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深浦加奈子の死因は?葬儀には豪華有名人が参列!結婚はしてた?

個性派で名脇役の深浦加奈子さんは、2008年に病気で亡くなりました。深浦加奈子と言えば、パワフルな演技で数々の作品に出演していた経歴があります。葬儀には大勢の役者仲間が参列し、愛されていたことがよくわかります。今回は深浦加奈子について死因も含め解説します。

深浦加奈子は何故亡くなったのか?

深浦加奈子さんは多数の作品に出演し、その演技で名脇役として有名になりました。残念ながら、48歳の若さで亡くなってしまい多くの人に惜しまれました。深浦加奈子さんの出演作品や闘病生活、葬儀の様子などについてまとめてみました。

深浦加奈子の死因は何の病気

深浦加奈子さんは、2008年に48歳の若さで亡くなりました。晩年まで活動していたため、突然の訃報に驚いた人は多かったでしょう。病気についても秘密にしていたため、友人でも知らない人が多かったようです。

深浦加奈子さんの死因はどんな病気だったのでしょうか?闘病生活についてもご紹介します。

2002年 腹部に激しい痛み

個性は女優として高い評価を得て、テレビドラマや映画で活躍する用意なった深浦加奈子さんですが、舞台女優としても盛んに活動しづ付けました。しかし、2002年の冬『美女か野獣」の撮影中に異変が起こります。

突然、激しい腹痛に襲われたのです。すぐに産婦人科の診察を受けましたが、その時は異常が発見されませんでした。痛みも一時的なものでしかなく、深浦加奈子さんはすぐに撮影に戻っています。しかし、その後も激しい痛みに襲われるようになります。

だんだんと痛みは強いものになっていきました。ドラマの撮影が終了した2003年の春に深浦加奈子さんは緊急入院します。入院から、2週間後の3月24日に手術をし成功します。しかし、病状は深刻なものでした。

死因は大腸癌の転移

入院からわずか2か月後に女優として復帰した深浦加奈子さんですが、実はS状結腸癌に侵されていました。S状結腸癌は大腸癌の一種です。入院した当初はステージ2の比較的軽いものという診断でしたが、開腹後にステージ3bに達していたことが発覚します。

それは、リンパ節に転移しているというかなり深刻な段階です。手術で摘出された患部には3cmもの大きさのしこりがあったそうです。手術後は、以前にもまして女優業に精力的に打ち込み、深浦加奈子さんはどんどん出演作を増やしていきました。

しかし、女優として活動しながら闘病生活をしていくことになり、この時の大腸癌が深浦加奈子さんの死因となっていくのです。

闘病生活と仕事の両立

手術は成功したとはいえ、癌が完治したわけではありません。当然、治療に専念するように勧められた深浦加奈子さんですが、仕事を休むことはありませんでした。「仕事が恋人」という信念を貫き、女優をしながら治療を受けることになります。生涯独身を貫き、子どももいなかったそうです。

周囲の人には、癌であることは隠し続けたそうです。その裏にはかなりの苦しみがありました。所属事務所のシス・カンパニーに迷惑をかけられないということで、2005年に事務所を退社し独立して活動するようになります。

2006年には肝臓に2回も癌が転移する事態になります。これには医師も治療を諦める事態になりますが、独自に癌のことを調べていた深浦加奈子さんは放射線治療を受けたいと自分から提案したそうです。放射線治療により、一時的に病状は回復します。

癌の転移に対応できず

放射線治療で何とか危機的状況から抜け出した深浦加奈子さんですが、度重なる転移で体は限界に達していました。2006年の秋ごろには、父親に対して手の打ちようがないと打ち明けていたと言われています。

同時期に1匹の猫を拾い、ニコラスと名前を付けて可愛がるようになります。深浦加奈子さんは、ニコと呼んでいたそうです。2007年には抗がん剤治療の副作用で苦しんでいたそうですが、『弁護士 灰島秀樹』『はだしのゲン』など複数のドラマや映画、舞台に参加しています。

病状の深刻さを感じさせない見事な演技を見せますが、12月には縦隔大動脈のリンパ節に癌が転移し、2008年には両方の肺に癌が見つかります。新しい薬は効果がなく、癌の転移に対応できませんでした。2008年のに行われた『新しい橋』が最後の舞台になりました。

最後の仕事はナレーション

治療を続けながら仕事を続けることも限界に達し、『新しい橋』に出演後の深浦加奈子さんは治療に専念することになります。それでも、彼女は仕事をすることを諦めていたわけではありませんでした。

2008年の7月に最後の仕事となる『描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶』のナレーションをすることになります。どうしてもやりたいテーマだったということで、姉の付き添いで広島に向かいナレーションを行いました。

家族に支えられ常に生きることを考えていた深浦加奈子さんですが、「今回が最後だと思う」と母に心境を告白していました。広島から帰宅後に、深浦加奈子さんの体調は急激に悪くなっていきました。

亡くなる2日前の様子

自宅で治療を続けていた深浦加奈子さんですが、とうとう病院に戻ることになります。肝機能は低下し肺に酸素もいかなくなり、黄疸が出て会話をするも難しい状態になっていきました。亡くなる2日前の8月23日土曜日に友人の戸田恵子さんがお見舞いに来ています。

この時の様子は、戸田恵子さんのブログにも掲載されています。深浦加奈子さんは優しく対応し、意識もはっきりしていたといいます。すぐに亡くなってしまうようには、思えなかった戸田恵子さんは再開を約束して病室を後にしました。

その後、深浦加奈子さんの訃報を電話で知らされた時は、電話の音が違って聞こえたとブログに記しています。

ベットに座ったまま絶命

2008年8月、深浦加奈子さんは遺言を残しています。内容は、猫のニコラスに自分の財産を寄贈するというものでした。死後には、海に散骨してほしいと両親に依頼していました。戸田恵子さんがお見舞いに来た2日後の2008年8月25日午後10時57分に、深浦加奈子さんは息を引き取りました。

最期は家族が見守る中、ベットに座ったままの状態で亡くなったと言われています。

深浦加奈子の葬儀は?

深浦加奈子の葬儀は9月に営まれました。告別式には親族と特に親交に親しかった関係者が、お別れ会では大勢の人が参列しています。告別式とお別れ会の様子や両方に参列した松嶋菜々子さん、弔辞を読んだ小泉今日子さんについてご紹介します。

告別式とお別れ会

深浦加奈子さんの告別式は、9月2日に営まれました。場所は東京都杉並区の堀ノ内斎場だったそうです。告別式は親族と特に親しかった関係者のみが参列しました。人数は40人くらいだったそうです。

お別れ会は550人が参列しています。深浦加奈子さんは、事務所をやめてフリーになっていました。そのため、お別れ会は有志によって準備され、開催されたと言います。お別れ会のラストには、深浦加奈子さんの出演したダイジェスト版のビデオが流れました。

会場には、深浦加奈子さんの様々な写真も用意されたということです。ビデオのラストにはカーテンコールを集めた映像が流れましたが、出席者全員が拍手をして深浦加奈子さんを送ることになりました。

松嶋菜々子も参列

深浦加奈子さんの告別式には特に親しい関係者が出席しましたが、松嶋菜々子さんは告別式とお別れ会の両方に参加した1人です。松嶋菜々子さんは、1991年に旭化成水着マスコットガールに選ばれ、1992年に女優としてデビューしました。

松嶋菜々子さんが新人だったころと、深浦加奈子さんが名脇役として人気が出始めたことが同じ時期になっています。2人の出会いは、ヨーロッパにいる日本人を探しにいく番組だったと言います。

その後、テレビドラマ『救命病棟24時』や『美女か野獣』、映画「恋と花火と観覧車」など多数の作品で、2人は共演しています。2019年4月から放送のテレビ小説『なつぞら』にも松嶋菜々子さんは出演しています。

小泉今日子が弔辞を読んだ

深浦加奈子さんのお別れ会で弔辞を読んだのは、小泉今日子さんでした。小泉今日子さんは、オーディション番組『スター誕生!』で1981年に合格した人物です。1982年にアイドルとしてデビューしたため、花の82年組と呼ばれています。

女優としてのデビューは1983年のテレビドラマ『あんみつ姫』でした。深浦加奈子さんとの関係は、2002年の舞台『おかしな2人(女編)』で共演してからということです。それ以来、深浦加奈子さんに相談することが多くなり、非常に慕っていたそうです。

終われ会に参列した芸能人は?

深浦加奈子さんのお別れ会に参加して著名人の中には
オペラ歌手の森公美子さん、俳優の高橋克実さん、渡辺いっけいさん、『科捜研の女』で共演していた沢口靖子さんや、陣内智則さん、三浦友和さんらが参列したそうです。

深浦加奈子が出演した作品は?

深浦加奈子さんは舞台、テレビドラマ、映画など多数の作品に出演してきました。深浦加奈子さんの出演作や役柄を見ていきましょう。

ドラマ『家なき子』

安達祐実さん出演で大ヒットドラマ『家なき子』にも深浦加奈子さんは出演しています。犬のリュウと一緒に暮らす少女相沢すずの物語は、強烈なインパクトがありました。実はリュウがメスだということはあまり知られていません。

深浦加奈子さんは、すずに対して壮絶ないじめを行う家政婦を熱演しました。最後には雇い主を刺殺して、自分も飛び降りて死んでしまいます。狂気を秘めた女性役を見事に演じきりました。深浦加奈子の演技の凄さが見られるドラマになっています。

ドラマ『ショムニ』

ドラマ『ショムニ』は落ちこぼれ社員ばかりが集められた総務部庶務二課、通称「ショムニ」に勤務するたくましい女性たちの物語です。主演の江角マキコさん演じる坪井千夏の生き方が痛快な人気ドラマでした。何度もドラマ化された人気シリーズで、深浦加奈子さんは第2シリーズの4話にゲスト出演していました。

深浦加奈子さんは、経理課勤務の梅林君子を演じました。君子はいわゆるお局社員です。中々退社しなさいことを揶揄されますが、定年までやめないと言い切る姿が印象的でした。深浦加奈子さんの登場回は4話だけなのですが、視聴者の心に爪痕を残す存在感のある役柄になっています。

ドラマ『秀吉』

1996年のNHK大河ドラマにも深浦加奈子さんは、出演しています。深浦加奈子さんが演じたのは秀吉の姉のとも役でした。ともは夫を讃岐国に流され、孫のほとんどを秀吉に処刑されてしまった悲劇的な女性です。

ともは出家し、日秀尼と呼ばれるようになりました。秀吉の兄弟姉妹は子孫がほとんど絶えてしまいましたが、ともの子孫だけは現代まで存続していることがわかっています。

ドラマ『科捜研の女シリーズ』

2019年に20周年目を迎える人気『科捜研の女シリーズ』にも、深浦加奈子さんはレギュラー出演していました。深浦加奈子さん演じる小向光子はシーズン3から登場し途中で休むこともありましたが、晩年まで出演しています。そのため、科捜研の女は深浦加奈子さんの代表作と呼ばれることもあります。

京都府警の科学捜査研究所(科捜研)に、勤務する主人公まりこの活躍を描いた物語です。小向光子は、科捜研で会計係と事務員をしていました。基本的に無駄遣いにうるさい真面目な人物で、小学生の息子がいます。

途中、産休で休んだことがあるので、子供が生まれたようです。イケメンに弱いという弱点があり、マリ子に頼まれて鑑定を手伝わせるお人好しの面もあります。科捜研の女は再放送が多いため、深浦加奈子さんが登場する機会も少なくありません。

ドラマ『感染爆発〜パンデミック・フルー -』

2008年1月12日に放送された『感染爆発〜パンデミック・フルー -』にも、深浦加奈子さんは出演しています。この作品が深浦加奈子さんが出演した最後のテレビドラマです。NHKスペシャルとして放送された最強ウイルスシリーズというドキュメンタリー番組の第一弾でした。

日本海に近い村を舞台に新型インフルエンザが確認され村中に広がります。更に新型インフルエンザは東京中に広がり、数万人の感染者を出す事態になっていきます。東京にある大澤病院は、インフルエンザの患者を受け入れることになります。深沢可奈子さんは、大澤病院の看護部長役で出演していました。

映画『狗神 INUGAMI』

映画『狗神 INUGAMI』は、坂東眞砂子の小説『狗神』を映画化した作品です。2001年1月27日に公開されました。狗神筋として忌み嫌われる坊之宮家の悲劇と差別による恐ろしさを描いた作品になっています。

和紙を作り静かな生活を送る主人公の坊之宮美希を天海祐希さんが演じています。美希の兄坊之宮隆直は、先祖祭りの日にとんでもない計画を企んでいます。深浦加奈子さんは、坊之宮の分家の人間坊之宮百代を演じました。

映画『浅草キッド』

映画『浅草キッド』は、ビートたけしさんの自伝小説をそのままのタイトルで映画化した作品です。ビートたけしさんの役を演じるのは水道橋博士さんでした。大学をやめ、芸人を目指す若き日のビートたけしさんを水道橋博士さんが熱演しました。

深浦加奈子さんが演じるのは踊り子の志の川姉さんです。非常に明るい演技を見せていました。当時の浅草の雰囲気が再現された作品になっています。

映画『GROW 愚郎』

2007年の映画『GROW 愚郎』にも、深浦加奈子さんは出演しています。桐谷健太さんの演じる気の弱い高校生村上敦が主人公です。自殺しようとした敦が3人の不良中年から、生きる術を学んでいくという青春映画になっています。

深浦加奈子さんが演じるのは、エキセントリックな格好で自転車を乗り回すマッハババァと呼ばれる女性です。本名は最後までわかりませんが、深浦加奈子さんらしい印象的な脇役になっています。

映画『僕のおばあちゃん』

映画『僕のおばあちゃん』は、深浦加奈子さんが最後に出演した映画になりました。岡本健一さんが演じるセールスマンが主人公です。主人公が、菅井きんさん演じるおばあちゃんのことを思い出しながら、家族の絆を考える物語です。

主人公のセールスマンの回想シーンが多く、おばあちゃんの登場シーンも過去の話が多いです。岡本健一さんと菅井きんさんのダブル主演の映画であり、菅井きんは世界最高齢映画初主演女優としてギネス認定もされました。

深浦加奈子さんは、主人公のセールスマンが子供の頃に通っていた八百屋のおかみさんを演じていました。

舞台『おかしな2人(女編)』

『おかしな2人(女編)は2002年の舞台です。ニューヨークにある古いアパートの1室を舞台にした、女性たちの物語になっています。アパートの住人のオリーブは、離婚したことによる失望から部屋の中を片付けることも忘れ、散らかし放題にしていました。

部屋には頻繁に友人たちが遊びに来て、ゲームを行うのが恒例になっていました。夫と離婚して1人になった友人のフローレンスとオリーブは共同生活をすることになりますが、潔癖症のフローレンスは部屋の様子に我慢できるはずもなくトラブルが続くことになります。

深浦加奈子さんはオリーブの友人レニーを演じています。レニーは彼氏はいるものの、ずっと独身という役でした。

舞台『新しい橋』

舞台『新しい橋』は、深浦加奈子さんが最後に出演した舞台です。深浦加奈子さんが演じるのは主役の真山橋子でした。橋子は平凡なサラリーマンの妻ですが、刺激を求めて風俗関係の仕事を始めてしまいます。

しかし、関係を持った相手は夫の部下でした。夫は会社で女性社員と不倫をしており、更にそこに親戚の男性や会社の同僚が絡んできます。破滅的な状況にある主婦を深浦加奈子さんが見事に演じていました。

深浦加奈子は生涯独身だった?離婚したという噂の真相は?

深浦加奈子さんは「仕事が恋人」と言っていたそうで、非常に仕事に情熱を傾けていました。生涯独身だったとも言われていますが、元夫と言われている人物もいます。一体どちらが本当なのでしょうか?

深浦加奈子さんは生涯独身だったのかという話や、離婚しているという噂の真相についてまとめてみました。

深浦加奈子は「仕事が恋人」で生涯独身だった

深浦加奈子さんは「仕事が恋人」という発言をすることが多かったそうで、結婚したことも一度もありません。恋愛に関してはプライベートなことなので詳しくは不明ですが、熱愛報道などがされたこともないようです。

深浦加奈子さんがどんな考えを持っていたのかわかりませんが、恋愛や結婚よりも女優としての仕事を優先することを考えていたようです。女優としては母親役を演じることが多かった深浦加奈子さんですが、子どもは1人もいません。

元夫とされる高橋克実との関係は?

深浦加奈子さんの元夫とされることが多いのが高橋克実さんです。元々、同じ事務所に所属しかなり親しい関係なのは間違いありませんが、なぜ2人が結婚していたという噂があるのかはよく分かっていません。

高橋克実さんは兎本有紀さんと1999年まで結婚しており、2011年に一般人の女性と結婚しています。高橋克実さんは特に結婚を隠してはいませんし、深浦加奈子さんと結婚していたとは考えられません。

とはいえ、高橋克実さんは告別式とお別れ会の両方に参列し、棺を抱える役もしていたといいます。深浦加奈子さんと高橋克実さんが、特に親しい友人だったことは間違いないようです。

深浦加奈子と仲が良かった芸能人

深浦加奈子さんは交友関係が広く、付き合いの長い友人が多くいます。有志で行われたお別れ会に550人が集まったことからも、深浦加奈子さんの交友関係の広さがわかります。深浦加奈子さんのと親しかった芸能人を2人紹介します。

戸田恵子

深浦加奈子さんは周りに心配をかけないように、ほとんどの友人に癌になったことを隠していました。闘病中に癌だと打ち明けている数少ない友人の1人が、戸田恵子さんでした。それだけ親交があり、戸田恵子さんを頼りにしていたということでしょう。

どちらも舞台女優出身で同世代ということもあり、古くから信仰のある親友です。共演することになった際は、2人だけで飲むことが多かったと言います。

久本雅美

久本雅美さんも、深浦加奈子さんと仲の良い友人だったことで知られています。深浦加奈子さんが創価学会の会員と言われることがあるのも、久本雅美さんが創価学会の会員として有名だからとも言われています。

お笑いタレントでコメディエンヌとして知られている久本雅美さんですが、若いころは深浦加奈子さんと違う劇団に所属するライバル同士でした。

その頃からの親しく付き合っていたということで、「深浦」「久本」と呼び捨てで呼び合う仲だったとバラエティー番組で語っていました。

深浦加奈子のプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):
  • 深浦 加奈子(ふかうら かなこ/不明)
  • 所属事務所:シス・カンパニー
  • 生年月日:1960年4月4日
  • 享年:48歳
  • 出身地:東京
  • 血液型:A型
  • 身長:非公開
  • 体重:非公開
  • 活動内容:女優
  • 所属グループ:第三エロチカ(1980-1989)
  • 家族構成:父/母/姉/義兄

名脇役の個性派女優

深浦加奈子さんは様々なドラマに出演し、印象的な脇役を演じることが多い個性派の女優として知られています。名前を知らなくても、顔を見れば彼女が出演したドラマが思い出す人は多いでしょう。

テレビ朝日の長寿ドラマ『科捜研の女』に小向光子役で出演しているおり、テレビの再放送で彼女の姿を見かけることは多いです。小劇場がブームだったころに看板女優として有名になり、その後テレビドラマの世界に進出します。

その後も、映画や舞台に多数出演し名脇役を演じる女優として有名になりますが、2003年に病に侵されます。闘病生活に入りますが、女優としての活動を続けました。しかし、病気が完治することはなく2008年に48歳の生涯を閉じました。

成績優秀で明大へ

深浦加奈子さんは東京都の公務員の家庭に産まれました。子供の頃から勉強はよくできたそうで高校は都立日比谷高校に入学し、明治大学に進学しました。文学部文学科演劇学専攻でした。両親は自分達と同じ公務員になることを望んでいたそうですが、学生時代にアングラ劇団の第三エロチカを旗揚げします。

深浦加奈子さんは劇団の看板女優として活躍し、名前を知られるようになります。当時はマスコミが小劇場を取り上げることが多く、非常に盛り上がった時代だったのです。観客にとっても理解するのが難しい内容の劇が多い時代でしたが、深浦加奈子さんの演技は高く評価されました。

1989年に劇団エロチカを退団するまでの間、深浦加奈子は全公演に出演し舞台を盛り上げました。

舞台からテレビの女優に

深浦加奈子さんは、劇団エロチカ退団前の1998年にも映画『SO WHAT』に出演しています。しかし、劇団をやめてもすぐにテレビドラマや映画で、活躍できるようになったわけではありません。

アルバイトで生活費を稼ぎながら女優を続け、1991年のNHK大河ドラマ『太平記』では北条高時夫人役に抜擢され、1992年に『NIGHT HEAD』や『綺麗になりたい』に出演するようになります。

その間も、『ふくすけ』や『ヒネミ』などの舞台にも出演し続けました。1994年の『スウィート・ホーム』での吉永早苗役が話題になったのを境に、名脇役としての知名度は一気に高まりました。1990年代後半には、テレビで印象的な脇役を演じる名物女優になっています。

深浦加奈子の演技の輝きは失われない

48歳の若さで亡くなった深浦加奈子さんですが、癌であること感じさせないほど精力的に仕事を続けていました。闘病生活は壮絶なものでしたが、演技にもその影響は感じられませんでした。

これからも、活躍が期待されていただけに多くの人に惜しまれています。個性的な女優だけに今後も代わりになる人は現れないと言われています。今後も、深浦加奈子さんの演技は作品の中で輝き続けるでしょう。

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