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    悲惨な事件・白暁燕誘拐殺害事件とは!?事件の詳細を徹底調査!

    皆さん、白暁燕誘拐殺害事件という事件をご存知でしょうか?実はこの事件、その内容があまりにも悲惨すぎて検索してはいけない言葉と言われているほどなんです!そんなことを言われたら逆に気になりますよね!そこで今回は白暁燕誘拐殺害事件を徹底調査していきます!

    白暁燕誘拐殺害事件とは

    白暁燕誘拐殺人事件とは、1997年に台湾で起きた「台湾史上最大の誘拐事件」と言われる凄惨な事件です。主犯3人(一説によると関係者はによる身代金目的の誘拐から始まり、最終的に取引には応じず、被害者である白暁燕さんはむごたらしく殺害されることとなりました。

     

    また逮捕に至るまでも逃亡時に犯人らに携わった一般人が殺されていたり、警察との銃撃戦などに発展したりと誘拐殺人だけでは収まっておらず、あまりにショッキングな内容から白暁燕という単語が「検索してはいけない言葉」入りしています。

     

    このまとめではそんな凶悪事件である白暁燕誘拐殺人事件について纏めていきます。

    ・中華マフィアはやることが尋常じゃねぇ・・・

    ・耐性あるから見たけどここまでするとは思わなかった...ひどすぎる

    ・最強の事件かもしれないね

    出典:https://www44.atwiki.jp

    以上の反応の通りに大変ショッキングな内容となりますので、残酷表現が苦手な方は閲覧にご注意ください。身体の欠損や強姦など、人権を踏みにじるような行為を犯人グループは行っています。

    白暁燕が誘拐される

    悲劇の幕開けとなりますのは1997年4月14日でした。この日、白暁燕誘拐殺人事件を起こしたグループの主犯である「高天民」「林春生」「陳進興」は私立醒吾高級中学に通学途中であった白暁燕を無理やり車に押し込み誘拐。

     

    顔をテープとゴムバンドでぐるぐる巻きにして声を出せないようにし、死なないように鼻だけ露出させて白暁燕さんは運ばれたと言われています。

     

    「中学」とはなっていますが、誘拐当時の白暁燕さんは17歳ですので、日本における高等学校みたいなものだと思ってください。

    高級中学(こうきゅうちゅうがく、拼音: gāojí zhōngxué, Senior High School)は、中華人民共和国および中華民国(台湾)における後期中等教育機関。略して高中(ガオヂョン、拼音: gāo zhōng)と呼ばれる。3年制をとる[1]ことが多い。

    一般大学進学を目的とした過程であり、日本の高等学校普通科に相当する[1](日本における中学校は「初級中学」[1])。

    また職業系キャリアを目的とした学校は、高級職業学校と呼ばれる。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    このように日本と中国の学校文化の違いですね。日本で言えば年端もいかない高校生が誘拐事件の被害にあったと考えましょう。

    犯人グループから身代金が要求される

    犯人グループはアジトに連行後、白暁燕さんの左胸を露出させ写真を撮影。更に小指を切り落とし、身代金要求の交渉の道具としました。実際にこの写真と小指は母親である白冰冰さんの白日のもとに晒され、焦燥感を煽る形となりました。

     

    麻酔も何もなしで小指を切断された白暁燕さんはあまりの痛さに泣き叫んだそうですが、犯人グループは白暁燕さんに暴行をくわえて黙らせます。しかしこの時はまだ殺されてはいませんでした。

     

    身代金要求の準備を整えた後は犯人たちは一度帰宅した後に、白暁燕の母親である白冰冰に連絡。白暁燕さんの小指を証拠に娘の命をちらつかせて身代金500万円(当時の日本円にして5億円)を要求します。

     

    この誘拐者の小指が送りつけられるという凄惨な誘拐劇に、台湾のマスコミはこぞって騒ぎ立てました。それは同情だけではなく、我先にと大スクープを得るために。

    一度目の身代金受け渡しの失敗

    白暁燕の母親の白冰冰は犯人グループと電報でやり取りし、5億円を準備。4月18日と4月19日に行われた交渉により取引場所も決定しますが、犯人グループが身代金を受け取りに現れることはありませんでした。

     

    白冰冰は台湾では人気歌手であり、その娘である白暁燕の小指を送りつけて5億円を要求するという台湾のみならず、世界が注目するこの誘拐事件。交渉があることもマスコミに情報が行き渡っており、取引場所には大量のマスコミが集まっていて、あまつさえ上空にはヘリが飛んでいたという始末。

     

    こんな状態でのこのこと取引に応じれば、間違いなく犯人グループは特定され、逮捕に到ってしまうことでしょう。犯人たちが見合わせるのも当然ですね。

    報道規制しない台湾メディアって何なの? そのせいで白暁燕は殺害された。

    出典:https://www44.atwiki.jp

    日本には誘拐事件に置いて、犯人を刺激しないように報道協定というものがありましたが、台湾はこの時は情報協定と言うものは存在していませんでした。

    白暁燕が殺害される

    取引場所にマスコミが殺到したことにより受け渡しを見合わせた犯人たちは激昂。この時はまだ白暁燕さんは存命でしたが、既に誘拐から数日。小指を切り取られ暴力を加えられた痛みと、満足な食事も与えられていない事から弱り、身代金受け渡しが最後の希望でした。しかし失敗に終わり、犯人達の怒りを買う形となりました。

     

    身代金受け渡しの望みも絶たれ、白暁燕さんは絶望し泣き崩れたと言われています。犯人グループはそんな白暁燕さんに同情することもなく、怒りと欲望のままに、複数の弾性にまわされながら、何度も何度も暴力を振るわれながら強姦され殺されました。

    また遺体解剖では腹部内に500ccの内出血が確認され、切断された小指には指の根元に細い針金で止血されていた。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    二度目の身代金要求

    一度目身代金の受け渡し失敗の後に殺害された白暁燕さんですが、犯人グループは白暁燕さんが生きているように見せかけ、二度目の身代金の受け渡しを指定しています。しかしこの時も取引現場にマスコミが駆けつけ失敗に終わります。一度目の失敗を顧みることもせずに、誘拐被害者の命より特ダネにマスコミが注目した結果ですね。

     

    過去の日本でも情報が漏れてマスコミが騒ぎ立て、身代金交渉が失敗に終わり、人質が殺害されるという事件が昭和にありましたが、何処の国でも同じようですね。当然、国内外でもマスコミに非難が集まり、台湾国内では社会問題にまで発展しました。

    犯人グループのアジトが発覚

    二度目の身代金受け渡し失敗から2日後の4月25日。警察側はようやく犯人グループのアジトを突き止め4人を逮捕しますが、主犯格である「高天民」「陳進興」「林春生」は取り逃がし、既に白暁燕さんの遺体も処分されていたため回収もできませんでした。

     

    主犯格である三人は身元が割れ、全国指名低背となったことから、翌26日から27日にかけて犯人グループの身内や白冰冰さんがテレビを通じて人質の開放と自首を求める姿が台湾全土で放送されます。

     

    翌28日に見るも無残な白暁燕さんの遺体も発見されます。この時も遺体の画像がマスコミにすっぱ抜かれ、遠く日本にまで転載されました。この状況を顧みて当時の台湾大統領であった総統李登輝は「犯人を見つけ次第射殺せよ」と命令を出します。

    時の総統を務めていた李登輝は、犯人らを発見次第問答無用で射殺せよとの命令を発令した(wikiより)かっこいい、というかこれが正常の判断かもしれない

    出典:https://www44.atwiki.jp

    検察へ手紙を送る

    この二度目の身代金要求の後に、犯人グループが検察に手紙を送っていたと言われています。日時は主犯格三人の逃亡から約1ヶ月経過した5月28日の頃で、主犯格3人の母音から本人である事も間違いないとも言われています。

     

    その内容は自首や謝罪などではなく、既に逮捕されている身内の釈放についてと、「身代金は値引きされて300万円になると思っていた」と言った内容でした。しかし警察は応じませんでした。

     

    この後も犯人グループは6月6日に台北県議員を誘拐し500万ドルを奪ったり、8月8日に金属会社の経営者を誘拐して身代金を奪うなどの、凶悪な事件を引き起こしています。ただ、この時の誘拐被害者は交渉はうまく行き、命は奪われずに解放されていることが救いです。

    警察側は逃走中の陳進興、林春生、高天民を指名手配し、台湾国内で大規模な指名手配を展開した。後に逮捕された陳進興の供述により陳、林、高の3名は6月6日に台北県議員の蔡明堂を誘拐し500万ドルを強奪、8月8日にも金属会社の経営者を誘拐して身代金を受け取っている(家族は警察に通報せずに身代金の支払いに応じて解放された)。

    出典:https://ja.wikipedia.org

    主犯の2人が自殺

    8月19日、遂に主犯格三人のうち「高天民」と「林春生」が発見され、台北市内で警官隊800人と犯人グループによる銃撃戦が行われました。この銃撃戦で警察側も一人が死亡し、主犯格の一人の「林春生」は6箇所に銃弾を受けた後に自殺しています。

     

    更に3ヶ月後の11月17日には「高天民」も石牌路で警察に包囲され銃撃戦に発展。逃亡不可と悟った高天民は拳銃で自殺。主犯格3人のうち、2人は自殺という結果になりました。

    整形外科での殺人

    また11月17日の事件が起きる前の10月23日、犯人グループ残党である「高天民」と「陳進興」は整形外科で自分の顔を強引に整形させた後、医師の夫妻と女性看護師を口封じのために射殺しています。またこの時、女性看護師は殺害前に強姦されていました。

    銃撃戦からの逮捕と裁判

    「高天民」の自殺の翌日の11月18日、主犯格最後の一人となった「陳進興」は南アフリカ大使館亭に人質5人を取って立てこもり事件を起こしますが、裁判にて弁護を受けることを条件に投降し、逮捕となりました。白暁燕さんが殺害されてから7ヶ月、ようやくの事件解決への兆しが見え始めます。

     

    裁判の決着は1999年3月16日、日本において最高裁判所の判決で「死刑5回、懲役59年9ヶ月」の判決と白冰冰に対する賠償金支払い1億7130万台湾元(当時のレートで約6億円)の支払いを命じました。この額は台湾の裁判史上、最高額でした。

    白暁燕ってどんな人だった?

    誘拐され無残にも17歳で殺されてしまった白暁燕さんは、台湾の歌手である白冰冰さんの一人娘でした。母譲りの美貌を持ち、誘拐される数年前から親子での共演が増えていたそうで、これが身代金要求の交渉材料として目をつけられた原因とも考えられます。

     

    また、誘拐いにたる一つの背景として、ボディガードやSPの類を全くつけずに、「普通の女性」として育てたい願望が強く、一般交通機関で通学させていました。結果、白暁燕さんは車に押し込まれ拉致という形になってしまいました。

     

    少なからず白冰冰さんにも批判の声が集まっているようですね。

    母親も同じめにあえばいい(-_-メ)

    出典:https://www44.atwiki.jp

    母親は台湾の歌手・白冰冰(パイ・ピンピン)

    白冰冰さんは台湾の貧しい家庭に生まれましたが、1973年にに台北の歌唱大会で優勝し芸能界入りをし、1975年に歌と演技を学ぶために来日もされています。この時、20歳でした。

     

    在日時に日本の漫画家である梶原一騎と恋に落ち結婚。しかし1981年に離婚し、お腹の中に白暁燕さんを身ごもったまま台湾に帰国されています。離婚理由として梶原一騎の家庭内暴力がアルコール依存症がありました。

     

    帰国後は台湾においてタレント・歌手として活動。様々な南部ミニ出演し当時はトップに近い人気でした。だからこそ、自分のエゴで娘に護衛を付けなかった姿勢が批判されたんですね。

     

    事件後の今でも台湾のテレビでは司会を努めていることなども多く、芸能活動は継続されています。

    父親は『巨人の星』や『あしたのジョー』の梶原一騎

    白冰冰さんの夫の梶原一騎さんは「巨人の星」や「タイガーマスク」「あしたのジョー」の作者として知られています。白冰冰さんとのご結婚は1979年だったので、当時の時点ですでに梶原一騎さんは43歳。20歳近くの年齢差があった事になりますね。

     

    白冰冰さんとの離婚後に高森篤子さんと再婚されていますが、実はその前も高森篤子さんとご結婚されており、白冰冰さんと結婚していた時期は高森篤子さんとの離婚期間だったというややこしい結婚歴を持ちます。

     

    傷害事件を起こしたりアルコール依存症だったり覚醒剤疑惑があったりと中々濃ゆい人生を送られていますが、本題ではないのでこの辺にしておきます。事件前の1987年に病気で没しているため、自分の娘の末路に関して彼は知ることはありませんでした。

    白暁燕誘拐殺害事件の主犯のまとめ

    白暁燕さんを誘拐し、交渉が決裂すれば腹いせとばかりに白暁燕を殺害した主犯格の3人である「高天民」「陳進興」「林春生」の3人。この3人は台湾マフィアのメンバーとも言われており、白暁燕さんを殺害後も逃亡しながら犯罪を重ねていきました。

     

    この項では主犯の3人についてわかっていることをまとめていきます。

    ①高天民

    高天民は主犯3人の中でもリーダー格でした。誘拐事件当日は白暁燕さんを押し込み、拉致に使った車を運転していたとも言われています。

     

    先に触れました10月の整形外科夫妻や看護師の靴封じのための殺人に関しても、この高天民が指示したとされています。目的や足がつかないためなら殺人もいとわない性格の持ち主でした。

    ②陳進興

    主犯格3人のうちで唯一の生き残りとなったのが陳進興。拉致事件では白暁燕さんを車に無理やり押し込む役割を受け持っていたようです。また、整形外科での殺人に関して、殺す前に看護師を強姦したのは陳進興であり、逃亡中もあちこちで強姦事件を起こしていたようです。

     

    裁判の結果は先の述べたとおりに数々の罪に問われ「死刑5回」「懲役59年」の判決となり、陳進興は1998年10月6日に死刑が執行されこの世を去りました。陳進興は生き汚く弁護の交渉からの延命をはかったものの、結局、逮捕から1年も立たないうちの執行でした。

    ③林春生

    主犯格3人のうち最初に死亡したのが林春生ですね。経験体との銃撃戦の結果、体に6発の銃弾を受けた後に自害に到っています。誘拐事件の際は陳進興とともに白暁燕さんを車に押し込む役割を担当し、交渉材料として白暁燕さんの小指を切り落としたのもこの男でした。

    この他にも協力者が18人もいた模様

    何度も銃撃戦を行っていることやアジトで関係者が逮捕されていることから推測されるとおりに、台湾マフィアであるこの3人には多数の協力者がいたと言われています。逮捕者だけでも総勢18人にものぼっていて、主犯格3人は先に逮捕された構成員の釈放を求める手紙も台湾検察に贈っていました。

     

    また主犯格3人は逃亡から4ヶ月経過する8月まで、全国指名手配にもかかわらずしっぽも掴めていませんでした。この背景には、彼らの身内が匿っていたからではと今も風説として囁かれています。

     

     

    犯人、同じ目に遭えばいいのに、と思ってもここまでのことはどんなに憎くても怖くて出来そうにない…狂ってる

    出典:https://www44.atwiki.jp

    白暁燕の死因は?

    殺されてしまった白暁燕さんですが、この検索ワードは「検索してはいけない言葉」入りしているとは冒頭で触れた通りです。誘拐の上で殺害し主犯が各地で犯罪を引き起こしていたという内容だけでも聞いていて嫌になりますが、その実態はもっと酷いものでした。

     

    この項では白暁燕さんがどのように殺されていたかをまとめていきます。この白暁燕さん誘拐殺害事件の中でも、大変に残酷な内容ですので、女性の方は特に覚悟してお読みください。

     

    検察の見識の結果は?

    4月28日に発見された白暁燕さんの亡骸ですが、死後10日ほど経過しているとの検死結果が出ました。一回目の交渉の後に殺されていたと言われているのは、このことが理由となります。死因は頭部腹部の殴打による内臓破裂と出血多量によるものでした。

     

    更には殺された後の首を絞められた形跡もあり、とにかく犯人たちの苛立ちのはけ口でサンドバッグにされていました。強姦に関しても形跡が残っており、現実に起きていたことなのは間違いありません。

    ネットでの噂

    白暁燕は怒りのはけ口となった結果、顔面を殴られ歯が三本しか残っていませんでした。髪を毟られ爪を剥がされ、目をえぐられ耳に爆竹を入れられ鼓膜破裂。体に受けた暴力により肝臓は破裂し、子宮には49本の釘と鉄パイプが刺され、首も締められたあともあったそうですが、その時には既に絶命していたそうです。

     

    ただ、多少、ネットで伝聞されるうちにこの内容は誇張されているとも言われており、あくまで噂の範疇であるということを心に留めてください。

    遺体は豚の死骸と勘違いされるほどボロボロに...。

    「豚の死骸かと思った」

     

    後に白暁燕さんの遺体を発見した方は、このように述べています。直接の死因は東武腹部の殴打による出血多量と内臓破裂でした。葬儀の時はカツラとお面を被せられたということから、遺体の凄惨な状況は想像にたやすいでしょう。

     

    また、遺体発見時のこともマスコミにリークされ、写真が流れていたとされています。日本にも転載されているため、検索すれば今もいくつか見つかるようです。ここにはとても載せられませんので、自己責任でお願いします。

    白暁燕誘拐殺害事件犯行の理由まとめ!

    白暁燕誘拐殺人事件は関係者の隠匿や身内の証拠隠滅も多く、主犯格の2人が自殺し、身柄を確保された陳進興も早期に死刑が執行されていることから、関係者から語られることがほぼなく、真相は闇の中となっています。金目的の誘拐の説が一番多いのですが、その残虐性から犯行理由に関しても様々なものが囁かれているのが現状です。

     

    この項ではネットに蔓延る事件の真相説について纏めていきます。都市伝説のようなものなので話半分くらいでご参照ください。

    ①報復説

    今も根強いのがこの報復説ですね。白冰冰は台湾でも人気タレントでしたが、長年に渡って台湾マフィアの追放運動に関わっていました。人気タレントが追放運動を表面化していることで「見せしめ」「報復」のために拉致されたとも。

     

    主犯格3人と台湾マフィアの関わりはほぼ黒とされていることから、確かに筋が通った説でもありますが、あくまで推測の域でやっぱり証拠はありません。

    ②依頼

    この事件で逮捕された中で張志輝という人物が存在しており、陳進興の義弟であることから主犯三人を隠匿していたのでは?と裁判にかけられていましたが、無罪に終わっています。しかし誘拐事件の黒幕がこの張志輝では無いかと噂されているようです。

     

    この張志輝はゲーム状を経営していましたが、経営状態は芳しく無く白冰冰さんから借金をしていたそうです。しかし返せない状況が続き借金返済を迫られ、拉致に到ったと言われています。しかし裁判で無罪で終わっているので、これも少し信憑性は薄いですね。

     

    ただ、白冰冰さんが無罪判決の際に「正義が実証されなかった」とコメントを残しているため、何かしらの遺恨はあった可能性も考えられます。

    白暁燕誘拐殺害事件が最悪の結末になった理由は?

    主犯三人が白暁燕誘拐殺害事件以降に起こした誘拐事件は、身代金こそ発生したものの、誘拐被害者は解放されるという結果で終わっています。しかし白暁燕さんは様々な失態が重なった上で、最終的に殺害されてしまう形となりました。なぜ交渉は決裂し、白暁燕さんは殺害されてしまったのでしょうか?

     

    この項では白暁燕さんが殺害された原因と言われている、警察やマスコミの失態について見ていきます。

    理由①身代金の受け渡し失敗

    先にも触れていますが、身代金の受け渡し失敗が犯人たちが怒りを爆発させた原因となっています。生還者と白暁燕さんの対応の大きな違いに、生還者の家族は警察に連絡を行わず、内々で犯人たちの要求に応じて対応したという背景があります。

     

    白暁燕さん以降に主犯格3人が引き起こした誘拐拉致事件の発覚も、陳進興の逮捕後の供述によるものであり、それまでは警察に知られることはありませんでした。よって、誘拐が犯人たちの予想以上に大きな騒ぎになってしまったことが失敗の理由の一つになったと言われています。

    理由②マスコミの報道

    先にも触れていますが、引き渡し現場にはマスコミのヘリが飛ぶほどの大騒ぎとなっています。この時のマスコミは白暁燕さんの命よりもネタの鮮度とばかりに各社報道合戦を起こしており、白冰冰さんの家を何度も訪れて扉を破壊したり、車で突っ込んだりとやりたい放題でした。

     

    白暁燕さんの遺体発見時も写真が流れたことから、マスコミのモラルの低さが大きく話題になり、台湾国内でも「記者が有罪」の声が高まるなど非難が大きくなりました。

     

    ここまで騒ぎが大きくなった背景は、やはり誘拐されたのが台湾人気タレントの白冰冰の娘であったことが大きいと言われています。事件発生の時点で何処からかマスコミに情報が流されていたそうです。

    理由③警察が主犯格を取り逃がした

    主犯格3人は逃亡後も整形外科夫妻の殺害を始め、各地で事件を起こしています。こうなってしまった理由の一つに、最初にアジトに踏み込んだ時に主犯格3人をまんまと取り逃がしたことにあるでしょう。

     

    特に陳進興は各地で性的暴行を繰り返していて、余罪は50件にものぼると言われていて、最初に取り逃がさなければ悲劇の連鎖は起きることはありませんでした。

    白暁燕誘拐殺害事件の遺族は現在何してる?

    無残にも愛娘を殺されてしまった白冰冰さん。父親である梶原一騎さんは1987年に病気で亡くなってるため、悲劇を夫妻で分け合うこともできずに、悲しみに沈んだと言われています。この項では事件関係者の遺族について纏めていきます。

    妊活をするもドクターストップに...。

    最愛の娘である白暁燕さんを亡くした白冰冰さんは、梶原一騎さんとの離婚後はずっと独身でした。しかし「また自らの子を手で抱きたい」と、人工授精を繰り返して妊活を続けましたが、そのすべてが上手く行かず、最終的にドクターストップがかかる形となりました。

     

    白冰冰さんは事件の時点ですでに50代も手前の時期であり、年齢的にもかなり厳しかったのでしょう。

    現在は死刑存続をもとめる活動をしている模様

    全国的に死刑廃止の声が高まる中で、白冰冰さんは今もテレビに出演する傍らで台湾で死刑存続運動を続けています。また「白暁燕文教基金会」を設立して、死刑のみならず法律制定のための運動を続けているそうです。

     

    また、白冰冰さんは「燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて」という手記も執筆していて、その中で白暁燕さんを失った悲しみも綴られています。

    白暁燕誘拐殺害事件の爪痕

    台湾史上最大の誘拐事件の名に恥じない、白暁燕誘拐殺害事件。特に母親である白冰冰さんは、この事件以降は生き方さえも変わっていて、大きな爪痕を今も残しています。また、主犯格は3人でしたがその真相は謎が多く、今でも他にも主犯がいたのでは?と噂されています。

     

    また日本でもマスコミの報道加熱により被害者が亡くなった事件も多くあることから、この機会に報道のあり方と歴史について学んでみるのも面白いかもしれませんね。

     

    最後にこの事件で亡くなられた被害者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

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