ)の軽重が問われる闘いである。警察の存在意義を懸けた闘いと言っても過言ではない」と言われるほどに凄惨な事件であり、犯人が逮捕されるまでにのべ31万人も人員が導入されました。

     

    しかし捜査は難航し、2012年には死体損壊・遺棄罪は時効へ。しかしその後も捜査は続行され、実に7年の月日が流れることになります。

    「現場付近を走行していた不審車両や、被害者の交友関係をしらみ潰しに当たったが、確たる証拠は得られなかった。レンタルビデオ店でスプラッター映画を借りた人のリストまで調べ上げました」(社会部記者)

    出典:https://www.asagei.com

    事件の真犯人が発覚まで

    犯罪史上稀に見る凄惨な事件ではありましたが、警察の懸命な捜査も虚しく、解決への糸口が見えなかった島根女子大生死体遺棄事件。真犯人の矢野富栄にたどり着くまでに実に7年もの月日が経過する形となりました。しかしあるきっかけで衝撃的な事実と真犯人が発覚します。そして、最後まで真相が判明することはありませんでした。

     

    この項では犯人である矢野富栄の発覚と2016年の出来事について纏めていきます。

    7年後に事件は急展開を迎える

    操作規模も縮小され細々と捜査が続いていた2016年。警察は現場付近に住んでいた住民の性犯罪歴を洗い出し、過去に性犯罪歴がある人間として矢野富栄の名前が操作線上に上がります。そして同年夏から下関にある矢野富栄の実家に、捜査員が頻繁に顔をだすようになりました。

     

    しかし実家には矢野富栄の弟夫婦が住んでいるだけで、矢野富栄とその母親は既に亡くなっていました。しかし遺品を警察は回収。デジタルカメラとUSBメモリーがあったため、警察は分析することtなります。

    矢野富栄のデジカメから残忍な画像が

    データは削除されていましたが、警察側は復元に成功。そこには動かぬ証拠が、しっかりと撮影されていたのです。撮影場所は矢野富栄が借りていた借家の浴室でした。その内容とは遺体の切断に使われた文化包丁や、頭部を切る前と切った後の状況や首を絞めた後の写真。バラバラに解体されていく遺体の様子がくまなく撮影されていました

     

    遺恨などが存在しない猟奇殺人ではないかと囁かれていた当事件ですが、これはその推測が確信に変わった瞬間でした。

    すでに矢野富栄は死亡していた

    しかし矢野富栄は母親とともに事件が起きてすぐに自殺しています。この真相も死人に口なしであるために判明こそしていませんが、様々な推測を立てられています。

     

    亡くなる前に矢野富栄は知人に対して「大変なことになった」と漏らしていたそうですが、平岡都さんを殺害し解体した遺体を撮影して恐らくこの時は楽しんでいたことは間違いありません。この事から"楽しんだ後"に捨てたのはほぼ確実なのですが、何が「大変」だったのかは今も不明なままです。

    なぜ母親とともに心中したのか?

    この心中というのもあくまで推測の結果立てられたものです。心中の当日である11月8日に、矢野富栄は母親と父親の墓参りへ行った帰りに交通事故を起こし亡くなっています。

     

    この事故ですが車にブレーキ後やスリップ後はなく、しかもガードレールに何度もぶつかった形跡があり、意図して起こるものではありませんでした。最終的に路側帯に停車した後に炎上しており、この状況から心中であると言われているわけですね。

     

    立てられている推論の中に、先に紹介しました「大変」とつなげまして、母親に殺人を打ち明けた結果、自首を勧められて「大変なことになった」と相談した可能性も高いとも言われています。そして最終的に親子は心中の道を選んだとも。

     

    ただ、心中するにしても、車を無理やり炎上させる方法はやや不自然なので、首を傾げるところではありますね・・・。事故に見せかけて保険金を遺族に残すだとか、そういった情報もありませんでした。

    犯人扱いで大学を中退した人も

    この事件は解決まで7年という月日を費やした上に、かなり大掛かりな捜査が行われたことから、無実の人に疑いがかかることも頻発した事件でもありました。特に平岡都さんと同じ大学の友人は最終的に大学中退に追い込まれることとなりました。

     

    平岡都さんは事件の数日後には他のバイト先に転職予定でしたが、このバイト先の予定だった居酒屋は友人(以降・Aさん)が紹介したものでした。しかし警察側はこの情報を突き止めたことと、Aさんが男性だったことから何度も事情聴取を行っていたようです。

     

    結果、無実であるのにあらぬ噂が大学で流れ始め、犯人扱いとする人も決して少なくなかったそうです。結果的に居心地の悪さを感じたAさんは、事件が起きた翌年に大学を中退しています。

    捜査により被害を受ける人

    他にも遺棄現場に続く高速道路を当日に利用していた同キャンパスの大学院生(以降・Bさん)にも疑いがかかっています。この人はそもそも平岡都さんと接点がありませんでした。

     

    当日に高速道路を利用し、自動車版バー児童読み取り装置にBさんの車が映っていたことから警察はBさんの自宅の捜査を行っています。刃物やナタを見せてほしいと何度も来訪し、気がつけば近所や学校で噂が立ち始め「犯人が来た」とからかわれるようになったそうです。

     

    この方は大学院を中退とまでは行きませんでしたが、警察に対して不信感を募らせていたことを後に記者に証言しています。

    「犯人が見つかって良かったとは思います。でも、もっと早くわからなかったのか。この7年間、地元に帰ったら“本当は犯人なの?”と言われ続けた。警察に犯人扱いされたことへの憤りは消えません」

    出典:https://www.news-postseven.com

    親族にも影響が出る

    矢野富栄の実家に住んでいた弟夫妻も兄が猟奇殺人犯であるという事実が発覚してしまったため、職場を退職し今は身を隠しながら生きていると言われています。「夜逃げ」したと言われており、今は消息不明となっています。

     

    また、自殺ににり矢野富栄は不起訴処分であり、既に亡くなっている矢野富栄は罪を償うことも謝罪を口にすることもありません。弟家族も逃亡した後は消息不明のため、被害者家族も怒りのぶつけ先や「娘を殺した罪を償って欲しい」と言った感情は宙に浮いたまま現在を過ごしています。

     

    「自殺して償った」という見方もできますが、そもそもの自殺の真相が逃げなのか事故なのかもはっきりしていない状況のため遺恨を残すままに、島根女子大生死体遺棄事件は一応の解決となりました。

    事件を忘れてはならない

    2009年に起こった島根女子大生死体遺棄事件についてまとめました。迷宮入り寸前で真犯人が発覚したことは喜ぶ出来ことではあります。しかしこの事件は真相がはっきりせず、矢野富栄の自殺により既に死人に口なしであるがために、スッキリしない結末となっています。

     

    紹介させていただいた案件以外にも、長期に渡る虱潰しの捜査の結果、冤罪未遂やいわれなき悪意をぶつけられた無実の人間も多数存在しています。矢野富栄の心中は誰も理解することはできませんが、彼が平岡都さんを殺害したことにより、被害者のみならずに多くの人の人生を奪ってしまったのは間違いないでしょう。

     

    もう二度とこのような事件が起きないように、今後も島根女子大生死体遺棄事件は語り継がれていくべきで、後先考えない独りよがりな行動が関係者を不幸に叩き落とすという事実は心に留めておきたいものですね。

     

    最後に、この事件の被害者である平岡都さんのご冥福をお祈りいたします。

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